男女の距離感がわからない今日この頃。
「笑さん、痛いのか?」
その声に私は顔を上げた。
「ん? …いやそこまでは痛くないよ。現状維持のために、動かした後は冷やして処置したほうが良いの。大丈夫だよ」
コーチと入れ替わりで声を掛けてきたのは慎悟だった。いつの間に近くまで来ていたんだ。ボーッとしてたから気づかなかった。
男子は試合敗退していたから、暇つぶしに私達の試合を観に来ていたのだろうか?…男子の試合で偉そうに説教たれた割にひどい体たらくだと思われていそう…
「さっきの試合だけど」
「あぁ…負けちゃったよ…情けないよね」
今はまだ凹んでるから追い打ちはやめてくれ。慎悟は空気が読めるでしょ? 私が落ち込んでいるのを察してくれよ。
「…やっぱりあんたはすごいよ」
「…え?」
なにが? めっちゃボロボロに負けてましたけど? 負けっぷりがすごいって言いたいの?
バレーに関してはポジティブにもネガティブにもなれる振り幅の大きな私は、慎悟の言葉をマイナスに受け取っていた。それだけ凹んでいたとも言うけども。
次に来る言葉を待ち構えていると、彼はこう言ってきた。
「…バレーの経験もない、関心もない生徒をセレブ生・一般生の垣根なく一致団結させた事がすごい」
……一致団結? 皆で仲良くバレーしたことがそんなにすごいことなの? いやいや、バレーチームの皆が素直な子たちだったから、こうして団結出来たことだよ。
敗退したことを指摘されると思っていたのに、なんなの…。
「…なに、どうしたの。…まさか今日は雪が…」
「何故そうなる…せっかく人が褒めているのに、なんでそうひねくれた意味で受け取るのか…」
ハァァ…と深い溜め息を吐かれた。
あ、マジで褒めてたんだ。それはすまんかった。改めて慎悟に言われた言葉を思い出す。
…うーん、別に深いこと考えてはいないけどな。バレーを少しでも好きになってほしいからという自分勝手な押しつけもあるから善意100%ではない。誰だって面倒くさいと思ってプレイするより楽しくしたいじゃん。
それでも嫌いって人も中にはいるからそれは仕方ないけどさ、嫌いで終わらせるのは勿体無いとも思ってしまうのだ。私は嫌な雰囲気でプレイをしたくないってだけだよ。
ていうかすごいのはバレーだよ。バレーをキッカケにして皆が一致団結してるんだってば。バレーすごい。
「そうだ! 後で言おうと思ったんだけどさ、今日女子バレーチームのみんなで打ち上げ行くんだけど、男子も来る?」
「…打ち上げ?」
「去年も行ったんだよ。女子バレーチームの子達と二階堂グループの焼肉屋さんで打ち上げしたの。楽しかったから慎悟もおいでよ」
慎悟の家がどのくらい厳しいか知らないけど、お坊ちゃんだから門限あったりするのかな。
断られるかもしれないなと思ったけど、慎悟はOKした。他のバレーチーム男子たちも打ち上げに参加することになった。
クラスマッチ全競技を終えて閉会式を迎えたのだが、女子バレーは先程の3年の平井さん、桐堂さんのいるクラスが優勝していた。攻撃が得意な二人がいるんじゃこっちは不利だよ。同じバレー部でもぴかりんも阿南さんも守備専攻だもの。
あー悔しい。悔しいけど、負けは負けだ。これを糧にして次に活かすしかない。
閉会式を終えた生徒達がぞろぞろ校舎に戻っていく中、私は前を歩いていたバレーチーム男子達を追い越しざまに声を掛けた。
「HR終わったら教室の後ろに集合だよ!」
取り敢えず今は焼肉だ!
■□■
熱く熱された鉄板の上でジュワーと肉の焼ける音とモクモク上がる煙で充満した店内。一応臭い消しを用意したけど、制服に匂い染み付くかもな。
私はどんどん鉄板に肉と野菜を並べていった。鍋奉行ならぬ焼肉奉行かな。
「ほらほらもっと食べて」
成長期といえば食欲旺盛。てことで私は焼いた肉と野菜をわんこそばのように近くの席にいる子の皿に盛りまくっていたのだが、私の隣に座っている慎悟が眉を顰めて文句をつけてきた。
「…盛りすぎ」
「そんなことないよ。慎悟は細身なんだからもっと食べたほうが良いよ?」
「余計なお世話だ」
「でもほらこんなに腕細いし…」
そう言いながら私は隣に座っている慎悟の二の腕を掴んで……ハッとした。
「ごめん! またセクハラした!」
「…は?」
また何も考えずに触ってしまった。慌てて手を離す。慎悟にチクチク指摘される前に謝罪したが、慎悟は呆けた顔をしていた。
…駄目だ、傍にいたら無意識にセクハラしてしまうわ!
