変化していく。
私はコートの中でガクリと項垂れていた。
「………」
「ごめん……エリカ…」
「な、ナイスファイトですわ! 二階堂様!」
試合は終了。私達は3回戦敗退となってしまった。これで対戦相手だった3年生は決勝戦に進むことになる。
うん、負けちゃったのは仕方ないよ……うんわかってる。…でも決勝まで進みたかったな…もっとボールを打ちたかった…
「二階堂様、私達力になれませんでした…申し訳ございません」
阿南さんがしょんぼりした様子で謝ってきた。貴女が悪いわけじゃない。みんな、慣れない中でよく頑張ってくれたもの。
「そんなことないよ。みんなはよく頑張ってくれた……負けたのは主にぴかりんが腑抜けていたせいだし」
「だからごめんってば!!」
慌てて謝罪してきたぴかりんだが、私は彼女に対しては腹を立てていた。
「…コートの外にバレーよりも面白いものがあったんでしょ。これが大会とかだったら私、マジでキレてたからね」
「ごめん…」
ぴかりんの不調だけが原因とは言えないが、あの後もぴかりんは腑抜けたプレイを連発していて、私はイライラしていた。
「…なんで集中しなかったの? ただの学校行事だからどうでもいいって思ってた?」
「違うよ! ……本当にごめん」
何に気を取られていたのかは知らないが、理由を話されても言い訳にしかならないし、もう負けてしまったからどうでもいい。
とりあえずチームメイト全員に謝ってくれ。…だから私は言ったじゃん。集中できないなら阿南さんとポジション代わってくれって。
私は深いため息を吐くと、踵を返した。
「エリカ!」
「…頭冷やしてくる」
駄目だ。このままじゃぴかりんに当たり散らしてしまいそうだ。一旦クールダウンをしたほうが良い。
所詮クラスマッチといえど、私はバレーに関しては本気だ。これが素人なら仕方がないねと心の整理ができたが、相手はバレー部生であるぴかりん。バレーが好きな同士だ。だからイライラが収まらなかった。
だってぴかりんは初対面の時、私に似た事を言ってきたじゃないか。だから尚更だ。
冷静になるためにチームメイト達から離れて、体育館を出ると体育館脇にある水飲み場で水を飲んだ。試合で汗をかいていたから水が美味しく感じる。ここのウォーターサーバーはわざわざ外部からミネラルウォーターを発注しているらしい。金がもったいないから水道水でいいと思うんだけど。
満足するまで水を飲み、口元を手で拭っていると、「おい、エリカ」と背後から声を掛けられた。
それに反応して振り返るとそこには加納慎悟がいた。今日も小憎たらしい面をしている。
…何でこいつ体育館にいるんだろう。グラウンドでソフトボールしてるんじゃないの?
「お前の試合を見た」
「…あぁ……負けちゃったけどね」
そう言えば私こいつに『私の試合を見に来いや!』と言ったんだった。まさか本当に来るとは……
まさか試合に負けた私を笑いにでも来たんだろうか。負けは負けだ。笑われても仕方がない。どうせ「ほれ見たことか」と鼻で笑われるのだろう。
私はこれから奴に言われるであろう言葉を想定して構えていたのだが、加納慎悟は……
「…すごかった。…お前、本気だったんだな」
「………え?」
「お前があそこまで努力して、あんなに出来るようになっているとは思わなかった。…悪かったな、先入観だけで無理とか言って」
……え? なに急に……
加納慎悟の歩み寄りみたいな言葉を一瞬理解できなかった。
…これは、私をおだてるだけおだてておいて、後で奈落の底へと突き落とすつもりなのか…?
私が信じられないものを見るかのような表情をしていたのが気に触ったのか、加納慎悟はムッとして顔をしかめていた。
「なんだ。お前を見直したって言ってんだから、少しくらい嬉しそうな顔をしたらどうなんだ」
「……散々貶された後に褒められても素直に受け止められないというか」
「何だよそれ」
加納慎悟の眉間にシワが寄ってしまった。そんな顔したら綺麗な顔にシワができるよ。加納ガールズが嘆き悲しむから止めたほうが良い。
…今言われたことは一応褒め言葉として受け取っておくけど、なんか怖い。
「……お前は本当に変わったな。…まるで人格が入れ替わったかのようだ」
加納慎悟のその言葉に私はギクリとした。その通りなんだけどさ。
こいつとエリカちゃんは所謂幼馴染に近い縁戚なんだろう。だからあれだけエリカちゃんをディスっていた。
だけど何故エリカちゃんをそんなにディスるのだろう。自主性のないおとなしい女の子だったから? だけどそんな子いくらでもいるし、それも個性じゃないのか?
