フォルクヴァルツの祖先と獣人の歴史
かつてこの国には差別があった。
有名なのは獣人に対するもの。
人々は獣人を見下し、従わせていた。
魔法や薬で力を押さえつけ、肉体労働の奴隷、はたまた性的搾取される性奴隷まで。彼らに人権なんてものは存在しない。反発するものにはそれなりの拷問が待っていた。虐げられ続けた獣人たちは牙を奪われたようにおとなしくしていたが、腹の底では人間たちへの憎悪を膨らませ、虎視眈々と叛逆の機会を狙っていたのである。
そして人間の中にも獣人差別を良しとしない人々も存在した。
表立っては庇えないけれど、裏では獣人を保護したり手を貸す人々もいた。本音を言えば彼らも声を上げたかったが、それをした者はもれなく後ろ指を刺され、一家まとめて袋叩きにされる。それを恐れて影で助けるしか出来なかったのだ。
そんな中で一人の青年魔術師が声を上げた。
市井から誕生した魔術師である彼はその差別に憂いた。彼は幼い頃から近所に住む獣人と関わりがあった。獣人の幼馴染もいて、幼少期という価値観がまっさらな時代から親しくしていた彼は世間一般の差別思想を理解できなかった。
人間と獣人は姿形や性質が少し違うけど、問題なく意思疎通できる。知能指数だって同程度だ。下手したら自分よりも優れているものもいるのに何故彼らは差別を受けているんだろうかと。
魔術師としての力に目覚め、人間に囲まれて学んでいくうちに青年の中での疑問は疑念に変わる。魔術師による獣人の隷属を目の当たりにしてしまったからである。
そして彼は決意する。獣人の権利を主張しようと。
魔術師の青年が幼馴染らに訴えかけ、先頭に立ち蜂起して解放運動をはじめた。獣人への差別を撤廃、市民権を求めたのだ。
始めはごく少数の活動だったが、徐々に人数は増え、大規模な運動になる。周りの人族たちはそんな彼らを冷眼視していたが、それでも彼らは訴え続けた。暴力ではない方法で訴え続けたのだ。
しかしそんな彼の存在を疎ましく思う上層部がいた。時の王侯貴族たちである。
魔術師の青年は国家反逆の罪で捕まった。魔法が使えぬよう魔封じをされ、拷問され、声帯を切り落とされ、過去に起きた魔女狩りの処刑方法で生きたまま燃やされた。彼をよく思っていなかった市民からは石を投げられ、罵倒されながら燃え盛る炎の中で息絶えたのだ。
火にかけられて死にゆく魔術師の姿を見た恋仲の娘はショックで狂ってしまった。
彼女は獣人だった。性奴隷として暴力的に扱われていたところを魔術師の彼に助けられた。彼女は彼の活動に賛同し、そばで支えてきた。諸説によるとふたりは深く愛し合っていたと言われている。
彼に心を捧げた彼女には、彼のいない世界など耐えられるわけもなく……燃やされて息絶えてしまった彼の元に躍り出ると、未だに炎を身にまとっている彼に抱きつき、後を追うように死んでしまう。
彼女は断末魔の叫びを上げて燃えていった……。
その壮絶な最期を見た人々は皆々息を呑んだという。
残酷な処刑を、同胞が後追いした姿を影から涙を流しながら見ていた獣人たちがいた。
彼らは一緒に活動していた仲間たちだったが、魔術師の彼に言われていた。「自分が捕まったら、すぐに逃げろ」と。彼の指示通りにしたが、事態はどんどん悪化して結果的に彼は処刑されてしまった。
彼は人族だから、魔術師だから大丈夫と思っていたのに、最も残酷な方法で虫けらのように殺されてしまった姿を見て、悔し涙をこぼした。
彼らはいても立ってもいられなかった。魔術師の意志を継ごう。自分たちは無力だが、数を増やせばきっと押せると再び立ち上がったのだ。
──このままでいいのか? 怯えて暮らすのが自分たちの生き方でいいのか?
──獣人としての誇りを忘れたのか?
