太陽のデイジー番外編 | ナノ
Day‘s Eye 花嫁になったデイジー
ビルケンシュトックの公害


 朝日が昇る。
 城の屋上から見た太陽は空を橙色に染めていた。

「あっちが村の方向で、こっちはビルケンシュトックがある方向だよ」

 昇り始めた太陽の光に目を眇めていたテオは、私が示したビルケンシュトックの方向へ視線を向けていた。とは言っても眼下にはフォルクヴァルツの街が広がるだけである。

「…前にビルケンシュトックの工業地帯に行ったことあるって話したでしょ」

 私が今回こちらに来たのは薬草の仕入れのためだけではない。

「ビルケンシュトックは工業が発達する代わりに公害が多発して、その弊害が出ているんだ」

 私が確認できたのは一部だけだ。原因不明の症状に悩まされる人の大半は工業が発達する流れで環境汚染が広がり、身体に悪影響を及ぼしていた。
 わけもなく転ぶ。まっすぐ歩けない。ボタンをかけたり、衣服の着脱など日常の動作が思うようにできない。力が入りにくい。筋肉がけいれんを起こしやすい。ことばが不明瞭。他にも視野狭窄、感覚障害、聴力障害、感覚障害など……医者に見せても、薬局の薬を使っても良くならず、寝たきりになって、昏睡する人も現れている。

 そんな症状に悩まされていたのは、ビルケンシュトックにある水銀工場の側に住まう人たちばかりであった。彼らは長いこと水銀の毒性を知らず、土地が汚染されていることに気づかずにいた。

「知らずしらずのうちに摂取して、それが排出されずに体内に蓄積していくの」

 多分あの美容クリームに含まれていたのも微量だろうけど、降り積もれば猛毒に変わる。美白を謳っていたが決して肌にいいものでもない。
 水銀の危険性を知っている人は避けるけど、世の中には知らない人がたくさんいるのだ。この情報が隅々まで届くわけじゃない。それを知ってか知らずか、金儲けのためにああいう商人が水銀入りのものを売り飛ばそうとするんだ。
 あんなので一時的にきれいになっても、その後大きな負債を抱えることになるだけなのに。

「…水銀中毒で悩まされてる人、たくさんいるんだろうなぁ」

 自分が以前薬を処方した患者さんのことが気になったのだ。今回の帰省ではその後の様子を見に行くのも予定に含んでいた。
 私は医者じゃない。今は一介の魔術師なだけ。すべてを救えるとは思っていない。汚染されてしまった土地を蘇らせることは容易ではない。それはビルケンシュトックの人たちがすべきことだから私は手出しできない。
 ただ、自分が出来る範囲であれば何とかしてあげたいと思うのだ。

「…お前ってお人好しな所あるよな」

 まぁお前らしいけど。と言ったテオは小さく笑っていた。私のしたいようにさせてくれるらしい。理解のある旦那様で何よりである。



 出かける準備をしていた私は城の廊下をキビキビ動き回る虎獣人の警備兵と遭遇した。

「これはアステリア様! ご夫君とご一緒にお出かけですか?」
「ちょっとビルケンシュトックに……なにかあったんですか?」

 少しばかり険しい顔をしていた警備兵の様子が気になって何事か尋ねると、彼は眉間にシワを寄せていた。

「昨日、アステリア様の前に現れた商人のことで……」

 水銀クリームの商人のことか。
 あの後どうなったのか気になっていたんだ。
 
「許可証は所持していたんですが、どうにもきな臭くて。今朝も詰め所へ出頭命令をしたのですが、いつの間にか滞在先から消えていたのです」

 聞かされたのは不穏な言葉。
 つまり逃げられたのか……。今の所被害者が出てないから大事にはなってないけど、不審者を逃したってのは痛いね。

「…父からも指示されるかと思いますが、領民の女性に対して、怪しい化粧品を買わないように周知するようにしてください」

 私のお願いに警備兵は「はっ」と姿勢よく敬礼していた。
 私が口を出すのは少々出しゃばりが過ぎるかもしれないが、用心に越したことはないだろう。特に女性は美に関するものには執着するからね…村の奥様方みたいに…。
 あれだけ私のこと邪魔者扱いしていた元同級生女子らも今では私の美容クリームの愛用者なんだもの。美のためなら昔の恋敵の作ったものでもなんでも利用してやるのが美を追求する女ってものなのだ。


■□■


 ビルケンシュトックまではルルの背中に乗って移動する。今日は雲が少ない、いい天気で空の風も穏やかに流れていた。
 風景が変わる様をテオが物珍しそうに見下ろしている。テオは村と近くの町、王都にたまに出るくらいしか出歩かないから、ある意味いい刺激になってるんじゃないだろうか。

