Long story


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22

 分からないことを分かろうとするのは難しい。
 分かろうとすれば分かろうとするほどに、答えを出すのは難しい。
 まるで迷路に迷い込んだよう更に分からなくなる。
 そうして結局、答えを出すことを諦めて振り出しに戻る。
 何度も何度も、繰り返す。


Side Kaname


 最近、拘束することにあまり楽しみを感じなくなった。
 手錠はずっと必須道具で、使用回数も断トツ一位だ。それは大晟だけじゃなくて、今までの玩具も同じだ。今までの玩具は手錠なんてしなくても暴れることはなかった(と思う)けど、それでもいつも手錠は欠かさなかった。大晟の場合、手錠をしないと殴ってくるっていうれっきとした理由もあったわけだが。まぁ、それも殴ったらデータばら撒くからなって言えば済んだ話だ。
 俺が玩具に手錠をするのは、性癖みたいなものかもしれない。今――正に今、それに楽しみを見いだせていないのだから、性癖だったと言った方が正しいのだろうか。
 手錠をして拘束すると、目の前の玩具が自分の支配下にあることが目で認識できる。俺はそれに満足していて、楽しいと思っていた。それは手錠だけに限らなくて、イくことができないようにする拘束なんかも同じだった。目の前にいる人物の行動の全てを支配できることが、何よりも楽しかった。

 そうすることで、相手との関係を自分に叩き込んでいたのかもしれない。
 これは玩具で、俺が所有者。
 だから俺はこの玩具を自由にすることができるが、相手にその権利はない。
 俺たちは決して平等な存在ではない。
 自分と相手が同じ土俵に立つことはないと頭に教え込む。

 こうなると支配というよりは、儀式という方が近いように思う。
 でもそういう言い方をすると、ヤバそうに聞こえるからやっぱり支配にしよう。

 とにかく、充実した毎日を送るために俺はずっとそうやってきた。
 俺にとっての充実は、毎日煙草が吸えて、毎日ヤれて、その合間に冷たい友人たち(最近つくづくそう思う)と遊ぶ。そうやって過ごしていれば充実していると言えた。それ以外のものはおまけで、逆にいうとそれだけあれば満足していた。

「やっぱつまんねぇ」
「んっ…」

 俺はいつでも今が楽しければそれでいい。
 いつ壊れるかもわからない状況だから、今を楽しむことだけが重要なことなんだ。だから俺は楽しくないと思えば手錠を外す。例えそれがずっと続けてきたことであっても、俺にとって重要なのは今までのことではなく今のことだ。今この時、楽しくないと感じているから手錠はいらない。それだけのことだ。
 手錠を外して両手が自由になった大晟は手持無沙汰になったそれで布団のシーツを握った。微かに震えている二の腕に指を這わすと、ピクッと反応した。

「手が自由になったのに殴ってこねーの?」
「ふぁあっ」

 今度は舌を這わせて、そのまま首、顔、耳に移動する。
 大晟は耳が性感帯だから、息を吹きかけただけで体を震わせて、耳たぶを口に含むとたちまち声色を変える。

「ひゃあっ、あっ…ああ、み…耳、やめろって……っ」
「そんだけ感じといて何言ってんだよ」
「んんっ……あ、あっ、んぁあっ!」

 くちゅくちゅと音を立てて耳の中に舌を押し込むと、ビクンと体が跳ねた。
 これはやり方次第では耳でもイけるようになるんじゃねーの?

「あと、質問に答えてもらってない。ほら、殴りたい放題だぜ?」
「んな…あ、よゆ…ねぇ、ひゃあっ……!」

 喋っている途中で動いているバイブの強度をあげると、またビクンと体が跳ねた。
 シーツを握っている手に力が込められる。
 確かにそれだけビクビク震えていたら、俺を殴ることなんて考えてられないだろう。それに、これが終わってしまえばいつでも殴れるわけだし。

「かな…も、やば………」
「イきそう?」
「ん、あ…うああっ、っ……!」

 今にも達してしまいそうだったので、大晟の中で動き回っているバイブを一気に引き抜いた。その刺激でイってしまうと思ったのだが、大晟はどうにか耐えきった。ぎゅっと目を閉じて、ガクガクと足を震わせている。
 その状況を目にした瞬間、今なら挿れただけでイくだろうと確信した。そしてそれを実行すべく、快楽の余韻に耐えているところに容赦なく自身を突っ込んだ。

