能力を限界まで使うと、術者は衰弱するのだと先生に教えてもらったことがある。
幸い、私は休息をとったら元に戻るタイプだけど、中にはその生命を削るタイプの人もいるらしい。
例えば、時間を止める術者の中にはその人の体内の時間までも止めてしまうタイプもいるので、体に負担が来やすいとか。……他には、生命力を他人に分け与えるタイプの能力者もその限りじゃないって……
「藤ちゃん、藤ちゃん」
誰かが私を呼んでいる。
目覚めたいけど体が鉛のように重くて、冷たい。まぶたすら重しが乗せられているようにずっしり重いのだ。
…体はこんなにも寒いのに、左手はやけに温かいな……。
「……」
力を振り絞って目を開けると、そこには涙目の沙羅ちゃんの姿があった。
私はカーテンに仕切られた場所に寝かされていた。腕には点滴が刺されており、なんだかデジャブである。あの日と同じく病院に搬送されたようである。
「藤ちゃん…!」
「……さら、ちゃん?」
自分から出たのはカラッカラの掠れ声だ。一瞬誰の声かと思ったぞ。
沙羅ちゃんはハッとした顔をして、サイドテーブルに置かれていた水差しのコップを取ると、何も入っていないそれを両手で握りしめた。
私は横目で何をしているんだろうと見ていたのだが、コップの中に不思議な波動が集中して水が発生する瞬間を目の当たりにしてしまった。
「これ飲んで。すぐに良くなる」
「あ、ありがとう…」
電動ベッドを起こされ、私は沙羅ちゃんに支えられながらコップに入った命の水…奇跡の神水と呼ばれるそれを口にした。
喉を通過する前からただの水じゃないってわかった。冷えていた体がポカポカ温まり、先程まであんなに重かったはずの体が驚くほど軽くなったのだ。
「…すごい。楽になった」
「良かった」
沙羅ちゃんはホッとした顔で微笑んでいた。
これが、奇跡の巫女姫による神の水…。沙羅ちゃんが特別視される理由がよくわかった。……そんな貴重なものを飲ませてもらっても良かったのだろうか…
「──沙羅」
「!」
カーテンの向こうから声。
沙羅ちゃんは先程までの笑顔から一変して、顔をこわばらせていた。
「駄目じゃないか、授業をサボっては」
中にいる私への問いかけもなく、雑な動作で開けられたカーテン。そこから現れたのはハゲたおじさんだった。
私としては誰だこの人って感じなのだが、ハゲたおじさんは私など眼中になく、怯えて震えている沙羅ちゃんの華奢な肩を芋虫のような指で撫でていた。
「校長先生…」
「沙羅、むやみに神水を出してはいけないよ。どこで悪用されるかわからない……」
校長。あぁ、中等部校長か。
……なんか生徒との距離近すぎない? 高等部の校長先生はこんな距離なしじゃなかったぞ。
私が変な顔をしているのに気づいていないのか、中等部校長は沙羅ちゃんを嗜めるような発言をする。
「沙羅、授業に戻りなさい。ここは病院だ、心配することない」
「……はい」
沙羅ちゃんは青ざめた表情のまま、私に「お大事に、藤ちゃん」と泣きそうな声で声をかけると小走りで病室を飛び出していった。この場から逃げたいと言うより、この中等部校長から離れたいみたいな感じの逃げ方である。
…異様だ。
目の前の中等部校長の放つ雰囲気が異様すぎて、私は緊張していた。相手の一挙一動から目を離せなかった。沙羅ちゃんの気持ちもわからんでもない。
顔と首の境目の怪しい中等部校長の視線が私の目と交わると、背筋がゾッとした。
生理的嫌悪と言うよりも、野生の勘的ななにかだ。
「……高等部に編入してきた……オオタさんだったかな?」
「大武です」
一文字足りないね、惜しい。
相手は愛想よく話しかけているつもりなのだろうが、先程から私の中で警報が鳴り響いている。なんか嫌な感じがするのだ。
「問題児の暴走から沙羅を庇ってくれたのには礼を言おう。……だが、君はもう少し身の程を知るべきだな」
「……何がですか?」
察しの悪い生徒だと思われたのだろうか。相手は私をバカにするような目で見下ろしてきた。
こいつも巫女姫親衛隊と同じ考えの持ち主なんだろ。校長には生徒たちの交友に口出しする権利でもあるってのか。
「ありふれたPK能力の君が、奇跡の巫女姫と呼ばれる沙羅と友人なんて……釣り合わないと思わないかね? 私は君のためを思って忠告してあげているんだよ?」
