私はあんたと生きる事に決めた。だから私の名前を呼び続けてね。
「はい、これお返し」
「やったぁぁ! カレーだぁ!」
「…本当にこれでいいのか?」
「これがいいの」
世界のレトルトカレー5パック詰め合わせを貰った私ははしゃいでいた。初めてホワイトデーにお返しを貰ったという事もあるけど、その中身がカレーという事実に歓喜していたのだ。
慎悟は「どうせならアクセサリーを贈るけど。ネックレスとか」と言ってくれたが、それはいくらなんでも気持ちが重いのでお断りした。カレーをバレンタインに作ってきて、それがホワイトデーでネックレスに化けるとかどんだけなのよ。まだ交際2日目じゃないの。そもそもその宝飾品を買う金は親の金だろう。
「慎悟が働くようになったら、自分で稼いだお金で贈って」
と頼むと、慎悟はちょっと考え込んだあとに頷いていた。私はカレーで喜んでるんだからそんな悩まなくてもいいのに真面目か。私が宝飾品にはしゃぐような女じゃないって慎悟ならわかっている気がするんだけど、わかっていなかったのだろうか。それともまた面子がどうのとか言い出すのか。
その後、慎悟はバレンタインにお菓子をくれた人たちにお返しを配り回っていた。その度に女子に捕まって大変そうだった。加納ガールズにも渡しに行くのであろうか…昨日の今日だが大丈夫かな…。
私もお菓子をくれたり、普段お世話になっている人にコンビニ菓子をプレゼントした。
■□■
「ん。おいしい」
「加納君がくれたんでしょ? 良かったじゃない」
「お返しをチョコレートじゃなくて、カレーを希望するところは二階堂様らしいですね」
「日本のカレーとは違う香りがします」
今日のお昼ごはんは食堂のおばちゃんにお願いしてカレーを温めてもらった。匂いもそうだけど味もやっぱり違うね。
私は頂いたカレーを美味しく頂いていた。じっくり味わいながら、温かい内に食べてしまおうと思っていたのだが、食欲全開な私の元に彼女たちは現れた。
「…二階堂さんあなたまさか…慎悟様にカレーを希望したの…?」
「…信じられませんわ…それでも淑女ですの…?」
「色気の欠片もない…」
昨日あれだけブーイングして、泣きながら逃げていった加納ガールズは、今日にはもういつもの調子に戻っていた。私を見つけ出してわざわざ嫌味を言いに来たらしい。
私はカレーを食べながら、彼女たちを見上げる。彼女たちのトレイにはこれまた小鳥が啄むようなメニュー。サラダとスープだけとか…後で絶対にお腹が空くやつだ。ちゃんと食べなさいよ。
私はカレーとご飯の他に、チキンカツとミックスサラダ、安定の牛乳でしっかり食事をしている。だって部活で運動してるからお腹すくんだもん。
「あんたたちも懲りないねぇ…そんな嫌味言ったところで、加納君が選んだのはエリカで間違いないんだからいい加減に諦めなよ」
「おだまり、一般生風情が」
「…なによ、やるっていうの?」
巻き毛の余計な一言でぴかりんがのっそりと席を立ち上がった。170cmのぴかりんに見下された巻き毛だが、怯む様子は見受けられない。
ぴかりんは特待生だ。人一倍セレブ生の見下し発言に敏感なのだ。いかん、私と同じ短気な彼女が切れたら大変である。
「…加納ガールズさぁ、そう言ってくるけど、人が食事しているところに割り込んで文句つけてくるほうが淑女らしくないよ?」
私が2人の喧嘩を阻止するためにチクリと巻き毛たちの行動を指摘すると、3人はムッとした顔をしていた。
「ずっと思ってたけど、ちゃんと食事とらないからいつもイライラしてるんじゃない? あの人…武隈さんは美容と栄養バランスを考えているみたいだし、一度彼女に食事のアドバイスを求めてみたら?」
「…余計なお世話ですわ!」
「あなたに淑女を語られたくありません!」
「失礼!」
ほらイライラしているじゃないの。絶対栄養不足だって。カルシウム足りてないんだよ。悪いこと言わないから牛乳とか魚を積極的にとったほうがいい。ダイエットするなら運動したほうがいいよマジで。食事のバランスを考えないと絶対に体に悪いよ。
プリプリと怒りながら加納ガールズは私達のテーブル席から離れていった。
「お見事な撃退でしたわ」
「撃退したわけじゃないよ? 美味しいカレーを食べる邪魔をされたくなかっただけ」
阿南さんにパチパチと拍手されたけど、さっきのはただあしらっただけだよ。
ゆっくり味わったつもりだったけどあっという間にカレーはなくなってしまった。他のカレーは大切に食べよう。一気に食べたら勿体無いもん。
私は席を立つと食べ終わった食器を載せたトレイを持ち上げた。
「二階堂様」
「あ…」
「少々お時間をいただけませんか?」
そのタイミングで声を掛けてきたのは丸山さんだった。昨日そういえばお話途中の彼女を置き去りにして慎悟と追いかけっこしていたんだった…
だってまさかあの場に慎悟が現れるとは思わなかったんだよ…!
