Long story


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24
 
 記憶は人を脆くさせる。
 その記憶が望ましくないものであるほどに、人は壊れやすくなる。
 そして悪しき記憶ほどに、決して消えることがない。
 一生消えない記憶は、人を縛り続けたまま絶望の淵へといざなう。
 しかし、もしもどこかで手を差し伸べてくれる誰かがいたなら。
 絶望を打破することもできるかもしれない。


Side Taisei


 あの顔を。

 ずっと忘れたいと思っていた、あの顔を。
 忘れることができなかった、あの顔を。

 もう大丈夫なのだと、何度も自分に言い聞かせた。
 そうしてずっと、考えないようにしてきた。

 もう二度と会うことはないと、そう思っていた。そう思いたかった。
 そうすることで耐えてきた。
 ずっと、ずっとずっと、耐えてきた。


 だから、あの顔を目にしたとき。
 忘れたくても忘れることができなった、あの顔を。
 二度と会うことはないと思い耐えてきた、あの顔を。

 再び、目にしたとき。

 何も―――本当に何も、考えられなくなった。


 まるであの頃に引き戻されたような感覚になった。
 その写真は無表情だったが、俺に向かって笑っているように見えた。
 画面の向こうから手が伸びてくる。
 その手は俺の身体を縛り付けて、首を絞められている。
 身体が硬直し、息が詰まる。

 その瞬間。
 奥底にしまっていた記憶が、一気に駆け上がってきた。


 **


 記憶の中で最初に殴られたのは、母親が俺のことを褒めた時だった。
 その時母親はこう言った、「お兄ちゃんよりも早く数字を覚えられたわね」と。
 兄はそれから数分もしないうちに俺のところにやって来て、思いきり頭を殴られた。
 どうして殴られたのは分からなかった俺は、必死に謝った。
 「誰かに言ったらもっと殴るからな」というその言葉が怖くて、誰にも言えなかった。
 幼かった俺には、誰かに助けを求めるということよりも、また殴られたくないという気持ちの方が勝った。

 それから、俺が兄よりも優れたことをすると必ず殴られた。
 ちゃんと片付けができた、箸を上手く使えるようになった、教育機関の宿題が早く終わった。いつからか、優れているかどうかという点は関係なく俺が誰かに褒められるだけで殴られるようになった。
 兄は特に勉強面に関して神経質だった。俺と5歳も離れているにも関わらず、俺が教育機関でテストを受けると自分のその当時のテストの点数を比較する。そして自分の点数の方が高ければいいが、低かったときには数時間殴られっぱなしの時もあった。
 その当時はそれでも地獄だったが、今思えばあの当時はまだましだった。

 本当に地獄に変わったのは、俺が8歳の時だった。
 両親が数か月の間だけ仕事で海外に行くことになり、俺は両親に付いて行くことになった。兄は既に高等教育に移行していて教育機関を休むことができなかったために、残ることになった。
 それが、地獄への入り口を開けるきっかけとなった。
 両親は数か月の間にいくつかの国を回った。俺はどこの国に行っても、一週間でその国の言語を覚え、二週間目でその国の新聞を読むようになった。俺にとってそれは何ら難しいことではなくて、むしろ誰でも出来ることだと思っていた。
 しかし実際にそれは誰でも出来ることではなくて、その事実に驚いた両親はまず俺に10冊の本を与えた。それは全て違う言語で書かれている本だったが、俺は3日でそれを読破した。そうすると、今度は数字が沢山書かれた本を渡してきた。問題の解き方を読んで自分で解いてみろと言われたので、言われた通りに解いた。俺はそれが高等教育の兄よりも上の学年で習う問題だということを知らなかった。
 色々と与えられる中で俺が一番面白いと思ったのがコンピュータだった。その当時には既に大分古い機種とされていたものを与えられ、色々はプログラムを作った。両親に内緒で動作が重たくなった本体を自分で改造して軽くしたり、インターネットに繋げて他のコンピュータにもぐり込んだりした。子ども心にバレたらいけないと分かっていたので、忍び込むときには最新の注意を払った。だから俺は最初にどこかのコンピュータに忍び込んでから今まで、誰かに見つかったことはない。

