生き抜くのに必死なんです。 | ナノ



おかわりをいただきましてよ。

 死人がたくさん出た冬はいつもよりも長く感じた。皆、無駄に体力を消耗しないように口数少なくなった。凍死体を目撃するたびにいつまでこの極寒が続くのかと気鬱になりそうな季節だった。

 冬将軍が猛威を奮った冬をひたすらに耐え、寒さがようやく和らぎ始めた頃、ヴィックが今までお世話になった元傭兵のおいちゃんの家を出て、少ない荷物を持って新居へ引っ越していった。
 二度と会えなくなるわけではない。ヴィックの新しい住まいの場所は本人が教えてくれた。スラムの外れに借りたというアパートメントはスラム比で考えたらそこそこいい住宅だった。

「ねぇ、資金はどうしたの? 家賃払える?」
「ちょっと…ね。知り合いの家に居候するだけだよ」

 お金のことを聞くのは無粋だとは思ったけど、子どもであるヴィック一人でこんな家に入れるのはおかしい。思わず問いかけたけど、彼は深く追及されたくないような言い方をしていたので、私はそれ以上突っ込まなかった。
 暖かくなると彼はまた以前のように“用事”に出かけることが増えた。何をしているかはわからない。ヴィックが下宿するアパートメントにマント姿の人間が出入りするのを見かけたと幼馴染たちが話すのを聞いたことがある。

 普段どおりに見えるが、彼はしばしば考え事をするようになった。
 ……ヴィックがなにかをしているのは私も薄々気づいていたが、それは彼の勝手だ。前に本人に言った通り、スラムの住民に危害を加えない限り私も彼の行動を制限しない。彼は元々スラムの人間じゃないのだ。親しくはなった間柄ではあるが、そのへんは線引きしている。


□■□


 今年、私は12歳になる。3歳年上のヴィックは15歳。……そしてここの領主の娘であるキャロラインもヴィックと同じ年齢。彼女は今年王立学園に入学するのだそうだ。それでたくさんの学用品やドレスを仕立てているとかそんな噂話が流れてきた。
 どこからそんなお金が出てくるんでしょうねぇ、と庶民らは渋い表情を浮かべている模様だ。

 上流階級の彼らは一定の年齢になるとほぼ全員の子息子女が王立学園に入学するのだそうだ。幼少期から14歳までは家庭教師に学んで、15歳から18歳までは社交界の縮図みたいな学校で立ち振舞を学ぶとかなんとか。ちなみに男女共学である。
 なんでそこ現代風なの。色々おかしいと思うんだけど。地球のヨーロッパ中世近世時代にも学校はあっただろうけど性別区別だったり、男性優位な学歴社会だったと思う。女性の進学も近代になってようやく認められたくらいだもの。あったとしても女子校でしょ?
 なんかおかしくない?

 色々と疑問はあるが、スラムの住民である私には学校なんて関係ないので考えたところで無駄である。
 文字だったら学問を少しかじった大人たちが教えてくれるし、四則演算程度なら前世の記憶オプションで覚えているので、そう不自由はない。その為今のところは問題ない。

 そもそも私達には勉強する余裕なんてない。そんなもの、裕福な子供だけの特権である。生きるために働くのが私達の生き方なのだ。


「おぉ、いたいた」

 集会場の焚き火でじりじりとカエルの串刺しを炙っていた私はその声に振り返った。
 そこにいたのは異国の風を感じる、スラムに似つかわしくない男の姿。

「あ、さつまいも苗くれた…」
「嬢ちゃん元気そうで良かった。こっちの大陸は大寒波で大変だったって聞いていたから気がかりだったんだ」

 はて、彼は確か旅しながら異国の商品を売り歩く商人だったはず。
 スラムじゃ商売にならないだろうに何故ここにいるのだろうか…

「調子はどうだ? ……ここの領民はあちこち飢餓に苦しんでるって聞いてる。 お前さんの家族は皆元気にしてるか?」

 どうやら一度財布を拾ってあげただけの私のことを心配して、スラムに足を運んできたらしい。
 しかし心配ご無用だ。スラムの住人にしては私は健康的に見えるだろう。それもそうだ。ほぼ自給自足で食料調達しているからね。

