生き抜くのに必死なんです。 | ナノ



水を飲んだらイチコロだ。ブドウでも食ってなさいな。

 古く寂れた教会前には炊き出しを待つ人たちの群れが出来上がっていた。
 幼馴染たちに無理やり連れてこられた私はポケットにカエルの串焼きを押し込んでその群れに混ざった。

「まるで聖女様だ」
「おきれいなお姫様だ」

 前方からはふわわんといい匂いがする。
炊き出しのスープとパンを受け取ったスラムの住民たちは口々に領主の娘を褒め讃えた。
 聖女様、ねぇ。
 本当に清らかな心の持ち主なら、領民の苦境に気づいて父親の圧政をどうにかすべく動くんじゃない? いきなり炊き出しとかはじめてどうするつもりだか。何か裏があるに違いない。

 このサザランド伯爵領領主の娘の名は確かキャロライン・サザランドだ。豪奢な黄金の髪に、ツリ目がちの碧眼。美人ではあるが気位の高そうで扱いに困りそうな典型的な貴族の娘だ。
 中流階級が行き交う道にゴミとなって落ちていたゴシップ誌に名前が載っかっていたのを見た。その時のニュースはどっかの伯爵家の息子と婚約したとかなんかの話題であった。

「ほらお前ら、チンタラしてたらなくなるぞ」

 見かねた大人がちびっこは先にもらってこいと前を譲ってくれた。幼馴染はお礼を言ってグイグイ前に進んでいく。すると見えてきた。炊き出しの給仕をする伯爵令嬢の姿が。…こんなスラムには似つかわしくない上流階級の娘はしかめっ面で配膳していた。
 お礼を言うスラムの住民に対する嫌悪を隠せていないのだ。空腹に喘ぐスラムの住民からしたら優しい聖女様に見えるのかもしれないが、食べられる雑草とカエルの丸焼きで腹を膨らませている私にはわかるぞ。
 お風呂にも満足に入れない不衛生な環境で住まう私達はどうしても臭い。そんな私たちとのふれあいを嫌がっているように見えた。

 そんなこと、来る前から予想つかなかったのだろうか。ここはスラムだよ? それとも現実が見れてなかった?
 私達だって好きでこういう生活を送ってるわけじゃないんだぞ。底辺のスラムに生まれたら生まれながらに差別を受け、学校にも通えず、賃金の低い仕事しかできない。その繰り返しなのだ。
 そこから抜け出すには、余程の美貌を持った女が娼婦として成り上がるか、どこか親切で心優しい裕福な人間が引き取って教育を受けさせるかの二択のみ。
 だけど今のこの世の中、そんな献身の心と余裕がある人間なんかいるわけがないのだ。

 この人わかってないなぁ、スラムの住民がここまでひどい生活してるのが誰のせいか。中流階級も苦しくなってるのが誰のせいか。
 予想はしていたけど、頭ハッピーなカラカラお姫様だったってことだね。そんな目が飛び出そうな豪華なドレスを着てきて…着る服に困っている私達に喧嘩を売っているのだろうか。
 ──そのキラキラのドレス一着作るのにどれだけの税が使われているのだろう。そのお金があれば、どれだけの家族が満腹食事が出来るだろう。

 それに一番目を引くのが、この女には少し似合わない珍しい輝きの宝石だ。大人っぽく、上品なネックレスがキャロラインのデコルテを飾っていた。
 虹色の宝石…? 光に当たると赤、黄、青、緑と、鮮やかな虹色に光る。原色は黒みたいなのに不思議な色をした、とてもとても美しい石。
 ……これも、領民からせしめた税金で購入したというわけか。

 見ていると段々腹が立ってくる。
 なので、私はキャロラインが配膳しているスープはスルーして、パンと果物だけをもらった。あの女の手から給仕されるのがなんか気に入らなかったのだ。
 パンと果物を笑顔で差し出してくれたお付きのメイドさんらしきお姉さんにはお礼を言って、その場を去る。

「あれ、リゼット、スープはいいの? おいしいよ」
「いらない」

 なんか気に入らないのだ。
 妬みとかそういう問題じゃなくて、誰のせいでこんなひもじい思いしてんだ! とキャロラインの化粧を塗りたくった顔面にスープをぶっかけたい衝動に駆られそうなのでなるべく彼女の面を見たくなかったんだ。
 スラムに生まれたのは仕方ないとは思っている。だけど私かて人間だ。不満が湧いてくるのは仕方がないだろう。別に逆恨みじゃなくて本当のことだし。

 私はパンと果物を家族に分けようと思って真っ直ぐ帰るつもりだったが、幼なじみたちはもう一回並ぶという。そんな意地汚いことすると痛い目見ると忠告したが、彼らは再び貰いに行っていた。
 一人で帰ってもいいけど、うーん……

 私はぐるりと辺りを見渡す。
 この辺、ゴミ箱ないかな。捨てられている食べ物ないか探してみよう。


 そんなわけで日課となっている残飯漁りを開始することとなった。
 別に難しいことはしない。
 コツは、恥をかきすてること、暴力をふるおうとする人から素早く逃げるこの2つである。

