太陽のデイジー番外編 | ナノ
外伝・東で花咲く菊花
芽吹きへの嫌悪


 スバルさんの案内で街に連れて行かれた次の週は、川に連れて行かれた。
 連続で街だと疲れるので、正直ホッとした。

「ここの魚は手づかみで捕まえられるんだぞ」
「…魚に触ったことないんですが…」

 そもそもハルベリオンには枯れかけた川しかなかったし、生き物は皆食べつくされていたので魚も泳いでいなかった。魚の扱い方など知らん。戸惑うあたしを無視して、釣り竿を押し付けてくるスバルさん。
 仕方ないので言われるがままに餌を付けて川へ糸を垂らしていた。その後はぼーっと魚を待ち構える。……兄さんならこういうこと好きそう。今日一緒に釣りに行こうと誘ったけど、邪魔だからと遠慮されたんだよなぁ。何をそう遠慮するのかわからないが、兄さんには兄さんの都合があるのだろうと納得することにした。
 ──暑い。
 木陰を選んで座ったが、太陽の位置が変わって日が照りつけてくる。じりじりと気温が上がる。たらりと顔の横を汗が流れるのを感じ取った。

「あっちぃな!」

 我慢できなくなったらしいスバルさんは釣り竿を石で抑えて固定すると、ガバッと着物を脱ぎ去った。
 あたしは目を丸くして彼を見上げる。

「キッカ! 泳ごうぜ!」
「え」
「一旦体を冷やしたほうがいい! 暑くてたまんねぇ!」

 そう言って下着姿のままでバシャーンと川の中に入ってしまったスバルさん。あたしは唖然としてその場に座ったまま固まっていた。

「大丈夫だよ。足つくし、ここは下流だから流されることもない。人も滅多にこない穴場だから、恥ずかしくないさ。心配すんな」

 すいすいと泳ぐスバルさんがそう言うもんだから、ここは合わせたほうがいいのか? とあたしは迷った挙げ句、帯に手をかけた。この国は混浴の銭湯があるくらいなので、男女が真っ裸になってもそう恥じらうことではないのであろう。
 着物を脱いで、下に穿いていた股引を脱ぎ去ると、石に腰掛けて川に足をいれた。汗をかいた身体に森の木々から流れ込む風が当たって涼しく感じる。

「つめたい…」

 ひんやりする川の水に少し驚いたけど、ゆっくり川の中に身を沈めようとして……

「はぁ!?」

 先程まで泳いでいたスバルさんがバッシャンと水しぶきを立てて、こちらを凝視していた。その顔がじわじわと赤に染まり、なんだか様子がおかしい。

「おまえ! 女じゃねーか!」

 ……どうやら、あたしは彼にずっと男だと思われていたらしい。あれ…言ってなかったっけ? 伯父さんに聞いてない? 姪だって…

「駄目だ! 服を着ろ!」
「でも身体冷やしたほうがいいって…」
「お前な! 女なら少しは恥じらいを持て!!」

 さっきと言っていることが違う気がするんだが。
 その後は釣りどころじゃなく、釣りを中断して家にとんぼ返りさせられた。スバルさんは母さんと伯父さんに話があると言って2人を連れてどこかで話をしていた。

 それからだ。あたしに対する周りの態度が変わっていったのは。

「キッカ、せっかく兄さんが着物用意してくれたのに、また男の子みたいな格好しているの?」
「…だってそれ女物じゃん…」

 あたしはそういうの性に合わないんだ。それに仕事をするなら動きやすい格好の方がいい。男物なら汚れても気にならない。股引を穿いてしまえば裾が乱れても恥ずかしくない。
 ガリガリで髪の毛がボサボサだったあたしはハルベリオンにいた頃のように、“女”に見えないように過ごしていた。なのに母さんも伯父さんもあたしを女として扱おうとしていた。それが気持ち悪くて、あたしは女であることを受け入れるのを拒否していた。

 向こうでは満足に食事ができなかったので、あたしの身体は女になる一歩手前で止まっていた。こちらでも必要最低限しか食べないでいて、女の体になるのを拒絶した。
 母さんが持たせてくれた昼飯は食べずにそのへんの野良犬にあげて、朝晩は少しだけ食べるに留めた。食べなければ体重は増えない。そうすればきっとこれ以上の成長はないと思っていた。

