Long story


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14

 開けても暮れても、毎日は変わらない。
 そんな毎日の中に、唐突に訪れる変わった日。
 それが至極最悪な日だということは、その日にならずとも明白だ。
 だからいつも、そんな日が訪れなければいいと思っている。
 けれどまた、容赦なくその日は訪れる。


Side Kaname


 煙草。煙草が吸いたい。
 いくら振っても中身が出て来ないこの箱は、魔法の箱なんかじゃないと俺に現実を叩きつける。こんなことなら早く盗みに入っておくんだった。今更後悔しても遅いけど、そう思わずにはいられない。
 あと2日くらいはもつようにと思って吸っていたのに、すべてが台無しになった。それもこれも、朝食時に看守に呼び出されたせいだ。


 ――今日はハードだ。

 すれ違いざまに汚い声がそう耳打ちをしていって、まだ朝の5時だというのに俺の今日は最悪な1日になることが決定した。その時点で最悪な1日になってしまったのに、食後から労働時間までの間に残っていた煙草を全部吸ってしまったことに気が付いたとき、早朝6時半にただでさえ最悪な1日はもっと最悪な1日になることが決まった。労働が終わった今は、もう最悪なんて言葉で表せられる気分ではない。誰かそれ以上の言葉を創作してくれ。

 行きたくない。
 いつもは煙草を吸うことで紛らわせている気分が、ストレートに俺の頭を支配している。

 行きたくない、嫌だ、行きたくない。
 行きたくない。

 無限ループのように何度も何度も頭の中にこだまする。それが無理なことなんて分かりきっているのに、そう言い聞かせようとしても頭の中の声は収まらない。
 俺の思い通りにいかない自分の思考回路に苛々して、俺は手にしていた煙草の箱を以前より少し小さくなったテレビに向かって投げつけた。


「おい、テレビに八つ当たりするな」

 背後から声が聞こえて振り返る。すっかり本を読むのにはまったのか、今日は小説を読んでいた大晟が睨むように俺を見ていた。

「これくらいじゃ壊れない」
「画面に傷がつく」

 大晟はそう言うと、再び小説に視線を落とした。
 今までの玩具は、月に1度訪れる(今回は2回目だけど)この日にはいつも以上にビクビクしていた。まるで腫れ物に触るように扱い、そしていつも以上に媚を売ってくる。それが俺の苛立ちを助長していることに気づく奴は一人だっていなかった。めちゃくちゃに痛みつけてやりたかったが、ハードを前に玩具と遊ぶのは自殺行為だ。いくら俺でも流石にそれくらい弁えている。しかし、それが余計に苛々を助長させた。

 そんな玩具とは打って変わって、俺がどんなに苛立っていようと大晟の態度はいつもと何ら変わりない。この間の時は話しかけるのは遠慮していたらしいが、それでも態度はいつもと同じだった。大晟のそのいつもと変わりない態度のおかげで、少しだけ苛立ちが紛れた気がした。


「今日は何読んでんの?」

 ソファに座って煙草の箱を振っても苛立ちは紛れない。それならば、大晟の読書の邪魔でもして気を紛らわそう。そう思った俺は、大晟に質問を投げながらソファからベッドに移動した。
 大晟はベッドの上の壁に面している方に凭れながら座っている。大晟の体と壁の間に滑り込むように無理矢理体を突っ込み背後から抱きしめると、心底嫌そうな顔が俺を見た。

「走れメロス」
「そんなの、俺持ってたっけ?」

 なんだその安直なタイトルは。俺はそんな本を盗んできた覚えはない。

「龍遠に漫画貸したら、代わりに貸してくれた」

 いつの間に本の貸し借りをする間柄にまでなっていたのだ。
 いや、それ以前にいったいつ貸し借りをしたのだろう。俺の知っている限り、大晟が漫画を持って部屋を出ていたのを見た記憶はない。
 ならば、龍遠が来たのか?

