エリカちゃんの顔を通して、誰を見ているのであろう?
「…お祖父さんが? 私と?」
突然だが、二階堂のお祖父さんが夕飯に誘ってきたそうだ。土曜日の夜に高級料亭にて夕飯を一緒にとのことである。
「そうなの。だから明後日は習い事はお休みして、部活が終わった後はまっすぐ帰ってきてくれないかしら」
「わかった…」
お祖父さんと最後に会ったのはお正月の集まり以来だ。あの時は私の受け答えの仕方がまずかったのか、挨拶は微妙な雰囲気で終わったので、ちょっと気にはなっていた。
加納家から縁談話を持ちかけてはいるが、二階堂のお祖父さんが首を縦に振ってくれないと慎悟が言っていたのを思い出す。そのことであろうか…?
「それでね、私も同席しようとは思うんだけど、仕事の関係で途中からの参加になりそうなのよ」
「あー…お祖父さんとはあまり話したことないけど悪い人じゃなさそうだし…多分大丈夫だよ、無理しなくても」
二階堂パパは前々から取引先との会食の予定があったため、どうしても外せない。代わりにママが同席してくれるというが、彼女も多忙の身だ。仕事をバタバタ片付けてから来るのは大変だろう。ちょうど新しい取引で今忙しいと話に聞いていた。
2人きりは気まずいっちゃ気まずいよ。しかし、お祖父さんは見た目が厳つくて怖いけど、中身は孫思いのいい人な気がするから、多分大丈夫だと思うんだよね。
私も子どもではないし、二階堂夫妻が不在でもなんとかなると思うのだ。ママは心配そうだが、私は1人で会ってくると返事した。
「服はどうしよう? 和服がいいかな?」
「そうねぇ…」
一応かしこまったほうが良いだろう。着物の上品オーラで私の隠しきれないガサツさをカバーするんだ。
マナー教養を学ぶようになって、少しはお嬢様の仮面を被れるようにはなったけど、完璧ではない。着物で目くらましするのだ…!
急遽二階堂ママと作戦会議を立てることになった。着物や持ち物、当日の注意などを事細かに説明された。
多分お祖父さんの目的は、私の交際相手の話じゃないかと睨んでいる。一度は婚約破棄をした孫娘だからこそ、念には念を入れているんじゃないだろうか。
しかし急な話だな。もうちょっと早めに言ってくれたら、お嬢様の仮面を強固に出来たはずなのに。
■□■
お祖父さんとの約束の土曜がやってきた。その日は言われたとおり、部活の後は寄り道せずにまっすぐ帰宅した。
初めて自分ひとりで着物の着付けをしたので少し不安だ。化粧やヘアメイクと違って、着物は普段着ないのでなかなか難しい。着付け教室では先生に見てもらいながら着付けをしたことがあるが、今日は先生がいないから……鏡で見た感じでは大丈夫そうだが、なんとか着崩れしないでいて欲しいところだ。
準備万端で到着したのは、見るからに一見さんお断りの高級料亭。
運転手さんにお店の前まで送ってもらったはいいが中に入るのに躊躇いが生まれて、私はまごついていた。だがいつまでもここにいても仕方がない。私は勇気を出して足を踏み入れた。
中に入ると、純和風の質素に見えて上品で雅な空間が広がっていた。派手ではないが、調度品の一つ一つが高級そう。
回れ右したくなったのはここだけの話である。
お店の人に名前を告げると、席まで案内してくれた。通されたのは個室。だけどお祖父さんはまだ到着していないようだ。
とりあえず下座の席に座ったのだが、席を見て不思議に思った。
用意されてある席が3人分あったのだ。
今日は私とお祖父さんの2人だけのはず。これはママの席なのかな? お祖父さんに不参加と言い忘れたのかなと考えていたら「失礼します、お連れ様がお見えでございます」と外から声を掛けられ、個室の襖が開かれた。
お祖父さんがやってきたのだ。半年ぶりのお祖父さんの姿を見た私は、背筋がしゃきっと伸びた。
「! お久しぶりですお祖父様」
私は慌てて立ち上がろうとしたが、着物のせいで動作がしにくい。私がもたついているとわかったのか、「楽にしなさい」とお祖父さんに声を掛けられてしまった。
私はササッと座り直す。お祖父さんは対面の上座に腰を下ろした。
お祖父さんの到着を合図として、料理が運ばれ始めた。懐石料理、西園寺さんとのお見合いのときに食べて以来だなぁ。
一品ずつ出てくる料理は机の上に乗っているお品書きに名前が書かれている。どうやら魚がたくさん出てくるようである。懐石料理は味よりも見た目を楽しむようなものっていうけど、美味しいよね。
私はお祖父さんに話しかけられるタイミングを伺いながら静かに食事をすすめた。
「…最近、学校はどうだエリカ」
「はい、残りわずかの高校生活を日々謳歌しております。2学期にはクラスマッチや文化祭がありますのでとても楽しみです」
あと春高予選ね。最後の最後なので、楽しみで仕方がないよ。
もうそろそろクラスマッチの競技決めが行われるであろうが、勿論私はバレー一択である。異論は認めない。
「そうか。大学はどうするんだ?」
「英学院大学部の経営学部に入りたいと考えております。パパ…お父様、お母様のお役に少しでも立てたらと思いまして…」
いけね、つい地が出てしまう。
エリカちゃんはお父様お母様呼びなんだよね。私は実の両親と区別するためにパパママ呼びしてるけど、いつまでもパパママ呼びは違和感があるから呼び方を変えたほうが良いのかな。
「…てっきり、お前は家政を学びに行くのかと思っていた」
「え? そうですか…?」
「…以前のお前なら、な」
お祖父さんの言葉にギクッとしたが、私はそれを表に出さぬよう堪えた。
エリカちゃんは才色兼備な子だったが、恐らく家業の手伝いより、夫を支えるイメージが強かったのだろう。
「まぁ色々あったから考えが変わってもおかしくはない。それにどんな科目であろうと学問を修めておいて損はないだろう」
「そうですね…」
だけどお祖父さんは深く考えて発言したわけじゃないらしい。事件とか婚約破棄というこの先の人生が大きく変わる出来事と遭遇したため、方向転換したと納得されていた。
「バレーは続けるのか? 何度か身体を悪くしたようだが」
「去年の不整脈以外は全て自分の管理不足での怪我なので問題ないです。バレーは社会人になっても続けたいと考えております」
バレーができなくなった日には、私は廃人になる自信がある。NOバレー、NOライフだ。
「…バレーは楽しいか?」
「楽しいです。バレーは私にとって大切なものなんです」
「……もしも、加納君がバレーを辞めてくれと言ってきたら、お前はどうする」
ここで慎悟の名前が出てきたので本題かと思ったら、バレーを辞めろと言われたらどうするだと?
