蝶の誘惑
兄上の結婚式にお呼ばれした私は家族で参列した。今の私は庶民であるので、家の面倒事には一切関わらなくても大丈夫そうだが、呑気に参列しているかといえばそうでもない。
「やだっ! 家で飼うの!」
「駄目なんだよ。その子は犬じゃないんだ」
「なんで? 首輪ついてないじゃないの!」
今現在、少し目を話した瞬間に乳母車から脱走したうちの長男ヒューゴがどこぞの貴族のお嬢様の目に留まって飼われそうになっていた。
私が慌てて駆け寄ると、そのお嬢様の父親に事情説明した。うちの子を飼われるのは困るし、違法である。それと自分の子に首輪とか付けないから。
「申し訳ありませんが、その子は狼の半獣人。物心つけば人と同じ形になります。犬猫のように飼える存在ではないんです。…そもそもうちの子どもなんで…」
「キャウ!」
抱っこされてぬいぐるみ扱いされていたヒューゴがお嬢様の腕から抜け出し、芝生の上に着地しようとしたが失敗してボテッと転倒していた。
「あっ!」
「大丈夫です。獣人寄りの子なので頑丈なんです」
ヒューゴはコロンと一回転したのち、立ち上がると短い足を動かしててこてこ私のもとに近づいてきた。
「勝手に離れないで。探したんだよ」
「きゅん」
私に抱き上げられた仔狼はきょとんとしてよくわかってない風な表情を浮かべていた。全くもう、と小言を漏らしながらヒューゴを乳母車に戻す。
この子を犬じゃないなにかと説明されたお嬢様はまだ幼くて事情を理解できないらしく、父親に「やだ飼って飼って、意地悪言うお父様嫌い」と八つ当たりしてギャン泣きしていた。ヒューゴはといえばそれらから興味をなくし、弟にじゃれて噛みつき返されて「きゃいん」と鳴いていた。
ついさっき次男のギルが乳母車から脱走してようやく見つけたと思ったら、今度は長男が脱走。おとなしく昼寝してたと思って安心してたのにこの双子め…。テオと手分けして探して、もうヘトヘトなんだけど。
次逃げ出したら捕縛術でも使ってやろうか…
「レディ・アステリア」
いっそ乳母車の周りに結界でも張ろうかと考えていると、気取った呼び名で呼ばれた。
振り返るとそこには蝶の虫人…
「シモン・サンタクルス様」
兄上の学友だというサンタクルス氏が立っていた。グラナーダ出身の彼は色鮮やかな羽根を広げて優雅に微笑んでいる。着飾った人たちが集まるガーデンパーティ内でもひときわ目立っていた。
……獣人なら見慣れているけど、虫人は馴染みがないのでやっぱり怖い。複眼がね、複眼がこっちみてる…
だが態度に出すのは失礼なので平静を装って挨拶を交わす。
「本日は兄の結婚式にご参列いただきありがとうございます」
「見事な式だったよ。レディも元気そうで」
そう言って自然な動作で手を取られたので、私はさっと手を引き抜く。以前この人から鱗粉とやらを付けられたのでちょっと警戒しての回避行動である。
「…すみません、夫を探しておりますので私はこれで」
人でもない、獣人でもない彼らの生態はよくわからない。大学校で虫人の研究をしていたクラウディア様ならわかるかもしれないが、本日の主役である彼女はとても忙しい。
とりあえずここではサンタクルス氏と距離を置いたほうがいい。私は作り笑顔で挨拶をすると踵を返した。
「レディ・アステリア。我が領には空気のきれいな保養地があるんだ。出産育児で疲れた身体を癒やしに来ないかい?」
さよならって言ってるのに引き止めてきたよこの人。
なんか……掴みどころのない空気をまとっていて苦手なんだよなぁこの人。兄上の友人だからあまり失礼はしたくないけど、積極的に関わるのはよろしくない気がする。
「いえ、仕事もありますし、以前にも言ったように家族を心配させたくないので」
前にも同じお断り文句を言ったつもりなんだけどな。
グラナーダは完全に範囲外。シュバルツなら実家の庇護範囲、エスメラルダなら色々良くしてくれる王太子殿下ご夫妻に頼れるが、外を出たらどうなるかわからない。私は変なトラブルに巻き込まれたくないのだ。
私が軽く礼をしてみせると、よくわからない笑顔を浮かべたサンタクルス氏がすっと手を伸ばしてきた。
