転生の輪へ
扉に向かって亡者たちが一人ずつ進んでいた。大きな扉が開け放され、その中に亡者は吸い込まれるようにして消えていく。
へぇ、転生の輪ってあんな感じなのか。扉の向こうは光に溢れて、眩しくて中の様子は窺えない。
私はどんな人間に生まれ変わるんだろうか。もしかしたら男かな? 更に外国人に生まれたりして。…それならバレーの強い国に生まれたいな。
転生待ちだった亡者が光の中へとひとり、またひとりと消えていく。その列に続いて光の射す方へ一歩一歩進んでいた私だったけど、それを阻止するかのように何者かにガシッと二の腕を掴まれた。
「えっ…?」
「…見つけた…笑さん」
「……なんでここにいるの…?」
私の腕を掴んだのは、ここにいるはずのないエリカちゃんだった。彼女は見慣れた英学院の制服姿だが…どうやってここまで辿り着いたのであろうか。以前私が死んだ直後に花畑で出会った時も思ったけど……まさかエリカちゃんまで死んだとかないよね?
私はまさか最後の最後で彼女と会うことになるとは思わず、呆然とエリカちゃんを見下ろしていたのだが、彼女は真剣な表情で矢継ぎ早に話しだした。
「笑さん、戻って」
「はぁ? …何を言っているのエリカちゃん…私は死んだ人間なんだよ? 戻れるわけがないでしょ」
私は何故ここにいるのかを尋ねたのに、エリカちゃんは頓珍漢なことを言ってきた。戻れって…私に地縛霊になれって言いたいのか。
「駄目なのよ。私はあなたの代わりにはなれない。現世にはあなたを待っている人がいるの」
「……エリカちゃん?」
「私には無理! あなたみたいには生きられない、私には耐えられないの!!」
彼女の目には逃避願望のようなものが透けて見えた。
もしかしたらエリカちゃんも私が感じた疎外感のようなものを味わったのだろうか。…私が、エリカちゃんの振りをしないで思うがまま行動してきたのが、彼女にとって重荷になってしまったのであろうか…
良かれと思っていたことが…悪い方に進んでしまったの…?
「…エリカちゃん、私が好き勝手過ごしたから、その弊害が出てるのかもしれない。それはごめんね」
「なら戻って! あなたはこのまま死ぬべきじゃないの! みんなあなたを捜している…私には無理なの!」
だけど、だめだ。
私は彼女の人生を奪うことは望んでいない。私は他人の身体で生き続けたいなんて思わない。
もう未練もなにもない、転生の輪に入って次の人生を歩むと決まっているのだ。たとえ、現世で親しかった人たちが私のことで悲しんでも、私にはどうしようもない事なんだ。何も出来ないのだから。
それに、いつまでも逃げ続けるのはよくない。…彼女は変わらなくてはならないのだ。他でもない自分のために。
「…無理じゃないよ。私だってあの環境の中、手探り状態で過ごしてきた。エリカちゃん…今から自分に合う環境を作ればいいよ。私だってそうしてきたもん。エリカちゃんにも出来るよ」
「でも皆は笑さんを捜しているわ! 私は必要とされていないの…! 私が生きるよりもあなたが生きてくれたほうがきっと皆も嬉しいはずよ」
そんな事ないよ。二階堂パパママがどれだけエリカちゃんを心配していたか知らないの? 伯父さんやお祖父さんだって心配してたよ? 慎悟だって当初は嫌味ばかりだったけど、あれはアレで心配していたんだよ。
…亡者である私が生きていたらまずいから、こうして元通りに戻されたというのに、何を言っているの。私は私でしかない。エリカちゃんの代わりにはなれないというのに。
「いい加減にして! 私は死んだ人間なんだよ! 何度言えばわかってくれるの!?」
エリカちゃんの言い分に苛ついた私はついつい声を荒らげてしまった。それにエリカちゃんは驚いた様子で固まってしまった。
自分が勝手にエリカちゃんを庇って死んだのだ。私には彼女を責める資格なんてない。だけど、庇ったとはいえ、私は殺されて死にたかった訳じゃなかった。生きたかったんだよ。
私が勝手にした事とはいえ、体を張って助けた命を簡単に放棄しないで欲しい。
「…いつまでそうやってウジウジして、自分の殻に閉じこもっているつもりなの?」
