お嬢様なんて柄じゃない | ナノ お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。

源氏物語の世界へようこそ! 紫の上がおもてなし致します。



『加納様、折り入ってお願いがあるのですが!』

 あの日の放課後、慎悟を呼び止めたのは顔を真っ赤にしたクラスメイトの女の子だった。彼女は慎悟を見上げてなにやらもじもじしていた。
 私はてっきり告白かなと思ったんだけど、実際は違った。

『文化祭2日目の時、役柄を交代していただけませんか!?』

 彼女が言うには、2日目の文化祭で好きな人が来店するから衣装を交換してほしい! と言うことであった。
 彼女の役柄は夕霧。光源氏の正妻・葵の上の息子である。彼女曰く好きな人にはキレイな姿を見せたいから、どうしても女性モノを身に着けたいらしい。
 そこで藤壺の宮に女装する予定の慎悟に頼みに来たと言うわけだ。

 くじを作ったクラス委員長はくじのやり直しは許可しなかった。しかし、役のチェンジは禁止していない。
 それに気づいた慎悟は初日も誰かと衣装交換してもらおうと動いたが、男装希望の女子しか居らず……初日は泣く泣く女装したという結果だ。


■□■


 2日目の文化祭の朝、今日も早番の私は紫の上のコスプレをして裏方の開店準備を手伝っていた。そこに遅れて教室へ入ってきた貴公子の姿を見て固まってしまった。
 …それはクラスメイトたちも同様である。皆、息を呑んで彼を見つめていた。昨日の衣装もみんなの注目を集めていたけど、藤壺の宮の衣装とはまた雰囲気が変わる。多分この店の中でも目立つんじゃないかな……朱雀帝のぴかりんと人気争いすることになるかも。

「…光源氏を名乗ってもなんら問題ないよ…めっちゃカッコいい…」

 直衣衣装の色は緑色…浅葱色っていうのかな? この衣装の色には階級の意味があるらしいけど詳しくはよくわかんない。だけどよく似合っている。
 なんだ、絶世の美人が絶世の美男子になっただけか。色気倍増で肉食系女子専用誘蛾灯がパワーアップしてしまったぞ。どうするんだこれ。
 私が素直な感想を述べると、夕霧姿の慎悟は頬を赤くして口ごもっていた。恥ずかしいのだろうか? 良かったじゃないか女装せずに済んで。

「やだなぁ、光源氏は僕だよ?」
「さて、もうすぐ開店時間だね。スタンバイしよっか!」

 何やら光源氏(※上杉)が横から口出ししてきたけど、私は何も聞こえなかったふりをした。
 今日は上杉の相手をしている暇はないのだ。なんたって二階堂のお祖父さんがやって来るのだ。そっちに集中したい。
 私が慎悟の手を取ると、慎悟はその手を握り返してきた。目を合わせるだけで「頑張ろう」と意思疎通できた気がした。


 本日の巻き毛はおとなしい。
 実は昨日の放課後、慎悟が事情を話してお願いしたそうだ。私はその現場に居合わせていないけど、なにやらひと悶着あったらしい。
 だが、慎悟に頭を下げられたら、巻き毛もこれ以上我を通せなかったようである。彼女たちには酷な事をさせてしまっているな。
 ……とは言っても私に向ける嫉妬の視線はもちろんのこと、夕霧姿の慎悟に熱い視線を向けるのは平常通りだ。
 巻き毛達の立場なら私のことをよく思わないのはわかるんだ。だけど私にも譲れないものがある。
 すまん、加納ガールズたち。



 2日目の文化祭が開始された。入場検査を受けて、待機していた招待客が一斉に校舎へ入場してきた。
 源氏物語カフェには評判を聞きつけたお客さんが入ってくる。続々指名が入り、接客担当はホスト役に徹した。
 うちのお店では飲食したお客さんに限り、一枚千円でチェキ撮影を承っている。そして撮影会トップ争いをしているのは予想通り、慎悟と男装の麗人ぴかりんだ。ふたりとも別に競っているわけじゃないけど、さっきからずっと撮影している。なんだこれアイドルの握手会か何かか?
 ……やっぱりこれミスキャストなんじゃないかな。この2人が光源氏だったほうが良かったんじゃ…

