2 被告:菅 大晟
罪状:国家機密漏洩罪
判決:懲役260年
固く閉ざされた扉の向こうに足を踏み入れた。
そこは紛いなりにも秘密の花園なんて綺麗な言葉で表すことのできる場所ではなかった。
例えるなら、そう――野獣の檻。
俺はその日、その檻の中の住人となった。
Side Taisei 広い敷地の中に、まるで戦後かといいたくなるようなさびれたコンクリート張りの建物がいくつも並んでいる。見た目がよくなければ中身だって同等だ。3階建ての建物の中には無数の部屋と、各階にトイレがあるだけ。この分だと、部屋の中も期待できそうにない。
「今日からここがお前の部屋だ」
立ち止まった目の前にある扉には「4036号室」と油性マジックらしきもので書かれていた。いくら何でも、経費ケチりすぎだろ。
「とはいっても、一時的だが」
「一時的…?」
何だそれ。超面倒臭ぇ。
別に引っ越しするわけじゃないから荷物があるわけじゃないが(そもそも何も持ち込みはできなかった)、それでもこれから一生暮らすことになるのだから部屋の場所が変わるのは面倒だ。それも、相部屋というのだから尚更面倒だ。同じ部屋になった奴とコミュニケーションなんかとるつもりはないが、ずっと暮らすのだから慣れは必要だ。せっかく慣れた頃に違うところに移されてまた慣れ直さなければいけないなんて、実に面倒臭い。
「そうだ。本当は違う部屋を用意していたが、この間の乱闘で大破してしまったからな…。復旧作業が終わるまではここに住んでもらう」
コンクリートの建物大破っておかしいだろ。
つーか、誰だよ壊したやつ。どうして俺がどこの馬の骨とも分からん奴のせいで、居住地を盥回しにされないといけない。ふざけんな。
もしどこかで出会ったら一発ぶん殴ってやる。
「囚人番号778番」
看守が声を掛けるが、中から返事はない。
しかし、中ではガタガタと何かが動く音がしている。つまり、無人というわけではないということだ。
「778番!」
やはり返事はない。しかし、音はする。
「778番!開けるぞ!」
罪人にはプライバシーなどないらしい。
看守は最終宣告をすると、その返事が返ってくる前に勢いよく扉を開けた。
「あっ、まだ開けていいって言ってないじゃん…」
言葉の割に、その声色からは苛立った様子も慌てた様子も伺えなかった。
陰になっている看守の背中から顔を覗かせると、金色の頭が振り返った。顔立ちからして俺と同じくらいだろうか。純日本人顔なのに金髪が様になるほどに整っている。確か、昔はこういう顔立ちを二枚目と言っていたんだったか。高校で習った気がする。
「778番!何だこの部屋は!!」
「何だって、見て分かんないのか俺の部屋だよ。勝手に入ってくんな」
そう言いながら、金髪二枚目はベッドの下に必死に何かを押し込んでいた。どうやら、看守の目から何かを隠しているらしい。だが、バレバレだ。
「何を隠している」
「何も隠してないよ。ちょっと体操してるだけだ」
思いっきりベッドの下に何かを押し込みながら、金髪二枚目はいけしゃあしゃあと言い放った。それは無理があるだろう。この男は馬鹿なのだろうか。
「そんな体操があるか」
「俺のオリジナルの体操にケチつけんな」
実に低レベルな言い争いだ。金髪二枚目も大概だが、それに振り回されている看守も看守。そんなだからナメられるんだよ。間近で繰り広げられる低レベルなやりとりを聞き流しながら、俺は金髪二枚目から新線の移して部屋の中を見回した。
「は…?」
思わず小さく声が漏れた。一体どうなってんだ、おい。
コンクリ張りの部屋の中は俺の想像したものとは全く違った。
