リナリアの幻想 | ナノ

雫型のネックレス

 ルーカスに大きな被害を与えた性転換薬を学会に発表しようと思うと先生に言われた私は困惑した。発見者として私の名前を論文の隅っこに載せることになるけどいい? と聞かれて、思わず口に出してしまった。

「性転換薬って役に立つんですか?」

 生きる上では必要ないと思うんですけど、と口をついて出た言葉に、薬学の先生は苦笑いしていた。

「世の中には自身の性別に疑問を持つ人がいるんだよ。むろん薬の悪用は良くないけどね」

 そこには私の知らない世界があるみたいだ。
 性別に疑問か。難しいことなのでよくわからないけど、それが困っている人のためになるのならそれでいいのかもな。
 性転換薬が体にどのくらい影響を与えるのか、諸々の研究を行ったうえで発表するそうだ。

「クライネルト君はひと月以上性別が変わったままだった。製造の仕方を変えたら効果も変わるかもしれない」

 ルーカスはといえば実際の被験者なので、いろいろと聞かれて嫌そうだったけど、渋々答えていた。
 自分を苦しめた性転換薬を世の中に広めようとする大人たちを見たルーカスは決意していた。「性別を元に戻す薬を僕が開発してやる」と。加害者である私はなにも言えずに、申し訳なさに縮こまっていた。


 それはそうと、以前からお知らせがあった【交流パーティ】なるものが開催されることとなった。普段は交わることのない王侯貴族と平民の魔術師の卵達が交流を深める場なのだそうだ。
 そのパーティにはお母さんが仕立ててくれたドレスを着用することに。学校行事なのに大袈裟だと思ったけど、お母さんとしては私に恥をかかせたくないのだろう。せっかくなのでおめかしを頑張ってみたんだけど、変じゃないだろうか。

 流行を意識した薄桃色のドレスは軽い素材を採用している為、くるりと回ると花が開花したように裾が広がる。まさにお姫様ドレスだ。
 お母さんとお揃いの金色の髪はニーナに手伝ってもらってゆるふわに巻いた。普段はしないお化粧をした自分を鏡に映す。鏡に映る私はいつもよりキレイで、なんだか心が弾んだ。

 準備を終えて女子寮を出ると、他の人は皆、私物の中で一番綺麗な服を身につけて精一杯のオシャレをしていた。
 ……私、ドレスなんか着て浮かれ過ぎかな。
 自分が一人浮かれてバカみたいに感じていると、すっと横で誰かが動いた。

「リナリア、結婚しよう」

 イルゼである。
 彼女は膝をついて私に手を差し出してプロポーズしてきたのだ。

「なに言ってるのイルゼ」
「とても綺麗よ、リナリア。私が男だったらきっと放っておかないわ」

 突拍子もない彼女の冗談に私は小さく笑った。

「お手をどうぞ、お姫様」
「ありがとう」

 ドレスを着用する私が転倒しないように手を貸してくれるというイルゼ、それにニーナにエスコートしてもらって、パーティ会場である講堂に向かう。
 そこは特別塔の敷地内にあり、普段であれば立ち入りできない場所である。一歩踏み出せばまるで別世界。学校のはずなのに、どこかのお城の内部のように見えた。
 今日のために整えられた会場にはすでに多くの人で賑わっていた。交流パーティなので当然、王侯貴族の姿もある。洗練された彼らは私たちとは別の生き物のように見えた。平民出身の生徒たちが圧倒されている姿が散見される。

「リナリア、私たち飲み物もらってくるね」
「すぐに戻るからここで待っていて」

 イルゼとニーナがなにか飲み物を持ってきてくれるというのでお言葉に甘えて壁際で待機する。
 交流パーティなのだけど、貴族は貴族で、平民は平民で固まっており、交流の気配がない。壁に背を預けて帰りたそうにしている一般塔の生徒たちもちらほらいた。ちなみに特別塔と縁のある編入生のレーヴェ君は欠席扱いになっている。会場中にレーヴェ君をイジメていた貴族達がいるから、変に絡まれてまた魔力暴走を起こしたら危ないとの特別処置らしい。

 会場では早くもダンスタイムが始まったようで、フロアで男女ペアになって踊っている人たちがちらほら。そのすべてが貴族だけだ。 

 すごい、やっぱり違う世界の人たちなんだなぁとちらちら見ていると、貴族の人と目が合う。私よりも年上の男の人だ。
 まずい、嫌な目を向けられちゃうかなと思ってさっと目線を下げる。

