Long story


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23

 言葉というのは難しい。
 少しの違いで意味合いが大きく変わってくるものだ。
 人間はそれを巧みに使い分けることが出来る。
 例えば自分では気づいていなくても、無意識に使い分けていることもある。


Side Kaname


 部屋に戻ると、ソファに座った大晟が俺のキーボードパッドを前にして呆然としている。ように見えた。
 話しかけるべきか否か。こういう空気を読むのが苦手な俺は、今ここでどうするべきなのか判断に迷う。
 仮に話しかけないのならば、部屋を出るしかない。幸い大晟は放心しているようで、多分俺の存在には気づいていない。だから、今ここで出て行けばこれ以上あれこれ考える必要はない。
 仮に話しかけるのならば、何て話しかけるのか考えなければならない。一言目で失敗する可能性が大、仮に成功したとしても次、また次と考えなければならない。



「大晟」

 明らかに出て行った方が得策だと分かりきっているのに、声をかけてしまった。
 俺は本当につくづく馬鹿だと思う。

 でも、どうしてか出て行っては駄目なような気がした。


「いたのか…」


 やっぱり、俺の存在に気づいていなかったらしい。
 空気の動きで透明になった俺の居場所を簡単に見つけてしまうような人物が、普通に扉を開けて入って来た俺に気付かないなんて。
 よほどのことがあったに違いない。


「何してんの?」

 さて、俺は最初に声をかけてしまった時点で全てを放棄することに決めた。
 もともと俺は馬鹿なんだから頭で考えたってどうせろくな答えは出てこない。それがこういうデリケートっぽい場面なら尚更だ。ならば、いちいち考える前に勘で行動してしまえばいい。
 さっきだって勘で食堂を飛び出してきた。今だってせっかく頭で考えて出て行った方がいいって結論が出たのに、結局勘で出て行かないことを決めた。どうせ勘に頼るのなら、最初から考えない方が事は早い。


「ほら」

 大晟がキーボードパッドを差し出してきた。
 入口で立ち往生していた俺はようやく部屋の中に足を踏み入れ、大晟の隣に座ってパッドを受け取った。
 視線を落すと、明るい画面の中には一枚の顔写真とその横に4桁の数字と大きく名前。その下にはずらっと文章が書き連ねてあった。幸い、その文章にはすべてふりがなが振ってあったから俺でも読めそうだった。
 ただ、この画面に映っているものが一体何なのか、馬鹿な俺でも読むことなく理解できる。



 それは、ある一人の囚人データだった。



「これ……スペードのAの……」


 大晟がどうやってこんなものを引っ張り出してきたのかは分からない。ただ、この牢獄で最も厳重に管理されている囚人データをものの5分で盗み出してきたという事実がここにある。その事実も信じがたいことだが、一国を破滅に追い込む技術を持っているのだから、何百年前かも分からない技術で動いている牢獄からデータを引っ張ってくるなんて造作もないことなのだろう。
 だから今はそんなことよりも、大晟がこの囚人データを見て呆然としていた理由の事の方が重要だった。

 改めて囚人データに視線を落とす。
 写真の顔は何度か見たことのある他地区の独裁者。さきほど、食堂で名前が挙がった人物だった。大晟はその名前を聞いた瞬間に血相を変えて食堂から出て行った。

 俺の苦手なスペードのA。
 ゆりちゃんは名前しか思い出してなかったけど、そこには名字までしっかり記載されていた。


 囚人番号556番 菅暁大
 罪状:暴行,強姦,殺人……etc.
 判決:終身刑


「菅暁大―――…って、あれ…?」


 菅…?
 
