未来へ【ディーデリヒ視点】
あの晩に起きた惨劇は今でも夢に見る。
突然鳴り響いた爆発音に飛び起きた真夜中過ぎ。城の中が騒然となり、両親がすぐさま何事かと飛び出していった。私は乳母につれられて城の地下貯蔵庫に入れられた。地上ではドタドタと走り回る音や、人の悲鳴が響いていた。幼かった私にも外で何が起きているかわかった。
私は乳母に守られるように抱きしめられ、身を縮めて震えていた。
『──いたか?』
『いない。娘も息子もどっかに消えた』
──こいつらは自分たちを探している。
上にいるんだ。自分たちを殺そうとする蛮族たちが。居場所がバレたら殺されてしまう。恐怖で歯がカチカチと鳴る。恐怖に怯えている時間は無限にも感じた。
やがて外から音が何も聞こえなくなり、辺りを支配するのは静寂だけ。人の気配が城から消えた。
敵が去ったのだとホッとしたのもつかの間、私達が地下貯蔵庫から外に出た時に目にした光景は一生忘れられない。
地下貯蔵庫の扉上に倒れ込んでいたのはこの城の執事長だった。彼は目をかっ開いて絶命していた。眠る前に挨拶をしたはずなのに、もう息をしていなかったのだ。
乳母に手を引かれて調理室を出ると、血の匂いが更に濃くなった。
廊下には城を守っていた獣人の兵士が奇妙な姿で死んでいた。喉をかきむしるように苦しんで亡くなっていたのだ。私とともに行動していた乳母がボソリと「…禁術…?」とつぶやいていたので、おそらく魔術を使えるものによって身体の自由を奪われた挙げ句殺されたのだろう。
廊下を抜けた後もその光景は変わらなかった。死屍累々と遺体が転がっていた。そのどれも知っている顔で、半日前までは生きていた人たちだった。それがいとも簡単に奪われた。
両親は。それに妹は。
乳母をせっついて妹の部屋に向かうと、そこには妹の乳母が無残な姿で息絶えていた。そして妹が寝ているはずのベビーベッドには誰もおらず……妹の世話役のメイド共々姿を消していた。
ほうぼう探したが妹はいない。まさかアイツらに連れさらわれた…?
街に転がるたくさんの遺体。木には果実のようにぶら下がった領民たち。かろうじて生き残れたが、立ち上がる気力もないのか座り込んでいる人々。敵兵たちに嬲られ蹂躙尽くされた若い女性は布切れを身にまとって声なくハラハラと泣いていた。親を求めて泣く幼い子どもの声が切なく聞こえた。
地獄だった。私が将来治める地は地獄に変わったのだ。
一晩で焦土と化したシュバルツの砦・フォルクヴァルツ。
だけど私達には嘆いている暇なかった。
すぐに復興しなければならない。建て直し、今度こそ侵入を許してはならない。私は父に従い、一心不乱に復興への道を歩んでいた。悲しみは癒えないまま、その辛さをごまかすように必死に生きて……
妹の安否もわからないまま、時は流れた。
もう一生会えないかもしれない。彼女は人知れず亡き人になっているかも。そう思い始めていたのだが、私達は彼女と再会するときを迎える。
彼女は目の前で倒れた男が自分の父親とは知らずに命を救い、見返りも求めず立ち去ってしまった。
次に出会ったのは王国のパーティで彼女が国賓として出迎えられた時。妹は戸惑って否定していたが、その姿を見れば一目瞭然。私達との血の繋がりを感じ取れた。
妹は生きていた。隣国の獣人村で保護されて、平民として育った。
そして成長した彼女は17歳にして立派な高等魔術師になっていた。
今まで与えられなかった分、両親は貴族令嬢として与えられるものは何でも与えようとしていた。
だけど妹はいつも沈んだ顔をしていた。
彼女は貴族として縛られることを望んでいなかった。私達に心を開くこと無く、このまましぼんでしまうんじゃないかと心配に思っていたが、私にも何が正解なのかわからなかった。
妹が生きていたのならこのまま野放しにするわけにはいかない。フォルクヴァルツの娘ということで狙われる可能性だってある。これは彼女を守るためでもあった。
獣人村に帰りたいと願う妹の訴えにとうとう両親は折れた。いずれはあちらの養家族にもお礼と挨拶をするつもりだったので、一家揃って村に向かったときに知った。妹は無意識にある青年を見つめていた。それは相手も同様だった。
アステリアには好きな男が居たのだ。
□■□
婚約者の大学校卒業を待っている間に色んな変化が身の回りで起きた。
ハルベリオンのエスメラルダ襲撃、女神の予言を聞いたアステリアが育った村を守るために単身戦いに出向き、瀕死の重体になったこと。そしてハルベリオンへの報復作戦。
