Long story


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30

 それまでがどうであれ。
 これからを決めるのはその時の自分だけだ。

Side Taisei


 目の前に現れたその人物を前にして、俺は立ち尽くしていた。
 目をそらすこともできず、逃げることもできず。
 ただ、立ち尽くしていた。

「大晟」
「ち…が…俺、は……」


 否定したいのに、思うように声が出ない。
 そんな俺を見て、目の前の男はニヤリと笑う。

 近寄ってくる視線から、遠ざかることが出来ない。
 動けない。まるで金縛りにあったように、指の一本も動かない。



「ブロンズの髪に、僕に怯えた目、震える身体。…違わないだろう?大晟」



 髪にかかる指先を払うこともできない。

 ぶつかる視線を逸らすこともできない。




「まさか、僕を忘れたわけじゃないだろうな?あれほど可愛がってやったのに」


 可愛がってやったと、その言葉が恐怖を駆り立てる。

 痛みを、思い出させる。


「忘れられないように、爪は一枚ずつはがしたことを覚えていないか?その目をアイスピックでくりぬいてやったこともあっただろう?のこぎりで腕を切断したこともあった。そんなことも忘れてしまったのか?」


 痛みが、痛みが駆け抜ける。忘れようとしても、忘れることのできなかった痛みだ。
 今はもう傷跡すら残っていない腕が、目が、焼けるように痛い。


「一番楽しかったのは、やっぱりあれだなぁ」


 楽しそうに笑う。


「泣き叫ぶ声をよく覚えている。実に楽しかった」



 忘れられない。

 けたたましく笑っていたあの声を。



「ああ、思い出したら遊びたくなってきた」



 やめろ。やめてくれ。




「なぁ、大晟。お前もまた僕のオモチャになりたいだろう?」



 オモチャ。

 要がいつも口にしていた言葉なのに。
 どうしてこんなにも、響きが違って聞こえるのか。

 まるで別物のように聞こえる。

 恐怖ばかりが先だって、何も言い返すことができない。
 今自分が動き出すことができれば、逃げることも隠れることもできるはずなのに。
 どうして体はそれをさせてくれないのだろうか。

 俺はまた、この男のいいなりになってしまうのだろうか。
 恐怖で覆いつくされた脳が、絶望を捉えて呑み込まれてしまいそうになる。

 拒絶したいのに、どうしてもそれができない。

 運命という言葉が本当ならば。


 俺はこの男のオモチャとして死ぬことが運命なのだろうか?
 どう抗うこともできないように、プログラムされているのだろうか?

 そんな思いが、頭の中を支配して離れない。



「生憎だけど、あんたのオモチャにはさせませんよ」
「っ…!」


 誰かが、俺の腕を引いた。


 **


 腕を引かれてようやく動いた体は、自分の意志ではなく誰かの力によって勝手に恐怖の矛先から遠ざかっていた。
 俺の髪にかかっていた細い指が、離れていく。


 後ろにいた要が、一瞬だけ俺を見て一歩前に出た。その横顔を見て初めて、自分の腕を引いていたのが要だったのだと理解した。
 再び視線を戻すと、ニヤリと笑っていた目の前の顔が曇っていた。


「君は…確か、スペードの」
「へぇ、覚えてくれてたんですか」

 要は意外そうに言った後に「嬉しくないけど」と小声で呟いた。
 俺に聞こえているということは、目の前の男にも聞こえいてるはずだ。



「なるほど…、今は君のオモチャということか」
「玩具じゃなくてペットですよ。首に鈴があるでしょ?」

 要は俺の首に巻かれている鈴を揺らす。
 いつの間に電源を入れたのか知らないが、チリンと音が鳴った。


「でも、君はすぐに飽きるだろう?君の噂はうちの地区でも有名だ」
「飽きません」


 即答して、要は真っ直ぐに前を見た。
 冷たい手が、俺の手に触れる。




「大晟は俺のものだ。あんたなんかに渡さない」



 重なった手に、力が込められた。


 金縛りのように動かなかった体が、急に軽くなった。
 焼けるような痛みが、急速に冷めるように引いていく。




「誰に向かって、そんな口を利いてるんだ?」

 見下すように要を見つめた手を挙げた。

 その目は。
 その感情のない目は。


 父と母を殺した時のそれと同じだった。



「僕を誰だと思っている?」


 来る。

 凍ってしまいそうなくらい冷たい視線を注ぐその頭上に、パキパキと生成されていく。
 鋭く先のとがったものが無数に、増えていく。

 脳裏に焼き付いた恐怖が一瞬で脳天を突き抜け、足が竦んだ。


 あれが来る。



「生意気な」


 その矛先は、俺じゃない。


「要!!」
「え――――…」


 どうしてかは分からない。
 その鋭い矛先が要に向けられた瞬間、竦んでいた足がまるで嘘のように軽やかに動いた。
 俺よりも前にいる要の腕を引き背後に押しやると当時に、どうっと、轟音のようなものが聞こえた。