「キッカ、ちょっと」
「え?」

 作業中にスバルさんに呼ばれたと思ったら、腰回りに布を巻かれた。
 何だ? と思って彼を見上げると、「お前、今日は帰れ。送ってやるから」と言われた。
 なぜだろうかと不思議に思いながら家に帰ると、送ってくれたスバルさんが出迎えた母さんの耳元で囁いた。

「キッカの尻から血が出てる」

 母さんはそれに目を丸くして、あぁ、と納得していた。

「それは違うわ。初潮が来たのね。キッカは赤ちゃんが産める体になったって証よ」

 訂正されたスバルさんは「あっ」といった反応をして恥じらうように黙り込んでしまった。

「おめでとう、キッカ。身体はつらくない? 楽な格好で休んでいたほうがいいわ」

 母さんが箪笥から着替えを取り出しながら問いかけてくる。その声がどこか遠くに聞こえた。
 あれだけ食事を受け付けないでいたのに。あたしの身体は心を裏切って確実に女の体になろうとしている。

「…やだ」
「? どうした、気分が悪いのか?」

 様子がおかしいと訝しんだスバルさんがあたしの顔色を伺ってきた。そしてあたしの顔をみてぎょっとした顔をする。

「いやだ! 子どもなんか産めなくていい、元の体に戻して!」

 あたしは母さんに縋り付いた。
 母さんがくそオヤジにされていたことをあたしも受け入れなきゃならないとか、そんなの嫌だ。気持ち悪い。
 子どもなんかほしくない。自分の体の変化を受け入れられないあたしは恐ろしくてたまらなかった。

「……キッカ、何をそんなに嫌がってんだ? めでたいことじゃねーか」

 スバルさんが少し恥ずかしそうに口を挟んできたが、男である彼にはわからないことだ。
 あたしは母さんが、国の女達がどれだけ男たちに利用されて、好き勝手にゴミのように捨てられてきたか近くで見てきた。女は受け入れるしかない。我慢して耐えるしかないのだ。あんな一方的な暴力、おぞましい行為をしなくてはいけないのだと考えると、この体を捨て去ってどこかへと消え去りたくなった。
 
「……いやだ、気持ち悪い」

 あたしの顔は恐怖に引きつっていたに違いない。
 女になんかなりたくない。
 あたしの意志とは別の方へ、自分の体は男を受け入れるように作り上がっていく。
 それを考えると吐き気がした。

「……スバル君、今日はキッカを送ってくれてありがとう。キッカのことはおばさんに任せて」

 母さんはスバルさんからあたしを隠すようにして庇ってくれた。
 スバルさんは何も悪くないのに、急に彼のことも恐ろしくなってきた。だって彼があたしを見る目は完全に女を見る目だ。最初の頃の同僚を見る目とは全く変わっていた。
 あたしは自分よりも小さな母さんの肩に顔を埋めて幼い子供のようにしがみついて身を縮こめた。

 スバルさんを見送った後、母さんはあたしと向き合って色んな話をしてくれた。
 母さんは自分がされていた行為を見て育ったあたしが、そういう行為をひどく嫌悪しているとわかって気に病んだみたいだ。だけどあたしは母さんを責めているわけじゃない。母さんも生き抜くことで必死だった。どうしようもなかった。

 だけど生まれたときから見てきた現実はあたしの心に根を張り、悪夢からさめた後も恐怖を与え続けていたのである。

 
□■□


「な、なぁキッカ、これから暇か?」

 仕事を終えて、帰り支度をしていると、同僚に声を掛けられた。

「…残業か何かですか?」
「違う違う! たまには飯にでも行かねぇ?」
「え…? いえ、母が家で用意してくれているので」

 急に何かと思えば食事のお誘いだという。
 自分がここで働き始めたときはなよっちい男だって聞こえるように悪口を囁いていたくせに、あたしが女だとわかると目の色を変えて……現金なやつだ。

 視線が体中にまとわりついてくるのがわかった。
 ゾワッと走る悪寒。悪い予感がする。この人について行ってはいけない。

「たまにはいいじゃん。先輩の言うことは聞いておいたほうがいいぜ?」

 ずいっと顔を近づいてきたその人。
 嫌悪感が湧き上がる。
 頭で考えるよりも先に身体が動いていた。その場から飛び出すと、後ろで呼び止められたがとにかく離れたかった。