「ねぇ君、一般塔の子だよね?」

 それなのに向こうはこちらに近づいてきて話しかけてきた。
 一言文句を言われるのだろうかとぞっとしながら、私は下手くそなカーテシーをして頭を下げる。それが大袈裟に見えたのか、相手が小さく笑う声が聞こえた。

「今日は交流の場だからそんな萎縮しなくてもいいさ。君の名前を聞いても?」

 あっ、それって……名前と顔を覚えておくからなっていう脅し文句?
 さぁぁと顔の血の気が引く。ちょっと見ていただけなのに、そんな怒る? 私は恐怖に震えながら声を出そうとするが喉が萎縮して声が出ない。

「彼女に何か?」

 崖に追い詰められた獲物みたいな気分で震えていると、私と男性の間に割り込む人物がいた。

「おや、君のいい人だったかい?」
「……彼女は僕のクラスメイトなので。遊びで近づくのは感心しません」

 面白いものを見たような反応をする男性に対して、彼はつっけんどんな態度で返していた。
 怖いもの知らずだな。相手、貴族だぞ。

「遊びだなんて人聞きが悪い。……てっきり君はフロイデンタール嬢とくっつくものかと思っていたのに意外だな」
「ドロテア様は親戚の間柄なだけです。そもそも身分が違いますのであり得ませんよ」

 貴族子息と堂々とやり取りをしている彼…ルーカスにあしらわれる形で男性がその場を離れる。その際、私に向けてにこやかに手を振っていたのでつられて振り返すと、ルーカスに微妙な顔で見下ろされた。

 いつもと彼の雰囲気が違うと思ったら納得した。
 ルーカスもドレスアップしているのだ。服装もだけど、髪型もセットしていつもより大人っぽく見える。──まるで貴族子息みたいだ。
 彼がそこに立っているだけで目立っており、会場内の女性陣がちらちらとルーカスに注目しているのが伝わって来る。
 他にも盛装している男性はたくさんいるのに、彼が特別な存在に映るのはきっと私だけの気のせいじゃない。

「た、助けてくれてありがと」

 そんな彼を前にして私は緊張してしどろもどろにお礼を言った。するとルーカスは真顔で私を見下ろし、黙り込む。
 え……? なに?
 私を凝視する彼の瞳が怖くて私が一歩後ずさると、ルーカスははっと我に返っていた。
 ……いつものルーカスだよね? 今の何だったんだろう。私の目の錯覚だったのかな。

 もしかして私の格好が変だったかなとドレスの裾周りを確認していると、前にいるルーカスが何かを差し出してきた。深紅のフロッキング素材のケース。

「リナリア、これを君に」

 長方形のケースに入ったそれは、青い雫型のネックレスだった。これ、宝石よね。
 高価そうなアクセサリーを見せびらかされて私はきょとんとする。

 え? なに? 宝石自慢かなにか?
 私がネックレスとルーカスの顔を目で往復していると、ルーカスは宝石ケースからネックレスのチェーンを持ち上げていた。

「着けてあげるよ」
「……えっ?」

 着けてあげる、だって?

「高そうな宝石じゃない。どうして私に?」

 背後に回ってネックレスを着けようとする彼を止めるといろいろ気になることを突っ込んだ。
 よもや、私がみすぼらしいからアクセサリーで少しくらいめかし込めばという遠回しな気遣いなの?

「そんな高価なものじゃないよ」
「そうだとしても私はそれを受けとる理由がないわ」

 なぜここに来て私にアクセサリーを贈ろうとするのか。彼は高価じゃないと言っているけど、友達同士で送るプレゼントにしては高価に見える。むしろプレゼントなら常日頃から迷惑をかけている私から贈るのが筋じゃないだろうか。
 私の反応がおもしろくないのか、ルーカスはムッとしていた。彼の瞳は気に入らなそうに私の左胸元に着いている黒曜石のブローチに向かう。

「そのブローチはドレスに合わないよ」
「これはオシャレでつけてるものじゃないって言ってるでしょ……あ、ちょっと」

 私は受けとると言っていないのに、ルーカスは素早く私の首周りにネックレスを装着してしまった。
 普段は露出しないデコルテに雫型の宝石が光る。いつにないルーカスの行動に戸惑いを隠せなかった。
 それを正面からまじまじと眺めたルーカスはやけに満足そうだ。

「似合うよ」

 笑顔で言われた言葉にドクンと強く心臓が脈打つ。
 ルーカスはそんな顔で笑う人だったっけ。今夜の彼はいつもと違う気がした。


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