Long story


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8

 情けは人のためならずという言葉がある。
 これは、情けは人のためにならないという意味ではない。
 情けは人のためではなくいずれは巡って自分に返ってくるから、誰にでも親切にしておいた方が良い。
 そんな先のことまで考えて、誰かに親切にするやつなんかいない。


Side Taisei


 この牢獄で数少ない褒められるべき点は、シャワー室の使用時間が24時間だということだ。まぁ、5千人も収監されてるんだから、時間なんて決めてたらシャワー浴びれないやつ続出するだろうから、当たり前といえば当たり前だけど。
 24時間の中でシャワー室が一番込み合うのは午前5時半から6時半までの1時間と、午後8時から11時の間、夕食後の3時間だ。どうしてどいつもこいつもこぞって同じ時間帯に入るかと思わなくもないが、全員同じ生活リズムしているということを考えればしょうがない。


「余所事考えるなんて、余裕だな」

「んっ…っ」

 要が耳元で囁く声が背筋をぞくぞくとさせた。すぐ頭上から流れているシャワーの音がノイズのように聞こえる。頭上だけじゃない、薄いカーテンを経ているだけの区切られた空間だ。右からも左からも、シャワーの音がノイズのように耳につく。…いや、この状況でのノイズは要の声の方か。

「声出したら隣に聞こえるぜ?」
「はっ…ん…、っ…」

 確信犯が何を言う。
 いつもならばシャワーを浴びるのは日付を跨いで1時間か2時間くらい経った後だ。その理由は明白で、毎日他の囚人たちがこぞってシャワーを浴びている時間帯は基本的に要が盛っている時間帯だからだ。というか、こいつは24時間盛りっぱなしだ。24時間盛りっぱなしの要が珍しく今日は早く風呂に行こうと言い出したと思ったらこれだ。
 俺の中で要が手を動かすたびに漏れそうになる声を抑えたいのに、ご丁寧に手錠まで用意してるんだからまったく溜まったものではない。頭上でシャワーに繋げられた腕は動かしてもガチャガチャと音を立てるだけで何の役にも立たない。唇を必死に噛みしめるその痛みですら、気持ちよく感じてしまいそうな自分に嫌気がさしてくる。

「んっ…」

 俺の反応を見ながら楽しそうに笑う要は、俺の中から指を引き抜いた。
 つぷっという音が、シャワーの音に紛れて微かに聞こえたような気がして、途端にどこか物足りなさを感じた。そんなもの感じたくなどないのに、忌々しいことこの上ない。


「スリルが足りないな」

 要はそう言うと、シャワーハンドルを回した。頭上から止めどなく流れていた水の流れが止まる。
 相変わらず両隣からは音が聞こえているが、自分の頭上から聞こえるのと聞こえないのとはえらい違いだった。隣のシャワーの音だけではなく、先ほどまでは気にならなかった、順番待ちをしている他の囚人が会話している声まで聞こえてくる。

「お前…何……」
「こっちの方がスリルあっていいじゃん?」
「ふざけっ―――ぁ、んっ!」

 楽しそうに笑いならがしゃがみ込んだかと思えば、要は刺激が止まったことで勃起が治まっていた俺のものを口に咥えた。要の肌はいつも冷たいが、さすがに口の中はそうではなかった。

「っ…んっ、……んんっ」

 シャワーが止まったことで自分の声が先ほどよりも響いているように感じる。実際そうなのかもしれない。それに加えて、周りの囚人たちの声が耳障りなノイズとなって聞こえてきた。もしかして自分の声が聞こえているかもしれないと思うと、羞恥で死ねそうだ。
 しかし、そんな俺の思いなんてどうでもいいというように、要は口を上下に動かしながら、もうすっかり勃起した俺のものに舌を絡めてきた。