そんなの、一択しかない。
「辞めません。…不整脈のことで彼には怖い思いをさせてしまったのは悪く思ってますけど…それで辞めてしまうのは何かが違うと思うんです」
そんな理由で辞めたら私は絶対に後悔するし、そのことでのちのち慎悟と仲違いする可能性だってある。
それに慎悟は言っていた。コートの中で生き生きしている私のことが好きだって。
「バレーは怖くない、楽しいものだと、彼にもわかってもらうまで頑張ります」
「…我を通して、別れを告げられることがあってもか?」
「彼とは約束しているんです。どちらかの命が尽きるまで一緒にいるって。慎悟さんには責任とってもらわなきゃなりません」
未来のことは全然わかんないけど、私は慎悟以外の男性と結婚する未来が全く想像できないのだ。もしも万が一破局したら、私は一生独身を貫くかもしれないと覚悟している。
私が現世にいる事自体が異例なのだ。
事情を知った他の人が絶対に理解を示すわけじゃない。たとえこの事情を話さなかったとしても、一生傍にいる人に隠し事をしたままでいるのは、だんだん私が息苦しくなってしまうと思うんだ。
それに、慎悟だから私は好きになったんだ。その手を離したりはしない。絶対に。
バレー云々は言われた時に対策を考えるよ。
「……そうか…」
「…お祖父様?」
お祖父さんはなんだか泣きそうな顔をしていた。
私は別に大層なことを言ったつもりはない。もしかしたらお祖父さんには引かれる発言だったのかな。
「あ、あの。私なんか間違った発言を」
「エリカ、お前は加納君のことを本当に好いているのだな。添い遂げたいと考えているんだな」
お祖父さんの目は何だか潤んでいるように見えた。……孫娘思いだなこの人は。二階堂家の当主である以前に、孫娘の意見を尊重しようとしてくれているんだ。
エリカちゃん、お祖父さんいい人だね。二階堂家はキッチリしてて堅苦しい、息苦しいお家かと思ったけれど、こうして見守ってくれている人もいる。
「……こんなにも私を大切に想ってくれるのは彼だけなんです。…与えられた人生を彼と一緒に生きて行きたい」
「……お前は」
私に好意を抱いてくれた男性は他にもいたけれど、事情を知っても好意を向け続けてくれる人はいるのだろうか。事情の重さに腰が引けるのが大多数だと思うんだ。
それに私が、エリカちゃんの分まで幸せになるには……慎悟が隣にいないと成立しないのである。
あ、好意を向けてくれる男性の中に上杉のことはカウントしてないからね。あいつのは執着だし。認めたくない。
私の話を聞いていたお祖父さんは目元を片手で覆い、なんだか感極まったように肩を揺らしていた。どうした、私の慎悟への想いの大きさに感動してくれたのか? 純愛だって?
お祖父さんそんなに涙もろい人だったの?
「お祖父様?」
「お前は…本当にお前の祖母によく似てるな…」
「祖母…お祖母様と…ですか?」
そんなことないよ。
お祖父さんの奥さんはどっちかと言えば美宇嬢に似ている。
お祖父さんの後妻であるお祖母さんとエリカちゃんは血の繋がりがない。私は彼女とは軽い挨拶しかしたことが無いが、どうやら嫌われているようである。…それは私だからというわけではなく、エリカちゃんだから嫌われているみたいなのだ。
会う度にいつもキツく睨みつけられるので、お祖母さんにはなるべく近寄らないようにしているんだ。
それにお祖母さんは二階堂家の集まりでもあまり前に出てこないので、接点もそんなにない。そんなお祖母さんとエリカちゃん、全然似てないと思うけどなぁ。顔も、性格も。
私が困惑しているのに気がつかないのか、お祖父さんは私を…エリカちゃんの顔を通して、別の人を見ているようであった。