お嬢様なんて柄じゃない | ナノ さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。

異物の私【二階堂エリカ視点】



「エリカ、ご飯食べに行こ」
「あ…はい…」
「…あんたどうしたの? こないだから何処かおかしいね。人が変わったみたい」

 山本さんの鋭い指摘に私はぎくりと顔をこわばらせてしまった。相手は探るような目でマジマジと見つめてくる。その目に耐えきれずに私はそっと目をそらした。

「大好きなバレーが出来ないから元気がないのではないでしょうか」
「でも病気は怖いですし…もう少しの辛抱ですよ、二階堂様」

 他の人にフォローされたが、私はバレーボールなんてこれっぽっちも興味がない。…別に、バレーが出来ないから元気がないのではなくて、これが私の通常なのだ。
 …笑さんは一体何者なのだろうか。
 この学校はセレブ生・一般生で大まかに分別され、その二者間は複雑な関係である。…特に特待生である一般生は実力でのし上がったプライドがあるから尚更、選民思想のあるセレブ生と確執があるというのに…
 スポーツ特待生の山本ひかりと、学年トップを維持し続ける特待生の幹早智…そして私と同じセレブ生に枠組みされている阿南千鶴の組み合わせ。
 …とっても浮いている。
 私が現世に復帰して以降、この3人と行動することが多かったが…私は笑さんではないので、彼女たちと一緒にいることがとても息苦しくて仕方がなかった。
 笑さんの言う通り、彼女たちが悪い人ではないとはわかる。だけどそれとこれとは別問題なのだ。

「うーん…なんかそういうのじゃなくて…いつもならバレーしたいって念仏のように唱えているのにそれがないし……前のエリカを見ているみたい」
「!」
「まぁまぁ、あんな場面で倒れてしまったから少々消沈していらっしゃるだけだと思いますよ。二階堂様、お気になさらずとも、バレー部の皆様は心配はしていても、二階堂様を責めたりはしておりませんからね」

 阿南さんがカバーしてくれるが、そうじゃない。でも本当の事を言っても信じてもらえないだろうし……
 笑さんも最初はずっとこんな状態だったのだろうか? 見ず知らずの環境に置かれた彼女も、自分ではない別人として地道にやってきてようやく馴染んだのだろうか……
 …そう考えると、彼女は強い人間なのだなと痛感した。同じ人間なのにこうも違う。
 彼女はバレーボールが好きで、将来を期待されていた選手だという。実際にこの高校のバレー部のレギュラーに抜擢されたそうだ。私の体でそこまで出来るなんて…きっと彼女は努力の人なのだろう。
 あんなにも熱中できることがあったから、彼女は強いのだろうか?

 ……私が彼女のようになにかに没頭したことは果たしてあっただろうか? 義務感で続けていた習い事も勉強も全て、倫也さんのために頑張ってきただけ。
 …私にはなにもない…




「二階堂さん、今帰り?」

 その声が聞こえた瞬間、全身の毛穴が開いた気がした。笑さんが忠告を残してくれていたからだろうか。それとも私の本能が相手を警戒しているのだろうか。

「…そ、そう…駐車場に家の車が迎えに来てるからもう行くわ」
「…そっか。気をつけて帰ってね」

 にこやかに声を掛けてきた相手に対して、私はきっと引きつった表情をしているだろう。なんで私なんかに執着しているんだろう。笑さんが上杉君に言われたのは、お淑やかでおとなしい私を好んでいるということ。
 そんな人、あちこちにいるしどうして私なの。……好きだって言うなら、どうして私の立場を危ういものにさせようとするのよ。理解できないわ。

「…あ、二階堂さん、髪にゴミが付いてるよ」

 上杉君に呼び止められた私は立ち止まって振り返った。すぐに振り返ったことを後悔した。あぁ、私は馬鹿だ…逃げろと言われているのに…なんで立ち止まっちゃうの…
 上杉君は私の頭に向けて手を伸ばしてきた。その時には私の足は恐怖で竦んで動かなくなってしまっていた。相手の手が伸びてきて、私の短くなった髪に触れ…私は恐怖でギュッと目をつぶった。