 そうしているうちに数か月が過ぎて、俺と両親は家に帰った。
 両親は海外にいる間に俺がいかに成長したのかということを兄に聞かせた。
 俺の知らない間に高等教育まですべての教育が終わっていた。それどころか、それ以上の知識ももう教えることがないというくらいに詰め込まれていた。だから、もう初等教育も高等教育も受ける必要はなくなっていた。今すぐにでもどこかの企業に就職して働けるとのことだった。
 しかし、俺には学習以外の経験がなさすぎた。だから両親は、兄に俺に学習以外の沢山のことを教えるようにといって、今度は俺を置いて海外出張に出た。

 そして、兄は爆発した。


 **


 何もない地下の部屋で、俺は首輪で繋がれていた。
 毎日代わる代わる入ってくる大人は、みんな汚く思えた。
 そのときどんなことをされて、どんなことを教えられたのか。
 俺はよく覚えていない。

 ただ、その大人たちがいなくなった後に階段を下りてくる足音は今でも耳にこびりついている。
 カツン、カツンと音を立ててゆっくりと階段を下りてくる。
 開いた扉のその向こうにその顔を見た瞬間に、恐怖が舞い降りる。


「大晟」


 そう名前を呼ばれると、身体が凍ってしまったように動かなくなる。
 しかしその一方で、視線を落としてその両手を確認するのが癖になっていた。

 バッドや鉄パイプ、ムチなど、振って使う以外に用途がないものを持っている日は「とてもいい日」。
 カッターやナイフ、日本刀など、刃物を持っている日は「いい日」。
 どこで手に入れたかも分からないような拷問器具を持っている日は「悪い日」。
 何も手にしていない日は「最悪の日」。

 兄は入ってくると最初に俺を掃除する。
 冷たい水を俺にぶちまけることからそれは始まる。
 俺はその水を口にすることは許されず、その間はテープで口を塞がれる。
 頭から液体石鹸を流し、自らの手で洗う。
 細い指が俺の体を撫でるように滑り、ねっとりとした舌が首筋を這う。
 最後にもう一度、叩きつけるように水をぶちまけて掃除が終わる。


 そして、“反省会”が始まる。


「今日は何人にご飯を恵んでもらった?」

 ご飯とは言うけれど、相手はただ俺に欲を吐きだしているだけだ。

「…5人……です…」
「5人もの人にありがたいご飯を恵んでもらったのに、何度か吐きだしたらしいじゃないか」
「それは…ッ」
「言い訳をするな」

 鋭い突起の付いた鉄の棒が、肩めがけて振り下ろされた。
 ぶつっという皮膚の避ける音と、ずぶっという細胞に異物が食い込む音が頭に響いた。

「―――――!!!」

 声にならない痛みが貫く。
 兄は笑う。

「痛いか?」
「…はぁっ、あっ…、うあっ…」
「質問に答えろ」

 ずっという音と共に皮膚から抜けていく。
また別の鈍器が、振り下ろされる。その矛先は脹脛だ。

「うああ!!っあ…あ――――ぃ……い……た、い……」
「痛いです、だろ?」

 どっ、ぐじゅっと、肉のえぐれる音がする。
 それが自分のものだと分かると、全身に言い知れぬ激痛が走る。

「ああああ!!!」

 痛い。
 痛い。

 痛い、痛い。痛い。


「ここは僕の世界だ」

 この家の中で。

「最も優れているのは僕でなければならない」

 兄は誰よりも優秀であることを望んだ。

「だから、お前のような存在は許されない」

 けれど、俺は兄よりも優秀だった。



「うああああ!!」




 4年。

 いつから、身を捧げていている相手も分からなくなってしまったのか。
 いつから、朝か昼か夜かも分からなくなってしまったのか。
 いつから、食欲が何かも睡眠欲が何かも分からなくなってしまったのか。
 いつから、何もかもが分からなくなってしまったのか。
 どうして、痛みだけはいつまでも分からなくならないのか。


