リナリアの幻想 | ナノ
鉄拳制裁
『──見つけた!』
破裂音の後にパッと頭上に出現したのは見覚えのある白猫だ。
『リナリア、みんなが助けにきたわ……って、ちょっとなんなのあんた! レディに対してなにしてるのよ!』
彼女は私の状況を見るとすぐさま子爵の顔面に飛びついて力いっぱい爪で引っ掻いていた。
加減という文字は彼女の中に存在しないらしい。フシャーッと毛を逆立たせたトリシャは、子爵の顔面をバリバリ引っ掻いて怯ませていた。
「ぐぁっ…!」
『この強姦魔! ただじゃ置かないんだから!』
子爵の手が離れたお陰で呼吸を再開できるようになった私は空気を吸い込んでむせた。喉が痛い。目の前がチカチカして同時に頭がぐわんぐわんする。さっき連続で殴られた影響だろうか…
『リナリア!』
『助けに来たよ!』
ガタガタと部屋の窓が音を立てて開いたと思ったら、そこから鳥たちがなだれ込んできた。彼らは部屋を旋回すると一斉に子爵へ攻撃を仕掛けた。
「なっなんだ! どうして鳥が…イテッ」
小さな小鳥たちの突いたり齧ったりという地味な攻撃だが、複数にやられると大の男も怯むようである。
状況はよくわからないが、助けが来たと言うならもう大丈夫なのだろうか……
「……!」
「……!!」
廊下でわぁわぁと手下の男たちの怒声が聞こえてきて、ひと悶着起こしている風な音が聞こえて来る。だけど手を拘束された私はこれ以上の身動きが取れない。
引っ張ったらどちらかが壊れてはずれないだろうかと手首を動かしたが、だめそうだ…。
──ドゴォーンという爆音と、軽い地震のような衝撃が襲いかかったのはそれからすぐだった。
天井から砂埃がパラパラ降ってきて、私は小さく咳き込む。助けに来てくれた人が魔法で戦闘しているのかな…と思って首を動かすと……違った。
『いたよ。女の子が拘束されてる』
そこには立派な馬一頭が、前足で壁を破壊してブルルといななく姿があったのだ。
「…?」
その光景に私は思考停止した。
なぜここに馬が…? 馬が屋敷に飛び込んで壁を破壊したの…? 壁ドン……? と疑問に思っていると、それから遅れて見覚えのある友達が飛び込んできたではないか。
『いた! リナリア!』
『助けに来たよ!』
「…みんな!」
実家脇の小屋にいるはずの犬猫たちが集団になって乱入してきたのだ。
彼らは私の姿を見てよかったぁと安心した様子だったが、私の足元で小鳥たちに突かれて、そのついでにトリシャの引っ掻き攻撃を受けている子爵に視線をやると険しい表情になっていた。
『なんだこいつ!』
『丁度良かったわ、こいつがリナリアをさらった悪いやつだから痛めつけてあげて』
トリシャからの後押しもあって、新たに乱入した犬猫たちは集団で子爵を攻撃し始めた。
犬が男の尻や足に噛み付き、猫は鋭い爪で子爵の背中を爪とぎばりに引っ掻いている。
『いい爪とぎだなっ』
『こいつが悪いやつなんだ! 噛み付いちゃえ!』
『よくもリナリアにひどいことしたな!』
「うわぁぁ! 痛い! 止めさせてくれ!」
突然現れた動物たちにいじめられ始めた子爵は情けなく助けを乞うたが、私は止めなかった。
だって彼はこれまで女性たちが泣き叫んで救いを求めても止めてあげなかったんでしょう。だから止める理由はない。
『リナリアにはたくさん助けてもらったわ!』
『今度は僕らがお返しする番なんだ!』
それに私の大切な友達は恩返しとばかりに大暴れしている。
多分私が止めても彼らの気が済まないと思うんだ。
『協力者の記憶をたどって探しまくったのよ。ネズミたちが騒いでいるのを聞きつけて、痕跡を地道に辿ってきたの。彼らの働きは大きいわよ?』
