私から目を離さないで
大事な大事なインターハイにまで紛れてきて、素行調査か。まったくもって失礼なやつだな。
私が三浦君と軽く睨み合いをしていると、蚊帳の外状態の慎悟が肩を掴んで軽く揺すってきた。
「どういう事だ? 俺は何も聞いていないぞ」
彼は少々顔を険しくさせていたが、私は何も悪くないと思うの。
探偵には人に雇われて身辺調査してるって言われてさ、資格があるから警察も介入できないんだもん。不審者じゃないとわかったらどうしようもないじゃない。それを慎悟に言っても仕方ないと思ったんだよ。
「だって加納家で雇った探偵だと思ったんだもん。二階堂家でも、慎悟の素行調査しているって聞いていたからお互い様だと思って言わなかったんだよ」
「それ以前にそういう事は話してくれよ」
「ごめんごめん…ママも加納の人はドジな探偵を雇ってるわねって首を傾げていたけど…違ったんだね」
まさか三浦君がこんな事してくる人とは思わなかったよ。慎悟の家族ならともかく、部外者である友達じゃないの…
「それで三浦君、半月以上調査させてなにかわかったの?」
「うーん…わかったのは、君が以前よりも活発で、人が変わったってことかな。まるで人が入れ替わったみたいに…」
「事件の影響で私生まれ変わったんだ。お淑やかでいるのはやめたの」
沢山の人に指摘されてきたので、今ではもう動揺しないぞ。嘘ついたら閻魔様に舌抜かれるけど、もう既に地獄で舌を抜かれているし、たくさん嘘つきまくってるから気にしない。
三浦君は私の返答に眉をひそめていた。その答えじゃ納得できないらしい。
「でもさ、さっき慎悟は二階堂さんのことなんて呼びかけてた?」
「……え?」
「エミって呼びかけてたよな? …二階堂さんの下の名前はエリカの筈なのに…なんで?」
おおっと、まさかの名前呼びを聞かれていた。慎悟やっちまったなー!
私が慎悟に、ふたりきりの時は名前を呼んでとお願いしてから……いや、それ以前から“
私 ”を見つけてくれた慎悟が私を“エリカ”と呼ぶことは一度もなかった気がする。いや、一度かニ度はあるかも知れないけど、少なくとも私の記憶にないな。
外聞もあるから人前ではエリカでいいよと言ったけど、それでもエリカとは呼ばずに人前でもこっそり小さな声で私の名前を呼んでくれるのだ。
さっき呼ばれたときも声を潜めて名前を呼ばれたのに…地獄耳か。三浦君は…あれか? 私にとっての上杉が、慎悟にとっての三浦君……。いや、それは失礼かな。
三浦君は私が失礼なことを考えているとは気づいているのかいないのか、私と慎悟をジロジロ見比べて、腑に落ちない顔をしていた。
「その名前に俺は聞き覚えがあるんだよね。2年前、二階堂さんが巻き込まれたあの殺傷事件の被害者のうち…」
「
遠藤 勝臣 さん? 56歳妻子持ちの?」
「違うよ?」
チッ、誤魔化されなかったか。勝臣さんのおみの部分と聞き間違えたと勘違いするかと思っていたのに。
心なしか慎悟がアホを見る目で私を見てくる。じゃあ慎悟は上手い誤魔化し方を知っているのかと聞きたい。三浦君は顎に手をやってなにかを思い出すかような仕草を取っている。私は平静を装いつつ、彼の一挙一動に警戒していた。
……よく覚えているな。私は無関係な事件の被害者名は逐一覚えていられないぞ。2年前の事件の被害者をどれだけの人が覚えてるかな。
「もう一人の女子高生だよ。…えーと…名前は正確には覚えてないけど、そんな名前だったと」
「気のせいじゃない? 聞き間違いでしょ」
私が鼻で笑ってやると、三浦君は「確かに聞こえたんだけどなぁ」とボヤいていた。
慎悟にとってはいい友達でも、私にとってはそうじゃないようだ。信用ならない相手にやすやすと私の正体をバラすのは拙い。
「エリカ、そろそろ2回戦始まるよ。…誰その人」
そこで声を掛けてきたのはぴかりんだ。ぴかりんに今の話を聞かれたかなとビビったけど、彼女は普段どおりの様子だったので、聞かれてないようだ。ホッと胸を撫で下ろした。
ぴかりんは部外者である三浦君を見て首を傾げていた。すると、その横からまた新たな人物が口を挟んできた。
「あら、三浦様、お久しぶりですね」
「久しぶり阿南さん。阿南さんもバレー部なんだ? 意外だね」
「2年ほど前に入部致しましたの。試合には出た事はありませんが、応援も中々楽しいものですよ」
内部生である阿南さんは三浦君を知っているようだ。ふたりはにこやかに挨拶を交わしている。
「中等部まで英学院にいた人で慎悟の…仲のいい友達?」
「なんで疑問形なのよ」
私が三浦君を紹介するとぴかりんにツッコまれた。
…だって三浦君という人がますます分からなくなってきたのだもの。
「こいつの事は気にしないで、2回戦も頑張れ。俺から三浦には話を付けておくから」
慎悟に背中を押されたものの、私はその言い方に引っかかった。私の応援に来てくれたのに、三浦君と話をするために試合を観戦しないというような言い方に聞こえたから。
彼の着ているシャツの裾を掴んで、私は下唇を尖らせた。子供っぽいと言うな。私は慎悟に試合を観て欲しいんだよ。
「…2回戦も見てくれなきゃ嫌だ」
「観客席でちゃんと見てるよ。最後まで見届ける。だから頑張れ」
「ん」
私は両手を広げて慎悟に抱きついた。これはイチャつきではない。れっきとしたエネルギー充電である。
…トクトクトクと少し速いテンポに聞こえた。慎悟も三浦君の登場に動揺しているのだろう。だが今は三浦君のことは後回しだ。私の最後のインターハイの邪魔はさせない。去年のリベンジをするのだ!