 何だろう、引っかかる。
 どっか聞いたような、聞いてないような。


「まぁお前のことだから、覚えてねぇだろうな」
「覚えて―――あっ」


 やっぱり聞いたことがあった。
 大晟がこの部屋に最初に来たときに、一度だけ聞いたんだ。

 囚人番号2052番。菅大晟。


「同じ……」
「なんだ、覚えてたのか」

 正確に言うなら思い出した、だけど。
 今はそんなことはどうでもいい。

「偶然同じって、わけじゃねーんだよな?」


 もしもそうならば、呆然とパッドを眺めていたりなんかしなかっただろう。


「お前らが言ってた性格と…それから名前を聞いて…。そうじゃないことを知りたかったのに……調べなきゃよかった」

 同じ名字で、名前にも同じ漢字が使われている。
 同姓同名だっているくらいだから、そんなの探せばいくらでもいるだろう。
 そう、知り合いと同姓同名だとしても、同一人物だとは限らない。
 でも、このデータベースには写真が載っている。

 この世に、同じ顔の人間はいない。

 捷と享はこの世にいてはならない双子だけど、それでも全く同じじゃない。
 慣れれば髪の色が同じでも分かるようになるらしい。俺は…分からないけど。

 だから大晟は、この写真を見て呆然としたのだろう。
 自分の知っている人物と、合致してしまったから。

 そしてその合致した人物。


「スペードのAは大晟の…兄弟…ってこと?」



 俺が問うと、大晟は静かに頷いた。



「それから…」

 大晟は一度言葉を止めて、息を吐く。
 手が、震えていた。


「もういい」

 どうしたらいいか、頭で考える前に体が勝手に動き出す。
 持っていたパッドをソファの空いているところに投げすてて、震えている手を取った。
 そのまま体を押すと、大晟は何の抵抗もなくソファに倒れ込んだ。

「さっきも散々ヤっただろ」
「慰めてやろうと思って」

 そう言うと、大晟は一瞬驚いたような表情を浮かべてから…笑った。


「14歳のガキに慰めてもらうなんて、笑い話にもなんねぇ」

 そう言いながら、大晟は笑っている。
 どうやら考える前に取った行動は、正解ではなかったにしろ間違ってもいなかったようだ。

「どんな時でも減らず口なにゃんこだな」
「慰め方まで性欲に偏向してるお前に言われたくねぇ」
「へんこう…?」

 って、どういう意味だ。

「分からないなら辞書でも引け。あとな、慰めるってのはこういうことを言うんだよ」
「え?うわっ…いたっ」

 首を傾げていると、押さえていた手をぐっと引かれた。
 腕で支えていた身体が反応する間もなく大晟の上に倒れ込む。鼻が胸板に当たって痛かった。

「痛ぇ」
「そりゃこっちの台詞だっつの!」

 どうしてか体が動かなかったので顔だけ上げると、思い他大晟の顔が近くにあった。
 何で俺が顔を顰めなれなきゃいけねぇんだ。今のは確実に大晟が悪いだろ。

「うるせぇウサギだな。何が癒し系だ」
「はぁ?」
「ウサギははるか昔から癒し系動物として有名だろうが」
「まぁ…確かに、そう言われれば」

 はるか昔から有名なのかどうかは知らなかったけど。
 本物を見たことも触ったこともないけど、癒されると言われれば確かにそうかもしれない。

「それなのにお前はどうだ。癒しの欠片もねぇくせに性欲だけは一級品ときた。まったく、ことごとく役に立たねぇウサギだな」
「悪かったな役に立たなくて!他人の癒し方なんて知るか!」
「いやそこはウサギじゃねぇって否定しろよ」

 大晟はそう言って、またしても笑った。

「た、確かに…!」

 癒し方とかそれ以前にそもそも俺はウサギじゃねぇ。
 幾度となく呼ばれたせいでその点について何とも思わなくなってしまっていた。いや、そんなに言うほど呼ばれてないかもしれないけど。
 ハッとしている俺を余所に、大晟はクスクスと笑い続けている。

「本当に馬鹿だなお前」
「うるさい!」
「まぁそういう所がある種の癒し要素なのかもな」
「うわっ」

 持ち上げていた頭を押さえつけられ、大晟の首元に埋まる。
 その時初めて、体が動かなかったのが大晟の腕で覆われているからだと気が付いた。
 グレートの検体があった日に、俺が大晟に慰めて…もらってない。大晟はそう言ってたけど、俺は決してそんな風には思ってない。
 でも、状況的にはそれと同じで…うん?それと同じだとダメじゃね?