「龍遠がここに来たのか?」
「ああ。3日前くらいだったか。お前が労働から帰ってくる前」
「ふうん」

 あいつ、普段は問答無用で俺を動かす癖に。扱いの差が酷過ぎる。
 そもそも、大晟が貸した漫画は俺のだ。いつもは点検の時に勝手に持って行っていらなくなったら投げ返しに来るのに、この扱いの差は何なんだ。龍遠の俺と大晟の扱いの差に少しムッとしたが、それよりも俺の知らないところで交流が深められていたことに腹が立った。

「どんな話?」
「王に捕まったメロスが、妹の結婚式に出たいがために親友のセリヌンティウスを身代わりに差し出して、絶対に戻ってくると約束して妹の結婚式に行って帰ってくる話」
「なんだそれ。絶対に裏切るだろ。帰ってこないだろ」
「どうだろうな」
「そうじゃなかったら、作者は人間をなめすぎ。約束は破るためにあるんだ」

 俺はそれをよく知っている。
 約束は守るためにあるなんて、そんなことは絶対に嘘だ。破るためにあるのだ。どうせ破るのなら約束なんてしなければいいのに。それでも人間は約束をする。分かっているのに、どうしてか約束せずにはいられないのだ。それは俺も、例外ではない。

「もしお前の言う通りなら、だからこそ本の中でくらい理想を描きたいんじゃねぇの」

 大晟はそう言ってページを捲った。
 ここで約束は守るためにあると訂正しないところが大晟らしい。ただ、そうは言っても俺の意見に賛成している様子ではなかった。

「大晟は、約束は守るためにあると思う?」

 俺の問いに、大晟は短く「いいや」と答えた。
 ならば大晟にとっての約束とは何なのか。俺が聞くまでもなく、大晟の口から言葉が繋がれる。

「約束は守るためにも破るためにもあるもんじゃないだろ。約束という言葉でお互いを縛って安心するためだ」
「お互いを縛る…?」
「そうだよ。一番重要なのは、2人ないし複数人の間に約束という“呪縛”が生まれることだ。それを守ることで呪縛を解くのか、破ることで解くのか、そんなことは大した話じゃない。人間は約束で誰かを呪縛することで安心したいんだよ。だから破られようと守られようと、何度も懲りずに約束をする」
「呪縛……」

 約束は守るか破るかのどちらかで、俺は破るものだと思っていた。
 だけど大晟はそんなことは大した話ではないと言い放った。重要なのは約束をしているという安心。約束をしていることで相手を呪縛しているという安心。
 その安心を得たいから、どんなに裏切られてもまた約束をする。それは今度こそ守れるかと期待するものでも、また裏切られることを試すものでもない。約束という呪縛を求めているのだ。

 そう言われると、否定はできなかった。


「まぁでも、約束なんて脆いもんだからな。どんなに強く縛り付けていると思っていても、ちょっとしたことで簡単に解ける」

 それは確かに、その通りだと思う。

「大晟もいつか、俺の呪縛から逃げて行くんだろうな」

 今までの玩具がそうだったように。
 もし大晟の言う通りなら、今までの玩具はあまりに強い呪縛に耐えられなくなって、何もかもを捨てて約束を破って逃げ出すことを選んだというわけだ。

「害なく逃げれるなら、今すぐにもそうしてる」

 そう言いながらも大晟は全く逃げ出すそぶりも見せずに、俺に抱き付かれている。いつもならそろそろ腹を殴られているところだが、もしかして気を遣っているのだろうか。
 素振りどころか全然逃げたいような面持ちでもないその横顔は、まるでどうでもいいというように、ただ淡々と本のページを捲っていた。近くで見ても遠くでも見ても、横顔だろうと綺麗な顔。長いまつげが瞬きで揺れる。

「あー…やばい、そのすんとした顔を涙でぐちゃぐちゃにしたい」
「離れろ変態」
「う!」

 気を遣っているのではなくて、抱き付かれていることすらどうでもよかったらしい。余計なことを言った瞬間、腹にひじ打ちがヒットした。相変わらず容赦というものを知らない。

「そういう生意気な顔を涙でぐちゃぐちゃに―――ぐふ!!」
「生意気っていうのはお前みたいな奴に使うんだよ」

 二度目のひじ打ちがヒットしたところで、俺は大晟の背後から脱出した。こんなところで無駄にダメージを受けていたら、体力を消耗しないようにと心掛けていても何ら意味がない。
 だが、このまま大晟の思いのままになるというのは少々癪に障る。



「大晟、遊ぼうぜ」

 どうせ殴られてダメージを食らうなら、体力の消耗を最低限に抑えて遊ぶに限る。
 俺がそう言って大晟の持っていた本を取り上げると、めちゃくちゃ嫌そうな顔が俺を見上げた。



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