慎悟の胸の音を聞いて自分の心を落ち着かせると、ゆっくり彼から離れた。
「じゃあ行ってくるね!」
私は慎悟に手を振ると、チームメイトたちと試合場所になるコートに小走りで駆けて行った。
予選で不完全燃焼だったので、インターハイでは暴れまくるつもりであった。私には力んでスパイクを打つ癖があるので、少し体の力を抜いて攻撃するように心がけた。
試合開始の笛が鳴ったと同時に、相手がサーブを打ってきた。後衛がそれを拾い、セッターに繋いでいく。
今の私の得意技となった低い位置からのスパイクである速攻攻撃をしつつも、先程同様バックアタックをかましたりして地道にポイントを稼ぐ。
今の私は背が低い。だからどうしてもブロックされやすい。ならば手段を変えながら攻撃するしかないのだ。頭を使え。相手の弱点を探るんだ。スパイクボールを相手にとられてしまったら、次の攻撃手段に移る。
大丈夫、流れたボールは後衛の子が拾ってくれる。仲間を信じるんだ。
私の憧れた東洋の魔女たちは他の国の選手よりも小柄でも、世界に恐れられていたじゃないか。それは彼女たちが色々工夫して、仲間と団結して、世界を圧倒させてきたから出来たこと。
その東洋の魔女たちよりも更に低い156cmの背丈だけど、私はこうして現世でバレーできることに喜びを感じていた。
背が低くてもバレーは出来る。たとえプロになれなくても、私はバレーが大好き。それだけで私は幸せ。
──バレーが楽しい!
「エリカ!」
後衛のぴかりんに名前を呼ばれ、私はネット前に駆け寄る。ぴかりんが送ってきたバックトスを、相手がブロックするタイミングを窺って、がら空きの場所にCクイック攻撃を放つ。
ボールがコート内をバウンドし、英学院側にポイントが入った。
第2試合の時間はあっという間であった。2回戦の試合では5セット目までこぎ着けた。お互いの実力が均衡しており、結果僅差ではあるが、英学院が勝利した。
……夢の3回戦出場だ。
英学院側の勝利が告げられたその瞬間、目から涙が溢れてしまった。
それを見たぴかりんやチームメイトに「優勝したわけじゃないんだよ?」とからかわれたが、他のみんなの目も涙で潤んでいる。
私だけじゃなく、メンバー全員が大会で登りつめたいと願ってきた。いつも初戦負けだったのが、ここ近年では2回戦まで進み、この年、3回戦出場が決まったのだ。嬉しくて泣いてしまうのは当たり前だろう。
県内では強いほうだけど、全国から強豪と呼ばれる誠心高校にはいつも勝てずに、毎回地区予選準優勝、全国大会では初戦負けの英学院がここまで勝ち進んだのだ。
泣かないわけがない。
「よーしっ、みんな! この際登りつめるところまで勝ち進んでいくよ!」
『はいっ!』
部長でありキャプテンであるぴかりんの呼びかけに、チームメイト達が声を揃えて返事をした。
3回戦まで勝ち進んだことで喜ぶのはまだ早すぎると言うのは知っていたが、私はきっと誠心高校ではこんな気持ちを味わうことができなかったはずだ。
誠心高校は全国大会優勝候補であり、決勝常連校だ。勝つのが当然で、優勝が全てだった。3回戦突破は当然のことで、私もそう思っていた。だけど今では当たり前のことではなくなったのだ。
今もバレーが大好きだし、勝ち進めて登りつめたいという気持ちは誰にも負けない自信がある。だけど気持ちや、やる気だけでは乗り越えられないものがあるのだということも知っていた。
エリカちゃんになって、この体での才能の限界を実感して……色々な事があった。私はエリカちゃんになって、苦しいことや悲しいことをたくさん味わってきた。
同時に
私 では絶対に味わう事のできない喜びや楽しさを感じている。それはこのポジションでなければきっと味わう事のできない事で、素晴らしい発見であるはずだ。
私は観客席にいる慎悟を見つけると、両手で手を大きく振った。慎悟は手を振り返してくれた。隣に三浦君らしき姿があるが、今は彼のことはパスだ。慎悟に任せてしまおう。
…明日の3回戦目も慎悟は応援に来てくれるかな。最後まで見てくれると言ってくれたもの。慎悟は私のバレーへの想いを知っているからきっと見てくれる。
私の戦う姿をしっかり見てほしい。二階堂エリカの小柄な体でも堂々と戦い抜く姿を。
私がここで生きているということを。
…見つめていて、私を。