「これじゃあ、俺が慰めてもらってるみてぇじゃん」


 いや、俺は慰められてたわけじゃないけど。
 でも大晟の中でその行為が慰めるってことなら、これは明らかに逆だ。

「これでいいんだよ」
「どこが?」
「この方が落ち着くから」

 意味が分かんねぇ。

「まぁ…いいか」

 意味は分かんねぇけど、とりあえず何となく大晟を慰めることは成功したらしい。
 俺を抱きしめている腕が、さっきみたいに震えていないのがその証拠だ。

 それに確かに…落ち着くし。
 グレートの後だとかそういうことじゃなくても、この体温は感じていて悪いものじゃない。



「あのAなんだ」

 また、震えだした。
 今度は手だけじゃない。全身が震えている。
 俺を抱きしめている腕に力が込もったのが分かった。まるで、何かに耐えているようだった。


「あいつが…俺を、…」

 その先は、聞かなくても分かる。

「大晟」
「んっ…!」

 震えている大晟から逃れて首元に頭を上げ、体を起こすのは簡単だった。
 どんな顔をしているのか確認することもせずに、大晟の唇を塞ぐ。抵抗しようとする手を押さえつけて震えている体を引き寄せる。それでもまだ俺を押し退けようとするのもお構いなしに舌を押し込んだ。

「っ…ん、んんっ……」


 もう何も言わせたくはないし、聞きたくもない。


「ん…は……っ…」
「まだだ」
「なっ、待…んん……っ」

 一度解放した唇を、待てと言い終わる前にまた塞ぐ。
 最初は抵抗する素振りを見せていたが、無駄だと諦めたのか大晟の腕が俺の首に伸びてくる。ほぼ同時に、一方的に絡めていた俺の舌に応えるように、大晟の舌が絡まってきた。

 やっぱり俺は頭で考えるよりも勘で動く方が性にあっている。
 どうやらこの行動も、正解ではなにしろ間違いではなかったらしい。


「はっ……んとにどこが癒し系なんだ」
「何、キスだけじゃ足りないって?」

 苛立った様子で悪態を吐く姿は、いつもの大晟だった。
 だから俺も、いつもの調子で返した。


「足りない」


 その返答は明らかに、いつもの大晟じゃなかった。
 だから俺は、いつもと変わりない調子でその要望に応えることにした。


 **


「こんなのおかしい」


 こんなことなら、わざわざ本棚から辞書なんて引っ張り出してくるんじゃなかった。
 とんだ無駄骨だ。

「何が?」

 問う声と共に、閉じられていた瞼がゆっくりと持ち上がった。
 てっきり寝たのかと思ってたけど、起きていたらしい。


「まず同じ読み方が多すぎ。それどころか、説明の文まで漢字で書いてあったら意味ねぇじゃん」

 引っ張り出してきた辞書をパラパラ捲る。説明したい漢字にはかろうじてふりがなが振ってあっても、説明文にふりがながなければ意味がない。いくら数百年前の代物だとしても、作った奴は俺より馬鹿だ。
 そんなことを思いながら俺が悪態を吐いていると、大晟がけだるそうに起き上がり辞書を覗き込んできて、勝手にページを捲りだした。

「そもそも国語辞書は言葉の意味を調べるもんだからな。ある程度の漢字は読める前提で書かれてるんだろ」
「そういう配慮が足りないから、俺みたいな馬鹿が学習放棄するんだ」
「元々学習意欲がないんじゃねぇのか」
「ちっげーよ」

 だから、ゆりちゃんが教えてくれたことはちゃんと覚えてる。
 他の奴が教えることは本当かどうか定かじゃないから覚えない。

「どうだか。…ほら、これが偏向。考え方が一方にばっかり寄ってること」
「つまり俺は何かにつけて性欲ばっかりだってこと?」
「そういうこと」
「なるほど…って、余計なお世話だ!」