「いらっしゃいませ!」
 
 盛況の源氏物語カフェには待ち時間が発生している。10時過ぎた時点で店の外には行列ができていた。
 そこへ新たに来店してきた客へ視線を向けると、そこには待ち構えていた人物…二階堂家の当主であるお祖父さんがいた。私は接客していたお客さんに一言断ってから席を外す。着物の裾を軽く持ち上げると、小走りで駆け寄った。

「いらっしゃいませお祖父様!」

 ここからが本番だ。私は気合を入れてお出迎えをした。
 私の紫の上コスが本格的だったからか、それとも孫娘の姿に鈴子お祖母さんの姿を見出したのかは知らないけど、お祖父さんはいつもの厳しい顔ではなく、白昼夢を見ていたかのように呆然としていた。

「お祖父様? どうぞこちらのお席へ」
「あ、あぁ…」

 お祖父さんを席に通すと、お品書きを手渡した。お祖父さんはそれをざっと見た後に、教室をしげしげと見渡していた。
 この英学院は二階堂パパママの母校だ。だけどお祖父さん本人はバリバリの庶民出身。公立高校に通っていたらしい。大学は国立だったそうで……私学が物珍しいのであろうか。
 公立校といえば、公立高校に在学していた私と多分話が合うだろうけど、エリカちゃんは知らないことなので語れないなぁ。残念。
 …お祖父さんもこの学校の独特の派閥や風習を知ったら困惑するんじゃないかなーと思うけど、慣れたら平気になっちゃうよ。慣れって怖い。

 お祖父さんから注文を受けて一旦席を外した私が裏方にオーダーしていると、お祖父さんが座っているお座敷に一人の貴公子が緊張の面持ちで挨拶をしていた。

「…二階堂様、先日ぶりでございます」

 お祖父さんは声を掛けてきた彼を見て、目を丸くしていた。衣装マジックのせいで見違えたのかな。

「…加納君か。これはまた随分色男な……光源氏か?」
「いえ、夕霧です」
「夕霧か。私の細君…エリカの祖母が好きな登場人物だな。彼女は大学で古典を専攻していてとても詳しかったんだ。古典は小難しくて私にはサッパリだがな」
「そうだったのですね」
  
 お、好印象じゃない? 夕霧が鈴子お祖母さんの好きなキャラクターだったのか。素敵な偶然だ。
 
「彼、女装姿もとても綺麗だったんですよ!」

 お茶を持って戻ってきた私は、いつものような軽口を叩いた。
 距離を縮めるためにお祖父さんとの会話に花を咲かせようと思っていたのだが、慎悟には失言に受け取られたようだ。軽く睨まれちゃった。

「女装?」

 お祖父さんは興味深そうにしていた。私はフォローを交えながら、どれだけ慎悟の女装姿が綺麗だったかを熱弁した。

「本当は慎悟さん、絶世の美女役だったんです。今日は人に頼まれて衣装チェンジしたんですけど……昨日の彼、すっごい美人だったんですよ!」
「おい…」
「女として負けたと思う以前に本当に美人で、本当にファビュ…マーベラスで。私が男だったらクラッと行ってしまっていると思います!」

 私が熱弁すればするほど、お祖父さんは目を丸くし、慎悟は死んだ目をする。なぜだ、私は慎悟の美しさを褒め讃えたんだぞ。何故そんな今にも倒れそうな顔色をするのか。
 恥ずかしくない、女装をしても慎悟は慎悟だ! 胸を張れ! そなたは美しい!

