居場所
“罪人の子”
サツキさんに言われた言葉が呪縛のように感じた。
注がれる視線が罪人を指差す人差し指のように感じて、あたしは息苦しさを覚えた。
「それでさーうちの親父がさー」
通りすがりの人の会話にまで怯えてしまう。バクバクする胸を抑える。
あたしの身体の中には罪人の血が流れている。
どんなに憎い親父でも、親父に虐待をされていたとしても周りの人の認識は罪人の子どもという結果だけ。
国にいたときは周りが罪人だらけだったのでどうとも思わなかったけど、(ハルベリオンと比べて)犯罪が少ない国にくると、自分の手がとてつもなく汚く見えてしまって仕方なく思えるのだ。
もちろん、犯罪に手を染めないと誓ってあの国を出ていったんだ。二度と同じ轍は踏まない。
だけど過去は消えない。
あたしはあれから色々考えた。
これからどうするかと。自分はどういう身の振り方をすべきかと。
別にこの国が悪いわけじゃない。訳ありなあたしたちを迎え入れてくれた伯父さんたちには感謝している、いろんなことを教えてくれたスバルさんにだって感謝してる。
でも、やっぱり訳ありが故に、たくさん迷惑をかけてしまっているのだと思うのだ。あたしは物を知らなすぎた。今でも常識は危ういし、学がないから難しい話は苦手だ。兄さんが仕事のために積極的に商売の勉強をしようとしているのを少しくらい見習えばいいのだろうが、あたしには難しすぎた。
……デイジーだったら、難なく覚えちゃうんだろうなぁ。魔術師だもん……魔法使えるし、すごい薬作るし、美人だし。ホント、与えられる人にはたくさん与えられるもんだな…
遠い海の向こうの西の大陸にいるであろう黒髪のあの子を思い浮かべたあたしはパッとひらめく。──そうだ、あたしは圧倒的に経験不足だ。それに比べてあの子は積極的に旅をして知見を広めていた。冒険する好奇心があたしには足りないのだ。
うじうじ凹んでいないで、もっと色んな場所で経験を積んだほうがいいのではないだろうか。
デイジーはエスメラルダのあの獣人村で薬を生業にして自営業で働いているという。
一方のあたしは今現在伯父さんの庇護を受けて働いている。しかしいつまでもおんぶに抱っこで甘えるのはあまり良くないと思うのだ。デイジーのツテを使ってあっちで一人で働いてみるのはどうだろう…?
いいことを思いついた。そうと決めたら、早速デイジーに連絡を取ろう。手紙を書くんだ。住所はかろうじて覚えている。
伯父さんに手紙用の道具を借りて机に座っていざ文字を書こうとしてあたしの手は止まる。……そうだ。あたし、向こうの字が書けなかったんだ……習う機会がなかったから…
兄さんや母さんに向こうの文字は書けるかと聞いたら、自分の名前程度なら書けるけど、長文は書けないと返された。
ここで頓挫である。東の国出身である伯父さんにも当然無理だと言われ、あたしの名案は早くも暗礁に乗り上がってしまった。
こっちの言葉で書いて送ったら……いたずら手紙だと思われて捨てられちゃう可能性もあるな。うぅん、どうしたものか。
「なんだ、珍しいな。手紙でも書いているのか?」
職場にあるおじさんの事務机でウンウン唸っていると、ひょこっとスバルさんが覗き込んできた。
あたしの手元にある真っ白な半紙をみた彼は不思議そうな顔をしている。……そういえば、スバルさんのお祖父さんはそこそこの権力者だったな。向こうの国と縁のある人がひとりやふたりくらいいるんじゃないだろうか……
「…スバルさん、エスメラルダ王国の言葉わかる?」
「えっ? いや流石にわかんねぇな…」
「あっちの言葉書ける人知り合いにいない? 向こうの友達に手紙を送りたいの……あたしこっちの簡単な文字しか書けなくて…」
しょぼ…とあたしが凹んでいると、後頭部を優しく撫でられた。
「しかたねーなぁ。じゃあ探してみる。だけどいない可能性もあるからあんまり期待すんなよ」
「ほんと!? ありがとう!」
ハルベリオンでは、母さんと兄さん以外みんな敵だった。
ハルベリオンから外に出ることがなかったので、他の国にはあんまり知り合いはいないけど、デイジーは唯一信用できると言ってもいい。なんと言っても彼女は母さんの命の恩人。貴重なドラゴンの妙薬を見返り無しで分けてくれた心優しい人なのだ。お願いしたら力になってくれると思う。
あたしは学はないけど、運動神経にも自信がある。ちょっと旅立って、自力で生きて自信をつけたい。
「なんだか楽しそうだな、楽しい報告でもあるのか?」
スバルさんの問いかけにあたしはニッと口元を緩めた。
「友達を頼って、向こうに行こうかと考えてるんだ」
「……え?」
なぜかスバルさんの笑顔がひきつった。
「あたし、ものを知らなすぎるし、なんていうか冒険心が足りないと思うんだよね」
あたしは向こうで出会ったデイジーという素晴らしい魔術師の友達のことを話した。スバルさんは口を閉ざし、話せば話すほどに何故かその顔色はどんどん青ざめていく。
「あたし、デイジーのように旅をして自分の居場所を探したいの」
「うん、ちょっと待て?」
頭が痛いとばかりにこめかみを押さえたスバルさんが待ったをかける。どうしたんだろう、質問かな。
「色々突っ込みどころがあるけど……なんで居場所を求めてんだ?」
なぜかと聞かれて、自然と眉間に力が入る。
「ここにはあたしの居場所がない。希望を抱いて母さんの母国に来たけど、こっちでは落ち着ける居場所がないんだ」
ハルベリオンと違って、命の危険はないが、身の拠り所がなくて居心地悪いのだ。
あたしには突出したなにかがあるわけでもなく、自分がなにもないつまらない人間に思えてきて居ても立っても居られないと言うか。
あたしもデイジーみたいに努力して自分を認めてもらいたい。
「俺がいるだろ。俺がお前の居場所になる」
そう言ってスバルさんはあたしの手を握ってきたので、あたしはぽかんと彼を見上げた。
「…あっちでどんな仕事するんだ? 今まで苦労して来たお前は学校にも行けなかっただろ? ……どの国も、教育を受けられなかった人間が出来る仕事は限られてるぞ」
冷静でいて、突き放すような意見にあたしはムッとした。
「でも、ただでさえあたしには罪人の娘っていう肩書がある。……だからそれ以外のあたしだけの肩書がほしいと言うか……」
あたしの言葉は尻すぼみになっていく。
よく考えたら、ハルベリオンに近いエスメラルダに行ったとして、元罪人の娘と知られたら危険な目に遭うのか…? はたまたデイジーに迷惑をかけることになるのでは…?