私の厳しい指摘にエリカちゃんはその大きな瞳を見開いた。その目にじわじわと涙が滲み、今にも溢れてきそうになっていた。…それには私の良心が傷んだ。
だけど、言わなきゃ。
私が最期にできるあなたへのアドバイスを。
「エリカちゃんにも悩みがあると思うよ。…学校でも色々あったし…いくら恵まれたお嬢様でもそれなりの悩みがあるって、私は察してた」
だけど、それに負けてしまうのは勿体無いと思うのだ。誰だって悩みはある。悩みながら挫けながらもみんな生きている。苦しいのはエリカちゃんだけではないのだ。
「…でもね、いつまでも身を縮めて、嫌なものから目をそらしてないで…いい加減悲劇のヒロインぶるのはやめなよ」
「…悲劇の、ヒロイン…?」
「もっと強くなりなよ、自分のために。自分を守れるのは最終的には自分だけなんだよ」
私の言葉を受けて茫然自失としたエリカちゃんは、ハラハラと涙を流していた。
彼女は絶望したような顔をしているけれど、何も絶望することはない。エリカちゃんはまだやり直せる。お嬢様として生きるのはそれなりの苦労はあるだろうけど、エリカちゃんの味方になってくれそうな人はいるの。
「…エリカちゃんは自分には味方なんかいないと思っているだろうけどね、助けを求めたら救いの手を差し伸べてくれる人はいるの。困ったときは声を上げてもいいの…勇気を出して」
エリカちゃんは可愛いし、頭もいいし、お淑やかで女の子らしい。お家はお金持ちだから特有のしがらみがあっても、環境は恵まれてる。
パパママが忙しくて、家族関係がギクシャクしていても、それは今からでも改善できるし、縁戚の慎悟はエリカちゃんを気にかけている。
決してひとりじゃないんだよ。
「エリカちゃんには可能性がある。…だって生きているんだもん。……私は…もう死んでしまったから、何も出来ないけど…」
…未練がないなんて本当は嘘。本当はまだ生きたかった。
エリカちゃんが羨ましくて仕方がない。どんなに苦しくても私は大好きな家族や友達のいる現世で生きたかった。
だけどそんな事は言わない。エリカちゃんの心を迷わせるだけだとわかっていたから。
ここでスッキリお別れをしよう。
「…私ね、これから転生するの」
「えっ…」
「あの扉の中に入って…私は生まれ変わるの」
私は転生の輪の扉を指し示した。エリカちゃんは私の指が指し示す先を目で追って、呆然としている。
「閻魔大王がね、次の生でも大好きなバレーが出来るように優遇してくれたんだ! …エリカちゃんはもう私のことは気にしなくていいんだよ!」
「……」
「私は生まれ変わって、新しい生を謳歌する。だから、エリカちゃんは生きて…縁があればまた会えるよ」
私は諭すように彼女にそう言い聞かせた。私は死んで無になるんじゃない。生まれ変わって次の人生を歩むのだ。なのでエリカちゃんはエリカちゃんの人生を歩んで欲しい。
すると彼女は更にボロボロと涙をこぼした。自嘲するかのように表情を歪め、苦しそうに泣きじゃくっていた。
「…あなたが、私の身体に入る前から私はあそこでは異物だった。そうよ、あなたが簡単に成し得ることを私は一切できなかったわ」
「えっ…何言っているのエリカちゃん」
そんなことはないだろう。エリカちゃん、久々に戻って環境の変化についていけなかっただけだよ…私だって最初からうまく行ったわけじゃないんだよ? 色々大変だったんだよ?
「私の世界は倫也さんだった……私は、彼さえいたら何も要らなかったの…! このまま生きて、どうするの? あの女と倫也さんが親しげなのを私は見続けなくてはならないの!?」
エリカちゃんは感情を高ぶらせて私に訴えた。
そんな事私に言われましても。とは思ったけど、失恋の辛さはわかる。私だってユキ兄ちゃんに失恋した。その上自分が泣ける場所を失ってしまったから、失恋の辛さはわかる。
だけど、エリカちゃんならまた新しい恋ができる。だって生きているのだもの。宝生氏よりもいい男性と出会って幸せな恋が出来る可能性はあるのだ。それにお祖父さんの後ろ盾もゲットしたんだよ?