「ぁ、ん、んんぅ……っ」

 再び唇と噛みしめると、口の中に微かに鉄の味が滲んだ。どうやら、到頭唇を切ってしまったようだ。しかし、今はそんなことを考えている余裕はない。下半身に襲ってくる止まらない刺激が、俺の思考の全てを支配していた。さきほどまで後ろを指でいじられたこともあってか、もう既に達してしまいそうだ。

「んっん…はっ…ん―――…っ」

 やばい、と思った瞬間に要の口が離れた。暖かかったそこが突然冷たい空気に晒されたことで体の中を駆け抜けていた刺激も止まり、もうすこしで吐きだされそうだった俺の熱は吐きだされることなくその場にとどまった。
 いつかの、紐で縛られてイかされないようにされた時とはまた違った感覚だ。もどかしくて仕方がない。

「自分だけ気持ちよくなっちゃだめだぜ?」
「っ…!」

 そう言うと立ち上がって俺のものを撫でる。

「大晟…血出てるじゃん」

 まだ止まっていなかったのか。
 要は少し驚いた顔をしてから、俺の顔に手を伸ばしてきた。

「っ…」

 冷たい手が俺の頬に触れた。と思ったら、顔を近づけて舌を這わせてきた。
 おい、さっきまで咥えていた口で俺の顔をなめるな。汚いだろうが。吐き気がする。

 そんな悪態でも吐いてやろうと見上げると―――視界に入った顔は、どこか戸惑っていて、それから少しだけ青ざめていた。

「……要?」

 一体、どうしたというのか。

「ごめん」
「は…?」

 耳を疑った。


 意味分かんねぇ。


 こんなところで腕を拘束しても何とも思わないくせに。それどころじゃない。独房でバイブを突っ込んだまま放置したり、イけないように紐で結んだり、…それ以前に人を玩具にしても何ともないような顔をして。それどころか楽しんでいるくせに。
ちょっと唇から血が出たくらいなんだ。それを申し訳ないと思うのなら、もっと他に謝罪すべきことがあるだろう。馬鹿じゃねぇのか。
 そもそも、一番最初に俺を組み敷いたときだって、同じような状況になっただろ。あの時お前、血も下たるなんとかこうとかって…楽しんでただろうが。

 それなのに、どうして今はそんな顔をしている?
 そんな、今にも……壊れそうな。

 それじゃあまるで。
 俺が悪いことしてるみたいじゃねぇか。



「もうそんなになるまで噛むなよ」

 要はそう言うと、俺の片足を持ち上げた。

「あっ―――んんう!」

 指とは比べものにならないくらいの質量が、物足りなさを掻き消すように押し込まれた。
 無茶言うな。
 この状態で他にどうやって声を抑えろというんだ。それとも、抑えるなと言いたいのか?
 それこそ無茶言うな。

「っ…んっ、ふっ…ん……」

 周りのノイズに加えて、動くたびにぐちゅぐちゅという水音と、少し荒い要の息遣いが鮮明に聞こえてくる。いつもなら気にもならないはずの音が鮮明に聞こえてきて、それが快感を助長する。
 漏れそうになる声を抑えるために、俺は再び唇を噛んだ。先ほど切れたらしいところがぴりっと痛む。

「だから、噛むなって言ったじゃん」
「無理に、…決まって…んっ…声……」

 声を抑えることに集中すると、喋ることもままならない。
 しかし、今のでも俺の言いたいことは伝わっただろう。それが分かったなら、頭上の手錠をさっさと外せ。



「……しょうがねーな」



 やっと手錠を外す気になったか。
 と思ったこともつかの間、何故か要の手が俺の口に伸びてきた。

「はっ……んんっ!?」

 指で無理矢理口をあけられたかと思うと、俺の口の中に要の舌がすべりこんできた。
 なんで。
 驚きと戸惑いが頭の中行きかう中で、それよりも大きく感じたのは疑問だった。


 なんで―――キスなんか。


 毎日何度も体を重ね、道具で責められ、達するのを止められ。思い返すとたった数週間の間にかなり色々なことをされたと思う。でも、キスをされたことはただの一度だってなかった。