「お前が傷つき、苦労することをおばさんもトウマも望んでいない。……お前はもう少し自分を許したほうがいい。自分を追い込みすぎだ」
ポンポンと手を優しく叩かれて、じわりと目頭が熱くなった。
お説教なんかしないでほしい。あたしはあたしなりに一生懸命に考えて導き出した答えなのだから。
「家族3人寄り添って生き抜いたんだろ。自分を追い込むんじゃなくて、自分の幸せを模索してもいいんじゃねぇかな」
なんでこの人はこんなに優しいのだろう。
いつもあたしを包み込むようにして支えてくれる、諭してくれる。そんな優しさにあたしがどれだけ支えられているか。…依存してしまいそうになっているかわかっているのだろうか。
「今までが辛かった分、我慢してたものが今になって溢れ返ってるんだな。考える余裕が生まれて、考えなくていいことまで考えちゃうんだろう」
背中に腕が回ってきて、抱き寄せられたあたしはそのままスバルさんの胸に飛び込んだ。苦しくないけど、解けない程度の力の強さで抱きしめられたあたしはその心地よさに目を閉ざした。
あたたかくて、いつまでも抱きしめてもらいたい。
兄さん以外の男の人に、こんな風に優しく抱きしめてくれる人は他にいただろうか?
泣く子をあやすように背中を撫でる手。こんなにも安心感があるなんて思いもしなかった。
「男の人の腕の中って気持ちいいね」
胸板に頬を擦り寄せながら呟く。あたしの素直な感想だ。
別に深い意味はなかったのだが、スバルさんが「ぐっ」とむせていた。
「…お前さぁ、そういう事言うなよ……」
「…?」
不思議に思って顔を上げると、スバルさんは頬を軽く赤らめていた。先程まで真っ青だったのにコロコロ色が変わるね。
「あ、それとこんな風に男に抱きつくなよ!」
他の男に同じことしたらひどい目に遭うからな! と念押しされた。
そんな、あたしそこまで尻軽じゃないよ。スバルさんにはあたしが奔放な女に見えるのであろうか。そもそも抱きついてきたのはスバルさんなのに理不尽。
「嫌だったならそう言ってくれたらいいのに…」
名残惜しいが離れようとすると、背中に回っていた腕にぐっと力が入った。
「嫌じゃない! 俺はいいの、他の男が駄目だって言ってるんだよ」
「なにそれ」
ぺっとりと隙間なく抱き合っていたあたしはドキドキ暴れるスバルさんの胸に耳をつける。すごい心臓の音。落ち着かせようと着物の上から彼の胸板を撫でると、「その撫で方はちょっと…」と苦情を頂いた。
「だって心臓すごい音してる」
「…誰のせいだと思ってんだよ…」
たじたじになっているスバルさんの背に腕を回したあたしは、目を閉じて彼のぬくもりを堪能していた。なんかスバルさんは落ち着かなそうにソワソワしていたが、後もうちょっとだけ。
「あたたかいね」
「……そうだな」
スバルさんがあたしの居場所、か。
たまにスバルさんって誤解しちゃいそうなこと言うよね。
でも嬉しかった。
□■□
「キッカ! 朗報だぞ!」
夕飯時に伯父さんが家にやってきたと思えば興奮気味に一通の手紙を差し出してきた。だが簡単な単語しかわからないあたしには手紙の内容を理解できなかった。
「なんとこの町を取りまとめる長老の孫との結婚話が持ちかけられたんだ!」
伯父さんは両手広げて嬉しそうにはしゃいでいた。
長老の孫との結婚話。
その言葉に母さんが「まぁ」と口元に手を当てて驚いていた。
「キッカはもうすぐ16だろう。あちらさんは18だ。釣り合い取れてるし、知らない間柄じゃない。いい話だと思うんだが」
それはつまり、あたしに縁談が来たということ…?
「よかったわねぇキッカ、きっと幸せになれるわ」
「時間の問題かと思ってたけど、早かったな」
母さんは涙ぐんで喜んでいる。兄さんは縁談が舞い込んでくるのを察していたような言い方をしていた。
だけどあたしは一人状況が読めずに固まっていたのである。
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