「見えた。あそこだよ、私が滞在していた町は」

 工業地帯と言うだけあって、独特の雰囲気のあるビルケンシュトック。そこに降り立つと私は早速工房に足を向けた。旅用ドラゴンブーツを作ってくれたあの工房である。

「ベルさん、ダンさん、こんにちは」
「デイジー! どうしたの久しぶりじゃない!」

 休憩中だったらしいベルさんは持っていたマグカップを机の上に置いてこちらに小走りで駆け寄ってきた。

「ちょっと様子見で。こっちに気になる患者さんがいたから」

 薬の材料採集ついでに、以前薬を処方してあげた患者さんがどうなった経過観察に来たのだ、と説明するとベルさんは首を傾げた。

「いつまでこっちにいるの?」
「今日と明日滞在したら一度フォルクヴァルツに戻って、その後は村に帰るつもりです」
「長居はできないのね」

 ベルさんは少しがっかりしていた。
 ふと彼女が私の斜め後ろにいるテオの姿を見ると、ハッとした顔をして私の腕を引っ張ってきた。

「ちょっ後ろの彼がデイジーの旦那!? めちゃくちゃいい男じゃない!」

 そういえば結婚したのは手紙で報告したけど、ふたりは初対面だったか。
 テオが美形なのは否定しない。ベルさんはうちの兄上にもうっとりしていたし、身分関係なく美しいものが好きなんだろうな。

「デイジー、できればでいいんだが、また薬を頼んでいいか?」

 テオに見惚れてきゃあきゃあ乙女っぽくはしゃぐベルさんの横からひょこっと顔を出してきたダンさんに火傷薬と普通の傷薬の注文を頂いた。
 彼らには色々お世話になったし、この後どうせ薬を作る予定なのでついでだ。私はそのご依頼を快く受け付けたのである。


 工業地帯の町並みは殺風景で飾り気がない。新しい建物もあれば古い建物もある。古びた階段道を登ればツギハギのような建物が軒を並べている。
 私は1軒の家の前に立つと、薄いベニヤ板みたいな扉を軽く叩いた。少し時間を置いてその中から出てきたのは、闘病中の雰囲気を持った老年に差し掛かるであろう男性が出てきた。

「おぉ、これは魔術師様」
「お久しぶりです、大分よくなられたようですね」

 相手も私のことを覚えていてくれたようだ。
 息子さん家族と住んでいるというこの男性は随分前から原因不明の症状に悩まされていた。いろんな医者や薬を試したけど改善せず、とうとう起き上がれなくなった彼を抱えた息子さんに泣きつかれて診たのが最初の話である。

 当時の私は書物や新聞で見た情報から水銀中毒の末期状態なんじゃないかと察した。
 私は医者じゃないのでその診断が絶対というわけじゃなかったが、この近辺には水銀工場が存在したのと、周りに似た症状の人が続出しているという話を聞いていたからだ。
 絶対に治療がうまくいくとは限らないと私が渋っていると、息子さんにどうしてもと懇願されたため、彼には栄養剤と体の毒素を排出させる特殊な性質を持つ薬草を使用した薬を処方したんだ。
 その後の経過が気になっていたから様子見に来たけど大分良さそうで安心した、試しに手を握らせたり、ボタンをとめさせたり歩かせたりと、一定の動作をさせてみたけど、以前とは天と地の差だ。これなら問題なさそうである。

「もう薬は必要なさそうですね」
「あ、それなんですが魔術師様。私の症状が改善したという話を聞きつけた昔の仲間がぜひとも魔術師様の薬の力をお借りしたいと言っておりまして…」

 なんと。更に仕事が増えたぞ。ありがたいが時間が足りなくなりそうなのが気になる。
 滞在中の間に注文分の薬をささっと作ってしまおうと、警ら詰め所で使用許可を取った上で拓けた広場にて薬を作る準備をしていると、その手伝いをしてくれていたテオが1つの薬草に目を留めた。

「あ、それ還らずの森で採取したやつ」

 毒々しい血のような色の花をつけた不気味な植物を前にしたテオは危険を察知していたようだが、これは毒でもあり薬でもあるのだ。

「うん、これには特殊な毒素を排出してくれる成分があるんだ。もともと毒草なんだけど、加工すれば薬にもなるの。当然副作用もあるけど、体内の異物を吐きだすためだから。患者さんには説明して了承してもらった上で処方する」

 一定の体力がある患者さん向けなので、体力も気力も落ちていて、治療を望まない患者さんには処方しない。これは劇薬扱いの薬になるのだ。
 ただその治療を乗り越えたら、日常生活が送れる程度に改善出来るので、困っている人には喉から手が出るほど欲しい薬なんだろう。

 一緒に暮らしていくうちに、薬のきつい匂いに嫌でも慣れてしまったテオの補助のおかげで私はサクサク薬作りをこなしていた。

「すりつぶす作業は結構骨が折れるからテオがやってくれて助かる」
「そうか?」

 素直な気持ちを吐き出しただけなんだが、テオは褒められて嬉しそうに目を輝かせていた。彼の尻尾がパタパタ揺れていたので、がしっと手で掴んで止めると、「ひゃっ」とテオが声を漏らしていた。
 喜ぶのはいいけど、土埃と毛が薬に入るからやめて。


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