久々の学校と再会。【二階堂エリカ視点】
私が病院に入院中、二階堂の伯父夫妻がやってきて色々と世話をしてくれた。…海外出張に行っている両親はどうしても帰国が難しくて、ノートパソコンを使ってのテレビ電話で話しただけ。
私が戻ってきたことに両親は嬉しそうな様子だったけど……2人はやっぱり私のそばに居てくれないのね、私よりも仕事のほうが大事なのね、と私はどこかで諦めていた。久々に会えたのに、テレビ電話の向こうにいる両親の姿を他人のように眺めていたのだ。
夏休み中、私は身内以外と会うことはなかった。自分が使っていたスマートフォンは休止した状態だそうだが、それは二階堂の家に保管されてある。…手元にあっても誰かと連絡するわけじゃないけれど。
…パスワードのわからない彼女のスマートフォンを触るわけにも行かず、電池が切れた状態のまま放置していた。
夏休みも終盤となると、ようやく退院の許可が出た。とはいえ心臓マッサージされた際に負傷した肋骨のヒビはまだ治っていない。心臓も経過観察中なので、地元の病院に転院という形でしばらく通院となる。
…夏休みが終わると2学期が始まる。私はそのまま、久々の学校へと登校することになった。正直あまり行きたくはなかったけど、彼女からの連絡日記に【あなたの名誉は挽回できたと思います】と書かれていたので……彼女の善意を無駄にはしてはいけないと思ったから。
…彼女、松戸笑さんは……どんな人だったのかしら。…どんな風に学校で過ごしていたのかしら…?
8月も下旬に入った頃に学校は新学期に入った。
私は久々に英学院の門をくぐることとなった。久しぶりの学校は変わらないようで、特段懐かしいとも感じなかった。私自身が高等部に二月も通っていなかったからであろうか。
「エリカ! もう大丈夫なの!?」
入門ゲートを通過したその直後、長身の女子生徒から声を掛けられたので、私はびっくりして肩を揺らした。彼女はこちらに駆け寄ってくると心配そうに私を見下ろしていた。
…笑さんの友達? えぇと、誰だったかしら…見たことあるような…ないような…
「…どうしたの? まだ具合が悪いんじゃ」
「え…と、」
【私の友達はとてもいい子達だからきっとエリカちゃんとも仲良くしてくれるし、力になってくれるよ】
と彼女の文字が語っていたけど…
「保健室行く? キツいなら学校休んで静養してたほうがいいんじゃない? どうせしばらくバレーできないんでしょ?」
「……あ…」
なにか言わなきゃいけない。…なんだけど、声が出ない。
だって私はいつも1人だった。こんな時どんな返事をすればいいのかわからない。しかも彼女は笑さんにとって友達でも、私にとっては知らない人だ。
…私の世界は倫也さんだけだったから。
青ざめて口ごもる私を気分が悪いのだと勝手に判断した長身の少女は、私の肩を抱いて「ほら行くよ」と促してきた。私はその手を振り払うことも、大丈夫だからと返事することも出来ずに保健室へと連れて行かれた。
後で様子を見に来るからと言い残して彼女は保健室から出ていった。彼女は誰だったのだろう…笑さんと特別仲のいい…背の高い、バレー部の山本さんかしら?
保健室の教諭には少し休んでいなさいと言われた。私は保健室のベッドで横になると、布団に潜って身体を胎児のように丸めた。
その日から始まった学校生活は私にとってストレスの連続だった。別にいじめられるとか、針のむしろにされたわけじゃない。
……だけど、二階堂エリカの姿をした別人に対して向けられた周りの視線に私は息苦しくなっていた。
「二階堂さんおはよう。もう身体大丈夫なの?」
「えっ……あ、えぇ…おはよう……」
(誰この人…)
人の良さそうな笑みを浮かべて、フレンドリーに声を掛けてきた男子生徒。どこかで見たような気がするけど…私は学校の生徒の顔と名前を全然覚えていないから…誰が誰だかわからない。彼の制服のネクタイの色から同じ学年ということはわかるのだけど…誰だったかしら。
笑さんからの連絡日記に書かれた情報を思い出そうと頭を巡らせている間ずっと、目の前にいた男子生徒はマジマジと私の顔を観察していたようだ。バチッと目が合うと、彼は人が良さそうな笑みから、捕食者のような笑みに変わった。
それを目の当たりにした私はゾワッと全身鳥肌を立てた。これはなんだろう、危険だと何かが警告しているかのよう。
【上杉という男に気をつけて! エリカちゃんを陥れて、手に入れようとしているから】
そうだ、笑さんが赤ペンを使って警告文を書いていた。もしかしたらこの人が…
私は震えそうな声を抑えながら、相手に問いかけた。
「う、上杉…君?」
「…二階堂さん、夏休みが終わってまた人が変わったみたいだね…僕はそっちの二階堂さんのほうが好きだけど…」
私に向かって、彼の手がヌッと伸びてきた。逃げなきゃいけない。だけど私の足は恐怖で固まっており、動けずにいた。笑さんは迷わず逃げろと警告してくれていたのに。
私の立場が悪くなったのは複数の人間の企みが重なって、ああいう結果になったと説明してくれた。誰が何をしたか、今はこういう状況と事細かに書き記してくれていたけど……怖い。
私の手には負えない…!