今にも支柱が壊れそうなベッドこそこの場に相応しいが、それ以外は全く場違い感が半端ない。何で囚人の部屋に大画面の――これはもしかしてテレビってやつか。どうしてこんなところにテレビがあるのだろう。そしてテレビからコードが伸びていて、その先には見たこともない箱が繋がっていた。あれは多分、据え置き型のゲーム機か、テレビの映像を録画再生する機械だったと思う。テレビの前には結構上等そうなソファまで置いてあった。その本質を無視してソファの上にはいくつもの…あれは、まさか紙媒体か?が詰み上がっているし、部屋の隅の方に無造作に置かれている机の上にはキーボードパッドが置かれている(やっと現代チックな機械を見つけた)。ということは、ネット環境もあるということだ。これのどこが囚人の部屋というのだ。これじゃあまるっきり普通の――いや、ここはまるで博物館にあるような、21世紀くらいの時代の部屋だ。
「看守室のテレビを盗んだのはお前だったのか…!」
え、まじかよ。あのテレビ盗んだのかよ。
「あー、そうだった。これも隠さないといけないんだった…」
「これも?他には何を盗んだんだ、お前!」
「えっ…いやいやいや、何も盗ってねーよ。いやだなぁ、あはは」
馬鹿だ。コイツ絶対に馬鹿だ。
顔が引きつっていて笑えていないし、声も裏返っている。嘘を吐く気が無いようにしか見えない。
「778番!」
看守の叫び声が響く。
怒るのは無理ないと思うが、正直そう何度も盗まれる方も大概だと思う。もっとちゃんと対策しろよ。一体どんな警備してんだよ、この牢獄。その気になれば簡単に脱獄できるんじゃないのか。
「なんもねーよ。これ以上人のプラシバシーに突っ込むな」
勝手に部屋に入られている時点でプライバシーに突っ込まれ過ぎていると思う。ていうか、やっぱり一応なりと囚人にもプライバシーってあるのか。それとも、この男が勝手に言っているだけなのか。
「はぁ…まぁいい。お前の悪事は後々暴く」
いいのか。看守がそんなことでいいのか。だからナメられるんだって、マジで。
それとも何か。許可も得ず部屋に入っておいて今更プライバシーなんて言葉に臆したのか。どっちにしてもナメられるだけだって。そんなだから俺みたいな新人に脱獄できそうとか思われちまうんだって。もっと頑張れよ。
「はっ、絶対無理だね」
ほら見ろこのドヤ顔。どこからそんな自信が出て来るんだと言いたくなるくらい自信に満ちた顔してるし、おまけに今鼻で笑ったぞ。
「黙れ。…とにかくこの部屋の有様をどうにかしろ。これじゃあ、もう一人が寝る場所もない」
確かに。所々に空いたスペースはあるが、とても寝れるような広さではない。
「もう一人?…何の話だよ」
「今日からこの部屋にもう一人監獄されることになった」
監獄って、この部屋のどこが。この部屋で過ごすならただの休日だろ。
「いや聞いてないし。俺まだ新しい玩具はいらないんだけど」
しかも聞いてないのかよ。
てか、新しい玩具ってどういう意味だ。
「今言った」
「涼しい顔して言ってるけど、嫌だから。また欲しくなったら言うから、その時にしてくんない」
「却下」
「いや意味分かんねーし。俺は“ロイヤル”だぞ」
なんだ“ロイヤル”って。ミルクティーの話か。
「そんなことは知っている」
「知ってるなら規律守れよな。大体、何で俺のところなんだよ。部屋なんて他にいくらでもあるだろ」
「何でだと?そもそもお前が48棟を大破したせいで新人の部屋がなくなったんだ、当たり前の措置だろうが」
「は?」
大破した?こいつが?俺の住むはずだった場所を?