 あたしの身体は初潮が来てから重くなったように感じる。昔の瞬発力が失われてしまったような気がするのだ。走るとひどいめまいと息切れを起こすようになって気分が悪くなる。そう長い距離を走れない。
 ぜぃはぁと息を切らせたあたしは、力尽きて地面に膝をついた。
 生活が変わって、体つきが変わって、服装も変わったあたしを見る人の目は変わっていった。初対面で興味なさそうに、よそ者を見るように見てきた男たちの目の色はびっくりするほど変わった。
 奴らは猫なで声で親切を装って近づいてくるが、あたしにはわかる。下心満載で近づいてきているのを。それが怖くて気持ち悪くて、あたしは逃げるのに必死になっていた。

 この国に行けば、もう怯えたり逃げたりしなくていいのだと思っていたのに、ここでも危険を感じる羽目になるとは思わなかった。

「キッカ! 大丈夫か!?」

 あたしがバテているのを見かけたスバルさんが駆け寄ってきて助け起こしてくれた。

「…お前、顔色悪いぞ」
「…放っておいてください」

 掴まれた手を振り払うと、ムッとした様子のスバルさんがため息を吐き出して、こちらを厳しい目で睨みつけてきた。 

「おばさんやトウマに聞いたぞ。お前、まともに飯食ってないんだってな。それに昼飯も犬猫に与えて…」
「スバルさんには関係ないでしょ」

 初潮がきたあたしの薄っぺらい凹凸のない身体は丸みを帯び始めた。
 これ以上女の体になりたくない。
 食べたらそれが抑えられなくなる、だからいくらひもじくても食べるのを拒絶しているのだ。
 それはあたしの勝手。赤の他人に口出しされるいわれはない。

「……わからんやつだな! 来い!」
「!? 離して!」

 スバルさんは先程よりも強くあたしの腕を握ってきた。振り払おうとしても振り払えない。
 仕方ないので足を動かさず、その場から一歩も動かない作戦に出ると、業を煮やした彼は強硬手段に出た。

「やっ…!」

 彼はあたしを肩に担ぎ上げたのだ。
 なんてことを…!
 こんな風に力任せに女をさらって乱暴する男たちをハルベリオンでは日常的に見てきた。この国は平和だと聞いていたのに、ここでもそうなのか…! この人がこんな事するなんて…!

「下ろして! 下ろしてよぉ!」
「うるさい!」

 ジタバタ暴れるあたしにお構いなく、スバルさんは怒鳴り返してきた。それにびっくりしてじわじわと眦が熱くなった。

「いいかキッカ、今のお前は完全に栄養不足だ。なにをそんなに怖がる、なぜ自分の成長を嫌悪するんだ。このままでは死ぬぞ!」

 うるさいのはそっちだ!
 あたしは嫌なんだ、嫌なんだったら嫌なんだ!

「子どもなんか産めなくていい! あんなことされるくらいなら、あたしは女をやめる!」

 我慢の限界を迎えたあたしは、幼い子供のようにわーんわーんと声を上げて泣いた。
 ……いや、あたしは小さい頃こんな大声を出したことあったかな。
 声を出したら殴られるかもしれない。狙われるかもしれない。お腹が空いて疲れるから極力感情を表に出さないようにしていたかもしれない。

「そう泣くなって。…怖いことはなんもないから」
「うるさいんだよぉ、男が言うなよ! 女を嬲り者にする男がさぁ! どれだけの女が男に虐げられてきたと思ってるんだよ! あたしをそういう対象として見るなよ!」

 あたしは完全に八つ当たりでスバルさんを詰っていた。
 スバルさんは何がなんやらといった感じで、身に覚えのない罵倒に戸惑いながらあたしを肩に担いだまま家まで送ってくれたらしい。あたしは泣き疲れてそのまま寝入ってしまったのでいつ家に帰り着いたのかは知らない。


 スバルさんはそのあとも何かと気遣ってくれた。
 食べるのを嫌悪するあたしのために珍しいお菓子や、身を守る効果のあるお守り袋やらをくれたり、下心で近づいてこようとする男がいたら壁となってくれたり。
 そういう女扱いが嫌なんだけど…正直壁になってくれてるおかげで助かっているのもあった。あたしは彼の気遣いにすっかり甘えるようになったのである。



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