太陽のデイジー | ナノ
屋根裏からこんにちは
外の物音に耳を澄ませていた。なのに自分の心臓の音がやけにうるさくて気が散る。
敵が入ってきたらためらいなく殴る。殴って倒したらここから脱走する…!
椅子の背もたれを握った私の手のひらは手汗がすごかった。だけど決して手放さない。こんな場所で諦めてたまるか…!
──カタン、
どこからか漏れ聞こえた音に私はビクリと反応する。外? どこから今の音が…!
目を皿のようにして周囲を見渡す。
誰だ、どこにいる。探している間も心臓の音がやかましくて、雑音に感じてきた。
「──あ、やっぱりデイジーだ」
場違いな女の子の声に私はぎょっとする。私がバッと顔を上げると、天井板の隙間から目がこちらを覗き込んでいた。その子はガタガタと天井板を外すとひょこっと顔を表したのだ。
薄汚れた顔、ざんばらに切られた髪。彼女は還らずの森で出会ったハルベリオンの少女。
「…キッカ…?」
「なにしてるの? なんか城内が騒がしいけど…」
まさかこんな状況でキッカと再会するとは思わなかった。私もそうだけどキッカも何しているんだろう…城の天井裏が今の住居なの…?
「キッ……だ?」
どこからかぼそぼそと男性の声が聞こえてきて私はぎくりとする。その声の主はキッカとともに天井裏にいるみたいだ。
「キッカ、おねがい。ここでは魔封じされて魔力が使えないの。脱走したいから助けてくれないかな!?」
この降って湧いたような機会を逃すわけにはいかない。私は彼女に救いを求める。
「いいよ」
渋る可能性も考えたのだが、彼女はあっさり快諾した。
持っていた椅子に乗ると、彼女と一緒にいた男性が天井裏から身を乗り出して腕を伸ばしてくれた。私はためらわずにその手を取る。ぐいっと体を持ち上げられ、私は天井裏に乗り上がった。
埃っぽい匂いが広がる天井裏は暗かった。それでもあの部屋にいるよりも天井裏のほうが余程安心だ。
天井板をもとの位置に戻すと、彼らの誘導に従ってそこから遠ざかる。四つん這いになって進む際、音を立てないようにしているが、ギシギシと天井板が軋む音がする。前を進んでいる2人はどうやって進んでるの? 全然音立ててないんだけど……。
「びっくりしたよ、金目のものはないかなって、天井裏から物色していたらデイジーがおっかない顔して部屋に突っ立ってるんだもん」
ずっと黙々と進んでいたのに、とある位置でキッカが口を開いた。話しても大丈夫なのかと思ったけど、「ここなら話しても大丈夫だよ」と返された。
天井裏にも安全な場所と危険な位置があるらしく、ここは安全地帯みたいだ。
「いやぁ…母国にハルベリオンの軍勢が攻めてきてね……それで私はハルベリオン陥落作戦に参加して…」
途中まで言って私は止めた。
仮にも目の前にいるのはハルベリオン国民だ。そんな人達に攻め入ってきましたというのは少々酷であろう。
「へぇ、そうなんだ。…来るときが来たって感じだね」
あっさりである。
隣にいる男性はキッカのお兄さんだと言うが彼も世間話を聞いているみたいな反応で、全然衝撃もなにも感じ取れない。
「この国が潰れてくれたら、どさくさに紛れて母さんの国に帰れる。願ったり叶ったりだ」
キッカたちはこの国に愛着なんてものはないらしい。
ここから逃げられるなら、こうして盗みを繰り返す生活をしなくても生きていけるなら、そうしたいとばかりに。
「あんたがくれた薬のお陰で母さんは元気になったんだ。今では杖をつきながら歩けるくらいに回復してさ。今の状態ならあたしたち3人で母さんの母国に帰れる」
あんたにはお礼しなきゃと考えていたけど、ここで借りを返せてよかった。とキッカは笑った。
「…いいの? ここはキッカの」
「恨みこそあれ、ハルベリオンに味方する義理はないね。くそオヤジごと切り捨ててやる…ねぇ兄貴」
キッカが同意を求めると、お兄さんは深く頷いていた。国民にそこまで思われるとか……いや、思われても仕方ないか。
「助けられるのはここまでだけど、頑張って。あたしらはうまくやるから心配しないでよ」
どさくさに紛れて金目のもの盗んでから城を抜け出すわと言ってキッカ達兄妹は手慣れた様子で姿を消し去った。
うーん。たくましい。
彼女くらいたくましく生きなくては駄目だなと先程まで弱気になっていた自分を叱咤した。
私はとりあえず仲間と合流しようと、天井下の気配を探った。耳をつけて音を探すと、パタパタと複数の足音が聞こえてきた。
『アステリアは…』
漏れ聞こえてきたその単語に私ははっとする。天井板を剥がそうとするがここは硬い。開けられる場所を探っていると、その物音に彼らが気づいた。
「何奴!」
鋭い声が飛んできてしまった。
ガコン、と音を立てて天井板を外すと、
私はそこからひょこっと顔を出す。
階下にはディーデリヒさん並びにフォルクヴァルツの魔術師達があんぐりした顔をしていた。
「やっぱりディーデリヒさん」
「あ、アステリア……?」
私は天井裏から降りようとした。するとディーデリヒさんが腕を伸ばして私の身体を支えてくれたので、無事着地できた。
私は天井裏にいたせいで蜘蛛の巣とかホコリまみれでとても汚らしい見た目になっているはずだ。なのにディーデリヒさんはそんな事気にせずに私をハグしてきた。
実兄であるディーデリヒさんに抱きしめられたのはこれがはじめて。