「阿南さん席変わって!」
「え? えぇ…まぁよろしいですけども…」
「……」
多分またフランクにどついてしまうに違いない。そして慎悟に睨まれるんだ! 癖は中々直らないよ…
私の頼みに快諾してくれた阿南さんはちらりと慎悟の顔を見て何だか気の毒そうな顔をしている。…セクハラ被害者に同情しているのね。
私は痴女じゃないのよ。決してやましい気持ちがあって触ったんじゃない。悪気はなかった。…あぁ駄目だこんな言い訳、性犯罪者の常套句じゃないの。
腰や太ももを触るのもセクハラなら、二の腕を触るのもセクハラ。もう何もかもセクハラなのよ! めんどくさい世の中になったものだ。
…私の中でセクハラは、異性に触る→セクハラという認識に変わった瞬間である。
うわぁやっべぇ、慎悟不機嫌になっているし。こっち睨んでる怖い怖い。はよ、はよ逃げな!
私は自分のお皿と箸を持って阿南さんの座っていた席に慌てて移った。
「菅谷君ちゃんと食べてるか?」
「はい! 美味しく頂いてます!」
移動先でお隣になった菅谷君は腹ペコ男子だったのか、すごい勢いで肉と米を往復していた。極力触らないように…セクハラにならないように心がけた。
「ほらほら菅谷君、野菜も食べな」
「ありがとうございまふ!」
うんうん良い食いっぷりだ。
私も食べるのを再開した。
クラスマッチは終わった。その後は…2週間置いて中間テストが待っている。…生まれて初めて…これは松戸笑として初めてのことだ。私は真面目に勉強に取り組む覚悟を決めていた。
私の世界はバレーボール。昔から勉強よりもバレーだった。ていうか文武両道とか地頭が良くないと無理だって。…考えるだけで頭が痛くなってくる。今まで勉強してこなかったツケが回って来たな。だってもう成仏する気満々だったし、まさかエリカちゃんとして死ぬまで生きるなんて誰が想像するよ…
「エリカお嬢様、こちら社長からの差し入れになります」
「…えっ、あ、ありがとうございます」
パパからのお肉の差し入れを店員さんが届けてくれた。考え事をしていた私はハッとする。ハネシタと言われたけど…取り敢えず美味しいお肉の部分なのだろうな。
あー…私はエリカちゃんらしく成績良くならなきゃならないのか。習い事して、お嬢様らしく生きる…その内パパママが決めた、良家の子息と結婚するのだろう。
私は二階堂夫妻に自分のわがままを聞いてもらえている方だと思う。しかも結果的に娘の体を乗っ取った人間だ。…その負い目があるために、私は彼らの希望に沿わなければならないとは感じているのだ。罪滅ぼしとは違うけど……
私は二階堂エリカとしての最低限の立ち振舞いをマスターしないといけないのだ。
…自分で自分がわからなくなりそうで怖いや。
やるしかないってのは分かっているけど、何だか胃が重くなった。それは決して焼肉のせいではないのは理解していた。
「…表情が浮かないな」
「…え?」
手配してもらっていたマイクロバスで家が近い人から順に送り届けていた。最後に慎悟を家まで送っていたのだけど、彼から元気がないことを指摘された。
「…焼肉食べ過ぎちゃったの」
「…そうか? あんたあまり食べてなかったように見えたけど」
「ちょっと、そこまでして私のセクハラ監視しなくても良くない?」
私の一挙一動を監視してるのかあんたは。慎悟は私の文句に対して「セクハラ?」と首を傾げていた。
彼はこちらの顔を…特に目元を見て眉を顰めていた。探るようなその目に私はドキッとしてしまう。
「クマが出来てる。…山本も言っていただろ。あんたが勉強しようとしているのがおかしいって」
失礼な。本気出そうとしているのにおかしいとはどういうことだ。応援してよ。
「このままじゃ駄目だなと思ったから頑張ろうと思ったの! 慎悟あんた今まで勉強しろってうるさかったんだから、私の変化に喜びなよ」
安心してよと言ったけども、慎悟は納得できないようなスッキリしない表情であった。私のことを信じてよ。
…ちなみに加納家は一軒家じゃなくて億ションでした、初めて見たよ億ション。この最上階に住んでいるらしいよ。見晴らし良さそう。