リナリアの幻想 | ナノ
森のお友達の手助け
呪文を唱えかけたその時だった。
目の前を複数の小さな影が横切ったのだ。
「ぎゃあ! なんだこれ!」
「うわっ!」
「いてぇ!」
そう、彼らは森のお友達。
頭上から情け容赦なくフンを飛ばす鳥達は羽をばたつかせて相手の目を撹乱していた。野うさぎは男子の足元ににじり寄ってズボンの上から足に噛み付いている。遅れてやってきた狐は何かに合図しているようだった。
狐の視線の先に目を向ければ、黒い巨体が森の奥から姿を現した。
のしん、のしんと重い足音を立ててやってくるその姿には見覚えがある。
まだ子どもの年齢である彼だが、人間からしてみたら十分大きい。その鋭い爪を持った手はなぎ払うだけで簡単に人間を始末してしまう凶器だ。
動物達の生活圏に侵入して荒らした人間達が逆襲にあって帰らぬ人になる事件は定期的に起きている。それほど彼らは恐れられていた。
彼はのそのそと緩慢な動きで学校敷地内に入ってくると一直線にこちらに駆け寄ってきた。彼からしてみたらほんの小走りだろうが、人間からしてみたら襲われると思い込んでしまっても仕方ない。
「ぎゃあああああ!!!」
熊がやってくる光景を前にした意地悪男子達は絶叫した。
『ダメ。雌、力弱い。いじめちゃだめ』
「ギャアアア!!」
「殺される!!」
熊はオロオロした声音で仲裁に入った。
その動きはまるで人間みたいで私としてはほほえましく見えたが、動物の心がわからない男子達には、すわ殺戮現場一歩手前に見えたらしい。絶叫が耳に刺さってうるさい。
「ありがとう皆、助けようとしてくれたんだね」
『いつもリナリアに助けてもらっているから』
『怪我はない?』
『もっとフン落としておこうか?』
動物達が口々に心配の声をかけてくれる。私はその気持ちがうれしくて心があたたかくなった。
『リナリア、いい子、優しい子。僕のこと助けてくれた、そのお礼』
「お礼なんていいのに。庇ってくれてありがとうね。でも人間は危険だから姿を見せないほうがいいよ」
私はお昼に残していた林檎を熊に差し出す。
熊さんは『おいしい』とぺろりと林檎を平らげると、来た道をのそのそと帰って行った。集まっていた動物達も口々に別れの言葉を残して去っていく。
そして残された私たちの元にはばたばたと複数の足音がどこからか近づいてきた。
「何事ですか!」
先生達は私たちの姿を確認して困惑の色を隠さなかった。
男子の頭には鳥のフンがたくさん乗っており、顔にまで垂れている。そんな状態の彼らは半泣き状態で先生に縋り付いていた。抱きつかれて先生が少し嫌そうな顔をしていたのを私は見逃さなかった。
あ。いま先生の服にべったりフンがついたな。
「熊! 熊が襲ってきたんです!」
「熊!?」
先生の声が裏返る。
確かにこの学校は森と隣接しているので野生動物と遭遇することもあるが、臆病な性質の熊がやってくることなんて稀だからだ。
「私の友達が助けに来てくれたんです。だけど熊さんは指一本触れていません。弱いものイジメは良くないと仲裁しにきただけで、彼らは主に鳥と野うさぎから攻撃を受けていました」
「ブルームさん、どういうことですか?」
「彼らはルーカスの身体を撫で回して辱めを与えていたのです! 私は婦女暴行を阻止しようと拳を振り上げました。それで彼らが怒って喧嘩勃発しかけたときに、動物達が私を助けようと攻撃してくれました」
私は逃げも隠れもしない。
嘘でごまかすこともしない。
それで叱責されたり、罰則を受けても私は自分の信念を曲げたりしない。
「婦女暴行!?」
「元素の記憶を魔法でご確認ください。そうすれば彼らの行いがどれだけのものか判明しますから!」
私は必死で被害を訴え、自分の行いを正直に述べた。
その後はやっぱり「暴力はよくない」と注意受けたけど、全面的に男子が悪いので私はお咎め無しで。男子達は叱責と罰則を与えられていた。当然の報いである。
そして被害者のルーカスはしばらく沈んでいた。私が側に付いてあげていたけど、よほど傷ついたのだろう。暗い表情のまま。
