生き抜くのに必死なんです。 | ナノ



人の仕事を奪うのは褒められたことではありませんわ。

 メイドさんが淹れてくれた紅茶と一緒に出されたお菓子に私は目を輝かせた。

「本日のデザートはさつまいものタルトでございます」

 デザート担当職人さんがさつまいも使ってお菓子を作ってくれたんだ! 素朴なさつまいもが高級そうなお菓子に変化したぞ!
 私がおいしいおいしいとタルトに頬を緩めていると、対面の席からヴィックが柔らかい笑みを浮かべて眺めてくる。そんな見られたら恥ずかしくて食べづらいんだけど……
 スラムでは満足に食べられなかった分、たくさん食べてほしいと彼は言う。私が食べている姿を見るのが好きなのだと言われたら何も言えない。

「ご歓談中のところ申し訳ありませんヴィクトル様、リゼット様」

 ほのぼのしたお茶会に水を差すように口を挟んできたのはメイド長である。彼女は誰かを伴っていた。私は食べるのをやめて、メイド長の後ろにいる女性を観察した。

「遅れて入職したメイドがご挨拶に参りました」
「あぁ、例の。推薦された人だったな」

 ミルクベージュの髪はゆるく波打ち、背中に流されている。出自は平民階級らしいけど、その容姿はきっと住んでいた場所でも目立っていたんじゃないかな。目を引く美しい女の子であった。
 その新しいメイドはヴィックを見て頬を赤らめると目を輝かせていた。気持ちはわかるよ、右から見ても左から見ても美男子だもんね。見惚れちゃう気持ちはわかる。

「はじめまして。ハンナ・コールと申します」

 ペコリとお辞儀した彼女にヴィックは頷いた。

「ここの主のヴィクトル・エーゲシュトランドだ。こちらは婚約者のリゼット。よろしく頼む」
「よろしくお願いします、リゼットです」

 おそらく年も近いので、もしかしたら仲良くなれるかも。そんな期待もあってフレンドリーに笑顔で挨拶してみたけど、ハンナさんは私をちらっと見ただけで、すぐに目をそらされた。
 彼女はずずいと前に出てくると、胸の前で指を組んでヴィックに熱い眼差しを向けた。

「ヴィクトル様、貴方様に心からお仕え致す所存でございます」

 ん、んんんー?
 彼女の反応に違和感を憶えたのは私だけなのだろうか。ヴィックは傅かれるのに慣れているので特に目立つ反応はせず、軽く頷くだけであった。
 しかし私の野生の勘は騒いでいる。なんだか嫌な予感がするのはなぜなのだろう。


□■□


 中途採用のメイドであるハンナさんはその日のうちにお城内で顔が広まった。男性使用人の間には浮足立つものも増えた。美人が入ってきたらそうなるのも仕方ないよね、ってことで傍観していたんだけど、日を追うごとに私は彼女の行動を疑問視するようになった。

 海の向こうの隣国にあるメイド協会から推薦を受けたと聞いたから業務経験者で優秀なのだと思っていたが、彼女の手さばきは他の使用人と比べると拙く、仕事がもたついていた。
 そしてそんな彼女に好かれるために仕事を肩代わりする男性使用人も出てきたのだ。それでお城の中の空気が緩むと言うか…女性使用人からはあまりよく思われていない風な雰囲気を感じ取るようになった。

 その上ハンナさんはやたらヴィックのお世話をしたがっては専属使用人さんの仕事を奪ったり、逆に足をひっばったりしていた。
 ヴィックからは「彼らの仕事を奪わないで」とやんわり注意を受けていたのにも関わらず、ヴィックの私物のハンカチやカフスボタンを持ち出したとかそんな手癖の悪さを発揮していた。
 本人はヴィックに貰ったと言っていたが、当のヴィックが否定していた。主人から物をもらうのは使用人としての誉れと言われているそうだが、窃盗はそれには当たらない。男性ウケが良かったハンナさんであるが、ヴィックのお世話担当の侍従さんや執事さんからは微妙な目を向けられるようになっていた。

 またある日は、早朝に畑仕事に出かけようと護衛さんを伴ってお城の廊下を歩いていると、ヴィックの寝室から彼女が出てきたのだ。乱れた髪を整えながら彼女は人目を避けて歩いていた。
 私は後ろにいた護衛さん2人と目を合わせて怪訝な顔をする。なんで部屋付きでもない彼女がこの城の主の部屋から出てくるのかって目で問いかけたが、彼らも怪訝な顔をしていた。
 流石に様子がおかしいと思って、私は勝手知ったる他人の部屋とばかりにノック無しでヴィックの部屋に入ると彼は書物の途中で力尽きたのか、ソファの上ですやすや眠っていた。衣服は乱れていない。すっかり熟睡している。