「っ――あああ!!」

 俺の確信は現実になり、ずぷんっと勢いよく挿入されていくと同時に大晟の体がガクンッと揺れる。
 精液が腹に垂れている様子がまたエロい。それをすくうように手に取ると、腹に手が降れただけで感じたらしい大晟は小さく声を出した。その口を塞ぐべく精液でべたべたになった指を口に突っ込むと、すこぶる嫌そうな表情が垣間見えた。

「自分のと俺のと、どっちが美味い?」

 俺のものを咥えさせたのはもう随分前だから、味なんて覚えてないかもしれない。
 仮に覚えていたとしても、どちらが美味いとも言わないだろう。

「どっちも…、まずい……」

 その返答は俺の予想通りだった。
 その言葉を聞きながらもう一度指で腹を撫でるようにして拭い取って、今度は自分の口に入れた。
 大晟の言う通り、お世辞にも美味いもんじゃない。不味いって言うほどのものかと聞かれればそれほどでもない気もするけど。

「キスはレモンの味って言うらしいぜ」

 こんなの舐めた後でも、キスしたらレモンの味がすんのかな?
 あれ、そう言えばキスの味ってどんなだっけ。

「あっ…は、んっ……あんっ」

 動き出すと、止まっていた嬌声が再び響きだした。
 まだ堕ちていない大晟は、快楽に耐えるように目を閉じた。そんなことをしても無駄なことは分かっているはずけど、多分癖みたいなものなんだろう。
 ただ、はっきり言ってそれは丸っきり逆効果だ。大晟が快楽に耐えようと目を閉じると、きゅうっと締め付けが強くなる。それが自分自身の快楽を増しているのに、本人は耐えるのに必死だからそれに気が付いていない。

「大晟、ちゃんとこっち見ろ」
「あっ…ん、ぁっ…」

 ゆっくりと瞼が持ち上がって、綺麗な瞳が垣間見える。
 その目は俺の瞳を捕えると同時に、まるで何かにすがるように腕が伸びてきた。

 腕が首に回ると汗ばんだ体が密着して、熱い体温がじわっと伝わってくる。
 大晟は聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で「気持ちいい」と言って、冷たい俺の体に身を寄せてくる。
 それは俺にとってとても心地いいもので、快楽を増す行為だ。

「キスと耳とどっちがいい?欲しい方あげる」
「き、…す…っ」

 大晟が思いのほか素直にそう答えて来たのは意外だった。
 てっきりどっちでもいいとか、いらないとか言われると思っていた。まぁ、どんな答えがきたとしてもキス以外に選択肢はなかったからその辺はどうでもいい。

 どうでもいいけど、気分は悪くない。


「ん…っ」

 要望通りキスをすると、俺の首に回っている腕に力が込められた。
 更に体が密着して、全身で大晟の熱を感じる。それがたまらなく気持ちよく感じた。

 もしかしたら俺は、これが欲しくて手錠を外しているのかもしれない。


 まるで流れ作業のように掛けた手錠が邪魔に見えて仕方がなくなったのは、はっきり言っていい傾向とはいいがたい。
 これは支配の道具で、俺に大晟との関係を示す貴重な道具だ。
 俺が自他ともに認める大馬鹿なのかよく分かっているが、そんな俺でもこれを楽しめなくなったことがよくない傾向だってことくらい分かる。

 でもそうして悪い兆候が見えると、俺は自分の気持ちをすり替えるように新しい理由を見つけ出す。
 今だって、手錠を外すのは今を楽しむためだと自分に言い聞かせている。そうじゃないってことが分かっているのに、そうじゃないことを受け入れられない。受け入れられないことも分かっていて、だからどう受け止めていいか分からないまま曖昧になっていって、そうして結局何も分からなくなってしまう。
 何もわからなくなってしまうとどうでもよくなって、考えるのをやめてしまう。そうして巡り巡って戻ってくる答えはいつも同じ。今が楽しければいいと、結果的にそうしてすべての問題を投げ出してしまう。

 何も考えたくなくなって、ただ快楽を求める。
 それでいいのだとまた自分に言い聞かせる。
 ずっと、その繰り返しだ。


 **


「キスがレモンの味なんて嘘じゃねーか」

 嘘というか、実際のところどんな味だったか覚えていない。
 ただ、レモンの味がしなかったことは確かだ。

 あれから5回にわたって性欲を吐きだしてスッキリしたが、珍しく夕飯に間に合った。
 いつもは3回がギリギリで4回は事後の処理を即効で済ませれば間に合うかなってところ、5回ともなると確実にアウトなんだけど。今日はあまり道具とかを使わなかったから終わってからの大晟の復活が早かったのと、事後の処理が早く済んだことが功を奏したらしい。
 そんなわけで無事食堂にやってくることができた。
 いつもなら食堂に入れたらすぐに別々に行動するのだが、特に何を言うでもなく一緒に食事をもらって空いている席に向かい合って座っていた。