そう、後にリーダーとなる獣人の一人が発破をかけた。彼は魔術師である青年の幼馴染だった。
彼らの我慢はとうとう爆発した。怒り狂った獣人らは大規模な反乱を起こすこととなる。
その反乱では王国軍、そして獣人側からたくさんの死傷者行方不明者を出す事となる。
『──これが“ルーベンの叛逆”。エスメラルダで約200年前に起きた大きな反乱運動です。処刑された魔術師の名前をとってつけられた反乱名なのだそうです』
その反乱が火種となり、一度鎮圧されてもまた別の場所で反乱が勃発した。獣人たちの怒りはどんどん加熱していく一方で、抑えても抑えきれない状況に追い込まれたのだという。
歴史の先生の話を聞きながら私は眉をひそめた。
午後一番の授業ということで、クラスメイトはウトウトしていたり、机に突っ伏していたりと真面目に話を聞いていない人が多かったが、そんな中でも私は真面目に授業を受けていた。
……自分の先祖のことなのにまるで興味がないんだな、獣人……。
獣人は強い。人が丸腰だったら絶対に勝てない相手。当時の魔術師はその恵まれた能力で獣人たちを従えていた。周りの人を守るために暴れる獣人を押さえつけるまでは良かったんだろう。
だけどいつの日かその目的が虐げる方向へと進んでいったのだ。ひとはどこまでも残酷になれる。その歴史に私の心は痛んだ。
それはそうと気になることがあったので私は手をあげた。
『先生、質問です。その反乱が切欠でかの『獣人差別禁止法』が生まれたのですか?』
私が声を上げると、後ろで寝ていたテオが『フガッ』と寝ぼけ声を出していた。寝るなら静かに寝てほしい。
その反乱は約200年前の出来事とされている。ちょっと間が空くが、80年前に出来た法律となにか関係あるのだろうか。
私の質問に先生は首をゆるく横に振った。
『決定的になったのは別のことです。この国のお隣にあるシュバルツ王国には辺境のフォルクヴァルツという領地があります。そこが法律制定の切欠です』
シュバルツのフォルクヴァルツ……確か森を挟んだ向こうにある隣国の領土の名前だ。そこはシュバルツの砦と呼ばれていたはずだ。
『彼の地はこの村がある領地と北のハルベリオンとの国境の地域で、ハルベリオンからの難民や不法入国が後を立たず、相次ぐ凶悪犯罪で治安が悪化していました』
時の辺境伯アイゲン・フォルクヴァルツ氏はそのことに悩まされていました。魔術師に警備に当たらせるにしても魔術師という存在は貴重で、そう数多く確保できるわけではなかったからです。人族の兵士もいましたが、辺境警備は危険な仕事のため、人手不足は否めませんでした。
そこで目をつけたのが奴隷の獣人です。
人でも獣人でも優秀な兵士ならどちらでも構わないと考えたアイゲン氏は、フォルクヴァルツに住む領民は皆仲間であると、差別して仲違いしている場合ではないと訴え、様々な政策を打ち出しました。後にたくさんの優秀な兵士を誕生させたのです。
獣人の彼らは自ら出願し、フォルクヴァルツの警備兵となりました。そして恵まれた身体能力と五感を使って、犯罪者が凶行に走る前に未然に防いでみせました。
きっと今まで差別を受けてまともな職につけなかったこともあり、認めてもらおうと必死だったのだと思われます。
アイゲン氏は各々の成果に合わせて褒美を取らせました。獣人たちはその期待に応えようと成果を上げ続けます。人々は彼らに感謝し、次第に獣人を認めるようになります。そこから人と獣人が交流を持つようになり、人と獣人の夫婦も誕生しました。
その土地に住まう獣人は市民権を得るようになります。
さらにアイゲン氏は人族にだけ開いていた学校に獣人も通うように改革しました。最初は衝突を避けるために人と獣人を分けた教育をしておりましたが、徐々に垣根を取り払っていったのです。
それはフォルクヴァルツ領内に限った流れでしたが、それを聞きつけたよその獣人が安寧を求めて流入して、獣人コミュニティの規模が大きくなります。
全領民に教育を施した結果、労働力も収入も増えました。治安も向上しました。当時としては奇抜な政策でしたが、功を奏したのです。
フォルクヴァルツではどこよりも先行して、獣人差別を根っこから取り払おうと行動していたのです。
先生の話を聞いて私は息を吐き出す。そんなことがあったのか。
