「ッキャァァァァァアアー!!!」

西の、それはそれは野太い悲鳴が木の葉の影をより黒くする美しい星空を切り裂いた。




鴉からの目撃情報があったにも関わらず、そこは静けさに包まれていた。
前日には雨が降っていたらしく、足元の草葉が足袋を、西の羽織代わりにしているらしい着流しの裾を、汚している。
その竹林の向こうに見える大岩を切り取ったかのようにも見える洞穴を見た西は、

「ここに居り。……見てくるわ。いや、やっぱ怖いな、一緒に、」
「はよ行けや」

梅に蹴られ、とうとう洞穴へと足を踏み入れた。
暫らくなんの音もしなかったそこへ轟いたのが冒頭の西の悲鳴である。
その悲鳴にいち早く動いたのは矢張り、というか梅であった。

「西!どうしたッ!」
「梅!」
「ちょ!置いていかんで下さい!」

私と後藤さんの声に、洞穴へと踏み込んだ梅は

「着いて来ぃや!」と吐き捨てた。
「はい!」

「西!ぶじ、ヒャァァァァァァアア!!!」

全容を目の当たりにした梅は、両頬へと手を当て、同じように野太い悲鳴を上げる。

「うっ……!」思わず私までも、口を覆った。

あまりのおぞましい光景に、暗闇に目が慣れていることを嘆き、いっそ洞穴の中にはいりこんだ事も、関西圏に来たことをも、寧ろ鬼殺隊に入った事をすら後悔した。
尋常ではないほどの大きなナメクジが、そこら中にうぞうぞと蠢いてるのだ。
私は鬼退治の手伝いをしているのであって、これは範疇の外であると断言する。
虫は、気持ち良くない。不快であった。

梅は勢いが余ってしまったらしく、躓いて、顔からナメクジに突っ込んでしまった。

「っあ゛ぁぁぁーーーあ!!!
っア゛ァァァア!!股ァァ!股に来とるーーゥ!!!」

西はまた大きな高い声を上げ、呼応するように梅からも悲鳴が上がる。

「んぎゃぁぁぁああ!!!んひーーぃっ!!」

ヒィヒィ叫びながら、ナメクジで溺れている。
昨日の恨み言を言わずとも、天罰が下ったのでは?と、こっそり思わずでも無いけれど、ここで二人に倒れられると困る。

「ちょ、ちょっと待っててくださいね、!!後藤さん行きましょう!」
「イ゛ヤァァァァア!!おいてがんどっでえぇぇえ!!おボッ!!」

梅の声が潰えてしまった。
ヤバい。
本当にやばいと思う。

「ギャァァァァァ!!梅ェェェエ!!!どっ!だっ、!どっ!
きゃぁぁぁぁぁあ!!!」
「ちょ、二人とも!大丈夫ですか?!鬼、鬼は!」
「そんなん知らんわ!!はよ、どうにか……っきゃぁぁぁあ!!股のとこおぉぉぉお!!!!」
「え、ぇえ、」
「ほら!後藤さん!!早く!」

後藤さんの手を引き、洞窟を出た私は、一つ頷いた。
竹林を飛び出し、私達は手分けして塩という塩をかき集めに行った。

兎にも角にも、見える家の扉を叩きまわり、ここに来る前に預けられていた西の財布から幾枚かのお札を押し付けながら塩を貰う。
タダではくれなかったのだから、仕方がない。
これは必要経費だ。
別に湯水の如く溢れるという財が減れば良いだとか、そんな邪な事を考えているだなんてことは決してない。
そもそも、私に財布を任せたのが悪いのだ。

一先ず瓶いっぱいの塩をあちらこちらからかき集め、後藤さんと別れたところへと戻ると、同じように向こうから後藤さんが走ってきた。

「どうだった?!」
「この通りです!」
「良くやった!!行くぞ!」
「はい!」

合流して、また洞穴へと向かう。
正直もう入りたくはないけれど、とりあえず入らない事には対策も何も、鬼を倒すもくそも無いのだから入らなければ。
一つ唾を飲み込み、私はまた足を踏み入れた。


「無事ですか!!」
「ご無事ですか!」

言いながら、私と後藤さんでこれでもか、と塩を振りまいていく。

「アァっ!!しょっぱ!!しょぉっっっぱ!!たった今無事や無くなったっぱ!しょっぱァ!!」
「おボボっ」

不穏な叫びも聞こえるけれど、瓶をひっくり返しながら振りまいていく。

「アッ!目!!目ぇきてる!目!目ぇ!目がァァァァア!!おべぺっ!!」
「おボボボっ!!」

粗方ナメクジがいなくなった頃、ようやっと西と梅は立ち上がり、体をべちべちと払う。
そう、パタパタでも無い。
ペシペシでもない。
べちべち。
何なら、ベタベタ。いや、やっぱりべちべちと。
その度に、粘液のような物がぼとりぼとりと落ちていく。
その度に、うぇえ、と言う声が双方から聞こえてくる。