「それはファーストキスだ」
「えっ、まじでっ?」

 ファーストキスはよく覚えている。
 シャワー室で声を殺そうと必死になっていた大晟の唇から、血が滴っていた。
 シャワーの水に血の色が混ざる。少し薄くなった血が体を這うように流れていく。
 俺はそれが見たくなくて、キスをした。
 他にもそれを見ない方法なんて沢山あったのに、何でキスをしたのかよく分からないし分かろうとも思わない。

 あの時のキスは…。


「血の味だったじゃねーか」
「そりゃあ口から血が出てたんだから当たり前だろうが。大体、どう考えたってレモンの味なんてするわけねぇだろ」

 うん、やっぱりそうか。
 キスする前にレモンを食べてない限りは普通しねぇよな。

「でも、じゃあ何でレモンの味って言うんだよ?」
「数百年前の歌が発祥だって言われてはいるが、確たる証拠はねぇから本当のところは分かんねぇよ」

 つまり、少なくとも数百年前から言われてたのか。
色んなことが忘れ去られて行く中で「ファーストキスがレモンの味」なんてことが生き残っていることが少しだけ凄いと思った。

「大晟ってほんと何でも知ってんのな」
「むしろ漢字もまともに知らねぇくせに何でキスがレモンの味なんて知ってんだよ」
「ゆりちゃんが言ってた」

 そういえば、何でそういう話になったんだっけ?
 大晟とのファーストキスのことすら覚えてないんだから、それより昔のことを覚えているわけもない。

「お前の知識はほとんどが有里経由だな」
「俺にまともに物事を教えてくれるのはゆりちゃんくらい。龍遠もたまに教えてくれるけど、意地が悪いから70%くらいでたらめ教えられる」
「あいつならやりそう」

 大晟は野菜を口に入れながら苦笑いを浮かべた。
 多分、この前の猫耳の一件で大晟にも大分龍遠の恐ろしさが分かったんだと思う。あれから龍遠には会ってないけど、どうなったんだろうか。

「言っとくけど俺はな、この島は海に浮いてるけど、ウミガメが交代で必死に支えてるから動かないんだっていうことをついこの間まで信じてたんだぞ」
「ふはっ…おま、そりゃあひでぇ…!」

 幼気な少年が騙されたっていうのに笑うんじゃねぇよ。
 まぁ、思いきり爆笑しなかっただけマシだが。

 ちなみに教えてもらったのは俺が10歳の時だから、ざっと4年以上も騙されていたということになる。おまけに騙した本人がそれを覚えていないのだからもっと質が悪い。
 捷にそれが嘘だと教えられて龍遠のところに突撃したら、真顔で「何の話?」と言われたときのあの憎たらしい顔は一生忘れないだろう。

「ま、まぁ…14歳で真実が分かってよかったじゃねぇか」
「よくねぇよ!捷に話した時に爆笑された俺の屈辱を考えてみろ!」
「どうせ馬鹿なんだから、今さらだろ」
「うっさいわ!…あっ」
「危ねぇ」

 勢い余って腕を振り挙げると、手にしていた箸が手から飛んで行った。
 俺の怪力を一身に受けた箸は結構なスピードで大晟に向かうが、俺を数秒でねじ伏せてしまう美人はそんなもの簡単に避けてしまう。
 そうなると箸が向かう標的は大晟の後ろに座っている人物になるのだが。

「…」
「うおっ」

 大晟の後ろの人物は驚きもせず無言で華麗に避け、更にその前の人物すらも咄嗟にしかし掠りもせずに避けてしまった結果、随分と遠くの人物にそれでも見事に箸はヒットした。
 まるで状況が呑みこめていない被害者はどうでもいいとして。それよりも大晟から立て続けに避けてしまった2人の人物の方が驚きだった。

「いきなり顔傾けるから後遺症でもあるのかと…」
「んなもんあってたまるか」
「いや俺はしばらくお前の身の心配しかできないから。まじ本当にごめん」
「もうその話はいいって何回言えばいいんだよ」

 もっと驚いたのは、箸が飛んできたことに対して全く興味を示していないことだ。
 こっちに顔が向いている有里ちゃんは、どうしてかその前の稜海に―――稜海?