「笑!」
「!」

 背後から肩を捕まれ、私は肩をビクリと震えさせた。目の前にいる上杉君も驚いた様子で、私の背後にいるであろう人物を見ていた。
 振り返ってみると、そこには他校の制服を来た長身の女の子が立っていた。…私の知らない人だわ。彼女は安心した様子で私を見下ろしていた。

「……あの?」

 私が誰だろうこの人とぽかんとしていると、彼女は徐々に訝しげな表情に変わり、そして…

「…あんた…二階堂、エリカ…さん?」
「…そうです」

 彼女からの問いに頷くと、彼女は泣きそうに顔を歪めていた。私の顔をまじまじ見て、悲しそうな顔をするとガックリしていた。

「……お友達、ですか? あの、笑さんは…」
「…笑、いなくなっちゃったのね」
「あ、ちょっと」

 もうそれだけで悟ってしまったらしい。
 そうなれば私には用がないらしい。彼女はくるりと踵を返すと、この場から立ち去っていこうとする。
 私は彼女を引き留めようとした。だけど…引き留めてどうするんだ? 
 彼女にとって、私は笑さんが命を落とした原因だ。いくら笑さんが【自分が勝手にやったことだから気にしてないよ】と言ってくれても、周りはそうじゃない。
 …そういえば笑さんが使用していたスマートフォンは電源が切れたまま放置していた。私が触るわけには行かないし、そもそも暗証番号がわからないから触れない。だから放置していたけど、もしかしたら笑さんを心配している人達から連絡が入っているのかもしれない。

 ……誠心高校はあの事件が起きたバス停のちょっと離れた位置にある。あそこからわざわざ英学院のある隣市まで来たのであろうか。…笑さんのことを心配して…もしかしたらこの人もバレーをしているのだろうか。そのチームメイト?
 …彼女が私を憎んでいても仕方がない。声を掛けたら罵倒されるかもしれないと思うと、私はなにも出来なかった。そもそも私が何を言うというのだ。
 もやもやしながら迷いに迷っている間に、彼女はこの場から姿を消していた。

 人が行き交う英学院と駐車場の間にある大通りで私はぽつんと突っ立っていた。

 後ろで私の背中を意味ありげに見つめている上杉君の存在を忘れて。


■■■■■


 私は今まで、倫也さんの妻として恥ずかしくないように学業の他に、習い事に力を入れていた。…だけどそれはもう無駄になってしまった。
 お正月に二階堂のお祖父様から「他に好きな人ができたら後押しする」との言葉をもらったと連絡日記に書かれていたけれど、私には何も響かなかった。

『俺にいっつもくっついてきて鬱陶しいんだよお前! 女友達の一人もいない根暗なお前みたいな女誰が好きになるんだよ!』 

 あれは彼の本音だったのだろう。私が瑞沢姫乃をいじめたなんてデマが流れずとも、彼はきっと私のことを鬱陶しいと思っていたに違いない。
 学校の廊下で彼とすれ違っても、もう赤の他人のような反応しかされない。私を軽蔑したようなあの目で見られないけれど、本当に私に関心がないのだなと思うととても辛くなる。 

「あっ二階堂さぁん、もう心臓は大丈夫なのぉ?」
「……」

 …笑さん、どうして瑞沢姫乃を手懐けたの?
 私はこの甘ったるい声が苦手だ。何度この声に煩わされたことだろうか。瑞沢姫乃の声から逃れるように横を通り過ぎて逃げると、後ろから相手がキャンキャン喚く声が聞こえたが無視だ。あぁうるさい。イライラする。
 …笑さんが日記に書いていた。瑞沢姫乃はどこか欠落していて相手の立場になって考えられない部分があるのだろうって。…だからって……

「…エリカ、夢子うるさいけど放っておいていいの?」
「…あの子は苦手なの…」
「うん、それは知ってるけど、いつもあんた何かしら塩対応してるからさ。無視なんてらしくないと思って」

 山本さんにそう言われたが、それは笑さんがやったのであって、私ではない。そう言いたいのに言えない。それがどうにも歯痒かった。
 私は彼女の疑問の眼差しから逃れるために、お手洗いに行くと言って彼女たちから離れた。

 ザーッと蛇口から流れる水が排水口に吸い込まれていくのを見つめていた私はゆっくりと顔を上げた。手洗い場の鏡に映った、暗い顔をしている自分をぼんやりと眺める。
 …私の体なのに、私の体じゃない感じがする。話し掛けられても、私じゃない別の人間に話し掛けられているような感じがして気持ちが悪い…
 私はどうしたら良いのだろう。笑さんのように我を通して自分らしさを貫き通す? それとも…笑さんのように振る舞う?
 