 故意にしないのだと思っていた。

 血を流して欲しくないのならば手錠を外せばいいだけのことなのに。いくら要が子どもでも、それくらいのことは分かるだろう。それなのに、どうしてキスなんだ。

「んん…はっ…ん」

 いつも要の吸っている煙草の甘ったるい匂いと、それから少し苦い味が鼻から抜けて行く。
 要の舌が俺の口の中で舌に絡んできたり、歯列をなぞったり。己の唾液ではない唾液が口いっぱいに広がって、同時に伝わる刺激は、これまで感じたことのないものだった。
 初めての感覚に、頭がおかしくなってしまいそうだ。

「んっ…んん、ん!」

 下から感じる刺激と、舌から感じる刺激と。まるで全身を貫かれているように、止めどない快感が体中を駆け抜けていく。

 頭がおかしくなる。

 さきほど寸前で止められたこともあってか、挿れられてからまだそれほど経っていないのに、もうすでに達してしまいそうだ。

「ん…んん……はっ」
「っ…大晟、イくぞ。ちゃんと声抑えろよ」

 要は一度動きを止めつつ口を離してそう言うと、再び俺の口の中に舌を突っ込んできた。ほぼ同時に、止まっていた動きが再開する。

「んっ…ん、んっ…んんん―――!!!」

 先ほどよりも早いピストンで動かれ、ねっとりと熱い舌を絡められると、まるでそれを待っていたかのように簡単に達してしまった。ほぼ同時に熱いものが体の中に注がれるのを感じながら、俺の舌に絡まっていた要の舌が口から出て行くのをぼうっと眺めていた。
 相変わらず両隣のシャワーの音と、それから他の囚人たちの話声がノイズとなって耳に響いていた。


 **


 終わってすぐに体を洗えるというのは便利だと思った。だからって、二度とシャワー室なんかでヤりたくなんかないけど。随分長居してしまったせいで出た時にすげぇ嫌な顔されたし(決して俺のせいではない)、おまけにヤったばかりで気怠さマックスの体を駆使して部屋まで戻らないといけない。それだけならまだしも、服を洗濯するというすこぶる面倒くさい仕事まで残っている。1回部屋に帰って休んでからにしようかとも思ったが、多分確実に寝る。もしくは復活した要の餌食になって、その後はもうシャワーを浴びに行く必要がないだけにやはり寝る。となると、今しかない。
 コインランドリー(別にコインを入れる訳でもないのにどうしてそういう言い方をするのか分からない)に行くと、思っていた以上に囚人たちの数は少なかった。この分だと、すぐに順番が回ってきそうだ。入った時点で要とは別れ(部屋以外で一緒にいたくなどない)、俺は一番空いていそうな列を探してから後ろに並んだ。並んでいるのは6人。全員持っている服の量は少なめだから、それほど待つことはないだろう。ラッキーだ。



「どこも混んでるな」
「まぁ時間帯やし、しゃあないんちゃう」

 俺の後ろに誰か並んだ。どうやら2人いるらしい。どちらも顔は見えないが、一人は関西弁だ。そういえば、5千人も収監されているというのに地方訛りを聞いたのはここに来てから初めてだ。

「それを分かってくれる看守だったらいいけどな」
「まず無理やな」
「だろうな」

 背後から疲れ切ったような溜息が聞こえた。
 最前列にいた男が洗濯を追えて出て行く。あと5人だ。

「大体、俺たちまで夜勤をする必要があるか?一緒にいただけなのに」
「独房に入れられんかっただけマシやろ」
「そうだけど」

 別に盗み聞きしてるわけじゃねぇけど。話が勝手に耳に入ってくる。
どうやら後ろに並んでいる2人はこれから夜勤らしい。
 あまり詳しいことは聞いてないけど、確か規律に違反したときに加せられるって聞いた気がする。独房とどちらがマシかと聞かれれば、どちらも期間や相性によるんだろうけど、後ろの連中的にはマシだったらしい。