ふと周りを見ると、いつの間にか寝ていたクラスメイト達が起きて先生の話を聞いていた。
『……じゃあ、そのアイゲン氏が法律を…?』
そんな時代によくも踏み切ったな。辺境伯という権力があったから出来ただろうが、時代的にも先の魔術師のように弾劾されてもおかしくなかっただろうに…すごい勇気だ。
『いえ、法律自体に梃子を入れたのは息子のラインハルト氏です。シュバルツ王国議会で何度も討論されて、乱闘を繰り広げながら反対派の意見を多数決で押し切った後、法律は形となりました。エスメラルダはそれから遅れて法律ができたって感じですね』
あ、この国では遅れて制定されたのか。
じゃあ、隣国のフォルクヴァルツ領はこの国よりも獣人に寛容なのかな。
『フォルクヴァルツとはどんな土地ですか?』
私のその問いに先生は悲しそうな顔して、かのシュバルツ侵攻の話をした。
素晴らしい領地だったけど、ハルベリオンの軍勢によって見るも無残な姿になってしまい、今もその爪痕が残っていると。当時の獣人の兵士たちは魔術師や市民と共に敵と戦ったが、沢山の人が亡くなったのだと。
先生は自分のことのように悲しそうに話してくれた。
私はそれ以上質問できなくて、手を挙げられなくなったのだ。
□■□
私は遠い過去、初等学生だった頃に受けた歴史の授業のことを思い出しながら本のページを捲っていた。
外は穏やかな天気で、油断したら睡魔に負けてしまいそうだったが、本の文字を追うことは止めなかった。
「身体冷やすぞ」
後ろから回された腕によって、大きなブランケットを体にかけられた私は視線を上げる。
彼は私が読んでいる本を覗き込んで、怪訝な表情を浮かべていた。
「何読んでるんだ?」
「獣人差別禁止法が出来た頃の歴史。あんたも読む? 貸してあげようか」
「いや、いい…また小難しそうなもん読んでんな…」
自分のルーツの歴史なのに興味ないのか。
「子どもの時何気なく習ってたことに自分のルーツが関わっていたんだなと思うと、知りたくなってね」
この本に出てくるアイゲンさんもラインハルトさんも元は私のお祖父さんなんだもの。私の身体に流れる血と同じ血を持っていた人だからすごく気になって。
フォルクヴァルツ城に彼らの肖像画があったけど、アイゲンお祖父さんはどことなく父上に似ていた。
自分の生まれを知った今、更にその上のことまで知りたくなるのはもともとある自分の知識欲のせいだ。それも祖先が偉業を成し得たと言うなら誇らしい以外の感想はないだろう。
「…ひとつ選択が違えば、違う未来があったのかなと思ってね」
今でもタラレバを考えることがある。もしも私が貴族令嬢として生きていたら、もしもこの村に置き去りにされてなかったら…と。
考えても仕方ないけど、やっぱり色々考えちゃうのだ。
「…仮に乳児院で育っても、貴族の令嬢として育ったとしても、根っこの部分はお前だったと思うけどな」
テオの言葉に私は首を傾げた。
「どういう意味?」
「美人で賢くて甘い香りなのは変わんないだろうなって意味」
なにかいいことを話してくれるのかなと思ったら、拍子抜けした。
あんたいつもそればっかりじゃないのよ。
「何バカなこと言ってんの」
期待して損した。
開いていた本にしおりを挟んで閉じると、テーブルの上に乗せる。するとお腹の中で胎児が動き回った気配を感じて無意識に手のひらでお腹を抑えた。
「どうした? 痛いのか?」
「うぅん、この子達が動いたから」
痛いとかではないけど、無意識に撫でる癖がついちゃったんだよね。
テオは私を気遣うように優しくお腹を撫でた。そしてテラスの床に膝をつくと、ぽっこりお腹に耳をつけて耳を澄ましていた。
テオは胎動を聞くのが好きみたいで、最近はこうすることが多い。その姿を見ていると微笑ましくなって愛おしくて、彼の頭をそっと撫でた。
「二人もいるんだよ、きっと生まれてから大変なんだから」
「ふふ、楽しみだな。早く会いたいな」
テオは幸せを噛みしめるように目を閉じていた。その顔を見た私は目を細める。あたたかくて幸せな気持ちでいっぱいだ。
きっと私も同じような表情を浮かべているのだろうな。
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