あと少しで彼の手が私の頬に触れそうになった所で、彼と私の間に誰かが割り込んできてそれを妨害した。
「上杉。エリカに近づくなと言っただろう」
「…またお守役か」
固まっていた私を庇うのは黒い背中…男子のブレザーの制服だ。見上げるとそこには慎悟さんがいた。
「おいエリカ行くぞ」
「えっ」
慎悟さんは乱暴な動作で私の腕を引っ張ると、スタスタと歩きだした。こっちの歩調も考えずに先を行くものだから私はつんのめりながら追いかけていく。彼のこういう所も苦手だ。こっちのペースも考えずに動く所が。
だけど…助けてくれたのよね? 一応。
「慎悟さん、今の人」
私が何を問いたいのか、すぐに察したようだ。慎悟さんは吐き捨てるように返事を返してきた。
「笑さんですら手に負えない相手だ。お前ならすぐに捕まってしまうぞ。あいつに関わるな」
「…笑さんが残した日記に書かれていたわ。…あの人が上杉君というのね」
私が今まで話したことのない相手……何故、私が瑞沢姫乃をイジメたように見せかけたのかしら。…私に対して好意を向けていると笑さんがメッセージを残してくれていたけれど、好意があるなら何故そんな事をする必要が? …わからないわ…
「…お前の立場を危ういものにさせて、この学校で完全に孤立させ、弱った所を手に入れようとしていたらしい。…笑さんの見立てではな」
そう呟いた彼は私を通じて、遠くにいる誰かを見つめているようだった。…慎悟さんは笑さんと親しかったのだろうか。笑さんはどうか知らないけど、少なからずとも慎悟さんは彼女に好意を抱いていたのだと感じる。
この学校で私の中にいた笑さんのことを知っているのは慎悟さんだけ。日記にもそう書かれていた。笑さんと慎悟さんのやり取りも所々でメモされていた。
「上杉のやっていた事もどうかと思うけどな、お前の態度も悪化した理由のひとつなんだよ」
「えっ…」
「だから交友関係を結んで味方を作れと忠告したのに」
私が考え事をしていると慎悟さんはそう呟き、諦めた様子で1人で廊下を歩き始めた。
…いつもそう。私は慎悟さんみたいにはできないの。同じ物差しで測らないでほしいわ。…簡単に言わないで。
「倫也君、おはよぉ」
私は彼の後ろをついていくような形で教室に向かって歩き始めたのだが、その途中であの耳障りな甘ったるい声が耳に届いた。
私のクラスの隣のクラス内にあの女がいたのだ。瑞沢姫乃は相変わらずのようだ。倫也さんだけでなく、他にも男性を侍らしているそうだが…どんな理由があったにしても、私が彼女を許すことはない。
……私の冤罪が晴れたのなら、倫也さんも私が悪くないって知っているってことでしょ? …またやり直してくれる可能性があるってことじゃないの?
なのに何故?
倫也さん、どうしてその子に笑いかけているの? 私はあなたのそんな笑顔を見たことがない。
ずっと一緒にいたのに。5歳で婚約者になったときからずっと。
ジン、と目頭が熱くなってきた。私は今見たものを振り切るようにして顔を背けると、自分のクラスに入っていった。
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学校での出来事に加えて、今までまともに会話しなかった運転手から移動中ずっと声を掛けられ、ストレスを感じていた私はフラフラと家に帰宅した。…笑さん…親しくなりすぎよ。運転手の娘さんへのプレゼントのアドバイスなんてしてたの? 返答に困ってしまったじゃないの…
「エリカ!」
「! …お母様、帰国にはまだ時間が掛かるんじゃ」
「私だけ先に帰国したのよ。あぁ良かった! どうなることかと」
玄関のドアを開けると満面の笑みを浮かべた母に出迎えられた。母が抱きついてきたので、私は驚いて固まっていた。…今まで母が私を抱きしめたことなんてあっただろうか?
「あなたが戻ってきたと言うなら、えっちゃんは今度こそ逝けたのね。…きっとえっちゃんはインターハイに出られて満足だったでしょうね」
「……」
“えっちゃん”
母と笑さんは友好的な関係だったようだ。
私と母よりも、笑さんのほうが仲良く見える。母は…私の意思で与えたとはいえ娘の身体に憑依した人物に好意的なのか…
母が私の帰還を喜んでいるのは分かった。だけど私はそっちのほうが気になってしまって、あまり嬉しく思えなかった。
…あの人は私とは何もかも違うんだな。
私があの人の立場なら……絶対に同じ行動は出来ない。
なんであの人はできるのだろうか。私が二階堂ではなく、あの人の松戸家のような一般家庭に生まれたら同じような事が出来たのだろうか?
……私を庇わなければ、笑さんはまだ生きていたのに。
私があのバス停に降りなければ…事件に巻き込まれるはずはなかった。
慎悟さんの言うとおりに友人を作ったり、きちんと人付き合いをしていたら、倫也さんは私を見限らなかった? …私はただ、倫也さんさえ傍にいたらそれだけで良かったのに。
何故こうなってしまったのだろうか。
その後も母がなにか言っていたけど、私は生返事を返すだけだった。