「…仲がいいんだな」

 ふっと口元を緩めて、お祖父さんは微笑んでいた。

「なに、私も学生時代に強制で女装をさせられたことがある。加納君だけではないさ。気にすることはない」
「……はい」
 
 ほらー、恥ずかしくないじゃないの。慎悟は細かいこと気にし過ぎだよ。
 なのに慎悟はグラウンドを5周した後みたいに疲れた顔をしていた。緊張疲れかな。

「ちなみに何の役どころだったんだ?」
「藤壺の宮ですよ! 紫の上の叔母さんで…托卵した人ですよね!」

 無理やりとはいえ、義理息子との不貞で授かった子を帝の子として育てる藤壺の宮も結構神経図太いよなぁと思った。源氏物語は読めば読むほど、収拾のつかない愛憎物語で私には合わなかったなぁ…
 藤壺の宮=托卵した人。
 私としてはピンポイントな人物紹介をしたつもりだったけど、お祖父さんの顔は何故かこわばっていた。

「あ、あの…すみません。私の表現の仕方がまずかったでしょうか…?」

 私の言い回しが悪かったのかなと今になって気になった。お祖父さんの顔色をうかがったが、お祖父さんはハッとした様子で首を横に振っていた。
 きっと私の言葉選びが悪かったんだ。
 ついつい地が出ちゃうな。失敗失敗。
 しかし托卵をセレブ風に表現するとなんて言えばいいのか。

 私の失言で変な空気になってしまったので、会話を変えようと別の話題を振った。

「ところでお祖父様、記念に写真を撮りませんか?」
「写真?」
「はい! きっといい記念になりますよ!」

 私はお祖父さんの手を引いて、一緒に撮影した。受け取った写真を可愛くしてあげようとデコレーションペンで絵を描こうとしたら「絵はやめておけ」と慎悟が釘を差してきた。
 うさぎさんを描くだけだよ。何も恐ろしいことはないよ。失礼なやつだな。
 慎悟が止めてくるので、何も書かずにその写真をお祖父さんに渡した。お祖父さんは無言でそれを眺めていた。心なしかお祖父さんの目元が優しく緩んだように見える。

 お祖父さんにとって鈴子お祖母さんとの思い出の写真は一枚だけ。結婚する以前の写真であれば鈴子お祖母さんの生家に残っていたそうだけど、鈴子お祖母さんのご両親は既に鬼籍。葬儀の後バタバタしている間にその写真も身内の人が他のものとまとめて処分してしまったらしい。
 ……お祖父さんの手帳に挟まれた写真しか残っていないのだ。

 中の人である私は鈴子お祖母さんじゃない、元は他人だ。そして今は孫娘という立場。
 そうだとしてもだ。生き写しの孫娘とのツーショット写真だとしても、お祖父さんの思い出になればいいなと思ったのだ。 
 
「おい、そこにいるのって…慎悟か?」

 私とお祖父さんが写真を見てほんわかしていると、そこに水を差す人間が現れた。

「泰弘…兄さん」

 慎悟がその人物をその瞳に映すと、秀麗な顔を苦々しげに歪めていた。そして心の底から嫌そうな声で相手の名を呼んでいた。
 “ヤスヒロ”
 その名前に聞き覚えがあった。……確か、慎悟が苦手にしている母方の従兄の名前…だったはず。
 私は声のした方へ視線を向けた。


 従兄弟と言っても、絶対に似るわけではない。
 私達松戸姉弟とユキ兄ちゃんだってあまり似ていなかったし、エリカちゃんと従兄妹の皆さん方も全然似ていない。

 その人も、慎悟とは全く似ていなかった。
 人形のように整った顔立ちの慎悟とは違って、全体的に派手な顔立ちのその人は……言っては悪いが、ちょっと意地が悪そうに見えた。何ていうか慎悟を見下しているのを隠していないんだ。
 慎悟も親戚との間に事情があるのかな、と私は複雑な気持ちになった。予想はしていたけど、仲が悪いんだね…

 慎悟の従兄であろう、“ヤスヒロ”さんは慎悟の格好をまじまじ見て、皮肉げに笑っていた。あ、その嫌味混じりな笑い方、ちょびっと慎悟に似てるかも…意外な共通点である。
 慎悟は不機嫌そうに相手を睨みつけているが、相手はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべるのみ。慎悟が嫌がっていることに気づいているけど、慎悟の反応がオモシロイと思っているのかな…

 “ヤスヒロ”さんはその視界に入っていたであろう私に、なんとなしにチラリと視線を向けて……

 くっきりした二重の瞳を大きく見開いて、頬をカッと赤らめていたのである。



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mokuji
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