「おっ、あーるじゃーん! 青カビったチーズ! それにちょっと変な匂いするハムも!」

 この辺は穴場らしい。いい感じに食べれそうな残飯が残っていた。私は食料を布に包み、他に無いか新たな残飯を漁る。

 夢中になりすぎて残飯入れのゴミ箱に入り込むとばたん、と蓋が閉じた。
 おっと閉じ込められた。
 両腕に力を込めて、ゴミ箱の蓋を開けようとしたのだが、差し込んできた光にチカリと虹色の何かが反射したことで私は目を眇める。
 
「…あぁもう臭い。ほんっと、汚らしいわ…」

 聞こえてきた声に私は持ち上げようとした蓋をピタリと止めた。 
 ……近くに誰かがいるようだ。誰だろうこの気取った声は。そぉっと物音を立てぬように、蓋とゴミ箱のあいた隙間から外を覗き込む。そこから見えたのは桃色のフリルがたくさんあしらわれたドレスと、虹色に輝く不思議な宝石だった。

「ヒロインよりも先にヴィクトルと出会わなきゃいけないってのに……こんな臭くて汚いスラムなんかに行かなきゃならないってどういうことよ…!」

 少し視線を上に向けると、白粉を塗った真っ白な顔が見えた。──その女は先程嫌そうな顔で給仕を行っていたキャロラインだった。

「亡国の公子と復興エンドがしたいのに! ヴィクトル様の溺愛エンドが大好きなのに、どうして私は悪役令嬢なんかに生まれ変わったの!?」

 一人でうっとりしていたかと思えば、不満に地団駄踏み始めたぞ……
 この女、何言ってるの…? いやそれ以前に頭大丈夫? 何、ヒロインって、復興エンドって、溺愛エンド、悪役令嬢って……うわ、やべぇ人だ……

「シナリオ通りなら確かこのへんで行き倒れているはずなんだけど……ヒロインが先を越している可能性もあるわね…! 負けてられない!」

 独り言を続行しつつ、キャロラインは何かを探しにそこから駆け出していった。
 少し時間を置いてゴミ箱の蓋を開けた私は、残飯探しを続行する気が失せた。

 ……やばい。めちゃ怖い。あの人危険人物なんじゃない? よくわからない言葉ばかり言ってたし……
 そっとゴミ箱から脱出すると、戦利品を布で包んでその場から素早く離れた。あの状態のキャロラインと遭遇したら何されるかわかったもんじゃない。

 あんなんがこの領を支配する領主の娘ならこの領のお先は真っ暗だな。
 それでも私は生きる。泥水をすすってでも生き抜くしかないのだ。悔しくても、私達は這いずって生きるしかない。 
 せかせか足を動かして家までの道を急いでいたのだが、私はふと、とあることを思い出した。

 ……あの人、“生まれ変わった”って言ってなかったか?

 同じ転生者なら、もしかしたら私と同じ時代を生きた人なのかもしれない。
 だけど私は首を横に振った。
 
 でも、そうだとしても。
 ……あんな人だもの。多分私の言葉を聞いてくれないだろうなぁ。言っている内容からして自分が一番みたいな感じだし、スラムの生活改善とかどうでもいいよね……。言わないほうがいい。うん。

 なんか知りたくなかったことを知ってしまった。気持ち悪い。
 食料はたくさんゲットできたのに、キャロラインのせいで胸糞悪い気分になって私の足は鉛のように重くなって立ち止まってしまった。

「はぁ…」

 ついついため息まで漏れる始末だ。
 駄目だ駄目だ、暗い顔をしていたら、余計に暗い気分になっちゃう! ご飯持って帰ったらきっと皆喜ぶし、その笑顔を想像しながら帰ろう!
 メンタルコントロールを自分に施しながら歩を進め始めた。

 ……だけど、私の足は再び止まることとなる。

「……」
「……ねぇ、ここで寝てたら死ぬよ」

 人が行き倒れていたのだ。
 ……スラムの住人にしては育ちが良さそうな外見をしている。肉付きもいい。ただ長旅をしてきた煤汚れみたいな汚れがついていて、本来の色を失っているように見えた。

「み、みず…」
「みず!? この辺の水なんか飲んだらイチコロだよ。ブドウでいい? 今これしかない」

 家に帰れば雨水を利用した簡易浄水器があるけど、それも煮沸消毒しなきゃ安心して飲めない。なので今与えられるのはブドウだけである。
 倒れた少年の口元にもいだブドウを持ってくと、彼はパクパクと口を動かしていたので押し込んでやる。
 もむもむと口元を動かしたのち、再度口を開いたのでまたあげる。なんか餌をあげてるみたいな気分になるな。

 できればブドウは家族で食べたいので、全部はあげられない。途中で給餌をストップすると、彼に立つように命じた。

「ここで寝たら凍死するよ、死にたくないなら一緒に来て」

 私に身体を支えろというのは無駄だぞ。なんたって相手は私より頭一個以上大きな少年だったのだから。


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