「ッかはっ……」



 痛い。痛い、痛い、痛い。

 俺は一度だって、この痛みに耐えられたことはなかった。



「自分から飛び込んでくるとは…そんなにその子どもが大事か?」



 その目にも、逆らうことのできなかった。
 その指を、振り払うことすら出来なかった。



「ああ、よほどこの痛みに飢えていたんだな」



 けれどもう、それも終わりだ。

 俺は二度と、そのどれにも屈することはしない。



「違ぇよ…馬鹿野郎」



 ここは、あの暗い場所じゃない。

 誰も助けてくれない、闇の中じゃない。



 この男の、オモチャじゃない。



「俺はもう、あんたの好きにはならない」



 真っ直ぐに前を見据えて、その手を払いのける。
 再びその矛先が俺を捉えたが、それは俺に向かってくることなくすぐに溶けて消えた。



「そうか」


 その短い言葉が、一体何を思って発せられたのかは分からなかった。
 そして、それきり言葉を発することはなかった。
 まるで遊んでいた玩具に一瞬で興味を失った子供のように、冷たい視線はあまりにもあっさりとその方向を変えた。


 **


 痛い。痛い、痛い、痛い。

 痛みが全身を貫いていく。
 立っていられなくなって地面に膝を着くと、その衝撃でまた痛みが走った。
 全身から血が噴き出しているような感覚に頭がくらくらする。


「た…い…―――大晟!!」
「っ…」

 ふらついた体を支えられ、名前を呼ばれて意識が戻ってくる。
 視線を向けると、今にも泣いてしまいそうな顔をした要が俺を見下ろしていた。

 可愛いじゃねぇか、この馬鹿。

「馬鹿…!…何で……!」
「うるせぇな…」

 何でなんて、そんなこと俺が知るか。勝手に体が動いたんだからしょうがねぇだろ。
 大体、助けてもらっておいて馬鹿呼ばわりとはどういうことだ。

 ああ、面倒臭ぇな。


「こういう時は何も言わずにこうすればいいんだよ」


 俺を支えている腕を引いて抱きしめると、冷たい体温が伝わってくる。
 そのまましばらくじっとしていると、朦朧としていた頭がはっきりした。
 思い違いか、痛みまでがなくなってくような気がする。

「大晟…そんなことしたら、血が……っ」
「あ?うわ、やべぇ……」

 要に言われて、改めて自分の体を見る。全身に突き刺さったものはもう溶けてしまっていたが、そこからだらだらと血が流れていた。全身穴だらけだ。
 地面には俺の血と溶けたそれが混ざり合って血だまりとなっているはずだが…あれだけ串刺しになったものが溶けたにしては、量が少ないような気がする。もしかして、自分が思っているよりも出血していないのかもしれない。


「お前の服まで汚しちまったな…」
「馬鹿!そんなことよりお前の傷の方が問題だろうが!!」

 まぁ確かに、それもそうか。
 思ったより出血してなくても…多分このままじゃ死ぬもんな、普通は。

「さっさと治すか…」
「え?」

 痛ぇのは嫌いなんだけど。
 このままここにいて看守に見つかったら面倒なことになりそうだし。

「はぁ…」

 意識を集中させるために息を吐き再度自分の身体を見ると、串刺しになったはずなのにもう血が止まっていた。この分だと、何もしなくても3日あれば完全に治ってしまうだろう。だが、こんな息をするだけで刺すように痛い思いを3日もするのは御免だ。

 意を決して息を吸い、そして全身に命令を出した。
 再生速度を、上げろ。


「っ…いっ……」

 全身を引き裂かれているような感覚に襲われる。
 ふつふつと血が生成されていく。えぐられた細胞がぶつぶつと音を立てて増殖していく。千切れた皮膚を無理矢理繋げようとしているのが分かる。

 痛い。今すぐに命令を取り消してしまいたいくらいに、痛い。
 しかし、だからといって命令を取り消すわけにはいかない。

 俺はいち早く帰りたいんだ。
 さっさと治して帰って…そうだ、寝たいんだ。
 そう、だからわざわざシステムエラーを起こして、労働を中止させたんだろ。そんなことしなけりゃ、会うこともなかっただろうに。
 こんな思いをしたのに、当初の目的を遂げられないなんて、冗談じゃない。

 俺は眠くて、眠くて仕方がなかったんだ。
 それを思い出すと、途端に眠気が襲ってきた。


「寝る…」
「は!?あっ、おい、大晟!!」

 表現しがたい痛みが体を侵している。まだ再生は終わっていない。
 速度を最大に上げても10分はかかるはずだ。
 しかし、俺の意識はもう限界だった。

 一言だけそう言って要に倒れ込むと、あっという間に意識が遠のいて行くのを感じた。
 心地いい要の体温と、体中を侵している痛みが俺の意識を遠ざける手助けをしたのだろう。
 要が何か叫んでいるような気がしたが、そんなことはもうどうでもよかった。
 今すぐに寝たい。途切れそうな思考にあったのは、ただそれだけだった。

 身体はこんなにも痛いのに、痛いのは大嫌いなのに。
 どうしてだろう、最高にいい夢が見られそうだ。




途切れる意識
(その先に、青空が見えたのは気のせいだろうか)



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