「…すみません、ヴィックをベッドに運んでもらえますか?」

 護衛さんにヴィックを運んでもらった後は布団をかけてあげて、彼の寝顔を見守る。また仕事のために徹夜してたんだろうな。疲れている寝顔だ。
 ……ハンナさんは何しに来てたんだろう。先日スパイが潜り込んだこともある。念の為確認したほうがいいだろう。ヴィックの侍従さんに事情を話して、部屋から物が無くなっていないか確認してもらったほうがいいかもな。それと執事頭とメイド長にもこの事を話しておこう。


 数日前、局地的に大雨が降ったという地域に視察に出かけるというヴィックをお見送りしようと学習時間の合間を縫って玄関にお見送りに行くと、侍従が差し出した外套を受け取ろうとするヴィックの姿があった。

「ヴィ…」
「行ってらっしゃいませヴィクトル様!」

 階段を降りながら私が声をかけようとしたらドスンと背後から体当りされて私はふっとばされた。

「リゼット様!」

 幸い、そばにいた私付きのメイドさんが体を張って抱き止めてくれたので転倒はしなかったが、今のめちゃくちゃ危なかったぞ。運が悪ければ階段から転げ落ちてたかもしれない。

「ハンナ・コール! あなた今何をしましたか! リゼット様にぶつかるなど失礼にも程があります! そもそもここはエーゲシュトランド大公様のお城です。そんな町娘のノリで騒がない!」

 メイドさんが怒鳴ると、玄関ホールいっぱいにピリッと空気が張り詰めた。こちらにみんなの視線が集中する。
 ──呼び止められて振り返った彼女は整った顔をこれでもかって程にしかめてこちらを煩わしそうに見ていた。彼女の今の表情はヴィック側には見えないからそんな顔しているんだろうが……あからさますぎるだろう……

「なんですかその顔は!」
「…申し訳ございませぇん。そこにいるとは思わなくてぇ」

 謝罪する気あるのかって感じの謝り方をされて、私はがくりとした。一方のメイドさんは自分のことのように憤怒していたけども、今はヴィックを見送るのが先である。

「もういいです。イメルダさんが庇ってくれてなんともなかったですから。…ハンナさんは周りを見て行動するようにしてください」

 ここでは一応注意はしておいたほうがいいだろうと思って言ったのだが、ハンナさんの顔はやっぱり不満そうにぶすくれている。
 私は彼女とは接点が全くないのだがなぜか嫌われているんだよなぁ。意味わからないけど、彼女の相手をしてあげる理由はないので、ハンナさんの横を通り過ぎてヴィックのもとに近づく。

「リゼット、大丈夫? 医者呼ぶ?」
「怪我してないから平気。ヴィックも気をつけて。ちゃんと暖かくしてね、いってらっしゃい」
「うん、早めに帰ってくるから待っていてね」

 ヴィックは身をかがめて私に口づけした。
 軽めのキスがどんどん深くなっていくのはいつものことだ。周りの使用人さんは「あぁはいはい、いつものね」と慣れた様子で見ないふりをしてくれている。
 もうキスはおしまいだと彼の胸板を押し返すが、ヴィックとしては名残惜しいのだろう。私の頭を抑えて唇が離れないように固定して、更に深くキスしてきた。

「ん、んんぅ」
「ヴィクトル様、リゼット様と離れ難いのはわかりますが、そうしているとご帰還の日程がずれ込みますよ」

 できる側近さんの冷静なツッコミにヴィックは仕方なさそうに唇を離すと何度かバードキスをした。

「お土産買ってくるよ。行ってくる」

 笑顔で出かけていくヴィックはキラキラしていた。私はキスの余韻でぼーっとしながら彼の乗った馬車が走っていくのを見送っていた。

「ハンナ・コール、あなたにはお話があります。私の部屋に来るように」

 メイド長の怒りを堪えているような声が聞こえてきたので、ちらりとそちらを見ると、呼ばれたハンナさんと目が合った。
 ──私はなぜか彼女に睨みつけられていた。

「ハンナ・コール! 聞こえているのですか!」

 叱責する声に彼女はぐっと歯を食いしばると、メイド長の指示に従っていた。
 ……もしかして彼女はヴィックのことが好きなのだろうか。だからこんなにも私に悪意を向けてくるのであろうか……疑問には思ったけどそれに答えてくれる人はいない。仮にそうだとしても、ヴィックを譲る気はないので何もしてあげられないし。

「リゼット様、お部屋へ戻りましょう」

 私はメイドさんに促されるまま自室に戻り、午後の学習に向けて予習をすることにしたのであった。

 その日以降、彼女は完全に裏方の仕事を任されるようになった。私とヴィックには近づけないように仕事を割り振られ、その姿を見かけることはだいぶ減ったのだが、彼女はこれで懲りなかったのである。



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