その手は私の眼前にかざされ、私はぎくりと身をこわばらす。
「──待ってるよ。君は必ず私のもとにやってくる」
「…は?」
待っている…? 今私は断ったはずなのに、この人の中では私がそちらに出向くみたいになってる言い方……
私は怪訝な顔で彼を見上げるも、サンタクルス氏は笑みを浮かべたまま。
なんだかぞわっとした。
「くるるるる…! ギャウギャウ!」
「うーギャン!」
甲高い吠え声に私ははっとする。
いつの間にか乳母車から飛び出していた我が子達がサンタクルス氏を睨みつけて親の仇のごとく吠えていたのだ。
「どうしたの、ヒューゴ、ギル。やめなさい」
身を低くして、今にも飛びかかろうとする息子たちをたしなめる。赤子なので迫力はないが、狼の血が騒ぐのか警戒しきった目でサンタクルス氏を睨みつける息子たち。
私が非礼を詫びようと顔を上げると、吠えられている本人は笑顔をなくし、煩わしそうに私の子どもたちを睨みつけていた。
──嫌な予感がした。
まずい。すぐにこの子達を引き剥がさなくては。
警戒して敵対心むき出しに吠えている息子たちを乳母車に戻そうと手を伸ばすと、息子の吠え声に反応したのか、それとも私達が悪目立ちしていたからかテオが駆け寄ってきた。
私達の姿を見てホッとしたのも束の間で、そばにサンタクルス氏がいるとわかるとテオは目の色を変えた。
「お前…何の用だ! デイジーと子どもらに手を出すな!」
私達を庇おうと間に入ったテオはサンタクルス氏に吠えた。テオが来てくれたことに私はホッとする。これでもう安心だ。子どもたちもテオの登場に心強くなったのか、小さなしっぽを振って嬉しそうにしていた。
私は決してサンタクルス氏に対して思わせぶりな態度は取ってないし、一度遭遇しただけなのに変に執着されてなんだか不気味で怖いんだ。
テオを見上げたサンタクルス氏は小さく舌打ちをすると、忌々しそうに顔をしかめる。
「──まったく、これだから獣人は」
そう捨て台詞を残すと彼はあっさりと踵を返した。それなら最初からあっさり身を引いてくれたら良かったものの。
……しかし彼の足は途中でピタリと止まる。
なぜなら彼の背後にヒト型でパーティのごちそうを貪っていたルルの姿があったからだ。
「──お前、犬っころに殺されたいのか」
ルルは感情の読めない平坦な声でサンタクルス氏に問いかけていた。
両手に骨付き肉を掴んだルルはワイルドにそれに歯を立てた。ぶちゃりと肉汁を飛ばしながら肉を貪るその姿は野性味がある。ちなみにその肉はナイフで切り分けながらお皿に取り分ける肉なのだが、ルルは大皿で出てきたそれをまるごとかっぱらって来たようである。
サンタクルス氏とルルはしばらく無言で見つめ合っていた。サンタクルス氏はルルのことをまじまじと見つめ、怪訝な表情を浮かべる。
「君、フォルクヴァルツ城にもいたね。……何者なの?」
もしかしたら、彼はルルの正体を知らないのかもしれない。それでも野生の勘でルルから只者じゃない雰囲気を感じ取っているのであろう。サンタクルス氏は危険を感じて一歩後ずさっていた。
一方のルルは彼からの問いに答えず、動揺もせずに骨にかじりついた。バキッボリボリ、とたやすく骨を噛み砕くその音があたりに響き渡る。
サンタクルス氏だけでなく、他の無関係な観客もルルを驚異の目で見ている。何という強靭な顎と歯なのだろうか。結構立派な骨付き肉だったからな…。ごくり、と噛み砕いた骨を飲み込んだルルを見たサンタクルス氏が初めて怯えた表情を見せた。
「…そこまで死にたいなら、私が喰ってやろうか? 虫けらめ」
にやりと笑ったルルの顔は凶悪そのものだった。見た目は可愛らしい少女なのに…ドラゴンだから仕方ないか。
掛けられた圧に言葉をなくしたらしいサンタクルス氏はしばし固まってた。ぐるぐるとルルの喉奥から鳴る音にぎくりとしたサンタクルス氏は我を取り戻して「失礼」と断って踵を返していった。
こころなしかその足は早歩きであった。
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