リナリアの幻想 | ナノ
再び消えたリナリア【三人称視点】
路地裏で意識をなくしたウルスラが倒れているのを通行人が発見して通報したことで事件発生が明らかになった。
彼女の顔はひどく殴打された形跡があり、闇の魔術によって意識をなくしていたことが判明する。
駆けつけた魔術師によって意識を取り戻した彼女は開口一番に叫んだ。
「ハイドフェルトたちに襲撃された! リナリアが連れさらわれたの!」
彼女の訴えに、現場に集結した魔法庁、魔法魔術省の職員たちは眉をひそめていた。
「ハイドフェルト……貴族か…」
「状況証拠がなにもない。証言だけでは…」
彼らは難しい顔をしてひそひそとやり取りしていた。
なぜなら相手が貴族なのがまずいのだ。これがただの平民なら証言一つで家宅捜索しに行くところだが、貴族だと相手が悪すぎる。後々面倒なことになりかねないから彼らも二の足を踏んでいるのだ。
過去にもリナリア本人が不安に思って相談したことがあるが、その時ですら役人たちは消極的な反応しかしなかった。
もちろん、中にはハイドフェルトについて尻尾を出さないか調査していたものもいるが、欠点が何も見当たらなくて結局何もできずに終わったのだ。
娘が行方不明になり、連れ去った犯人が数年前に娘を養女にしたいと申し出てきた貴族だったと聞かされたブルーム夫妻は顔面蒼白になっていた。
頼みの綱である役人が消極的態度なものな上、巷を賑わせている連続婦女行方不明事件の概要を思い出してしまい、今もこうしている間にリナリアがひどい目に遭っていると想像すると恐ろしくてたまらないのだろう。
微妙な空気が流れたその時、それを切り裂くように彼女が叫んだ。
「役人たちはいつもそうよ! いつまでもそんなこと言っているから、次から次に被害者が出るんじゃないの!」
それは過去の被害者であるウルスラだった。治癒魔法で治してもらったとはいえ、闇の魔法による精神干渉は残っている。本来であれば安静にするべきなのだが、彼女はそれを断ってこの場に残っていた。
自分の目の前でいなくなったリナリアのため、そして過去の自分が巻き込まれたおぞましい犯罪と向き合うために。
当事者でもあるウルスラの発言に、役人一同は気まずそうな顔をしていた。
あの事件は、ウルスラが被害に遭うその前から勃発しており、その後も継続して起きていた。それなのに未だに解決していないというのは、役人の職務怠慢だと指摘されてもおかしくないのだ。
「いつ? あと何人被害者が出れば動いてくれるの? 結局は自分たちのメンツしか考えていないんでしょう!」
いつも穏やかで静かなウルスラだが、今回ばかりは違った。
顔を真っ赤にし、口荒く大声で罵った彼女は怒り狂っていた。
「権力が怖いんでしょうが! 国の犬たる役人だものね、自分の保身しか考えていない! 貴族だから何なの! 貴族なら何しても許されるの?」
「なっ…!」
「よせ」
それに反論しようとする役人がいたが、上司から制止されて渋々黙り込んでいる様子が見られた。
「私があの男に連れ攫われて何をされたかすべて話してあげましょうか? あなたがたの恋人や妻、血縁者が同じ目に遭っても、今と同じ対応で終わらせるのかしら?」
「ウルスラさん、落ち着いて」
怒り狂う彼女をなだめようとする魔法庁職員のブレン・クライネルトは一歩前に進んで、ウルスラの肩に手をかけた。
しかし彼女はギッと鋭く睨みつけてブレンの手をぴしゃりと叩き落とす。
「なにも出来ないならしゃしゃり出てこないで! 臆病者の役立たずは今すぐ帰りなさい! 邪魔よ!」
彼女はずっと待っていたのだ。
役人たちが犯人を捕まえて、法に則って厳罰がくだされる瞬間を。
それなのにまだ解決しない。
原因はわかっている。
役人たちが本腰を入れないからだ。
彼女は完全に不信感を抱いていた。
頼るのは役人じゃない。彼らは所詮第三者、他人事なのだと。
結局信じられるのは自分なのだと。
「誰かが行かなくても、私が行くわ!」
そう宣言すると、ウルスラはくるっと踵を返した。そこでひとりの青年の姿を目にした。
彼はリナリアが行方不明になったと聞いて慌てて飛んできたようだ。難しい顔をして黙り込んでいたので、ウルスラは彼を睨み付けながらズカズカと大股で近づいた。
「ルーカスさん、貴方は単身でもリナリアを救出しに行く気はある?」
ウルスラはたとえひとりだったとしても、子爵のもとへ乗り込むつもりだったが、協力者は多くいたほうがいい。
好きな女性を守るために命を懸けたルーカスなら、その勇気があるだろうと見込んだのだ。
「もちろんです」
ルーカスは迷いなく返事をした。
満足気に頷いたウルスラは、こめかみに手をやると、眉間にシワを寄せて辛そうにしていた。
「投影術で子爵の屋敷の全体図を見せるわ。仕掛けが多くて、隠された部屋も多いの。…記憶が曖昧な部分があるけど。頑張って思い出す」
記憶を改ざんされる術を掛けられていたウルスラだったが、強い衝撃を受けたのがきっかけで術が解けた。それでも精神干渉された影響は残っており、思い出そうとすればするほど、傷跡にナイフを振り落とされて抉られるような苦しみに襲われる。
苦しみながら記憶を呼び起こした彼女はそれを壁に映し出した。
