リナリアの幻想 | ナノ

生傷の絶えない職場です

 この施設は還らずの森に隣している辺境のフォルクヴァルツという領地内にあった。広大な土地にぽつんとある国立の施設の周辺には、ほぼなにもない。野生動物を相手にする施設なので、生態系を崩さぬよう、人の気配をなるべく削っているという理由もあった。

 職員さん達はここから一番近い街の集合住宅の一室を借りて単身暮らしだったり、家を建てて家族と一緒に住んでいたりする。
 一方の私は以前まで旧王都とここを転送術で大移動していた。魔法がなければ移動に時間がかかる距離を出勤のたびに行き来してきたけど、今日が最後かと思うとなんだか感慨深いものがあった。

「あの…」

 慣れた職場のはずだけど、元の姿で入るとなると妙に緊張してしまう。どきどきしながら施設に入ると、近くにいた職員さんに話しかけた。

「あ、ご依頼の方ですか? お約束は」

 すると職員さんはにこやかに来客対応してくれた。まるで知らない相手を接客するように。
 …当然だ。私はここにミモザとして働きに来ていたのだ。この職場内でリナリアを知っている人は就職試験で会った一部の人だけであろう。

「いえ、依頼ではなくて、退職のご挨拶に伺いました。先日までこちらで働いていた者です」

 職員さんは私の言葉に目を丸くした。
 多分見覚えのない相手だったから、「こんな人いたっけ?」と疑問に思っているのであろう。

「ミモザ・ヘルツブラットと言えば、伝わると思います」
「…え!」

 身分を明かすと、ぎょっとした顔をされたので、自身に幻影術を掛けて、その後すぐに解術してみせた。

「ちょちょ、待ってて! すぐに連れてくるから!」

 それでようやく理解してくれたらしい職員さんが慌てて施設の奥に引っ込んでいった。今更逃げも隠れもしないからそんな走らなくても…と思っていたら、シュンッと目の前に2人の男性が転送してきた。

 突然目の前に現れた存在に私がビクッと驚いていると、上司である彼らは私を見て、なんだか泣きそうな顔をしていたのである。



「この度はご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」

 姿を偽ることなく、リナリア・ブルームとしてこれまでの不義理を謝罪した。
 ひと月もの間お休みを頂いていた、身分詐称して所属していた職場。短い期間だったが、ここの人たちにもたくさんお世話になった。
 辞めることになるのは正直残念だけど、けじめはしっかりしなくてはと思って、直接退職届を出したかった。

「まぁまぁまぁそんな堅苦しい事はいいよ」
「さぁこっち座って、柔らかいクッション敷いておいたから!」

 退職の挨拶とお詫びを兼ねてお邪魔したのだが、初っ端からやけに歓迎された。ふかふかクッションが敷かれた椅子に座らされたと思えば、にこにこ笑顔の施設長と直属の上司だった人が前の席に座った。

「えぇと、これはお詫びと言ってはなんですが…皆さんで召し上がってください。それとこれ…」
「お菓子はもらうね、だけどこっちの悲しいお手紙は受け取りかねるかなぁ?」

 職員全員に行き渡るよう、たくさんのお菓子詰め合わせを持ってきたのだが、そちらは素直に受け取ってもらった。しかし封筒に入れたそちらは受け取り拒絶されてしまった。

「あ、いや手紙じゃなくて退職とど…」
「いいんだよぉ! もともと訳アリの人だと知った上で雇っていたんだから! お願いだから辞めるとか言わないで!」

 施設長は頭を下げた。その勢いで目の前のガラステーブルにがつんと額を打ち付けていたけど大丈夫だろうか。

「ミモザさん…じゃなくてリナリアさんが出勤しなくなって、森の動物や魔獣達が素直に応じてくれなくなって大変なんだ。お願いだから復職してほしいな…」

 ……気のせいだろうか、直属の上司は随分生傷が増えたように見える。爪で引っかかれたような、咬まれたような痕がたくさん……治癒魔法を使わないのだろか。

「ですが私は一度こちらの内定を蹴った立場で、身分詐称して入職したのです。けじめをつけなくては社会人として失格だと思うのです」

 好意に甘えてばかりなのは良くない。
 ここは責任を取らなきゃと思うのだ。
 ──なのだが、随分と彼らは私の能力を買ってくれているようで、めちゃくちゃ引き止めてきた。