「知ったこっちゃねーし」
「ふざけんな一発殴らせろこの金髪野郎!」
知らないだと。まじでふざけんな。お前のせいで俺は無駄に面倒臭いことをしなきゃいけないってのに何優雅に一人でこんな充実した部屋でくつろいでんだよ。絶対許せねぇ。金髪二枚目改めクソ金パに格下げだ。
「うわ!いきなり出てきて何――……え、何この美人」
「はぁ?」
人に胸倉掴まれて何言ってんだコイツ。
馬鹿を通り越してイカれてるのか。
「これがその新人?」
「そうだ。囚人番号2052、菅大晟」
おい看守。何勝手に個人情報漏えいしてるんだよ。
「ふうん……」
急に大人しくなってどうしたってんだ。
舐めるように視線を送ってくるな、気色悪い。
「オッケー。本当なら食って掛かるところだけど、今回は素直に言うこときいてやるよ」
先ほどまで頑なに嫌がっていたのに、一体どういうつもりだ。何を考えているのか全く分からない。
「……48棟が元に戻る前に病棟に移動なんてことにするなよ」
ちょっと待て、どういう意味だ。誰が病棟に移るんだ。
「そうだな、肝に銘じておくよ」
そう言って笑った顔は、まるでゲームに出て来るラスボスのそれ。
さきほどまでの表情と打って変わったその表情に動揺して、思わず胸倉を掴んでいた手を離してしまった。
「よし。ならば後は好きにしろ」
なんていい加減な看守だろうか。
好きにしろって、俺まだここでどうやって生活していくか何も聞いてないんだけど。何普通に帰ろうとしてんだよ。
「ちょ…待…」
「お前はこっち」
「は?うわ!」
突然部屋の中に引き込まれて、バタンと扉が閉められた。
**
先ほどまで扉が開いていたから気にならなかったが、入口が閉じ窓から淡い光が差し込むだけの部屋の中は、妙に薄暗い。
いや、そんなことより。
「……近い」
こんなに広い部屋で、どうして今すぐにも触れそうな距離に詰め寄られなければならない。背中は壁(というか入口の扉)、目の前には整った顔の金髪。逃げ場はない。
「近寄ってるんだから当たり前じゃん。……このブロンズ、地毛?」
そう言いながら、クソ金パは俺の髪に触ってきた。
この髪が珍しがられるのにはもう慣れた。幼い頃から、いつもからかわれてきたのだ。
「だったら何だよ」
「純って顔じゃないから…ということはハーフか。…日本でのハーフは生まれながらに勝ち組って言うけど、それにしても美人だな」
当たっているが、実に気喰わない発言だ。
「一発とは言わず二発くらい殴らせろ」
俺は顔のことを言われるのが一番嫌いなんだ。
何がハーフは生まれながらに勝ち組だ。俺の苦労なんて何も知らないくせに、知ったような口を利くな。
「褒めてるんじゃん」
「どこがだ。つーか、マジで離れろ」
いちいち息がかかってうっとうしい。
囚人のくせに、こいつから漂う匂いが妙に甘ったるいのもまた忌々しい。もっと囚人らしくトイレの臭いでもまとってろ。…いや、それに近寄れるのはもっと嫌か。
「断る。…俺もう、ロックオンしちゃったから」
「は?」
一体何をロックオンしたんだ。それに、それと俺との距離と何の関係があるってんだ。
ぶつかった視線に、気が付いた。瞳の色が紫色だ。俺にはわざわざ痛い思いをして瞳の色を変える意味が分からないが、それでも現代は10代の7割が色素を埋め込んでいるというのだから驚きだ。囚人になって出来るはずはないから、それ以前に埋め込んだのだろう。それにしても、外国人にあこがれて青にしたり、目を大きく見せるために黒にしたりするのが一般的だが、紫というのは初めて見た。紫色の目なんて絶対人間の顔に合わないはずなのに、妙に合っているのが逆に気持ち悪い。
「俺の名前は紫部要」
一体何を思ったか、突然自己紹介を始めた。
ただ自分の名前を言っているだけなのに、その顔に貼り付いている笑顔からは嫌な感じしか受け取れない。
何だろう、すごく、とてつもなく、嫌な感じがする。
人工的な紫の瞳からは感情を読み取ることができない。それどころか、その異様な輝きに生気を吸い込まれてしまいそうだ。…本当に妖怪じゃないだろうな。勘弁してくれ。
「今日からお前には、俺の遊び相手になってもらうから」