「そのことでしたら色んな人に言われ続けたので重々承知の上ですよ。ご心配いただかなくても、私と沙羅ちゃんは大丈夫です。少なくとも、私は沙羅ちゃんと平等な友人だと思っていますんで」
沙羅ちゃんは確かにすごい。それはわかっている。私が友達なんて烏滸がましいなとも思ったことだってある。
だけど周りが決めた評価で交友をやめるってのはなんか違うと思うんだ。
私の反抗的な言葉に気を害したのか、下手くそな笑顔を作っていた中等部校長の目が鋭く光った。
「…私は確かに忠告したぞ。あとになって後悔しても知らないからな」
彼は冷たく吐き捨てると、踵を返して病室を出ていった。相手からしたら生意気な生徒と思われてるんだろうが、こっちも傲慢な校長だなって感じたぞ。
大体、生徒のことを問題児呼びって…教師としてそれどうなのよ。確かに間違ってないけど、教師がそれ言ったらいけないと思うんですけど……流石に戌井が可哀想だ。
カッとなって反抗したのはいいけど、私結構すごいこと言っちゃったんじゃないかなと我に返ったのはそれから30分後のことであった。
■□■
「顔色がだいぶ良くなったね、良かった」
「沙羅ちゃんがお水を飲ませてくれたの。そしたらあっという間に回復しちゃった」
ぱっくりいっていたはずの腕の怪我も跡形もなく消え去ったよ。と報告すると、お見舞いに来てくれた日色君がぎょっとした顔をしていた。
「巫女姫が!? 命の水を出したの!?」
「うん。…まずかった?」
「いや…彼女の意志で出したのなら…人を助けるためだし、水月さんは大武さんに庇われたこともあるから問題はないと思うけど……そっか…」
そう納得させるように呟くと、日色君は息を吐き出して心を落ち着かせているようであった。
正当な理由なき能力の行使は許されない。
沙羅ちゃんの場合はどうだったかはわからないが、私はこうして全回復できたのでだいぶ助かっているけど……あれで彼女の立場が悪くなるならちょっと困るな…でも水飲んじゃったもん。
「大武さんは彼女に信頼されているんだね、きっと」
「そうかな?」
「じゃなきゃあの能力を使ったりしないよ。…あ、そうだこれクリーニングから返ってきたから、代わりに持ってきたんだけど…」
日色君に手渡されたのは紙袋だ。クリーニング…というと制服であろうか?
取り出したそれは私のセーラー服。過酷な受験勉強を乗り切って苦労して入学した高校の制服である。それが……外の世界と私を繋ぐ、大事な制服の袖部分がぱっくり破けていたのだ。
「なんとか血液汚れは落ちたけど、袖部分が破けてて」
「のぉぉぉおお!!! 私の制服が!」
私が発狂したことに日色君がビクッと驚いていたが、彼に構ってあげられる余裕がなかった。
割れたお皿で怪我した時に制服も一緒に切り裂いてしまったんだ! なんてことだ。あの時はそれどころじゃなかったけど、そんな、こんな……
「お、大武さん」
「受験乗り切って入学した高校の制服なのに。めっちゃ勉強したの、入学一週間で転校したけどさ! あんまりだよ!!」
私は制服を抱きしめておんおん泣いた。
誰が悪いとかじゃない。運が悪かった。仕方のなかったことだって私もわかっていた。
だけどやっぱりショックだった。
クリーニング屋さんは頑張って血液汚れを落としてくれたんだろうし、日色君が気遣ってくれているのもちゃんと理解していた。
それでも悲しみのほうが深かった。
「お直し専用の業者さんにお願いしよう、ね?」
…あまりにも嘆く私を哀れんだ日色君がそっと宥めてくれた。彼は私の制服をお直しのお店に持っていって手配してくれたのだ。
──本当はその時点で、注文していた学校の制服が出来上がって寮に届けられているという報告をしようとしていたのに、日色君は私の気持ちを慮ってくれたのだ。
後で小鳥遊さんにそれを知らされた私は、日色君に迷惑をかけてしまったなと猛省した。
数日後、破れた箇所が全くわからないくらいキレイに修繕された私のセーラー服が手元に帰って来た。
新たな制服ができたなら、このセーラー服に用はない。それでも私にとってこの制服は大切なものなのだ。この制服に腕を通した時の誇らしい気持ちは今でも鮮明に覚えている。
「ありがとう日色君」
私は制服を抱きしめると、持ってきてくれた日色君に感謝の気持ちを伝えた。
彼は「どういたしまして」と言って、照れくさそうにあのおひさまの笑顔で笑い返してくれたのだ。