どうしたらルーカスが元気になるのか頑張って探ってみたけど、ニーナに「それ以上の過保護はクライネルト君が可哀相だからやめてあげなさい」と止められて、渋々引いた。
ルーカスは自然に戻るのを待つのはやめて、自力で元の性別に戻る方法を探すようになったのである。
◇◆◇
ルーカスの必死の調査にも関わらず、性転換を治す薬は見つからなかった。もしかしたら王立図書館になら文献があるかもと外出許可を取ろうとしていたが、それはダメだと先生に却下されていたルーカスは目に見えて落ち込んでいた。
だけど私にはなにもできず、そんな彼に寄り添ってあげるしかできない日々を送っていた。
「──そこのあなた、ルークはどこなの?」
そんな状況でまたもや規則を破って一般塔に立ち寄った彼女が目の前に現れたときは私は冷や汗をかいた。まずい。はとこで幼馴染、一方的な想いをぶつけて来る彼女が今のルーカスを見たらどう思うか……。
恐る恐る隣にいるルーカスを伺うと、諦めの境地に達した彼が遠い目をしていた。
「僕はここだよ、ドロテア」
「は……?」
声が女の子だし、今は私よりも小柄な美少女になっているので目を疑うかもしれないけど、面差しはルーカスそのままだからすぐにわかるだろう。
ルーカスの全身を見渡したドロテアさんは怪訝だった表情を驚愕に彩る。赤い口紅を塗った唇を震えさせて、首を横に振って動揺していた。
ルーカスは簡単に魔法薬学の事故で性転換したのだと説明するも、ドロテアさんはその言葉になにかを感じたらしくてジロリと鋭い視線を私に向けてきた。
「……またその子ですの?」
ひぃ、その通りだけど、視線が痛いよ。
悪気はなかったとは言え、私のせいでルーカスは怪我を負ったし、性別まで変わって大変な目に遭っている。なにも言い返せずに私はしょぼんと萎縮する。
「その方のそばにいたらまた被害に遭いますわよ」
言外に私と関わるのはやめろと言っているようだ。
ドロテアさんからしたら私の存在は目の上のたんこぶだものね。ただ単に私がルーカスの足を引っ張るだけでなく、好きな人の側に他の女がいるのは気に入らないよね。
「大丈夫。リナリアが何か事件に巻き込まれるのはいつものことだから慣れてきた」
「慣れたって……別に面倒見る必要はないでしょう?」
ドロテアさんの軽蔑の視線が痛い。絶対に私の評価、彼女の中で最悪になってる。
ううぅ、心が痛い。好きで事件に飛び込んでいるわけじゃないの。
ルーカスも慣れる必要なんてない、私なんて見捨てて逃げてもいいんだよ……あ、やっぱり見捨てられると切ないからやめてほしいです。
「面倒をみているつもりは無いよ。クラスメイトと助け合うのは当然だ。それに……彼女の側にいると退屈しないんだ」
……え? それってどういうこと?
私はルーカスの腕をツンツンした。それにルーカスが「なに?」と首を傾げる。
「それ、私のこと玩具扱いしてない?」
「してないよ」
ふふふと笑うその姿はどこからどう見ても可憐な美少女だ。何だか負けた気がするのは気のせいだろうか。この魅力に男がふらっとしちゃうのもわかる気がする。
「笑った顔がとても可愛いわ、ルーカス」
笑った顔が可愛かったので褒めると、真顔に戻ったルーカスに「やめてくれる、それ」と冷たく拒絶されてしまった。
彼のご機嫌を損ねてしまったみたいだ。
いつ元に戻るかわからなかったルーカスが元の男性の身体に戻ったとき、彼はいつになく喜び、めちゃくちゃ嬉しそうに報告してきた。
自分よりも小柄で声の高い美少女が一晩で、自分より身体が大きくて声の低い美少年に変わったので困惑したけど、こっちのほうが本当の彼なんだよなと自分を納得させた。
まじまじと彼を見上げると、その違いがはっきりわかる。
とっくに身長を追い越されていたのには気づいていたけど、こんなに身長差があったんだ。身体だって抱きしめても両腕じゃおさまらないかも。
「ルーカスったらこんなに背が高かったのね」
もう私が守るなんて言えないね、と笑うと、ルーカスはむっと顔をしかめていた。
「僕は守られたいとは思ってないよ。ましてやリナリアに」
「えぇ、なにそれ、傷つくんだけど」
馬鹿にされているような気がして文句を言うと、ルーカスは大袈裟に肩を竦めていた。
なんなの、その反応。