よろしい、ならば勝負だ。
私と同じく部活終わりの珠ちゃんが帰宅するために正門を通るのは何もおかしい事ではない。込み入った話をするのに場所を変えなかったのは、私が三浦君を信用出来ないからである。
だがしかし…珠ちゃんに聞かれるのはまずいな。
「どこの誰か知らないけど……あの松戸さんを取り柄なしと評価するとか、どれだけ見る目がないんですか? …その発言、撤回してもらえますか?」
まるで自分のことのように怒っている珠ちゃん。こんな怒りの形相の彼女を見たのは初めてだ。私は慌てて珠ちゃんを止めようと動いた。
「た、珠ちゃん落ち着いて」
「いいえ! 聞き捨てなりません! 誰ですかこの失礼な人!」
「…あー…彼氏の…元友達かな」
昨日の夜、電話口で慎悟が【三浦を信用できなくなった】と決別を窺わせるかのような発言をしていたのだ。
だから私はあえて元、と付けたのだが、三浦君はそれがお気に召さなかったらしい。
「はぁ!? 元ってなんだよ! 失礼なのはそっちじゃないか!」
「だって本人がもう三浦君と元通りになるのは難しいって言っていたんだもの…」
私がそう答えると、三浦君が「そんなことない。デタラメ言うなよ」と睨んできた。信じてくれないようだ。
…三浦君、慎悟が怒っているのはわかってる? 私は君のお眼鏡にかなうような人間じゃないかもしれないけど……もうちょっとやり方があったような気がするんだ。
慎悟の将来を三浦君が決めつけて操ろうとして見えるのは私だけかな? それは果たして慎悟の為になるのであろうか? …今までも影でそんな事をしていたのであろうか。
私がエリカちゃんに憑依しているのが許せないのか、私がお嬢様っぽくない、庶民根性なのが許せないのか…あ、全部かな。
「大体松戸笑が“期待されていた”というのは誇張だろ。死んだ人間を美化するためにマスメディアが大げさに言っているだけじゃないか」
「はぁぁ!? 誇張なんかされてませんけど! 松戸さんの放つ稲妻スパイクを知らないんでしょ! 知らないくせに決めつけないで!」
そういえば珠ちゃんは、生前の私が出場した大会はほぼ追っかけていたと話してくれたことがあるな。練習試合だけでなく、春高予選・春高大会までも遠征してくれたらしい。
中体連大会の時に中3だった私がスパイクを打ったのを見た瞬間、彼女の身体に電気が走ったとか言っていた。だから稲妻スパイクと名付けたと聞かされたが……口にされるとちょっと照れくさいな。
「はっ…お前、松戸笑のこと知ってるんだ?」
「私の憧れであり、バレーと出会わせてくれた目標の人ですけど? 私は松戸さんのように強くなって、松戸さんの夢だったオリンピック選手になることが目標なんです」
珠ちゃんの回答に三浦君は一瞬真顔になった。そして嘲笑するように顔を歪めたのだ。その笑い方は明らかに小馬鹿にしたような笑い方で、私も珠ちゃんもそれを不快に感じて眉をひそめた。
「…本気になって馬鹿じゃないの?」
「……は?」
「憧れや目標だけで上に登り詰められるとでも思ってんの?」
急にどうした。
三浦君の発言を受けた珠ちゃんは上から目線のお説教に似たそれをぽかんとした顔で聞いている。同じく、話を聞いていた私は彼の言い方にむかつき、いつの間にか口をへの字にしていた。
「いくら努力しても、叶わないことは山ほどあるってのに無駄だろ。…汗かいて必死になって藻掻いて…それってかなりダサいよ?」
最後のダサいは私をちらっと見て吐き捨てていた。珠ちゃんは言葉を失ったように呆然として固まってしまっている。
その馬鹿にしたその言い方、ふざけた発言に私はピキッときた。
無駄? …ダサいだ?
何を言っているんだこの野郎め。なんで三浦君にそんな事を言われなきゃならないんだ。
……夢に燃えている珠ちゃんの前でよくもそんなことが言えたもんだな……あんた、珠ちゃんより2個歳上なんだよ? …年下の女の子にそんな事言って…情けないと思わないの?
自分が正しいと思ったら、何を言ってもいいとでも思ってんの?