「臭いぃ、ベトベトずるぅ゛ーー、しょっぱぃぃ、」
「西、スマン……お、おべぇっ、ぇぇぇえ、」
「くぅさいいぃぃ、おべぇろろろろ」

二人のやり取りを眺めていたが、鬼は何処にいるのか、と辺りを見渡そうとしていた頃にはツンと据えた吐瀉独特のにおいが洞窟の中を満たした。
光景とにおいも相まって、私のお腹の中まで刺激が走る。

「うっぷ……」思わずパッと口元を抑えた。
「嗣永、仮にも柱の前だぞ!」

ギョッとした顔を見せる後藤さんの肩に手を乗せ、私はふらりと脚を動かした。

「ちょっ、と、……ちょっと、出てきますね……」



スッキリしてから戻ろうとすると、洞窟から三人がゾロゾロと出て来る。
ずず、と何かを啜る音とともに洞窟から出てきた三人は、静かにそこに佇んでいる。

「っすん、すん……汚された……」顔を手で覆う西を、今回ばかりは確かに同情したし、

「もう、お婿に行けん……グズッ……」小さく呟く西の背中を擦る後藤さんの気持ちも全くわからないでもなかった。
私は草履の裏で、サッサッと地に吐き落としたものに砂をかけて、そっとお二人に手巾を渡す。

「遠いねん。届かへん」

手をのばす西の指先から、ニ寸ほど遠くに有る手巾を、体だけは動かさずにもう少し腕を伸ばして渡そうと試みるが、いかんせん、遠すぎた。

「すみません、これ以上は、……ちょっと、その、……ちょっと」
「なんなん?自分ほんまに容赦ないやん……」

羽織っていた唐紅の着流しを脱ぎ去り、その内側で拭えるところを拭いながら、西は静かに囁いた。
手巾は諦めたらしいので、私は綺麗に畳んで仕舞った。

「梅、……しばらくこっちによらんとってな……」
「う、裏切り者ォォオ!!」


◇◇◇


近くの藤の家紋の家に向かう頃には、風が少しばかり吹き込んで汗をかいた体を冷やしていた。
まだアスファルト舗装をされていない砂利道を走り抜けた先に位置したその藤の家紋の家は二人には馴染みの家らしく、西は大きく息を吸って「すんませぇえん!」と人を呼んだ。
カラカラと、玄関を開ける音がするのとともに西は門を開けて中へとずいと踏み入った。

「遅くにスマンなぁ!邪魔すんでぇ!!」
「いつもおおきに!あ、待てよ西ィ!!」

そこで我先にと湯を貰いに走る二人を見送って、
二人が居なくなったことで姿を見て取れた老婆に私は頭を下げる。

「ようおいでくださいました」
「俺達はこれで、」
「前も、そう言うて入ろうとせんかった"隠"の字を背中に背負った方が居りましてな。それはそれは、勝猛ちゃん、えらい怒りよったんや」

懐かしむ、みたいに笑うものだから、私はどうしたものか、と後藤さんを見た。

「ほら、私が怒られてまうさかい、入んなさいな。
あんたらも、私達のために走り回ってくれとる事は、みぃんな知っとる。婆にもてなさせてや」

老婆に腕を引かれた後藤さんは、小さく一歩を踏み出して、頭を下げる。
ひゅう!と言いたくなった私は、早くもあの二人に毒されようとしている気がする。

「では、……すみません、」

遠慮がちにも、お婆さんに手をひかれながら中に入っていく後藤さんを見て、湯浴みから戻ったらしい西達が玄関先にやって来た。

「ふぃー、ほら、はよ入らんと。婆ァさん困るで。婆さん、飯出せる?」
「西!女性に対する口がなってないなぁ!」

がなる梅の言葉に反論したのは、意外にもこの老婆だ。

「煩いなぁ!静かにしぃ!!遅いんやで!」

そう、鋭く怒声を飛ばしたお婆さんの言葉を両手で耳を塞ぎながら聞き流した西は、フンと鼻で笑いながら告げた。

「お前が一番喧しいわ」




まあ、一悶着を終えて宛てがわれた座敷に腰を下ろしたところで、熱いお絞りをお婆さんに渡される。

「悪いなぁ、こんな時間に押しかけて飯まで強請ってしもて。ほら、お婆さまも、肩もんだりましょ。」

梅がお婆さんの肩を揉んでる間、西は自分の脱いだ袴をじぃ、と睨みつけている。

「どうかしましたか?」後藤さんが尋ねると、
「これを穿くときってさぁ、なんや不格好やん?中年のオッサンが腰曲げて『あ゛ぁあ…』言うてる姿想像できるやろ?」
「……さぁ、どう、ッスかね、」
「は?わからんの?……そしたら、せやなぁ、どじょう掬いに精出してるオッサンみたいやん?」
「……いやぁ、……っ、スか、ねぇ?」

