爆豪勝己と会わなくなってから、早くも一月が経つ。
定期的に来るメッセージは、中身も含めて定期連絡そのもの。
「元気か」「飯食っとんか」「たまには休め」
全部こっちのセリフ。と、一蹴したくなるようなものばかりだ。
別段、彼が居ない生活は日常であり、不便はない。
ほんの少しの「声が聞きたい」という欲が、月に一、二度訪れるくらいだ。
そもそも、彼と先を見据える事になった時にはこうなることは予見していた。
彼への負担が無ければいい。
全てに於いて、私はその気持ちが大きいと思う。
何故なら、彼はヒーローで、私はそれを支えられる存在になるのだ、と決めていたからだ。
相手が爆豪勝己であろうと、別の誰かであろうとも。
ヒーローを支える存在であれるように、と、目指しているからだ。私は、そんな存在を。
それに、一人でいる方がそもそも楽なのだ。何に縛られることもなく、自分だけの時間を使えるのはいっそ、快適とすら思う。
言ってしまえば、爆豪勝己がそばに居るほうが非日常であったのだ。
仕事を終え、未だに慣れないハイヒールを高鳴らしつつ駅へと向かう。
そろそろ終電だと言うのに、うっかりと資料の作成に夢中になっていた。
そもそも、こんなに案件を抱えているというのに、自宅での作業の一切が禁じられているのは不便他ならない。
秘匿だなんだと言うのはわかるのだが──と頭の中ですら先の案件の内容を反芻しながら鞄を漁る。
すっかりそこの方へと沈み込んでいるスマートフォン。そう言えば、社用の物以外今日は手にしていなかった事を思い出す。
今日は水曜だ。
定期連絡。
画面の明かりを着けると、珍しく着信が2件。
メッセージが1件。
『終わったら寄越せ』
主語も何もかもが足りていないメッセージに、思わず立ち止まった。
「……電話」
何かあったのだろうか。
彼からの着信は初めてのことだ。
先よりも足を速めながら、コールをすれば、何度と鳴ることはなく繋がった。
暫く風の音が受話口から届き、暫く経てば「どこ」と、独特の少しばかり掠れた声が響く。
「仕事の帰りなの。あなたは」
「……こっちも」
「あら、奇遇ね。ところで私、今日はお昼も食べそこねたのよ」
戯けるように言えば、ハッと鼻で笑う音が電話口の向こうから届く。
「よく持たせたな。高燃費女」
「持たないわよ。今にもお腹と背中がくっつくわ」
「幾つだよ」
なんてことのないトーンで返ってくる彼の声には、なんの情報も乗っていない。
けれど、若手の実力派としてメディア露出が増えているのだから、昨日今日、彼に何があったのか、なんてことはすぐに知れる事である。というのに、通話しながら社用のスマホで検索をかけれども、彼が困るような、つまり、彼が精神的に参ってしまう、というような事件事故は見当たらない。
至って健康的にヒーローをしているようだ。
「駅に着いたわ」
「……降りたらかけてこい」
「電池もないの。充電を忘れていたわ」
「帰ったら連絡しろ」
「ええ。おやすみなさい」
彼の返答を聞く間もなくやって来た、すっかりと空いている電車に乗り込み、またスマホを操作する。
大・爆・殺・神ダイナマイトの見出しのあるページを消去し、今担当している案件のメディアでの報道をチェックすることに切り替えた。
また、頭の中はそれ一色に変わっていく。
電車を降りる頃には、頭の中からすっかりと爆豪勝己の事を消し去っていた。
オートロックマンションの、5階。上でも下でもないそこの角部屋を借りている。
理由は沢山あるのだけれど、どれも取るに足らないものだ。
とにかく、物音が少ないここを、私はそれなりに気に入っている。
玄関の鍵を閉め、靴を脱ぎ捨て、二人がけのダイニングへとキーと鞄を適当に放る。
ジャケットはもう暫く誰も座っていないチェアに引っ掛け、鞄から取り出したお昼に食べる予定であった弁当を開ける。
すぐ横に引っ張ってきたPCを着けながら、一口。
また暫く時間が経った頃、スマホがブルブルと震えだす。
「はい」
「てめぇ、連絡しろつったろが!」
私は慌て立ち上がり、ベランダのカーテンを開く。
いた。
彼の声は、よく響くのだ。
ベランダの手摺に体を預け、こちらを睨みつけるのは、正真正銘。間違いなく、大・爆・殺・神ダイナマイトだ。