そう言って笑うその顔は、悪意以外は何も感じ取ることができなかった。
その言葉が一体どういう意味なのか理解することはできなかった。しかし、理解せずとも、俺に利点のあるものではないということは容易に想像できた。
**
窓から差し込む唯一の光が、陰り始めていた。
テレビの向こうでは毎日御馴染みのニュース番組が放送されている。俗に言うお天気おねえさんが今日の夜の気候がどうとか、明日の天気がどうだと最後のシメにかかっていた。あまり真面目に聞いていなかったので、肝心の今日の夜の気候と明日の天気の詳細は分からなかった。
今日ももうすぐ、一日が終わる。
「なに物思いにふけってんの?」
いけ好かない声と共に背後から甘ったるい臭いが漂ってくる。この甘ったるい臭いが煙草の臭いだと知ったのは初めてここに踏み入れた日、看守が出て行ったすぐ後のことだ。ベッドの下に必死に隠していたのが、正にその煙草だった。
無視を決め込んでいると、甘ったるい臭いがすぐそばまでやってきた。ほぼ同時に細い腕が首に巻きついてきたので、振り返りもせずに肘を背後に向けて思いきり振った。
「ぐふっ!」
ナイスヒット。感触からして、いい具合にみぞおち辺りに当たったのではないだろうか。
「その甘ったるい臭いで近寄るな。吐き気がする」
「酷い言い草。ぼうっとして、何考えてたんだ?」
人に質問する前に人の話を聞いていなかったのだろうか。
俺は今、近寄るなと言った。それなのに、どうして懲りもせずまた首に腕を回してくるのだ。
「お前に話してやる義理はない」
「あ、もしかして。俺に薬盛られて動けなくされて犯された挙句、その光景をばっちり映像に収められてたせいで目出度く俺の玩具になった時のことでも思い出してたの?」
全然違うが、今のご丁寧な説明のせいでそのことについても思い出してしまった。
思い出したくもなかったことを思い出させられたせいで無性に腹が立ったので、もう一回肘を振った。先ほどと同じように、いい具合にヒットした。先ほどのダメージが残っていたのか、要は咳込みながら腹を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
「げほっ…げほっ……まじ酷い。……大晟さ、俺とお前とどっちが主か。ちゃんと分かってる?」
「さぁ」
主かどうかなんて関係ない。人の話を聞かない方が悪いんだ。
「そういう、聞き分けの悪い子は御仕置するよ」
再び、今度は正面から腕が伸びてきた。紫色の瞳が、俺の視線を捕える。人工的なそれからはその奥にある本当の瞳の色も、潜む感情も見えない。それだけでも不気味なのに、近距離で漂ってくる甘ったるい匂いが更なる不快感を誘う。
「もう飯の時間だろ」
「今何時?」
「6時半」
既にニュース番組が終わってCMに変わったテレビ画面の右上に記された時間がそう示している。
テレビなんかここに来て初めて使ったが、意外と利便性に長けていた。どうしてこんなに使い勝手のいい機械が衰退したのか理解しがたいくらいだ。
「2回はできるな」
「ふざけんな死ね」
何を澄ました顔で当たり前のように言っているのだろうか。
夕飯は7時だぞ。どんだけ早回しでするつもりだ。本当に死んでしまえばいいのに。
「大晟に拒否権はないだろ?」
確かにその通り。俺に拒否権はない。
さきほどご丁寧に説明してくれた事情から、俺はこの馬鹿に逆らうことができなくなった。こんな狭い世界の中であんな映像ばら撒かれたら、俺の充実した囚人ライフがおしゃかになってしまう。そんなことになるくらいなら、要の言いなりになっている方がマシだと思った。なんたってこいつ馬鹿だし。
「さっさとしろ」
そして何より、誰かに虐げられることには慣れている。
俺は自分でも驚くくらいあっさりと、玩具になることを受け入れていた。
檻の中の、さらなる檻の中へ(その中に足を踏み入れた瞬間、もう後戻りはできなくなっていた)
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mokuji
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