「あぁら、二階堂さんじゃありませんか」
「死にかけたと聞きましたけど、随分元気そうじゃないの」
「お元気そうで何よりだわ」

 考え事をしていた私に声を掛けてきたのは慎悟さんの取り巻きの女の子たちだ。櫻木さん、祭田さん、烏杜さんが高飛車な態度で話しかけてきた。
 笑さんは彼女達のことを加納ガールズと命名していた。どうやら彼女達の名前を覚えていないようだった。憑依している期間中、彼女達に絡まれることが多くて大変だったそうだ。…彼女達は私にも「慎悟さんに迷惑を掛けるな」と注意してきたことがあるが、言われたのはそれだけであった。今になって粘着してきたのは…きっと慎悟さんが笑さんに惹かれているのを察知したからなのかしら?

「ところで、慎悟様が応援に来ていらしたらしいけど……あなた、どういう手を使ったの?」
「えっ…?」

 …応援…笑さんのインターハイ試合のことだろうか。……確かに私も少し驚いている。バレーなんてこれっぽっちも興味のない慎悟さんが単独で応援に行くなんて思っても見なかったから。
 だけど、応援に行くと決めたのは彼だろう。何故私が…笑さんが何かしたかのような言い方をするのか……どっと疲れた気分になって、無意識にため息が出ていた。

「まぁ、ため息なんてなんて失礼な人なのでしょう!」
「あなた口では慎悟様に興味ないと言っておきながら、ちゃっかり美味しいとこ取りして卑怯ですわよ!」
「女狐…」

 姦しく騒ぐ彼女たちの声がお手洗いに反響して耳に障る。あぁ、面倒くさい。…彼女たち、私を囲んで文句言う暇があるなら大好きな慎悟さんに媚を売っていたら良いのに。こんな事して慎悟さんに好かれるとでも思っているの?
 ましてや、慎悟さんが好意を寄せていた笑さんに対してそんな事言って……慎悟さんが自分の想いを自覚しているのかは知らないけど、私だったらこんな事している人嫌だわ。悔しいのはわかるけど…そんな事したら好きな人に嫌われるのは想像つくでしょう?

「…そうですわね、私達も二階堂様に負けてはいられませんわね?」
「あ、あなた…」
「丸山乙葉です。…慎悟様がこの事を知ったらどうなりますかしら? …多勢でひとりに食って掛かるって…あんまり、賢くはございませんわよ?」
「……」

 用を済ませた様子の丸山さん…中高一貫の女子校に通っていたはずの彼女がこの学校にいる理由は、笑さんに教えてもらったから知っているけど…そんなにも慎悟さんのことが好きなのかと驚いたわ。…彼の何処がいいのかしら。
 丸山さんは手洗い場で手を洗いながら、コロコロと笑っていた。

「あ、あなただって悔しいでしょう!?」
「私は正々堂々と勝ちに行くつもりなので、卑怯な真似はしないと決めておりますの」

 丸山さんはハンカチで手を拭きながら毅然とした態度で言った。その目に迷いはなく、三人が怯む様子が見て取れた。
 ……なるほど。笑さんが丸山さんを応援したいと言っていた意味がわかった。気持ちはわかるけど…笑さんも大概鈍い人ね。慎悟さんが気の毒に思えてきたわ。

 この4人は私…二階堂エリカに向けて宣戦布告をしているのだろうが、実際には松戸笑さんに対する宣戦布告だ。私に言われても困るのだけど…
 私はまるで他人事のように彼女たちのやり取りを眺めていた。





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