罪人の娘というレッテル
父親のようになりたくないからと女性からの好意を退けたはずの兄貴ではあるが、その相手は諦めなかった。
「トウマさんのために作ったんですよ」
「ミワさん……」
職場のお昼どきを狙ってやってきたお嬢さんは笑顔でお付きの従者に重箱を差し出させた。
「トウマ愛されてるなぁ」
「いいなぁー」
同僚に冷やかされ、兄さんは困った顔をしていた。ミワさんはお構いなしに重箱を広げてみせる。色とりどりのおかずが詰まった箱を見た兄さんのお腹が鳴った。口よりもお腹のほうが正直らしい。
「どうぞ、召し上がって」
お箸を笑顔で差し出された兄さんは食べ物に惹かれるようにして箸を受け取っていた。
ミワさんは甲斐甲斐しかった。夢中で食べる兄さんの口元についた米粒を取ってあげたり、食べる姿を笑顔で見守って……あれ、なんか既視感があるな。おかしいな。
特に会話もなく兄さんは黙々食べる。それを見守るミワさん。なんだこれ。
「お茶を頂いてきますね」
足が悪いというのに、自分でできることは自分でしようと自ら動く彼女は杖を使ってゆっくり立ち上がった。しかし膝に力がうまく入らなかったのだろう、ガクッと体勢を崩していた。
「あっ」
「…!」
兄さんはすぐに反応して箸をパッと手放すと、すぐさま腕を伸ばす。
どさりと重い音を立てて兄さんの腕に抱きとめられたミワさん。彼女の身体を片腕で支えた兄さんはモゴモゴと口の中の食べ物を咀嚼しながら彼女を元の位置に戻そうと腕に力を入れた。
──しかし、ミワさんは兄さんの背中に腕を回し、兄さんの胸に顔を埋めていた。
「…?」
不思議そうにミワさんを見下ろした兄さんは彼女を見てどきりとしていた。耳まで赤く染めたミワさんは兄さんの胸から顔を上げて、潤んだ瞳で熱く見つめていたのだ。
「…もう少し、このままで」
「ミワさん」
「お願い」
そんな事言われたら兄さんも突っぱねられない。やり場のない手を持ち上げてオロオロしていた。その顔は見たことがないくらい赤く染まっている。
……この国の女はどっちかといえば受け身な性格だと思ってたが、ミワさんは意外と積極的だな。押せばなんとかなるかもしれないよ…兄さんって奥手だから…。ミワさんは兄さんより2歳年上だったな。その年の差程度ならどこにでもいるだろうし、なんだかんだで兄貴も心揺れているような…
「こら、覗き見するな」
「むぐ」
いつもの定位置で休憩していなかったからスバルさんがあたしを探しに来たらしい。声を出さぬように手のひらで軽く口元を抑えられ、その場を立ち去るように促された。
「兄さんなんだかんだ言って胃袋掴まれてるなぁ…」
職場公認になって、そのうち母さんの知るところになっていきそうな気がする。あたしが独り言をつぶやくと、隣でスバルさんが笑った。
「トウマは身体が大きい分めちゃくちゃ食うから、お嬢さんも作り甲斐あるだろうな」
そんなものなのだろうか。あたしは料理しないし、出来ないのでよくわからない。食べ物にも特はこだわりがない。食べられたらそれで満足な性格なので、多分料理には向かないと思うな。
仕事終わりの夕焼け空の下をスバルさんと肩を並べて歩く。この間あたしが襲われたこともあり、兄さんがいない時は毎度家までスバルさんが送ってくれるようになった。ていうか兄さんも一緒に帰れそうなのに、いつも伯父さんの手伝いをしに進んで残業しに行くんだよね。伯父さんは喜んでるが、あたしはもやもやしてる。
最近の兄さんはやけにあたしと一緒にいるのを避けている気がする。
「昨日の雨で道がぬかるんでる。気をつけろ」
そして、自然に手を掴んでくるスバルさんは過保護に輪をかけたように感じる。手を繋がずともずっこけたりしないのに。
だけど繋いだ手はほどかない。なんだか離れがたいのだ。
母国の男たちと比べたら小柄で華奢に見えるスバルさんだが、あたしよりは大きいし、しなやかな筋肉を持った身体は女とは違う。しっかり男の体をしている。──男であるだけで警戒の対象のはずなのに、なぜだかスバルさんは違った。いや、そうじゃなくなったと言うべきか。彼は決してあたしを傷つけないと言ってくれた。その言葉を素直に信じられたからであろうか。
あたしの手よりも二回りくらい大きな手のひらはあたたかく、安心感がある。ずっと繋いでいたい気持ちにさせてくれる。
