あんたがそれを言うな!
「宝生氏!」
「…なんだよ」
食堂を出てちょっと離れた場所で私が大声で宝生氏を呼び止めると、奴は鬱陶しいといった態度を隠さなかった。
それに私はムっとしたが、短気な自分の心をなんとか抑えた。今は瑞沢嬢とのことを聞きたいのだ。
「話がある。ちょっと面貸して?」
ここは人が多すぎる。私が宝生氏を呼び止めたことで、複数人の目がこちらに集中してしまっている。場所を変えて話したほうがいいだろう。
クイッと親指で自分の後ろを示す仕草をした直後に、私がお嬢様らしかぬ動作と発言をしてしまったことに気づいたが、宝生氏の前で今更取り繕う必要はない。
「…用があるならここで言えよ」
「……」
気を利かせたつもりだったけど、拒否られてしまった。あまり聞かれたくないだろうから場所変えようと言ったのにいいんだな? いいのね、知らないよ?
「じゃあ聞くけど、あんた、瑞沢さんが頑張って作ってきたお弁当に全然手を付けていなかったらしいじゃん。体育祭の時、中庭で泣いている彼女を見かけたよ。私はその時彼女の作ったお弁当を食べさせてもらったけど、味は悪くはなかった」
見た目はいびつだし、美味というわけではないが、食べられる味だった。
それ以前に彼女は怪我をしながらも一生懸命に作ったんだ。それを全く手を付けないというのはどうなんだ。失礼だと思わないのか? しかも彼女を置いてけぼりにするってどういうことなのよ。
「他の日にも、瑞沢さんが味の改善をして作ってきたお弁当も食べなかったんだってね? その上避けている。瑞沢嬢は混乱してるんだよ。悪いところがあるなら教えたらいいのに、訳も言われずに避けられることに悲しんでる」
ぶっちゃけ、料理スキルを女性にだけ求めるというのは時代錯誤な気がするけどさ、これは2人の価値観の問題だろう。
瑞沢嬢が頑張るって言っているのにこの宝生氏ときたら向き合おうともせずに避ける始末だ。何がしたいのかなこいつは。
端から見てても訳がわからん。
「私が口出すのはおかしいのは重々承知だけどさ、コソコソ避けていないで向き合ってあげなさいよ。婚約破棄してまで選んだ子でしょ?」
目の前の宝生氏がイライラしているのは気づいていた。私を睨みつけてくるが、私も負けずに睨みつける。お前の睥睨などもう慣れてしまったわ。…下手したら怒鳴りつけてくるかもしれないなとちょっと構えながら、相手の反応を待った。
すると、苛立たしげに歯を食いしばっていた宝生氏が苦しそうな声で呟いた。
「…俺だって、色々あるんだよ。もう、わかんねぇんだよ…」
「…はぁ?」
色々ある…。
そりゃ人それぞれ違った事情を抱えているだろうけどさ、なにか事情があるなら恋人の瑞沢嬢にだけでも説明すりゃいいのに。
そしたらこんなおかしな状況にもならないでしょ。
私は状況がわからないので、胡乱に宝生氏を見上げるだけ。
「俺が頑張らないと、会社が駄目になる。ただでさえ傾いてるってのに、俺が……婚約破棄させたから、その分頑張らなければならないんだ……じゃないと、姫乃とも…」
将来のことで不安に感じているということか?
そんなの私もだよ、わかるよ。ポンコツお嬢様は日々努力しているのだ。だけどまだまだお嬢様の道は程遠い。あのハイスペック慎悟と全く釣り合っていない状態なんだもの。本当不安しかないよ。
「……俺は、エリカの作っただし巻き卵が好きなんだ」
「……あ?」
将来への不安、わかるよーと頷こうとしたのだが、宝生氏の発言に私は真顔になってしまった。
「肉団子は、大根おろしが入っている甘辛煮が好きだ」
「……なにを言ってるのあんた」
「エリカが作ったカニクリームコロッケも美味かった」
「知らんがな」
馬鹿じゃないの。
あんたの好みとかこの際どうでもいいんですけど。私が聞いているのは、あんたが何故、瑞沢嬢を避けているのかということだ。
エリカちゃんの作ってくれた料理の話は一切していませんよ。
「俺は、今までエリカに支えられて来たって自覚したんだ……二階堂家とエリカの支えが無くなった俺は…無能だと」
「ふーん、……で?」
宝生氏は自分を卑下していた。無能とかそんなんは外からじゃ判断できないからなんとも言えないけど、コンプレックスとプレッシャーに押しつぶされそうだってことなの?