「…努力しても、前のようにプレイできないって、プロとしてこの身体では通用しないってわかっているよ」
私は静かな声で呟いた。
萎縮しているのではない。怒りを抑えようとしたら声をひそめるような形になっただけである。自分の目が据わっている自覚があったが、もう三浦君の前でお嬢様の皮を被る必要がなくなったので、あえてそのままにしておく。
「だけどね、珠ちゃんは違うの。…珠ちゃんはね、スポーツ特待生で期待の新人なの。この間のインターハイ予選でも活躍してくれたんだよ。…これから更にもっと伸びるはず」
松戸笑という1人の中学生選手に憧れた小学生の女の子が、中学の部活を通してメキメキ力をつけて行くというのは、地味なようで実はすごいことなんだ。
…今だから言えるけど、努力だけで伸ばせる人はほんの一握りだ。才能が芽生えたからこそ、珠ちゃんはここまで伸びて今も成長中なのだ。
「……英学院女子バレー部は2年前よりも明らかに強くなった。現にインターハイでは3回戦出場まで果たしているんだ。そこに行き着くまで、長い道のりだったんだ。……不快だから、頑張っている人を馬鹿にするような態度はやめてもらえるかな?」
「……なに、怒ったの? …本当のことを言われたからってムキになるなよ。勝ち進んだのはたまたまかもしれないじゃん。悪いこと言わないから自惚れはやめとけば?」
……なんか、この態度……元チームメイトの江頭さんを思い出すなぁ……
怒りを抑えて、なるべく丁寧に注意してあげたつもりだけど、三浦君は完全に私達をナメている。
「…三浦君さぁ、テニスの強豪校に通ってるんだよね? 強豪校の部活に所属しておきながらどうしてそんなこと言っちゃうのかな? お坊ちゃんの道楽だから、わからないって言いたいの?」
「そんなの……単なる暇つぶしだし、どうでもいいよ」
この指摘にはちょっと反応が変わった。三浦君は私から目を逸らして鼻で笑っていたが、私には少し動揺して強がっているように見えた。私はそれに少し引っかかった。
なにがどうあれ、自分が遊びだからって他人も同じと思ったらダメだよ。相手に失礼なことだよ。
「怪我や自分の才能に見切りをつけてやめてく人を私はたくさん見てきたから…わかるよ。大会で活躍する、プロになる人はほんの一握りで、努力したら絶対に夢は叶うというのは…嘘だって私は知ってる」
誠心高校というバレーボールの強豪校という環境に身を置いていた1年とちょっとの間だけだったが、夢を抱えて入部したのに色んな理由でやめていく人を私は見てきた。県内2位の実力を持つ英学院の女子バレー部でさえ、そうなんだ。この学校のバレー部でも、何人も退部していく姿を見送ってきたんだ。
だけどそれはその人の選んだ道だから私がどうこう言う権利はないし、言うつもりもない。
「でもね、頑張っている人に対してそういうふうに馬鹿にするのは…一番ダサいことなんだよ。途中で挫折した人と比べようもないほどダサくて、情けなくて、みっともないことなの。…一生懸命な人を馬鹿にして自分の劣等感を補おうとしているだけ」
三浦君の口ぶりは、頑張っている人の意欲を削いで、足を引っ張ろうとしているように見える。
私の大事な後輩に対してそれ以上モチベーションが下がりそうな事を言うのは控えてくれないか。あんたが気に入らないのは私だろう。私の後輩を攻撃するんじゃない。
「…なぁ、俺があんたの秘密を握っているの知ってるでしょ?…この子にバラすよ? いいの?」
──とうとう、「ゴキゲンヨウ!」と短気な私が薄っぺらいオブラートのような壁をぶち破ってコンニチハしてきた。
こいつは、ダメだ。話にならん。
「……やかましい! 今はそんな話をしていないだろうが! 慎悟の友達だと思って今まで我慢してあげていたけど、もう許さん!」
私だってもうちょっとお淑やかに流したいんだ。いかんせん三浦君は私の怒りを促してくるんだもの。
どう言い聞かせようと彼は相手が私だということで聞き入れないはずだ。
「私の後輩にそれ以上ふざけたことを抜かすな! 珠ちゃんを巻き込むんじゃない。私が気に入らないなら裏でコソコソするんじゃなくて表から堂々とかかってこい。いつでも相手してやる!」
何度も言うがここは正門前である。
いつの間にか帰宅途中の部活生が周りで野次馬をしており、異変に気づいた警備員のおじさんが介入するかどうか迷っている様子。
だけど私は目の前の三浦君に怒りを注いでおり、周りの目を気にする余裕がなかった。
「どうする! テニスか! バレーか! 好きな方法で勝負してやろう!」
「…バレーって1チーム最低6人はいるじゃん」
「じゃあテニスか! はたまたスカッシュするか! 私スカッシュ経験ないけど!」
「なんであんたと俺がスカッシュしないといけないんだよ」
面倒くさそうに私を見下ろしてくる三浦君。わからないのか? ここで無駄な言い合いを続けるのではなくて、勝負で白黒はっきりつけるんだよ。
「私が勝ったら、私のことを認めろ」
「…じゃあ、俺が勝ったら、慎悟と別れろよ」
…それを言われると短気な私が急速に萎んでしまって、自分がした提案とはいえ後悔しかけたが……女は度胸だ。言いだしっぺは私なので引くわけには行かない。
「…ぜっったいに…勝つ…!」
私と三浦君は好戦的に睨み合った。
明らかに私のほうが完全に不利だが、もう後には引けない。
やるしかないのだ…!
とりあえずどっかで手慣らし練習してこようかな! 絶対に勝って、このわからず屋に認めさせるんだ!