 4年。
 その月日の中で、俺は壊れてしまったのだろうか。


**


 両親が俺を見つけたとき、俺はそれが両親だということも分からなかった。
 また新しい誰かが俺にご飯を恵むために来たのだと考えていた。
 けれど両親は俺を見て叫び声を上げて、訳も分からないままに兄がやってきた。

 目の前で兄が両親を殺すのを見た時、俺は「ずるい」と思った。
 俺は殺してもらえないのに。
 あんなに沢山痛いことをされて、それでも殺してもらえないのに。
 どうしてこの人たちはたった一回、首を切り裂かれて簡単に殺してもらえるのか。
 多々純粋に、羨ましかった。

 もしかしたらその時既に、俺は壊れてしまっていてのかもしれない。


 殺される寸前に両親が警報器を鳴らしたことで、兄の犯行が発覚した。
 沢山の人がやって来て、暴れる兄を取り押さえた。
 俺はまるで何かの映画を見るようにその光景を見ていたように思う。


 誰かに首輪を外された。
 解放されたという実感はなかった。

 4年ぶりに日の光を浴びた。
 解放されたという実感はなかった。




 それは今も同じだ。



 ぐるぐると巡る。
 あの頃の記憶が、ぐるぐる、ぐるぐると止めどなく流れていく。
 忘れようとしていたものが。
 まるで俺を呑みこむように侵食してくる。


 もしも俺がまだ壊れてしまっていないのならば。
 今度こそ本当に壊れてしまう。


 そう思った瞬間に、誰かが俺の名前を呼んだ。


 **


「――せい、大晟!」

 名前を呼ばれて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
 視界に入ったのは、先ほどまでいたあの顔ではなかった。

 俺を虐げ、弄び、支配する。
 同じようで、同じでない。全く違う、その顔が目に映った。
 目の前にいる人物を認識する。
 刹那、頭の中を埋め尽くしていたものがすっと引いて行くのを感じた。


「……か…なめ…?」

 名前を呼ぶと、要はほっとしたような表情になった。
 綺麗な金髪が、俺の首元に埋まる。

「よかった…」
「何が…?」
「何がじゃねぇ。心配させんな…、ばか」

 人のこと散々な扱いしてるくせに何が心配だか、と思う。
 ただ、今はそんな悪態を吐くよりも、その身体を抱きしめたかった。

「ごめん」

 謝ると、要が俺の首元から顔を上げた。
 紫色の瞳が、睨み付けるようにまっすぐと俺を見る。

「お前は俺のだからな」
「…何だよ、急に」

 改まって言われなくても、そんなこと分かっている。
 ただまぁ、「玩具」を付けられないと少しだけ意味を取り違えそうだが。


「お前は俺のだから、誰にも渡さないし誰にも壊させない」


 その言葉は、鍵だった。
 まるでその言葉を待っていたかのように、音がした。

 ずっと。あれからずっと。
 もう何年も繋がったままの首輪が、外れたような気がした。


「だから、勝手に壊れるな」


 ああ。

 俺はまだ、壊れていないのか。



「絶対に、俺の前からいなくなるな」



 俺はまだ、壊れなくてもいいのか。



「他の約束なんてどうでもいいから、それだけ約束しろ」



 まだ、日の光は見えない。


 それでも。
 それでも、ここにいれば……いつか。


 いつか、見えるような気がした。




「ああ、約束する」

 抱きしめると、要はすぐに抱きしめ返してきた。
 冷たいその体温が、要だけのその体温が、何よりも俺を安心させた。




二度目の約束
(以前と違うことは、自ら望んだかものか否かということ)



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