忘れられない危険な匂い
フォルクヴァルツの青空市場は今日も盛況だった。異国の商人も交えた店が所狭しと並んでいる。
ここにはあの悲劇の欠片もない、笑顔と生きる力がみなぎっている。
「……すげぇ」
村に攻め込まれた際に宿敵フェアラートによる投影術で燃えているフォルクヴァルツの光景を目にしていたテオは、今の栄えたフォルクヴァルツの姿を見てあんぐりとしていた。
多分想像していたものと違ったので驚いたのであろう。
「アステリア姫様!」
「おかえりなさいませ!」
青空市場で呼び込みをしていた店主が私に気がつくと、その声に反応して他の領民も声を掛けてきた。その勢いにびっくりしたテオが耳をぺたりと前に倒しているが、こればかりは慣れてもらうしかない。
「姫様、そちらが旦那様で?」
「美男美女ですねぇ…」
「幼い頃からの恋を成就させたんですよね、素敵です!」
幼い頃からテオに想われていたのは否定しない。その辺りが脚色されて美談になっている気もしないこともないが、いい方に勘違いされているならそのままにしておく。別に結婚するために身分を捨てたわけじゃないけど、もう何も言わない。
私が幼馴染の獣人と結婚したという話は領民にも広まっており、巷ではそれが土台となったロマンス小説が発売されている。物語の中でライバル役としてどこかで見たような王太子も出てくるのだが……メイドに押し付けられたそれを渋々読んだ時、こいつは誰だと思った。私の知っている某殿下じゃない誰かが、物語上の主人公に言い寄っていて違和感しかなかった。
あの殿下が私に向かってあんな歯の浮くようなセリフを吐くわけがないだろう。気色悪いな。
世の中の女性はあの曲者殿下をこんな風に美化して妄想してるのかな…知らないって幸せなことである。
領民たちと挨拶を交わしていると、店の人からお菓子や果物を頂いた。ここにルルがいたらきっと喜んでいたはずなのに。ルルは城にある畑が気になるからって一足先にフォルクヴァルツ城へと飛んでいってしまったのだ。
「──アステリア様とはあなた様のことだったのですね…」
食べ物やら花やらを押し付けられて苦笑いを浮かべている私の前に割り込むようにして現れたのは、整髪料を塗りすぎてテカテカ光っている変な髪形、胸元に品のないブローチを付けて悪目立ちをした、そこはかとなく成金の匂いがする男であった。
その男はニコニコ愛想よく笑いながら私に近寄ると「お噂はかねがね」と言ってずいっと小さな容器に入った何かを差し出してきた。その容器はガラスで出来ていた。ガラスには模様がついている、女性が好みそうなデザインの……化粧品だろうか。
「こちら当商会で取り扱っております美白美容クリームになります。お近づきの印にどうぞ」
……美白美容クリーム? 怪しさ満点過ぎて私は怪訝な顔を浮かべる。
この人はうちの領民じゃないな。フォルクヴァルツの人独特の訛りがないし…服の仕立てからして…
「なにも怪しいものではありませんよ、こちら王都でも貴婦人に人気のクリームでして…」
そう言って蓋を開けた商人はひとすくいクリームを取るなり、私の手に塗ろうと手を伸ばしてきた。
「近づくな」
私が避ける前に、テオが割り込んできた。私の視界はテオの背中でいっぱいになる。
商人を怪しいと感じ取ったのは私だけじゃないみたいだ。テオの尻尾の毛がぶわっと逆立って警戒している。
「それ、デイジーが昔やばいって言ってた化粧品と同じ匂いがする」
ぐるぐるとテオの喉奥が鳴った。
昔私がやばいと言った化粧品……テオの言葉に私は過去の記憶を思い出した。あれは村にやってきた流れの商人のことだ。怪しげな美容クリームを奥様方に売ろうとしてたけど、私が割って入って行ったため村での購入被害者を出さなかったあの……
「…水銀クリームのこと?」
まだそんな物を扱う商人がいたのか。まさか物を売る人間が水銀の危険性を知らないのか。びっくりだわ。
「うちの嫁さんに変なもの押し付けんな…デイジーになにかあったら承知しねぇぞ」
「そんなとんでもございません! 私共の扱う化粧品は安心安全な成分で出来ております」
オロオロと言い訳をしているが、商人は狼獣人の嗅覚を舐めてるな。印象深いものほど、過去の代物であっても憶えているものだよ。
テオは警戒を解かずに商人を睨みつけている。商人はといえば、テオの眼光に怯みながらも汗かきながらヘラヘラと笑っていた。
「旦那様も奥様にはいつまでも綺麗でいてほしいでしょう?」
媚びを売るようにテオに同意を求める商人。だがテオは不機嫌そうに、「あ゛?」とどす低い声で相手を威嚇していた。
「デイジーは充分白くて綺麗だ! これ以上綺麗になりすぎると他の男が目をつけるだろうが!」
テオらしい反論の仕方である。
褒められてるんだけど少しばかり恥ずかしいぞ。
「おまけに器用で賢いから自分で美容クリームを作れるんだ。うちの村の母親世代もそれで若返ったって評判なんだぞ! だからそんな怪しい化粧品は必要ない!」
「て、テオやめてよ恥ずかしい…」
確かにうちの村の奥様たちは揃ってクリームを愛用して綺麗になったと評判になっている。私も怪しげなクリームを買わずとも自分で作れるので別に必要としていないけども…