西の唐突な話に、後藤さんは眉を顰めた。
間違いない。私も顰めた。

「まぁええわ。ちょお、後藤ちゃん、袴こないして持ってて」
「こう、スか?」
「……っしゃ!いくでぇ、」

大きく腕を広げて袴を持つ後藤さんの後ろに西は回り込み、ダッと走り出す。
途中で大きく踏み込み、宙でくるりと体を捻り、着地。

「ッダァア!いかん!!!梅ぇ!!!やんぞ!!!」
「ハァー?一人でやりいや……」

構えた袴よりも数寸先に着地した西は、悔しげに地団駄を踏む。

「お前、ヘッタやなぁ!」鼻で笑う梅に、頬をひくつかせながら、「見てろや、」とまた数歩西は後ろへと下がった。

「いったぁア゛!!」
「っだぁあ!!後一寸んんん!」
「いや、人ン頭を踏んだ事を謝れや」
「っしゃ!やんぞ!」

そうして夜明け前の謎の特訓は始まった。





「「っシャアァァァ!!!」」

二人が大きく拳を作って喜ぶ頃には、そろそろ日が昇ろうかと薄明かりが差し込みだしている。
幾度か中断して喧嘩が勃発したりと言うこともあり、まぁ喧しい。
老婆は早々に切り上げて自室へと戻ったらしく、この室内には項垂れる後藤さんと色々諦めて横になる私、はしゃぐ二人を入れて四人で過ごしていた。
擦り切れ始めている畳の目を私は眺めながら、ようやっと終わったであろう喧騒にこっそりと安堵する。
やっと眠れる。

「……」後藤さんは何も反応せずに項垂れて、小さく「寝たい」と呟いているけれど、早々に転ばせて貰っている私は、この二人に付き合っていたら、死ぬと覚えた。
多分、後藤さんは早々にこの二人に音を上げるのではないだろうか。
なんて、どこかで下らない事を考えながら私は静かに目を閉じる。



数刻。
それこそ二刻程経ったろうか、という頃。
日が頂きに辿り着いた頃に鴉がやってくる羽音で西と梅は飛び起きた。
既に準備万端といった様相の西は、私を背負いながら、昨日よりも速い速度で山をかけた。

「西ば、西さん!俺達は後で行きますんで、」

梅に背負われている後藤さんが声を張り上げる。

「舌噛むで!」
「あの、!」
「万が一それで自分らァ襲われたら、寝覚め悪いやろ!向こうとコッチは事情違うからなぁ!気にせず背負われとき!」

それに負けないくらいに声を張り上げる西は、日も傾きかけた頃、鴉が頭上で旋回するそこで、私を地に落とした。

「イタッ!」受け身も間に合わず、地に尻もちをついたところで、西の言葉がポツリと落ちる。
「やられたなぁ」

西の右隣から、見下ろしている先を見ると、人が一人として歩いて見えない小さな集落が見えた。
ザクッと、草葉を踏む音を響かせて左隣へとやって来た梅が呟く。

「もう、終わっとるか」
「多分なぁ。見える限りでは十三戸。皆食うとるやろなぁ」

私と後藤さんは、静かに西を見据える。

「生きとる人間の気配がしてない」
「ならもう乗り込んでまうか?」
「そうしよ」

夕間暮れの朱と藍の混じり合う空の下、西と梅は走り出した。
その後ろを、遅れないようにと私も後藤さんも追う。
ザカザカと木々の隙間を縫うように走り抜け、山をまるで切り裂くような速度で走り抜ける。
私達が麓に降り立つ頃には刀を抜いた西が、一番手前に見えた家の壁を刀の柄で砕き始める頃であった。

「ッア゛ーー!なんか、こう!!木槌欲しいィイ!!」
「お前そんなんあったら絶対他の家も潰し始めるやろ!」
「っしゃ!ほな行くぞ梅ぇ!」
「ちょ、待て待て待て!」

大きく砕けた穴に腕を引っ掛け、壁をバキッと剥きあげた西は、そのまま家屋に突入し、中に居たらしい鬼へと斬りつけたらしい。

ギャッ!と、二人のものとは違う叫び声が家屋から聞こえるのと同時、途轍もなく生臭いにおいがあたり一面を包み込んだ。



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