「去年、おじさんからもらった芋の苗で栽培したお芋は保存してちょっとずつ食べてる。知り合った農家さんがお野菜分けてくれたし、森で拾ってきたキノコや木の実に保存食、それと狩りして肉を確保してるからなんとかやっていけてるよ」
「これまた随分逞しくなって」

 そうでもしなきゃ生き抜けないのだ。こっちも必死なんだよ。
 この先のことなんて想像すらできない。今よりも更に最悪になるかもしれないし、少しはましになるかもしれない。どっちかもわからない。もしかしたら私には未来なんてこないかもしれない。未来のことなんか考えることすら無駄なんだ。
 それでも私は生きる。家族と生き延びてみせるんだ。

「今炙っているのは…」
「見たらわかるでしょ。カエルですよ。私の中ではポピュラーな食べ物です」

 カエル食を布教できたら、と思ったけどやっぱり皆食わず嫌いなんだよなぁ。空腹ならなんだって食べられる気がするけど、何が気に入らないのやら。美味しいのに。

「カエル…」

 カエルを火で炙る私を見た商人が何故か目元を手で覆って肩を揺らしていた。笑っているのかなと思ったけど違う。泣いているぞこの人。また国にいる娘さんと私を重ね合わせているんだろうか。
 そっちの国でもカエル食べないの? ていうか商人の国での主食はなんなのさ。人のこと哀れんでおいてゲテモノ食べてたら怒るぞ。
 
「…それでおじさんはこんなスラムになにしにきたんですか。フラフラしてると有り金すべてスられますよ」

 急激に人口増加した今のスラムは以前に比べて治安が悪化しているのだ。
 油断していたら金だけじゃなく身ぐるみすべて剥がされちゃうぞ。

「おっといけねぇ。嬢ちゃんに渡すものがあるんだった」

 商人は赤くなった目元を服の袖で拭いながら、押してきた荷車の荷を解いていた。
 渡すもの…? なんだろう、食べ物でも差し入れに来てくれたのだろうか…。
 焚き火から一旦離れて、何を渡されるのか少しワクワクしていると、商人からずずいっと見覚えのある緑の束を差し出された。

「…苗!」
「今度はたくさん持ってきたぞ!」

 ていうかよく見たら商人が引いてきた荷車の上に乗ってるの全部芋の苗じゃないか。
 えっ、これ全部私にくれるの? 商人、あんたどれだけお人好しなんだよ。

「いいんですか!?」

 思わず私は興奮してしまう。
 去年の今頃の私だったらがっかりしてしまうこと間違いなかっただろうが、生産の喜びを知った今は違う。去年よりも大量生産が狙える。ありがたい以外のなにものでもないだろう。

「たくさんさつまいもが収穫できそう…」

 目を輝かせた私が面白かったのか、商人のおじさんは嬉しそうに笑って私の頭に手を乗っけた。ワシャワシャと撫でられたその手はまるでお父さんと同じ撫で方。また娘さんと私を重ねてるなぁこの人。仕事とはいえ、家族と会えないのは寂しいのだろう。
 私が苦笑いしてナデナデを受け入れていると、後ろからものすごい力で引っ張られた。

「う゛っ」

 洋服を引っ張られて首がしまった。
 苦しくてうめき声を漏らすも、私の身体に回ってきた腕は加減してくれなかった。

「──誰だ貴様は」

 ギュッと後ろから抱きしめられたその腕は大人にしては華奢で、女性にしてはたくましい少年の腕だった。
 そしてその声は威嚇のためかいつもより低かった。

「…なんだ、嬢ちゃんの…兄貴にしては似ていないな」

 商人は肩をすくめていた。怖がっている様子はないが、ちょっとびっくりしている様子。

「リゼットに何している。手出しする気ならその手を切り捨てられる覚悟をしろ」
「いやいや、俺どんな鬼畜に見えているのよ。俺は嬢ちゃんにお土産を持ってきたただの流れの商人だよ」