 そんなことより。
 夜勤をさせられるような規律違反をするような奴なんて、絶対に関わりたくない。さっさと洗濯してさっさと部屋に戻ろう。

「まぁでも確かに、実際に看守を殴ったのは俺らちゃうし、ちょっと庇ったくらいで夜勤は正直腹立つわ」
「そもそも悪いのはちょっかいかけてきた看守だしな」
「ほんまや。あいつら、ちょっと機嫌悪かったらすぐ独房や夜勤や言うねん」

 どうやら背後の2人、それほど悪人ではないようだ。
 俺は今までそんな質の悪い看守に会ったことはないから、背後にいる奴らの話がどこまで本当化は分からないが、そういう奴もいるのかもしれないと肝に銘じておかねばならない。
 そう思いながら前を見ると、いつの間にか前に並んでいた囚人が2人いなくなっていた。あと3人だ。

「とはいえ、ここままじゃまたあいつらの思う壺だ」
「やな。確実に9時には間に合わへん」

 前方の上の方にある掛け時計に目をやると、時刻は8時35分。1人の洗濯が5分だとして、俺を含めてあと4人だから…残りは5分。確かに、このままでは確実に間に合わない。洗濯が終わったころに作業開始といったところだ。逆に言うと俺が譲れば間に合うってことか?いや、俺が譲ったところで、2人いるのだからどうせ間に合わない。それに、俺は譲る気なんて毛頭ない。理由はどうあれ、夜勤をさせられるような奴とはやはり関わりたくない。

「綺麗さは捨てて2人で一気に洗うとして、走って9時5分?」

 おいこら、俺が譲ったら間に合う可能性を口にするんじゃない。

「5分……夜勤5日追加とか言われるパターンやで。絶対そうやで」
「嫌なこと言うなよ…」


 そうだ。嫌なことを言うな。

 それともあれか。
 2人で会話していると見せかけて俺に話しかけているのか。背後から譲れと訴えているのか。絶対に譲らねぇからな。

「ちょ、他に空いてるとこあれへんの?」
「あったら最初から行ってる」

 まぁ、そりゃあそうだろうな。
 俺の見る限りもここが一番空いていたし。

「ちゃうって。なんか同じ列で同時に3人くらいめっちゃ腹痛くなってトイレ行ったみたいな」
「どんな奇跡だよ。それなら看守が下痢になって夜勤の時間をずらすべきだろ。間に合う上に看守も痛い目にあって一石二鳥」

 どうやら俺に譲れと訴えているのではないようだが。
 そんな都合よく3人がトイレに行ったり、看守が下痢になるわけないだろ。

「それ言うんやったら、物凄い天変地異が起こって建物が崩れて看守が潰れる」
「そんな天変地異が起こったら、看守どころか他の囚人も死ぬし俺たちの住んでる棟も壊れるだろ」
「ええやん。脱獄できるで」
「……それもそうだな」

 もうすっかり話の趣旨がかわっている。
 夜勤に間に合う間に合わないという話から、脱獄に話に飛ぶって一体どんなだ。
 ていうか、納得するなよ。全然よくねぇよ。

「ああ、そうこういってる間にもう15分しかないで」
「どっかに奇跡の3人トイレはないのか」


 奇跡の3人トイレって。どんな名称だよ。

 なんだろう、こいつら超面白い。



「おい」
「あ?…ああ、どうも」

 後ろの話に夢中になっていたら、到頭俺の順番が回ってきたようだ。
 前にいた奴から洗濯乾燥機を動かす鍵を受け取ってから、服を放り込んで洗濯機に置いてある洗剤を入れてから蓋を閉め、鍵を回す。そうしてあと10分もしたら俺は部屋に帰ることが出来る。