「わ、わかった…」
丸山さんに色々謝らなくては。そのつもりはないけど、私は彼女を傷つけてばかりな気がする…
私達は食堂の有料席に移動した。丸山さんが誘導してくれた席は他の有料席からちょっと距離が空いている。…他の人に会話を聞かれないようにこの席にしたのだろうか?
席に着くと、私と丸山さんは目が合った。
「…えっと」
「…謝るのはおよしになってくださいね。これ以上惨めな気持ちになるのはゴメンです」
「あ、えぇ…はい…」
じゃあなんと言えばいいのだ。私は沈黙を守ったほうがいいのだろうか。口を開けば謝罪をしてしまいそうだったので、私は口を噤む。
丸山さんは溜息をつくと、伏し目がちになった。その表情は憂いに満ちており、私は罪悪感に襲われた。
「頑張ってきましたけど、やはりダメでした。…悔しいですけど、慎悟様があなたを選んだのです。…私は潔く身を引きますわ」
「…丸山さん」
「ですから二階堂様。決して慎悟様の手を振りほどくような真似はなさらないでください」
丸山さんのその言葉に私は目が点になった。手を振りほどく…というのは、別れるとかそういう話だろうか?
「…あなたにも色々事情があるのは存じております。事件の影響で人が変わったようになったのも、ショッキングな出来事に巻き込まれたからだとも理解しております」
「…うん」
「…だからこそ、あなたは幸せにならなければなりません。…いなくなってしまった人のために」
それは私のことだろうか。それともエリカちゃんのこと?
「…なによりも…私が、慎悟様に幸せになって欲しいのです。そうなるとあなたが幸せじゃないと、彼は幸せにはなれない」
「…丸山さん」
彼女は本当の本当に慎悟のことが好きだったのだな。学校まで追いかけてくるほどだもの…。前の私はそんな彼女を応援できていたのに、今じゃ応援できない自分がいる。私は本当に残酷な奴だ。
今の丸山さんの話を聞いていて、やっぱり彼女は素敵な女の子だなと感じた。生まれながらのお嬢様である彼女と違って、私はハリボテのお嬢様なまま。彼女と慎悟が並んだ姿を見て、私とは生きている世界が違うなと疎外感を味わったことを忘れてはいない。
油断していたら、丸山さんバリの、いやそれ以上の育ちのいいハイスペックなお嬢様が慎悟に近づいてきて…掠め取られてしまう。
そのためには私は成長しなくてはならない。慎悟の隣に立てるように、自分のために、柄じゃないお嬢様にならなければいけないのだ。
…ハッキリ言って不安だ。
だが、私にはその道しか残っていない。ただ今までとは方向が異なるから戸惑ってはいるけれど…
「…私ね、2回死んだの」
「……え?」
「1回目に死んだ時後悔していたんだ。…もう後悔しないように悔いなく生きようと思っても、2回目に死んだ時まだ未練が残っていたの。おかしいよね」
私は本当のことを話しているけど、丸山さんには比喩のように聞こえているだろう。
だけどね、私は2回死んだの。色々なことを後悔しながら死んだ1回目よりも、目的を果たした2回目のほうが幾分かスッキリしていたはずなのに、やっぱりどこかに後悔が残っていたんだ。
「…頑張るよ。こんな私を選んでくれた慎悟のために、後悔しないように頑張る」
「…大丈夫ですわ。被害者の方もきっとあなたの幸せを願っていらっしゃるに違いありません。…慎悟様はあなたを見捨てたりはしません。過去の婚約者など無かったものとお考えください」
涙を浮かべた丸山さんにギュッと手を握られたけど、宝生氏は本当に私と関係ないから。…いつまで宝生氏との婚約破棄の話題が引っ張り出されるのであろうか。
「…ありがとう」
だが彼女は私を二階堂エリカと思っているのだ。仕方がない。…彼女はエリカちゃんについてどう感じているのだろうか?