「えーと…私は……一度死んだようなものだからね。…松戸笑が生きられなかった明日を、後悔せずに生きると決めたの」
そう言って誤魔化すしか出来ない。
信頼関係のある人なら私が松戸笑であると暴露できるが、こいつはよく知らない相手だし、ホイホイ私の正体を現して電波扱いを受けるのも困る。
「…いいんじゃないのか? それでお前の気が済むなら。悪いことではないと思う」
「……」
「お前が本気なら俺はこれ以上何も言わない。頑張れるところまで頑張ってみたら良いさ」
加納慎悟はそう言うなり「じゃあな」と言って踵を返していった。私にそれだけを言うためにここに来たらしい。
…何だ加納慎悟ってば、話せばわかる奴なんじゃないか? 初対面は最悪だったけど…実は悪い奴じゃないのかも。宝生氏の件では庇ってくれたことだし。
……もしかしたら、憎まれ口を叩きつつも、エリカちゃんのことを本当は心配しているだけなのかも。
私はそのやり取りで加納慎悟に対する印象を改めた。
ちょっと面倒くさい取り巻きがいるから、必要以上には関わることは避けるけど、少なくともエリカちゃんの害にはならない相手だろうと判断した。
私は空を仰いで、雲が散らばる空をぼんやり眺めた。
今頃エリカちゃんはどこにいるんだろうか。外傷がなかったというのに魂を切り離すなんて簡単にできることなのだろうか。幽霊とか死後の世界とかまだまだ解明されていないことだから、説明のつかないこともあるだろう。
…私がそんな事を考えたところで解決することじゃないんだけどさ…溜息一つ吐くとその足を体育館に向けた。
今頃決勝戦が行われていることであろう。先輩方が戦っているのを観戦しに行くか。
「お、いたいた。二階堂ちょっといいか?」
「…? コーチ…に顧問の工藤先生?」
観戦しに行こうと思っていたが、その前に足止めを食らった。私を呼び止めたのは女子バレー部顧問の工藤先生と女子バレー部のコーチだ。
二人もクラスマッチを観に来たのだろうか。コーチに至っては外部委託のコーチなのに学校行事をわざわざ観に来たのか。
よくわからんが、彼らに誘導されて私は体育館のコートに舞い戻った。そこは試合が終わって空いたバレーコートだ。
隣のコートでは今正に決勝戦が行われており、皆そっちに集中している。数人の人がこっちの様子をチラチラ伺ってくるが、私も何してるのかよくわからない。
「いいか二階堂、そこからサーブしてみろ。自分のやりやすい型でいいから」
「? はぁ…」
「で、その後ボールをトスするから相手コートに向かってスパイクしてみろ」
「……わかりました…」
さっきの試合を見てなにか気になるところでもあったのであろうか。
バシッ
「もっとスナップきかせろ!」
「はいっ」
言われるがままやったらコーチに指導された。何度かトライさせられて、彼らの投球が終わった頃には額から汗が流れ落ちて、荒い息切れを起こしていた。
「…どう思います?」
「…育て方次第だな」
「…あの?」
「あ、もういいぞ。終わったから」
「へ…」
打たせるだけ打たせて、後はお払い箱らしい。終わったって何がよ。
なんなんだよ、こんだけ打たせたんだから目的くらい教えろよ。
私は何度かチラッチラッと二人を振り返ったが、二人はこっちを気にしちゃいない。
なんやねんと心のなかで突っ込みながらコートを出ると、そこにはぴかりんの姿が。今までの流れを見ていたらしい。
「…エリカ……さっきはごめん」
「……もういいよ。終わったことだし。でも今度やったらもっと怒るからね」
「うん…」
私はぴかりんの肩をポンポンと叩いて、もう気にしてないと告げる。だけど彼女の表情は浮かないまま。一体ぴかりんに何があったというのか。
「二階堂様、負けたのは残念でしたけど、私、とても楽しかったですわ。今までなにかに夢中になったことがなかったので…皆様でこうして団結できたことがとても楽しかったです」
「…そうだね。私も楽しかったよ。……私の指導に着いてきてくれてありがとう」
「私こそ、指導してくれてありがとうございました」
阿南さんにそう言われて、私はじぃん…と感動した。良かったぁ。楽しいと思ってくれたなら、教えた甲斐がある。
他のバレーメンバーの子たちもセレブ・一般生の垣根なく口々に感想を言っていた。きつかったけど、いい経験が出来たという感想を貰った。
自分の視界がじわりと滲むのに気づいたがそれを誤魔化すように、私はとある提案をした。
「あ、あのさ、今夜うちのチームの女の子たちで打ち上げしない? うちのパパのお店なんだけど、私の友達には安く提供してくれるって言われたんだ。帰りは送迎バスで送ってくれるし…」
二階堂パパは二階堂グループの飲食関連の会社を任されている。今度友達とお店に食べにおいでと言われたので、この機会に行ってみようと思うのだ。
あ、二階堂パパはお店にはいないよ、経営者側だからね。
「あ、でももしもお家が厳しいとかダイエット中なら無理しないでもいいよ!」
私の提案にみんなポカンとしていたが、大多数の人が参加してくれた。
参加できなかった人は門限が厳しく、お家の人の許可がもらえなかったからと残念がっていたが、折角クラスマッチをきっかけに仲良くなれたんだ。まだまだチャンスはある。今度みんなでランチをしようと誘っておいた。
女子バレーの決勝試合は勝負がついたらしく、先程私達が対戦した3年の元副部長たちのクラスが優勝していた。
全ての競技が決勝戦を終え、優勝チームが閉会式で表彰されているのを眺めていた。うちのクラスはどこも敗退していたので表彰はされていない。残念だがこんなこともある。それに何もなかったわけじゃない。
バレー以外つまらないと思っていたこの学校が少しだけ楽しくなる予感がしていた。
閉会式が終わって生徒達が校舎に戻っていく中、私は1−3女子バレーチームの打ち上げ参加者に聞こえるように声を張り上げた。
「じゃー今日打ち上げ参加する人は、着替えて帰る準備したら教室の後ろに集合してね!」
私達はクラスマッチの前よりも仲良くなっていた。一般生とかセレブ生という垣根はなく、同じコートで戦った仲間として距離が縮んでいた。
私がぴかりんや阿南さん達と笑顔で校舎に戻っていくのを加納慎悟が遠くから見ていたこと、そして、宝生氏も同じく私を見ていたことに私は全く気づいていなかったのだった。