「い―――稜海!!」

 あの休日から丸っきり姿の見えなかった稜海を目にした瞬間、俺は思わず立ち上がっていた。

「…お前だったのか」
「大丈夫なのか稜海!死んでない!?」
「死んでないからいるんだろうが」

 あ、ああ。そうだ。そうだった。

「どうしたんだよ急に」
「どうしたもこうしたも、あ、…そうか、大晟知らねぇのか」
「だから何が」
「猫耳!猫耳の被害者!!」

 俺が稜海を指差しながら声を上げると、大晟は目を見開いて持っていた箸を落した。
 それからゆっくりと振り返り、じっと稜海を見る。

「………無事でよかった」

 他の状況だったらもっと他にリアクションがあったのかもしれない。
 龍遠が猫耳を使う相手がまさか稜海だったなんて、教えない限りは絶対に気付かないだろう。そういう関係だって教えられても俄かに信じがたいし。
 だけど、この状況下ではそういうことよりも猫耳の結果の方が一大事だ。だから、大晟の反応は全くもって自然だと言える。繰り返すが、それくらい一大事なんだ。


「揃いも揃って大げさな…」
「いや、3日も目ぇ覚まさなくてどこが大げさだよ」
「みっ…!?」
「嘘だろ…!?」

 大晟と俺がほぼ同時に立ちあがって、周りの視線が一気に集中した。
 それに気が付いてすぐに席に着いたが、しかし驚きが治まったわけではない。

「ご…ごめん。もう何も聞かない」
「ごめん。俺も結果次第で使ってみたいなんて思わない」

 一度でも邪な考えを持った俺を許してください。
 あの魔性の外道(蒼談)と一緒にしないでください。


「お前は微塵でも使おうとしてんじゃねぇよ」
「もう思ってねーよ!俺は大晟が3日も意識不明なんて耐えられない」
「どこまで行っても性欲かお前は」
「いや性欲の話じゃなくて!」
「は?」

 は?

「ん?…性欲の話じゃなくて……あれ、違うくね?」

 あれ、何言ってんだ俺?

「何言ってんだお前?」

 いや俺に聞かれても困るんだけど。
 むしろ俺がそれを知りたいんだけど。教えて欲しいんだけど。


「と、とにかくもう使おうなんて微塵も思ってねーから!」
「当たり前だ!」

 よく分かんねーけど、話は綺麗にまとまった。
 綺麗…かどうかはおいといて、まとまったからよしとしよう。



「そもそも俺が稜海に押し付けなけりゃ、こんな事態にはならなかったんだけどな」

 ゆりちゃんが苦笑いを浮かべる。
 稜海が押収した相手っていうのはゆりちゃんだったのか。

「しつこいなお前も。もういいって言ってるだろ」

 なるほど、箸に目もくれずにしていた会話の経緯はここにあったのか。
 確かに、俺もゆりちゃんの立場だったら謝り倒すと思う。それに、3日も意識不明だったなら、復活しても食事中にフラってなったら後遺症だと思ってもおかしくない。

「そもそも有里はどこで手に入れたんだよ」
「スペードのAから半強制的に。1回使ったらおかしくなったからって。段々おかしくなっていくならともかく、一発目からおかしくなられると楽しめないってさ。んで、そんな危なっかしいもん持っててもしょうがないしってことで今度は俺が半ば強引に稜海に押し付けた」

 ちなみに、ゆりちゃんが稜海に預けた理由は押収品の処分日に処分してもらう魂胆だった。自分で処分すると看守にバレ兼ねないが、押収品は誰から押収したのか特定しないままに処分する。だから、自分で処分するより安全なその方法を選んだらしい。

「スペードのAってのはどんだけサディストなんだよ……」
「もうサディストって次元超えてるって。あの人のいるTO地区は本当に独裁政治状態で、みんなビクビクして過ごしてっから」

 あの人はおかしいとは思っていたが、まさかそこまでとは知らなかった。

「そこまで酷いのに、看守は何も言わないなのか?」
「だめだめ。看守は基本的に囚人たちの私生活はノータッチ。それがロイヤルともなれば尚更関わりたがらないよ。特に、囚人を相手にしたとき権力はAの方が上」

 ゆりちゃんはそう言って苦笑いを浮かべた。
 労働をサボっていたり棟を破壊したりすると罰を与えることはできるけど、囚人同士での諍いに対して罰を与えることは極めて難しいらしい。なんでも、ロイヤルはあくまで囚人間が揉めないよう上に立ってまとめる存在であることが大前提であるため、そのカーストが出来上がっているならば独裁政治だろうと何だろうと構わないという見解らしい。