ひと暴れして毛並みが乱れたと毛づくろいをしながらトリシャは教えてくれた。
『この屋敷の周りの結界に手間取ったけどもう大丈夫! ルークたちもすぐに…』
「リナリア!」
飛び込んできた彼の声に、涙が溢れた。
あの時、怖がらずにあなたときちんと向き合えていたらこんな目にはあわなかったのかな。
「貴様っよくも…!」
ルーカスは私の惨状を見て血相を変えると、怒りの形相で子爵に飛びかかって拳を振り上げていた。
拳を使うなんてルーカスらしくない。
……もしかして、相手が魔なしだと知ったから魔法は使わない方向なのだろうか。
「リナリア!」
「なんてこと…!」
遅れてイルゼやニーナが部屋に突入してきて、私の惨状に息を呑んだふたりはそれぞれ違う反応をした。
ニーナはすぐに私を拘束している拘束具を外してくれた。
治癒魔法に関しては、状況証拠として残しておかなきゃいけないから今は我慢してと言われて施されなかったけど。
首の魔封じを外されると、身体が少し軽くなった気がするが、気持ち程度だ。暴行された反動が今になって襲ってきて頭がひどく痛む。
「我に従うすべての元素たちよ、我に力の源を授け給え…!」
イルゼはぶつぶつとなにかの呪文を唱えていた。すると彼女の身体に変化が訪れ、ばりぃっと袖を筋肉で破いた。彼女の二の腕がムキムキマッチョマンの太ももほどの太さに変わる。普通の人間の腕の太さではない。
……イルゼ、それはやめて、夢に出るから。
「ひぇっ、バケモノ!」
「喰らえ!」
子爵の手下である男たちと戦うために肉体強化を選んだらしいイルゼは趣味で習っているという格闘技をお見舞いしていた。
拳に炎を纏って、大の男を一方的にボコボコに仕上げた後は、壁に叩きつける。それを休むことなく流れ作業のように行い、投げ捨てていた。
ルーカスはベッド下で子爵を殴っていた。子爵のお腹の上に座って、動きを封じた上で一方的に。犬猫鳥たちも同様に子爵への攻撃を継続している。
子爵の小さな「止めてくれ」の声がか細く聞こえてきたが、誰も止めない。
聞こえていないのか、あえて無視しているのかは不明だ。
「あなたたちは魔術師でしょう! 魔法を使ってちょうだい! どいつもこいつも腕力だけで勝とうとして!」
あまりの光景にニーナが叫んだ。
突っ込むところはそこなのだろうかと思ったが、たしかに魔術師なのに拳に頼り過ぎだよね。
「魔法なら使っているわよ、ニーナ! 肉体強化に、炎で!」
「結局殴って、力でゴリ押ししてるじゃないの!」
2人の会話を聞いていると、ここが恐ろしい場所ではないのだと錯覚してしまう。
ルーカスとイルゼとニーナ、3人で私を助けに来てくれたのね。私はひとり静かに安堵の涙を流した。
悲鳴はあちこちから聞こえてきた。それらすべてこの屋敷に関わる人間たちの声。屋敷の一部がどっかで破壊されたような爆音が聞こえたけど、誰かが魔法で戦っているのだろうか……
私に着けられていた拘束具は、代わりに子爵の手首に装着された。
ぼろぼろになった彼は見苦しいからと脱ぎ捨ててあったローブを身体に掛けられて床に転がされていた。
思う存分子爵を殴り飛ばしたルーカスは息を切らしていたが、深呼吸を繰り返して呼吸を落ち着けると、着ていたマントを脱いでいた。
それでほぼ全裸な私の身体を包み込み、そっと抱き上げてくれた。
「帰ろう、フェリクスが君を待ってる」
優しい彼の声掛けに私はまた泣いてしまった。
私の最愛のあの子に早く会いたい。会って抱きしめたい。
「あの子の元へ……連れて行って……」
そうお願いすると、ルーカスは私のおでこにキスしてきた。
そしてぎゅうと抱きしめられ、彼のぬくもりと香りに安心した私はそのまま意識をなくしてしまったのである。