「……不法侵入ではないかしら」
「ヒーロー、及びそれに準ずるものに限っては──って、あンだろが」
「緊急時のみの適用のはずよ」
「緊急時だろが」
「ふふ、だからスーツのままなの」
私がたずねれば、ベランダでブーツを引っこ抜きながら部屋へと今度こそ侵入してきた彼が、また、ハッと鼻で笑った。
「違ぇ」
ダイナマイトは、アイマスクを外し、ヘッドセットを私のPCの上へと乱雑に置く。
「ここは、俺ン席だろが」
「でも、居なかったもの」
篭手を外し、ヒーロースーツを脱ぎ始める彼は、ソファの一角。一時は、彼の定位置となっていたそこへと置き始めた。
つまり、私の洗濯物を積み上げていた場所だ。
「俺が座る場所もねぇわ」
「座らないじゃない」
とうとうコスチュームの上も脱いでしまった彼は、爆豪勝己になった。
爆豪君は、その真っ赤な目で私を見据え、口をへの字へとひん曲げていく。
「てめぇは」
「なぁに」
「てめぇの隣は、俺ンだろが」
気安く他の男に、くれてやってんじゃねぇよ。そう言って、彼は私の首裏へと、その熱い手をねじ込んでくる。
ぞわ、としたものが、体中を走り抜ける。
ほんの少しだけ震える下唇を噛み締め、それから言った。
「同僚よ。今、抱えている案件で一緒に──……」
「わぁッとる!」
ぐり、とぶつけられた額が擦れた。
「わぁっとんだわ、ンなこと」
「ええ」
「そんでも、そこは俺ンだわ」
「善処するわ」
「……てめぇからも、……連絡寄越せ」
「そうね」
「ンな物分りのいい女になんじゃねぇよ」
「そうするわ」
「言いたいことの一つや二つ、あんだろ。言え」
「あなたこそ、溜め込んだのね」
私はその広い背中へと、そろそろと腕を伸ばす。
本当は、隙間もない程に抱きしめてほしい。
けれど、彼の真っ赤な目を見るのも好きなのだ。
彼の何よりも雄弁に彼を語る目が、長いまつ毛で一度、隠れる。
それからまた、今一度開いた瞳はしっかりと涙の膜に覆われて、とてもきらきらと光り輝く。
とてもとても、美しいと思う。
「爆豪君」
私が呼びかければその真っ赤な目が、私を映す。
ときに優しく。
時には、妖しく。
私はその瞬間が、どうしょうもなく好きだ。
「なら、わがままを聞いて頂戴」
「……」
「ただいま、と言ってほしいわ。あと、おかえりも」
本当は、ずっとその目を見ていたかったのだけれど、胸が押しつぶされるほど、ぴったりと重なった体も、愛おしい。
だから、爆豪君が私を掻き抱いた事に、ちっとも文句なんてわきはしなかった。
「ただいま」
「ええ、おかえりなさい」
「……おけぇり」
「うん。いま、帰ったわ」
帰るのなら、私はずっと、ここがいい。
別段、彼が居ない生活は日常であり、不便はない。
ほんの少しの「声が聞きたい」という欲が、月に一、二度訪れるくらいだ。
けれど、本当は、いつも私から切り上げるメッセージは、返事を何度も入力しては消していることも、洗濯を干すときは、空を見上げ、あなたを探すことが癖になっていることも、あなたの置いていったTシャツから、あなたの匂いが消えてしまうほどに抱きしめていることも、あなたは知らないままがいい。
何故なら、彼はヒーローで、私はそれを支えられる存在になるのだ、と決めていたからだ。
相手が爆豪勝己であろうと、別の誰かであろうとも。
ヒーローを支える存在であれるように、と、目指しているからだ。私は、そんな存在を。
それに、一人でいる方がそもそも楽なのだ。何に縛られることもなく、自分だけの時間を使えるのはいっそ、快適とすら思う。
爆豪君が居ないときに、たくさん爆豪君を感じて待てるから。
あなたがニュースで取り上げられるたびに、仕事の書類の一角に、あなたの名前を見つけるたびに、背筋をピンと伸ばすことが出来るから。
あなたが誇れる私に近付くことができるから。
言ってしまえば、爆豪勝己がそばに居るほうが非日常であったのだ。
だからこそ、この非日常を大切に、大事に大事に。
ぎゅっと抱きしめたいと願う。
「──好きって、言え」
爆豪君の口から出る言葉が全て、愛おしいと思う。
だからこの非日常に、私は何度だって、恋をする。
「爆豪君」
ぎらぎらと赤く紅く光る眼に、何度だって恋をする。
「大好きよ」