 だけど上司たちは紹介者の大巫女様の顔を立てるためにそんな事言ってるんじゃないかなぁ……上の人は良くても、平職員達はいい顔しないんじゃ…と考えていたのだけど、自分が所属していた部署に謝罪のためにお邪魔すると考えを改めざるを得なかった。
 ミモザさんが戻ってきてくれたよ、と上司が声をかけた途端、同じく生傷が増えている同僚の皆さんが一斉に首を動かした。

「ミモザちゃん!?」
「いつ!? いつ戻ってきてくれるの!」
「助けて! あいつら姿を現してくれなくなったんだよ! お陰で仕事が進まないし、見つけても激しく抵抗してきて、俺もう心折れそうなの!」

 一応この施設は野生動物や魔獣の保護・研究専門なのだけど、いつからこんな生傷の絶えない職場に変わったのだろうか…

「えぇと、私はミモザと偽っていましたが、本名がリナリア・ブルームといいまして」

 私は長期間に渡って欠勤した上に、あなた方を騙していたんですよ? と説明したけど、現場はとにかく私の通心術の能力を欲しているようで、リナリア・ブルームとして復職を迫ってきた。
 退職届は受け取ってもらえないし、色んな人に助けて助けてと救いを求められるし、なんか別の意味で恐ろしくなった。


 とはいえ、この仕事は好きなので復職はやぶさかではない。
 私は正しい身分で復職する手続きをした上で、仕事中にフェリクスの面倒を見てくれる乳母を雇うことを考えていた。
 お母さんも子守を手伝ってくれるけど、お母さんにも仕事がある。ブルーム商会のことをお父さんに任せっきりになってしまっているので、このまま丸投げするのは良くないと判断した結果である。

 そのことを遊びに来ていたウルスラさんになんとなく話すと、ウルスラさんは前のめりになって「私がやりたいわ!」と立候補してきた。

 気持ちは嬉しい。ウルスラさんなら安心して任せられる。
 ……でも。家に通いになるし、魔力抑制状態のウルスラさんは転送術が使えない。旧王都からこの家まで距離があるので、馬車を使っても通勤は無理だと思うのだけど…と現実的な返事をすると、彼女は更に前のめりになった。

「近くに家を借りるわ!」

 彼女の思い切りに私は驚いた。
 ウルスラさんは男性の存在に怯えて、仕事や買い物以外では旧王都のあのアパートメントに引きこもっている人だった。あの場所なら大巫女様の庇護があるから少なくとも安全だ。
 彼女があの場所から離れる選択をするとは思わなかったので、私は自分の耳を疑った。

 だけど彼女は本気なのだという。これから近くのアパートメントの大家さんに空き家はないか聞いてくると家を飛び出そうとしていたので、それを引き止めた。

「いいの? この辺には普通に男の人がたくさんいる。ウルスラさんは男性が怖いんでしょう?」

 そう確認してみた。口に出して聞くのは言いにくいことだったけど、これはよく考えないといけないことなのだ。ウルスラさんの心の傷を広げてしまう選択になる可能性だってあるんだから。
 すると、私の問いかけにウルスラさんは苦笑いを浮かべていた。

「…少し前までの私なら、こんな事思いつかなかったと思う」

 哀しそうな瞳で笑うその瞳には私は映っていないように見えた。遠い過去を見つめて感傷的になっているのかもしれない。

「でもリナリアを見ていたらいつまでも引きこもっていないで、現状を変えなきゃって気分になるの」

 彼女は精神的な理由で抑制状態の魔力を再び扱えるようになるため訓練中なのだという。
 ここ最近だと調子がいいと成功することもあるらしい。元々転送術が得意だったそうで、この間はグラナーダとの国境近くまで飛んだと笑っていた。

 ──元々ウルスラさんは風の元素持ちだった。
 そういえば、どうして彼女は魔力を使えなくなったのだろう?
 ……巻き込まれた事件がどう影響しているのだろうか。

 ルーカスが口にしていた、ウルスラさんが過去に被害にあった事件のことが頭に浮かんできたけれど、それを本人の前で口に出すような真似はしなかった。
 私はその事件の詳細を知らない。知ることで彼女を傷つけてしまう可能性を考えたら、このまま知らないほうがいいと思ったからだ。

 過去は過去、現在は現在と考えて前に進もうとしている相手に聞くことじゃない。
 そう思い直した私は、ウルスラさんに再びフェリクスの乳母としてお願いすることにしたのであった。


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