…エリカちゃんのことは今更だよ。本当に今更すぎるから。遅いんだよ。
あのね、家の会社の危機に息子を利用して政略婚させようとする親は、私の常識からしてどうかと思うし、宝生氏も色々と重圧を感じていたのは知っているよ?
だけど…その婚約者を疎んで、切り捨てたのは全て宝生氏だからね? エリカちゃんの想いが重かったって、何もかも勝てないエリカちゃんが疎ましかったと自分で言っていたじゃないのよ。自分で選んだ道じゃないの。
何今更になって弱気になってんだよ。
あんたは、自分が楽になるために今更エリカちゃんを必要とするの…?
自分の鼻息が荒くなっている気がしていた。ダメだ、短気な私がこんにちはしてきそうだ。落ち着け自分と言い聞かせて、なるべく静かな声を出した。
「今の状況は、あんたが望んだことでしょ…?」
16歳の子供のしたことだって言われたらそれまでだけど、あんたはそれなりの立場があって、それをしてはマズいとわかっていたはずなのにそれを起こした。
全て宝生氏の決めたことだ。
「わかっているんだよ。…俺がエリカを切り捨てた結果なんだって。もう頼ることは出来ない、自分がなんとかしないといけないと知っているんだ…」
そりゃあエリカちゃんも宝生氏しか見えていなくて依存していた面があるから、それが重かったのはわかるけど。
今となってそんな事を言われても何もかも今更。宝生氏の行動の理由にはならない。劣等感に負けて、それを瑞沢嬢にぶつけているのか。
エリカちゃんがいないこと、婚約を破棄してしまった事実。それを理由にして逃げ道を作ろうとするんじゃない。
…彼女に失礼だと思わないのか…!
私は大きく一歩を踏み出す。
宝生氏の目の前に近づくと、彼のネクタイとシャツを鷲掴みにして、やや乱暴に引っ張った。
驚いた様子の宝生氏と目が合ったので、私はその目をしっかり見つめて言ってやる。
「あんたがそれを言うな…!」
私は部外者だ。だけどそれでも目の前の、エリカちゃんの元婚約者だった男の勝手な言い分にイラッとしてしまった。
何故こいつは…!
「…甘ったれんな。それがあんたが選んだ道でしょうが。それ以上ふざけたこと抜かすと…怒る…! 滅茶苦茶怒るからな…!」
宝生氏は息を呑んだ様子で、何処か怯えた顔をしていた。
「好きな食べ物や味があるなら、瑞沢さんに自分で言いなさい。あんたのしていることは本当に最低なことです」
「……」
だんまりですか。そうですか。
別に全部食べろとは言わないよ。口に合わないなら仕方ないもん。だからって事情を話さずに避けるとはどういうことなんだって話でしょうが。あんたの今までの話を聞いてみても、あんたの行動の説明としては納得できない。
瑞沢嬢と喧嘩したわけでも、彼女が宝生氏を怒らせるようなことをしたわけでもな
い。
「自信がないなら努力するのみ。自分や周りを貶しても上には上がれません」
「…成績がよくならなくて…言っただろ、俺は出来が悪いんだって…!」
「じゃあ家庭教師の先生を変えたら? 私は優秀な先生に見てもらっているから、ぐんぐん伸びているよ」
家庭教師とも相性があるからね、宝生氏のレベルやペースを読み取ってくれる教師じゃないと宝生氏は疲弊するだけなんじゃないかな。目元に濃いクマ作ってるから、睡眠削って努力しようとしている意欲は感じる。
家庭教師を変えたらなにか変わるかもよ。私は幹さんと井上さんのお陰でかなり成績アップしたもの。
今の現状を改善したいなら、与えられるものを淡々とこなすんじゃなくて、自分でも改善できないかを考えなさい。自分で考えられるようにならないと、あんたはいつまでも親や家に縛られたままになるよ。
それに私だって頑張ってんだ。ツライのは何もあんただけじゃない。この周りにいる人達だって周りから見えないだけで、何かを頑張っているはずである。決して1人で頑張ってるんじゃないと思うよ。
「とにかく、あんたはまず瑞沢嬢と向き合いなさい。無視なんて言語道断。目の前のことから逃げるんじゃない。…返事は」
念押しで確認してみたら、宝生氏は顔をこわばらせた状態で固まった状態だった。目を丸くして、更に顔色が悪くなっている。
……全く手のかかるお坊ちゃんだな。
「聞こえない、返事!」
「う、うん」
私が大声で確認すると、宝生氏が反応した。返事が頼りないけど、まぁいい。
「弁当の味が口に合わないからって、彼女のことを避けるようなみみっちい真似してないで、ちゃんと口でいいなよ。本当意味分かんないから」
宝生氏にとっては重大なことなんだろうが、私は怒りもあって、彼の発言に呆れてしまった。会社を背負うプレッシャーは私には理解できんが、だけどその態度や言動が気に入らんのだよ!