 俺だって性欲の他にも色々と考えることくらいあるわ。
 色々と…考えることもあるんだよ。今は思い浮かばないけど。

「事実だろうが。その性欲を少しくらい学習に移行して漢字くらい覚えろ」
「言っとくけど、俺が漢字を習わなかったのは看守に教える気が全くなかったのと、教材が俺に優しくないってのがカナカナの時点でよーく分かったから!」

 いや、そもそもあれは教材なんて言えない。

「でもカタカナは覚えたじゃねぇか」
「そりゃ24時間も独房に突っ込まれて、壁中にカタカナ書かれて、おまけに延々と読まされてたら嫌でも覚えるわ!」

 あんな思いもう二度としたくない。
 おまけに漢字は50音しかないカタカナに比べて無限だ。考えただけでぞっとする。

「……よしよし」
「何でそうなるんだよ」

 何でもかんでも頭撫でとけば大人しくなると思うなよ。
 って、大人しくなってちゃ意味ねぇじゃねーか!


「もしお前にやる気があるなら、これでも読んでみろ」

 そう言って大晟が差し出してきたのは、前に龍遠が来たときに借りていた本だ。
 俺には相変わらず「の」と「い」しか読めない。

「読めない単語があったら、タブレットで調べてその読み方を理解しろ。紙媒体は難しいがタブレットなら手書きがあるからすぐに見つけることが出来る。その説明文に知らない漢字が出て来たら、さっきと同じ方法でその漢字の読み方と意味を調べる。そうやっていけば、読めないことはない」

 なるほど。
 確かにそれなら俺でも読める。でも……。

「それ、すっげぇ面倒臭いじゃねーか」
「学習意欲があるならそれくらいできるだろ」
「いやまぁ、確かにそうだけど…」

 この本一冊読むのに、何か月かかるか分かったもんじゃない。
 いや、もしかしたら何年もかかるかもしれない。

「カタカナに関しては100歩譲っても看守が悪い。だからお前がそのやり方で漢字を覚えるのを拒否したことも間違ってない。でも、それで終わってたら意味ねぇだろうが。自力で覚えて看守が間違ってることを証明してやるくらいじゃねぇとな」

 そんなこと、思ったこともなかった。
 でも、大晟の言う通りだと思った。

「辞書じゃなくて、大晟が教えてくれてもいいんだけど」
「まぁ、最初はそれでもいいか」

 差し出された本を受け取ると、大晟はそう言ってまた俺の頭を撫でた。
 これで本当に性欲が多少なりとも学習に向かうと、大晟の思う壺だ。いいように扱われてるような気がしてならないけど、まぁそれでもいいか。


「ただ、今日はもう疲れたから読むなら自分でどうにかしろよ」


 大晟はそう言うと、再び寝転んで目を閉じた。
 今度こそ本当に寝る気のようだ。

「じゃあ明日からにする」

 俺は大晟ほど疲れてはないけど、自分でタブレットを使って調べまくるのは流石に骨が折れそうだ。
 本と辞書をベッドの上に戻して横になると、いつもは反対側を向いている大晟がどうしてかこっちを向いていた。おかしいことはそれだけに止まらない。俺は寝転んで間もなく腕を引かれて、そのまま大晟の腕の中に抱き込められた。

「えっ…ちょ、何っ」
「お前だってこの前抱き付いてきたろうが」
「それはそうだけど…!」

 この間俺が抱き付いたときには嫌がってたくせに。
 次に賭ける時は半径2mがどうとか言ってたのを、忘れたわけじゃないはずだ。


「もう少し癒し系やってろ」

 そう言って目を閉じる大晟は、やっぱりいつもと違った。

 いつか泣かせてしまった時のように、あからさまに何かが違うわけじゃない。
 いつもと同じようなのに、いつもと違う。
 それどころか、いつかの時よりも格段に脆いように見えた。
 今にも、本当に今にも壊れてしまいそうなくらいに、脆く見えて仕方がない。

 いつかの時、俺は大晟を壊したくないと思った。
 その時と同じだけど、少し違う。




壊れて欲しくない
(その違いがどういう違いなのか、俺にはよく分からない)


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