周りにいた領民もこちらに注目してるじゃないか……
「なんの騒ぎだ! 散れ!」
ガチャガチャと鎧の音を立てて怒鳴り込んできた憲兵達によって領民たちがさぁっと引けていった。
険しい顔をしていた兵士たちは渦中にいる私達を見てハッとした顔をした。
「これはアステリア様!」
私の存在に気づいた彼らは素早く礼をとる。もう貴族籍じゃない私に対して今でも敬意を示してくれるのはありがたいが、とても居心地が悪い。
「失礼ですが、アステリア様…何事でしょうか?」
フォルクヴァルツでは優秀で堅強な獣人が兵士としてたくさん雇われている。彼らは同じ獣人であるテオが警戒して商人を睨み続ける姿に異変を感じたようだ。
「…この商人が持つクリームに水銀が入っていると、夫が訴えるもので」
「水銀!?」
ぎょっとした兵士たちは一斉に商人に視線を向けると、逃亡防止に素早く周りを囲んだ。さすがシュバルツの砦であるフォルクヴァルツを守る兵士たちだ。格が違うな。
「お前、見ない顔だな」
「許可証を提示しろ、それと販売している品を」
いかつい兵士たちに見下された商人はぎくりとしていたが、「決して怪しいものでは…」とペコペコしながら許可証を提示していた。
「姫様とご夫君はこちらへ」
果たして正規の許可証を取得した商人なのか、そのクリームには本当に水銀が含まれているのか色々気になったが、警備兵に誘導されてその場から引き離されてしまった。
「おかえりなさいませアステリア様!」
警備兵に誘導されて、馬車に乗せられた後は城へ直行である。先に到着していたルルから聞かされていたらしい使用人が城の出入り口でお出迎えしてくれた。
一緒にやってきたテオは落ち着かなそうに、居心地悪そうにしていた。
「お荷物お預かりします、テオ様」
「あ、はい…おねがいします…」
執事に声を掛けられたテオは借りてきた猫のごとく萎縮していた。さっき市場でもらった貢物の山を従者たちに引き渡すと、身を縮こめておとなしくしていた。
わかるよ、私も最初同じ心境だったから…
「アステリア…!」
私が生暖かくテオを見守っていると、奥の方から母上が小走りでやってきて、両手を広げて私に抱きついてきた。
「おかえりなさい、待っていましたよ」
「ただいま帰りました、母上」
ぎゅっぎゅっと私の存在を確かめるように抱き込んだ母上はそっと私から離れるとテオに笑いかけた。
「いらっしゃいテオさん。歓迎しますわ」
「こんにちは、お世話になります」
私はそのままいつもの薬草類の注文を済ませてしまおうと思っていたのだが、城の人達は私達が滞在するものだと思っていたらしく、お部屋に案内された。
テオも一緒だったので、ベッドが大きなお客様用のお部屋を用意しようとしてくれていたが、私室があるので断った。私の部屋とされている部屋も無駄に広すぎてテオが落ち着かなそうにソワソワしていた。ベッドも家にあるのより大きいもんね。
そのあと夕飯の席にお呼ばれしたときもいつもは気にしてない作法を気にして、テオはちまちま小鳥のように食事をしていた。
「大丈夫だよテオ。私もここに来たばかりの時は村での癖が抜けなくて粗相ばかりしていたから」
一家はそれに目くじら立てるほど心狭くないから大丈夫だ、という意味で言ったのだが、テオはしゅん…と耳を倒していた。
「いや……いつもの調子で食ったら高そうな皿を割ってしまいそうで…」
あぁ、そういう…
テオの発言に父上が軽く口を抑えて笑っていた。
「一枚くらいなら大目に見よう。気にするな」
「そんな…」
「そうよ、食事は美味しくいただくものよ。お気になさらないで」
私の実両親の言葉にテオは納得がいかないようで困ったように眉尻を下げていた。
「……昔は我が家もこんな風にゆっくりお行儀よく食べる余裕もなかったんだ。アステリアの無事がわかって、娘の夫も交えてこうして食卓を囲めることが私は何よりも嬉しく思っているんだよ」
父上の言葉にテオはぴくりと肩を揺らした。
彼らが苦労して今の生活を取り戻したことを知っているからだ。戦争らしい戦争というものを知らないテオだけど、それが想像を絶するものだと理解しているのだろう。
「たくさん召し上がってね」
「…ありがとうございます」
流石に貴族相手に無礼講というわけには行かないけども、テオは少しだけ肩の力を抜いていた。
しかし完全に気を抜けたかといえば、嘘になる。
お部屋でも落ち着かない様子でソワソワしていたが、お風呂場でもたくさんの石鹸とかボトルに入った謎の液体があって、どれ使えばいいのかわからなかったと困った顔をしていて……テオの気持ちがものすごくよくわかった。
いざ就寝となるとふかふか過ぎるベッドに落ち着かない様子で寝付けないようだった。何度も何度も寝返りを打っていたので安心させようと私が両腕で抱きしめてあげると、「嫁さんの実家でそういう気分になれない」と断られた。
別に私は夜のお誘いをしたわけじゃないのに、失礼なやつである。
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