…ふと、お昼時の兄さんとミワさんのことを思いだした。ミワさんはとても満たされた表情をしていた。ただ抱きついているだけなのに幸せそうに微笑んでいた。
ちらりとスバルさんの横顔を見上げると、あたしの視線に気づいたスバルさんがこっちを見て首をかしげて来た。
男の人の腕の中というのは、そんなに心地が良いのだろうか。お願いしたらスバルさんなら抱きつかせてくれそうだが、流石にそれは良くないな。男女がベタベタしていると、あたしはともかく、スバルさんの評判に傷がつくかもしれん。やめとこう。
「なんでもないです」
「なんだよ、気になるな」
いつも歩いている帰り道をスバルさんと手をつないで帰る。夕暮れに照らされたあたしたちの影が地面に縦長く伸びている。手をつないだ二人の影。それを見てるとなんだかくすぐったい。
「ちょっと!」
しかし穏やかな時間に水を指すような第三者が乱入したことであたしのほわほわした気持ちは霧散していった。
「…また来たのかよ…」
目の前に現れた女性に対して、隣にいたスバルさんがうんざりとした声を出していた。
「聞いたわよ、スバル! この私を切り捨ててその女を選ぶつもりなの!?」
「そもそも一度もお前を選択肢に入れた覚えはないけどな。サツキには関係ないことだ。口を挟むな」
人前だから手を離すべきかと思ったのだけど、スバルさんはしっかりあたしの手を握りしめて離さなかった。
「もしかしてスバル、知らないの? その娘は罪人の娘なのよ!」
その言葉にあたしは顔をしかめた。
彼女の言葉を否定できない。母さんは無理やりさらわれてあたしたちを産んだにしても、くそオヤジの罪に加担していなかったにしても……あの憎いオヤジの血があたしの中に流れているのは確かな事実だからだ。
「やめろ! それこそお前には関係ないだろうが! 事情を知らん癖に余計な口を挟むな!」
「なんでよ! 私はスバルの為を思って言ってあげているのに! 罪人よ!? 絶対になにかやらかすはずだわ! この間も男に襲われたとかで騒動起こしたんでしょ!?」
そうだ、あたしには罪人の血が流れている。
あたしのオヤジの祖先は国で罪を犯して国外追放にされた罪人だった。ハルベリオンに流れてきて、それからは想像の通り犯罪をして生きてきた。その子孫はさらってきた女を犯して生まれた、望まれなかった子どもたち。オヤジはその中のひとりだった。
そしてオヤジも祖先と同じ生き方をした。それがあいつの常識で、あいつの生き方だったから。
散々奪うことを繰り返してきたオヤジは最後に命を奪われた。それを当然の報いだとあたしは思っている。
あたし達家族への暴力は当然のこと、外でも散々暴れまわっていたのだ。人様に迷惑をかけてきたのだ。情状酌量の余地はない。むしろ、あの男の処刑を聞いてようやく解放されたと思ったくらいだ。
「うるさい! それはキッカが悪いわけじゃないだろうが! お前はいつもそうやって押し付けがましく物を言うが、俺にとっては迷惑なんだ! これ以上ふざけたことを言ってキッカに絡んでくるなら、俺も対抗処置を取るからな!」
サツキさんに怒鳴り返すと、スバルさんは肩を怒らせながらあたしの手を引いた。
「なによ! どうなっても知らないからね!」
後ろからサツキさんのキンキン声が飛んできたが、それを無視して先へ行く。
「ごめんな、キッカ。嫌なこと聞かせちまって」
「…うぅん、本当のことだし」
あの人の言う通り、ハルベリオンであたしも罪を重ねていた。…国ではそれをいちいち罪だと罰せられるわけでもなく、皆が同じことをしていた日常だった。
仕方ない。罪を重ねなければあの国では生きていけなかったのだから。
あの国であたしは窃盗を繰り返していた。兄さんとともに生きるために食べ物を強奪して生き延びてきた。逆に奪われたこともあるし、暴力にさらされたことだってある。
それでも、どんな事情があっても、罪を重ねていたのは真実。だから先程の彼女の言葉に反論なんか出来るわけもなく。
あたしも、オヤジのように非道なことに手を染める可能性だってあるんだ。
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