それらを経た今、妹は再び民草に戻り、薬を生業とした魔術師として育った村で暮らしている。
「おめでとうございます、兄上、クラウディア様」
私の結婚の日に彼女は笑顔で祝いの言葉を贈ってくれた。
「ありが…」
「やだわそんな他人行儀! お姉様って呼んでくれなきゃ!」
妹にお礼を言う途中で妻になったクラウディアに妨害されたが、彼女は妹のことを気に入っているので仕方ないと諦める。クラウディアが妹の手を取ってなにやら姉妹のなんとやらを熱く語っているのでそっとしておく。
「あの、マルガレーテ様…すみませんが抱き癖がつくので、そろそろ乳母車に戻してもらっても……」
「まぁテオさんたら、かわいい孫と普段会えないわたくしにそんな冷たいことを仰るの?」
妹の夫であるテオ君が申し訳無さそうに声をかけると、母は不快だと言わんばかりに仔狼形態の甥たちをしっかりと抱きしめた。式が始まる前からずっと抱っこして、挙式そっちのけで孫に夢中だったのを私は知っている。娘と息子では違うのだろうか。妹が結婚したときとは大違いの反応である。
確かにふにゃふにゃの仔狼形態の甥たちは血縁の欲目抜きにしてもかわいい。初孫を喜ぶ両親の気持ちもわからんでもないが、ここにいる間ずっと離さないつもりなのだろうか。
母の頑なな態度にテオ君も戸惑っていた。強引に引き剥がすわけにもいかず、オロオロしていた。彼の困惑に気がついたアステリアが間に割って入ると甥たちを母の腕から奪い取る。
「あっ!」
「ほら母上、ご挨拶回りにうちの子は必要ないでしょう。早く行かれたらどうですか」
妹は無情であった。子どもを取り返すと乳母車に戻し、母を追いやる。
母は切なそうな顔をしていたが、今日はホスト側なので来賓客を応対せねばなるまい。名残惜しげに乳母車内で動き回る毛玉たちを見やると、さっさと挨拶回りを終わらせようとキビキビ動き始めたのである。
挨拶回りの途中で私は恩人と再会した。
この領を守るために援軍として戦ってくれた恩人、そして妹の恩師でもあるエスメラルダ王国のフレッカー卿である。車椅子に座った彼は黒毛の仔を抱いてあやしていた。
「賢そうな顔をしてるね。きっとお母さんに似て利発な子になるだろう」
エスメラルダ王国フレッカー侯爵家の嫡男だった彼はちょっと変わり者で、学問のために跡継ぎの道を捨てて教師になったという色々と不思議な人物である。
アステリアの次男・ギルは私達と同じ黒髪と紫の瞳を受け継いだ子だ。まだまだ幼い赤子だと言うのに好奇心旺盛で将来は母親に似た勤勉家になるんじゃないかと父が期待していた。獣人寄りの子なので魔術師の才は期待できないが、その他の可能性に満ちた子になるかもしれないと両親は今から家庭教師を見繕っているそうだ。
「! こらやめなさい」
ギルはフレッカー卿の胸元を飾るスカーフに興味を持ったらしく、前足でじゃれていたかと思えばガブガブと噛みつき始めたので、妹が慌てて止める。
「ははは、いいんだいいんだ。歯が生え始めてかゆいのかな?」
「そうはいきませんよ、ギル離せ」
テオ君がギルの口の端に指を突っ込んで歯を離させるとひょいと抱き上げていた。残念ながら卿のスカーフには穴が空いてしまって手遅れなようであるが。
「すみません、代わりのスカーフを後日送らせてもらいます」
「気にするな、こんなの使い古しのスカーフだ」
そうは言われても、流石に穴を開けてしまったら弁償せざるを得ないだろう。
「人のものに噛み付いちゃいけません。…ギル、聞いてるの?」
アステリアは悪ぶった様子のない仔狼と視線を合わせると、彼女は言い聞かせるように注意していた。しかし相手は赤子なので、ギルはよくわかっていないようで首を傾げていた。
「ギル、眠いのか?」
テオ君の言う通り、こころなしかギルの目はウトウトしており、目が閉じたり開いたりしている。仕方なく説教を止めたアステリアは長男のヒューゴが昼寝をしている乳母車の中にギルを寝かせる。ギルは眠ってるヒューゴを枕にするように頭を乗せるとすぐにすやすや入眠した。
双子の無邪気な寝顔を覗き込んでいた妹は母親の顔をしていた。
──望めばこの国で一番高貴な女性にもなれたはずなのに、育った村で平民として生きることを決めた妹。
運命を狂わせられて、数々の苦難を乗り越えてきた彼女は今、子どもと夫に囲まれている。
彼女はとても幸せそうだ。
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