知り合いだったみたいだからお淑やかなエリカちゃんしか知らないと思っていたのだけど…
「…本当に別人のようになりましたね。以前の二階堂様もお淑やかでよろしゅうございましたが、今の二階堂様も元気で、いつも笑顔で一生懸命に生きている姿がとても素敵ですわ」
「…生まれ変わったからね」
「えぇ。…私も、私だけを想ってくださる方を見つけてみせますわ。そしたら一番先に二階堂様に自慢してみせますから」
丸山さんは涙目のままだったけど、どこかスッキリした顔をしていた。その顔を私は知っている。ユキ兄ちゃんに告白して振られた時の吹っ切れた自分のようだったから。
丸山さんと食堂前で別れて教室まで戻っていると、2年の教室がある階の階段前で慎悟が待ち伏せしていた。
私が来たことに気づくと慎悟はこちらに視線を向けてきたので、私は彼の元へ歩いて近づいた。
「何してんの? こんなところで」
「丸山さんに呼び出されたんだろ? …気になって」
あー、また私の友達がチクったんだなぁ? 別に言われて困ることじゃないけどさ…
私は苦笑いして肩をすくめた。
「…丸山さんに応援されたの。慎悟、逃した魚は大きいよ? 私を選んだことを後悔するかもしれないね」
丸山さんは本当にいい子だったのに、私を選んでしまった慎悟は損したんじゃないか? 私はからかい半分で言ったのだが、慎悟は冗談とは受け取らなかった。
「…俺は後悔しない」
真面目な顔で言い切るものだから、私はポカンと彼の顔を見上げてしまった。
「…あんたを目の前で失った時、俺はとても後悔した。だからあんたを選んだことで後悔することは絶対にありえない」
「あ…そう…え、まだトラウマになってるの?」
私が目の前で死んだことまだトラウマってんの? 何度でも言うけど、わざとあんたの前で死んだんじゃないからね?
「気にするなら、今度は絶対に俺よりも先に死ぬなよ」
「えぇー…慎悟が100歳まで生きるんだったら、この身体の寿命はその前に尽きちゃうから約束できないよー」
確かエリカちゃんの身体は80歳前後位までの寿命だったはずだもん。それでも十分長生きだと思うんだけど、更に生きろってか。
「なら気合で生きろよ」
「無茶苦茶な難題押し付けないでよ」
気合でどうにかなるもんなのか? 長生きすることよりも、いかに充実した人生を送れるかのほうが重大じゃないの?
私は二階堂エリカとして第2の人生を歩むこととなって、松戸笑としての夢を叶えることは出来なくなった。…それは次の生で叶えるしかない。次回に期待である。
私はこれから、慎悟と生きるために頑張るんだ。彼と共に歩んでいくために。
「…慎悟、お願いがあるんだけど」
私は慎悟の手を掴むと、彼の胸元に頭をポスっと押し付けた。顔を見て言うのは恥ずかしいから顔は見せない。
「…あんただけは、私のことを名前で呼び続けてね。…表では、エリカでいいけど、2人きりの時は私の名前を呼んでね」
私を認めてくれる慎悟には、彼にだけは本当の名前で呼ばれたい。…せめて、2人きりの時は。
「…うん、呼び続けるよ。俺はあんたを笑と呼び続ける。約束するよ」
慎悟のその返事が嬉しくて、恥ずかしくて、くすぐったくて。私は頭をグリグリと押し付けることで感情表現した。
すると慎悟の腕が身体を包むように抱きしめてきた。その守られているかのような安心感に私はたまらなく幸せな気持ちになった。
「笑」
耳元で囁かれた私の名前は、普段よりも低い声で呼ばれた。バクッと心臓が大きく跳ねたのが身体越しに伝わったかも知れない。
「…ちょっと、“さん”つけ忘れてる」
「もう要らないだろ」
「要るよ! 私は慎悟よりお姉さんなんだからね!」
苦情を呈するために顔を上げると、私は慎悟に見惚れてしまった。それはそれは綺麗な笑みを浮かべていたから。
「…顔赤いけど?」
「…誰のせいだと思ってんだよ!」
年下のくせに、からかうなんて生意気だ!
私が文句を言うと慎悟は笑っていた。私の方が間違いなく長く生きてきたのに、慎悟の方が一枚上手に見えてしまうのは何故だろうか。