そんな悲観しなくても大丈夫だよ。
「…失恋は辛いよね。失恋するのはエリカちゃんだけじゃないよ。エリカちゃんは今まで視野が狭すぎたんだよ。これを機に、もっと周りを見よう?」
「嫌なの! 私には倫也さんだけがいたらそれで良かったのに! どうしてあの女なの! 私の何がいけなかったの! 私のほうが倫也さんのことを好きなのに!!」
周りに見ず知らずの亡者がいることもお構いなしにエリカちゃんは泣きわめいた。当然のことながら、亡者たちはこちらを興味津々に眺めている。私は彼女を泣き止ませようと声をかけるが、彼女は癇癪を起こしたかのように泣きわめくだけだ。
…思ったんだけど、エリカちゃんはこうして感情を表に出せなかったのではないかな。多忙の両親に気を遣ってわがままを言えず、周りの人の顔色を窺っているうちに、感情表現が出来ない子になったんじゃないのかな? 感情を表に出せる居場所があれば、もっと人付き合いも上手く行っただろうし、もっと社交的になれていた気がする。
「…エリカちゃん」
「ハイ次。後がつかえるから早く入ってね」
「あ…」
エリカちゃんとやり取りしている間に自分の番になってしまったようだ。後ろ髪引かれる思いだが、最早ここまで。
「…エリカちゃん、思ったことを素直に吐き出せる相手が見つかると良いね。私はエリカちゃんの幸せを願ってるよ…元気でね」
私にできることはもうない。
後は彼女が彼女自身の足で立ち上がるだけだ。
私は彼女へ餞別の言葉をかけると、ゆっくり歩みだした。
光が、私の身体を照らす。
もう私は松戸笑じゃなくなるのかと考えると寂しくなるけど、これで良いんだ。全て元通りになる。それが正しいのだ。
…さようなら、私。
「だめっ!」
「ファッ!?」
転生の門を踏み超えて、その先へと進もうとした私だが、後ろからすごい力で身体を引かれた。
ドテッ
その反動で私は転倒して、尻をしたたかに打った。
「おぉぉん…」
痛い…お尻が2つに割れる…腰まで痛い…舌抜いた時そんな痛くなかったのに、転けたら痛いってなんなの…
うめき声をあげながら腰をさすっていると「あれま…さっきの子が転生の輪に入っちゃったよ…」と転生誘導係の鬼の兄さんが呟いていた。
「…はぁっ!?」
「どうするかなぁ…戻ってこれねぇよ。あの子」
「……あの子、多分生者なんですけど…」
「うーん…」
鬼が後頭部をガシガシ掻きながら困った顔をしていた。そして「閻魔大王に相談するしかない」とボヤき、私は参考人として閻魔大王のいる裁判庁へと出廷する羽目になった。
…あれ、転生は?
■□■
転生の輪に入ったらもう戻れないのが通例だ。毎日大勢の命が生まれ、死にゆくため、その中からエリカちゃんの魂を探し出すのは大変困難を極めるそうだ。一応捜すのは捜したけど、彼女の魂は見つからなかったらしい。なので捜索を断念することになったそうだ。
生者がここまで入り込むのがそもそも異例で、これからの地獄の在り方を話し合わなければならないと地獄では大騒ぎになった。
これって不祥事扱いになるのであろうか…
そしてやっぱりエリカちゃんはまだ死んではいなかった。死亡時期が記録されている閻魔帳にもエリカちゃんは平均寿命近くまで生きる予定だった。…その魂が転生の輪に入った=魂がリサイクルされてしまった。そこが問題だった。
浄玻璃の鏡という、現世の様子が映せる魔法の鏡には、病室で眠っているエリカちゃんの姿が映っていた。今のエリカちゃんは所謂…身体は生きているから脳死ならぬ魂死(?)状態である。
1年以上、肉体から魂が離れた状態だったエリカちゃんの魂はまだまだ身体に定着しておらず、ちょっとのショックで剥がれやすかったのだとか…鬼たちが神妙な顔で話し合っているのが聞こえてきた。
えぇー…それならアロンアル○ァ的なモノでくっつけておきなよ…セメダ○ンでもいいけどさ…。
どうすんのこれ。折角エリカちゃん戻ったのに…二階堂パパママが泣くぞ。
「松戸笑君…」
「あ、はい」
頭痛がひどいのか、ずっと頭を抱えた状態の閻魔大王が重々しい声で私の名を呼んだ。…まさかとばっちりで私が怒られてしまうのだろうか?
私は何もしてないのよ? むしろ生者であるエリカちゃんに邪魔されたんだよ? なんなら側にいた亡者に証言を…あ、でももう私の後ろにいた人は転生の輪に入ってしまったかも…
「…君に折り入って頼みがある」
「……頼みとは…」
お叱りじゃなかったみたい。良かった。閻魔大王の緊張が伝染って、私まで緊張してしまったよ。
頼みというのは…エリカちゃんを捜してこい的な? せいぜいそんな頼みだろうと想定していた。
閻魔大王はすうっと息を大きく吸うと、ゆっくり、わかりやすく、ハッキリとこう言った。
「…二階堂エリカとして、寿命を全うしてほしい」
「………は?」
…閻魔大王の口から聞かされた信じがたい言葉に、私は限界まで目と口を開いて驚愕したのであった。