レンガ張りの壁に映し出されたのは薄暗い部屋の内部、屋敷内の廊下だったり、地下につながる階段だったり別の場面の映像が流れる。
そこで男たちに囲まれて乱暴される女性視点の映像が流されたのだ。音は聞こえない。だけど何をされているのかは想像に容易い。
これは彼女が受けた恐怖の記憶。内容はどんどん凄惨なものに変わる。
断片的に移された内部情報を一緒に見ていた人々は言葉をなくした。目をそらすものもいた。
ルーカスも険しい顔をしていたが、屋敷の構造を理解するために目をそらさずじっと映像を観察していた。
胸の前で組んだ腕は、よく見るとぎりぎりと二の腕を握りしめている。リナリアが今この瞬間、同じ目に遭わされていると想像してしまい、怒りを抑えられないのであろう。
「なるほど、外部に出られないように結界が張られていて、屋敷内には複数のからくり部屋があるというわけか……ウルスラさん、大丈夫ですか!?」
投影する際に思い出した記憶の波によってウルスラは精神に打撃を受けたようで、地面に膝をついていた。
呼吸は荒く、顔色は真っ白。魔力暴走を起こしかけている。
「もういいです。屋敷の配置はなんとなくわかりました。これ以上は危険ですから」
これ以上の投影術は危険だからと膝をついて止めると、ウルスラは力が抜けたように倒れ掛けたのでそれを受け止める。
記憶を無理やり呼び起こしたことが大きな負担となったのだろう。彼女はそのまま意識をなくしてしまった。
近くにいた役人に彼女を保護を頼むと、ルーカスはひとりで動こうとした。
「ルーカス…」
「叔父さん、今回ばかりは叔父さんのいうことは聞けない。リナリアの無事がかかってるんだ」
ブレンに声をかけられたルーカスは反抗心を隠さなかった。
行くな、やめろと言われても引けない理由がある。それにルーカスはもう大人の庇護を必要とする年齢ではないのだ。
「僕は後悔したくないんだ。ひとりでも行くよ。何かあれば僕が全て責任を取る」
このままここでリナリアの帰りを待っていても、彼女が危険な目に遭うのは変わらない。チンタラしている暇はない。
邪魔をすると言うなら、叔父であっても容赦しない。
「──わかった、お前にその覚悟があるなら止めない。だけど手を貸すのは許してくれ」
一線交えるつもりで叔父ブレンを睨みつけたルーカスだったが、ブレンの言葉に拍子抜けした。
まさか叔父の口からそんな言葉が飛び込んでくるとは思っていなかったのだろう。
「ハイドフェルト子爵の敷地に向かいながら捜索しよう。馬車に乗りなさい」
「クライネルトさん、ですが」
「これは私の独断だ。お叱りは後でしっかり受けるよ。可愛い甥っ子のためなんだ」
ブレンの部下が渋る様子を見せたが、ブレンは全責任は自分が負うと宣言して彼らを黙らせた。
身分や立場が理由で動けなかった役人たちもこの連続事件に関しては苦々しい感情を持っていた。だからか、上司の言葉を聞いて踏ん切りがついたらしい。自分たちもお供させてくださいと名乗り出てきた。
大急ぎで周りが動き始め、ルーカスが一瞬呆けていると、足元で動く小さな影が出現した。
「ヂチュッ!」
「うわっ!? ネズミ!?」
突然出現したドブネズミの姿に驚いて、ルーカスが足を上げて避けると、フッと白い猫が出現した。
彼女は上半身を伏せて前のめり体制になっていたので、まさかネズミ狩りする気じゃ…と不安になっていると、そうじゃなかった。
『ルーカス! この子達が仲間の伝言を受け取ったそうよ! “リナリアはハイドフェルトに捕まってる”って!』
ルーカスの眷属である白猫のトリシャはリナリアが放ったアニマルネットワークの伝言を受け取ったのだ。
子爵邸にいたドブネズミから、別の拠点のドブネズミへ伝わり、断片的な伝言はトリシャへ伝わった。
捜索へ消極的姿勢を見せていた他の役人たちも動き出す。
そのうちのひとり、魔法魔術省役人のキューネルはリナリアに持たせた探索魔法付与されたブローチの居場所を独自の魔法を使って探っていた。
「北東の方に反応している。ハイドフェルト領の方角だな」
「ここからだいぶ離れているな。魔法陣を作って転送させたのか?」
それを聞いたブレンが地図を覗き込む。
シュバルツ王国全体図の一部に点滅する黒点は動かない。もうすでに監禁されている可能性がある。時間の猶予はないだろう。
「正確な位置は?」
「ここを拡大して……」
「……ハイドフェルト家の屋敷で間違いないようだな。馬車を飛ばそう」
ルーカスが魔法庁の馬車に飛び乗ると、見覚えがある犬猫たちがすでに同乗していた。
「君たちはリナリアの実家の……」
「わふ!」
「んなぉー」
彼らは使命感に満ち溢れた表情をしていた。通心術を試みなくても、ルーカスには彼らの心がわかった気がした。
「君たちもリナリアのことが心配なんだね。わかった、一緒に行こう」
リナリアを慕う動物たちは、どの子もリナリアに助けられたのだという。嵐の夜に匿ってもらったり、意地悪な子どもたちに虐待されている場面で救われたり、怪我や病気を無償で治してくれたり。
彼らにとってリナリアは特別な存在。大切な友達なのだ。
ドブネズミの伝言を聞きつけた彼らは立ち上がった。今度は自分たちがリナリアを助けるんだと奮い立ったのだ。
こうして異種混合のリナリア救助隊は結成されたのである。