「例えば、1週間以上労働が出来ないくらいにボコボコにするとか、そこまですれば看守も手を出さざるを得ない。だが、ちょっとでも気に障ることをしたら暴力なんて振るわずにすぐに独房にぶち込めばいい。看守もAに言われると、大した理由がなくても独房にぶち込む。カーストを崩さないように必死だからな」

 1に労働、2にカースト。
 看守たちは常にそのことを考えて囚人たちを扱っているのだという。

 稜海の説明を聞きてから、「へぇ」と言うと「何でお前が知らないんだよ」と大晟に突っ込まれた。
 実を言うと、さっきのTO地区の話も知らなかった。もう随分長くこの牢獄にはお世話になっている上に自分もロイヤルのくせに、俺はここの制度や権力をあんまりよく理解していないということを改めて痛感する。

「とはいえ、ハートのAもあの人の仕業だって話も聞くくらいだから。ろくでもない奴だってことは確かだよな」
「そんなこと言ってるとそのうちお前も潰される」
「俺はダイヤだからセーフ。いやマジ、欲張らなくてよかった」

 ゆりちゃんはそう言ってほっとしたように笑った。
 全然、笑いどころじゃない。

「俺なんか変な道具もらちゃったよ。使っちゃったよ……」

 使ってどうってことはないんだろう。
 でも、何でか分かんねーけど、あの尿道バイブを使ったことを今凄く後悔した。

「変な道具?」
「にょ…ふぎゃ!!」

 尿道バイブ、と言おうとしたら思い切り頭を机に叩きつけられた。
 犯人は言うまでもなく大晟だが、相変わらず容赦がなさすぎる。

「余計なこと言うんじゃねぇ」
「ふぁい……」


 頭を押し付けられたまま返事をすると、間抜けな声が出た。
 思いのほか痛いし、これ以上叩きつけられるのは嫌だから言わないけど。
 ゆりちゃんも稜海も俺みたいに馬鹿じゃないから、多分想像は付いてると思う。

「まーだから大晟さんもさ、もしどっかで会っても関わらない方がいいよ」
「顔も知らなねぇのにどうしろと」
「あ――確かに。囚人番号は知らないけど、名前は確か……何だっけ?」

 いや覚えてないのかよ。
 と突っ込んでみたものの。そういえば、俺もいっつも“スペードのA”って呼んでるから覚えてねぇや。


「お前ら…同じロイヤルだろうが……」
「馬鹿にしたような目で見んじゃねー。そう言う稜海は覚えてんの?」
「俺はロイヤルじゃないからいいんだよ」

 何だその理屈は。

「まぁ…地区が違うなら会うこともないだろ」
「あ、大晟さんが呆れて―――あ!思い出した!」

 ゆりちゃん、どんなタイミングで思い出すんだよ。
 すげぇな。

「あきひろ。名字は思い出せねぇけど、暁に大きいって書いて暁大だ」

 ああ、だから呆れるって言って思い出したのか。
 それなら納得。
 漢字まで言わなくてもよかったと思うけど。ていうか、漢字までよく思い出したな。
 ちなみに俺は名前を言われてもピンときてない。


「あ、き――――…ひろ―――……」


 突如、大晟がまるで壊れかけたロボットのようにその名前を呟いた。
 つい先ほどまで苛立った様子で俺の頭を叩きつけていたのに、その影もなく今はまるで別人のように顔色が真っ青だ。


「大晟……?」

 スペードのAの名前、暁大。
 その名前に、何か心当たりでもあるのか。


「……ごちそうさま」


 大晟はそう言うと、まるで生気のなくなってしまったような表情でガタリと立ちあがった。持ち上げたお盆に乗っている食事は、まだ半分以上残っている。
 一緒に食べることはほとんどないが、普段から食事の時間を大事にしている大晟が残すなんておかしい。

 しかしそんな違和感をぶつける前に、立ちあがった大晟は無言でその場からいなくなった。
 あまりにも突発的なその行動に、名前を呼んだきり声をかけることができなかった。だが、大晟が見えなくなってからすぐに俺も席を立った。まだ食べ終わっていなかったけど、そんなことはどうでもよかった。

 自分がどうして大晟を追いかけたのか、理由は分からなかった。




分からないことだらけ
(そうしてまた、何も受け入れないままに無限ループになるのだろう)


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