 どうやら彼の目には商人がロリコンに見えたらしい。

「…ヴィック、大丈夫だから。その人はいい人なの。私の境遇を心配して作物の苗をくれたんだよ」

 背後から私を抱きしめたままのヴィックの腕をペチペチ叩いて拘束を解いてもらう。
 この人は大丈夫だと説明したのだが、ヴィックの目は未だに疑いに満ちていた。

「ほら、去年の秋の終わりに少しだけさつまいもあげたでしょ? あれはこの商人さんが芋の苗をくれた上に畑を契約してくれたから育てられたの。それで今年も芋の苗をくれるそうだから、今年はもっと実るんだよ?」

 ありがたいことだろう?

「そうだそうだ。今年も畑の契約しといてやるから安心しな」
「おじさん太っ腹!」

 何から何までありがたい。
 子どもの身分の私には出来ることは限られているが、こうして目の前に道を用意してくれるだけで可能性は増える。ただ施しを与えるだけじゃなく、自力で何とかさせようとするこの商人のやり方は正しいと思うよ。お陰で私もいろんな心境の変化があったし。

「……」
「ん? ごめんなんて?」

 ぶつぶつ、とヴィックが何事かを呟いたので聞きかえす。声が小さすぎて聞こえなかった。

「俺も手伝う!」
「えぇ?」

 そんなこと言ったってヴィックは用事とやらで忙しいじゃないの。それに去年栽培してコツは掴んだから一人でもなんとかなると思うんだけどな……

「なるほど、嬢ちゃんのナイトってわけか。ちっちゃいのにいい男捕まえたじゃねぇか。嬢ちゃん、なかなかやるな」
「いや、そういう関係じゃないですよ本当」

 行き倒れのところを拾った関係でそこそこ親交はあるけど、色っぽい関係ではない。

 商人がこのまま去年借りていた畑まで芋の苗を運んでくれるとのことだったので、私も農家さんに挨拶がてら同行することにした。
 同行したヴィックが横から私と商人の会話を聞いて盗み聴きして目を光らせているが、あえて気にしないふりをした。あんたは心配しすぎだ。私をなんだと思っているのか。

「おじさんは海の向こうから商品売り歩いているんでしょう? この芋の苗を取り寄せた東の国ってどんな国?」

 私はそれが気になっていた。遠く恋しい日本を思い出せそうな東の国。行けるとは思っていないがとても興味があったのだ。

「農耕が盛んな素朴な国だ。四季があって、とてもきれいな国だぞ。こっちではお目にかからないものばかりだ」

 様々な国を見てきた商人の話は面白い。自分まで旅をしているような気にさせてくれるから。見たことのない東の国の情景を、私の愛おしい故郷・日本と重ね合わせてジーンと感傷に浸っていた。話に聞けば、桜に似た植物や梅雨に似た時期があって聞けば聞くほど日本に似ているのだ。
 行けるものなら一度足を踏み入れたいものだ。

「しかし、この国もきな臭くなってきたな」

 商人がポツリとつぶやいた。
 国民がそれを感じているんだ。たまに訪れる異国民の商人がそう感じるのは当然のことだろう。

「以前ならこの隣にあるエーゲシュトランド公国でも色々商売できたんだがな。あそこは目利きの商売人が多くて、いいものには金払いがよかったから」

 商人の吐き出した単語に反応したヴィックが息を呑む気配が伝わってきた。
 エーゲシュトランド公国。
 ヴィックが深く関わっている可能性のある、亡国の名前。彼がその亡国の公子かもしれないのだ。

「久々顔出すと、この国の兵士が牛耳ってた。蛮族に襲われたってのは聞いていたけど、それにしちゃ様子がおかしかったな…。よく取引していた商人は店のもの全て奪われて商売できなくなって他国に逃げたと言うし…。あそこじゃもう商売できなさそうだ」

 商人はそんな事情は知らない。世間話のように亡国の様子を語ってくれたが、それを黙って聞いているヴィックの様子がどんどんピリピリし始めて、空気が張り詰めていた。
 私は息がしづらくてとても居心地が悪くなったのである。


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