腹を立てたらお腹が空いていた。食堂に戻って昼食をとり直そうと思った私は踵を返す。宝生氏のことはもう知らん。自分でなんとかしろ。
まだ15分経過していないから、カレーは残っているだろうと足早に食堂へ戻った。先程まで着いていた席に瑞沢嬢を見つけて声をかけようとしたのだが、テーブルの上に放置していた私の食べかけだったカレーの皿を見て……全身血の気が引いた。
「…ちょっと、上杉…それ、私の食べかけ…」
「全然手を付けていなかったでしょ? 勿体ないから食べちゃったよ」
「…わたしは止めたのよ?」
瑞沢嬢は婚約破棄騒動の前後で上杉に撹乱させられた事もあって、さり気なく奴を警戒している様子だったが、サイコパス上杉は一筋縄では行かなかったらしい。
「このっ…変態!」
人の食べかけを食べるとか…! それがセレブのやることかこの変態! サイコパスが!
「…食堂で騒ぐなよ…」
ちょうど昼食を終えたらしい慎悟が返却するトレイを持ったまま注意してきたので、私は慎悟の背中に隠れた。
「慎悟! この変態が私の食べかけのカレー食べたの!」
「……またお前か」
それには慎悟もドン引きすればいいのか、彼氏として怒ればいいのかわからないといった表情をしていた。上杉はニコニコと笑っている。
やだもうこいつ怖い。警察に通報したら逮捕してくれるかな?
「だって彼女が残していたから。勿体ないじゃない。手作りのカレーを処分してしまうのは」
「…手作り?」
慎悟は上杉の言った言葉に反応していた。手作りという単語に引っ掛かったようだ。
彼はトレイを持ったまま後ろを振り返ると、問いかけるような目で見下ろしてきた。なので私は彼の疑問に答えてあげた。
「瑞沢さんが元気ないからカレー作ったんだ。辛めだから慎悟の分はないの…ごめんね?」
「…あぁ、そう」
辛いのが苦手な慎悟だけど、慎悟はこう見えてもったいない精神が強いので、出したら出したで残さずに食べる気がするんだ。
苦行を与えながら食べさせるのは私が嫌だったんだけど、慎悟はちょっと面白くなさそうにしていた。……もしかしたら今日はカレーの気分だったのか、それとも仲間はずれみたいでつまらなかったか…
「今度は慎悟の好みの味で作ってあげるよ! でも今週もカレー食べるからいらないかな」
「…そのことだけど、やっぱり車で行かないか? 家まで迎えに行くから」
「えー、せっかくのデートなんだよ? 電車がいい。2人っきりなのがいいんじゃないの」
何かと車で出かけたがるよね。慎悟は電車の移動も気に入っていると思っていたけど、面倒くさいのかな…
私が口をへの字にして慎悟を見上げると、慎悟も同じ口をしていた。なにが不満なんだと問いただそうとしたら、私と慎悟を引き裂くように上杉が割って入ってきた。
「…もうすぐ授業が始まるから…そろそろ戻ったら?」
あ、この場にこいつがいたんだった。
慎悟もハッとしたらしい。デート先を知られて日曜までストーキングされては敵わない。何だその悪夢の日曜日は。
私達は会話を切り上げて、さっさと食器を返却しに向かった。
その後私は空腹のまま午後の授業を送ることになったのである。
上杉め…許さんぞ…!