私は驚いて固まっていた。
「何もなかったな? 無事で良かった…」
いつも一歩下がって、私が困ったときに助け船を出すディーデリヒさんはよくわからない人だった。
厳しいところもあって、私を育ててくれた兄さんたちのような気軽さが全く無い。私達は血がつながっている兄妹なのに距離があった。私のことをどう思ってるんだろうなと不思議に思っていたんだけど……
普段は表情をあまり変えずに落ち着いて貴族然としている彼の身体は震えていた。「よかった、本当によかった」と繰り返し、ぎゅううと私を苦しいくらいに抱きしめてくる。
「母が毒薬なんて渡していたから、早まって飲んでしまったのではないかとヒヤヒヤした」
それに私は飲みかけた、とは言えずに、ははは、と笑って誤魔化した。
周りにいた味方の魔術師たちも「お怪我はありませんか?」「誰に何をされたんですか?」と口々に心配してくる。
「学生時代にちょっと反感買ってた相手がハルベリオンに寝返ってたらしく…たまたま私を見つけたから、嫌がらせに性奴隷にしようとしたみたいです」
嘘ついても仕方ないので正直に言うと、ブワッと重々しい魔力の圧が降り掛かってきた。
「ディーデリヒ様、お気持ちはわかりますが、抑えてください」
どうやらディーデリヒさんが感情を抑えきれず魔力放出したみたいである。
自分のことのように怒ってくれるとは思わず再度びっくりしたけど、今はこうして呑気におしゃべりする暇はない。先を急ごう。
「大丈夫です、なんともありません。助けてもらいましたから」
「誰に?」
彼の問いかけに私は笑った。
「幼馴染にもらった乳歯と、旅してる時に出会ったハルベリオンの女の子とそのお兄さんです」
私の答えを聞いた彼らは『乳歯?』と首を傾げていたが、私はそれを放置して伝書鳩を飛ばした。
敵に捕まったけど、なんとか現場から抜け出して兄たちと合流したので、彼らと行動を共にすると仲間たちへ伝言を飛ばした。
■□■
私は仲間たちと連絡を取り合いながら、ディーデリヒさん並びにフォルクヴァルツ勢と行動をともにした。
「先程フレッカー様ともお会いした。彼は武器庫を破壊してくると言っていた」
フレッカー卿もこの城のどこかで戦ってるのか。武器庫を狙ったのは、この作戦を長期戦に持ち込まぬよう…ってところだろうか。
「恐らくもう終わっているはずだ。様子を見に行こう」
ディーデリヒさんの言葉に従って、フレッカー卿を探しに行く。
フレッカー卿は魔術師として優秀な人だと聞いている。きっと余裕で武器庫を破壊し終えてるはずと私は思い込んでいた。
──しかしそれは現場に到着して、認識が甘かったと悟る。
煙を吐き出している武器庫の中で、恩師の変わり果てた姿を見つけた私は冷や汗をかいた。
「フレッカー卿!」
「…やぁ、マック君。ちょっとヘマしてしまったよ」
私が彼に飛びつくと、彼は力なく応えた。大量出血で顔色が悪い。彼の右足は膝から下が切断されたように吹っ飛んでいた。自分で治癒魔法を掛けた直後らしく、なんとか出血は止めたようだ。しかし、吹っ飛んでしまった足はミンチ状態になってしまい、元には戻せない状態。
こうなっては治癒魔法を使ったとしても、恩師の右足は治せない。私は言葉を無くして固まっていた。
辺りに広がる血の鉄さびの匂いと、粉塵の匂いに、自分の身体が恐怖で震え始めた。
「…また会ったな、フォルクヴァルツの娘よ」
その声に私はバッと顔を上げる。
「…フェアラート…!」
そこにいたのは私が決着をつけるべき相手だった。余裕綽々の表情でこちらを舐め回すように見つめる宿敵。
「お前がフレッカー卿の足をこんな風にしたのか!」
「私はただ、城に入り込んできたネズミを始末しただけ。何も悪いことはしていない」
おちょくるような言い方に私は歯噛みする。確かに侵入してきたのは私達。私達のしてることは戦争である。
「私はいいから、君は君のすべきことを」
フレッカー卿はそう言って、私を送り出そうとする。足手まといになりたくないのだろう。
彼は先に戦線離脱すると言って、どこかへと転送していった。安全な場所に移動したのだろう。恩師のことが気がかりであったが、目の前にいる男を見逃すわけにはいかない。
一瞬の隙ですら命取りになる。
「…我に従う火の元素たちよ、焼き尽くせ!」
「風の元素たちよ、切り裂け」
私が呪文を唱えた直後にフェアラートも唱えた。フェアラートの切り裂き呪文は広範囲に影響し、私とともに行動していたフォルクヴァルツ勢の肌を切り裂いた。
ぶしゃっと目の前で血しぶきが弾ける。
「大丈夫です! 若様、姫様、我らは後方支援をいたします!」
傷ついた仲間にすぐさま治癒魔法を掛けて、すぐさま戦闘態勢に入ったフォルクヴァルツ勢。
彼らもこの戦いが要になるとわかっているのだろう。私達フォルクヴァルツ兄妹の宿敵との戦いの邪魔にならぬよう、後方を守ってくれると言う。
「お前たち兄妹の首をもいで、親に送りつけるのもまた一興」
昏い瞳で恍惚とした表情を浮かべる男は異様だった。フェアラートは人を傷つけても一切戸惑わない。多分、人を殺すことになんの躊躇いもないのだ。
私もその気で臨まなければ。
殺さなきゃ、殺される。
目の前の外道に堕ちた魔術師を倒さなければ、私達の悪夢は終わらない。
自分の手を汚したとしても自分の正義を貫くしか、今は生き抜くすべがないのだ。