 10分後、俺は快適に部屋で過ごすことができるんだ。



「……ほら」


 あーあ、俺は何をやってるんだろうか。


「え?」

 振り返って鍵を差し出すと、未だに何か喋っていた2人が揃って声をあげた。
 どちらも俺よりいくらか年下くらいの…この間のことから見た目で判断することはやめたので、この言い方はやめよう。少し幼い容姿の、少年。
 不審者でも見つけたみたいな怪訝そうな顔をして、顔を顰めている。…いやまぁ、こいつらからしたら今の俺は実際に不審者か。

「すげぇ腹が痛くなってトイレに行くから、やる」

 腹なんて全く痛くねぇけど。
 そう言うと、俺の言わんとしたことを察したのか、2人の少年の怪訝そうな顔が驚きの表情に変わった。
 2人の後ろには既に何人か人が並んでいて、早くしろと言わんばかりにこちらを睨み付けていた。やれやれ、もうこの列にはいられないな。

「本当にいいんですか?」
「並び直さなあきませんよ?」
「だから、俺はトイレに行くんだって」

 行きたくなんかないけど。
 俺が改めてそう言って鍵を差し出すと、少年たちの顔が途端に明るくなった。


「――――ありがとう!!」


 2人は声を揃えて鍵を受け取ると、すぐさま洗濯機の方に走って行った。


「はぁ……」

 また並び直しだ。
 俺はその列から離れると、改めて空いていそうな列を探した。ようやく見つけた一番空いている列は、待ち人7人。これから30分以上待つことになるのか。
 そう思うと心の底からため息が漏れてきた。でもまぁ、面白い会話が聞けたからいいとするか。…そうでも思わないとやってられない、本当に。


 **


 部屋に戻ると、要が先に戻ってソファに腰かけ煙草を吸っていた。
 無駄に2回も列に並んだのだから、当たり前といえば当たり前だけど。

「遅かったな。そんなに混んでなかったのに」
「急にトイレに行きたくなったことになったからな」

 甘ったるい煙草の臭いが部屋に充満している。
 俺はすかさず窓まで行くと、今にも壊れてしまいそうな窓を無理矢理こじ開けた。ギギ、と嫌な金属音がした。

「は?なにそれ?」
「そういう設定」
「…どういう設定?」

 要は意味が分からないと言うように首を傾げたが、これ以上教えてやる義理はない。それよりも俺は重労働の末に経ち続けたことで疲れたんだ。
 質問を無視して、洗った服ごとベッドにダイブした。この固いベッドは最初こそ御世辞にも心地いいとは言えなかったが、すっかりそれも慣れて、今ではこの固さが落ち着くようになった。順応とは恐ろしいものだ。

「無視?」

 いつも人の話を無視してばかりの奴が何を不満げに言っているのだ。
 要は煙草の火を消すと、ソファから立ち上がって俺に覆いかぶさってきた。俺の首元に顔を埋め、首筋に舌を這わす。
 帰ってきたばかりなのに、もう始めるのか。少しくらい休憩をさせて欲しいところだが、どうせ言っても無駄だろう。

「っ…別に、何でもいいだろ」
「ま、そうだけ……ど」

 顔を上げた要と目があった瞬間、要の言葉が止まった。かと思ったら、遅れて最後の一文字が、まるで消え入るように呟かれる。
 まるで何かに動揺したような表情だ。相変わらず紫色の瞳からは感情が見えないが、それでも明らかに動揺しているというのは全体の様子から受け取れた。


「何だよ」

「……血、止まったな」

 一瞬何のことかと思ったが、そういえば唇を切っていた。全く痛みもなかったのですっかり忘れていた。
 唇の傷口に要が触れる。少しだけピリッとした刺激を感じた。


「そりゃ…、時間が経てば止まるだろ」
「まぁ、そうか。痛い…?」
「全然」
「そっか…」


 どこか安心したようにそう言うと、要はもう一度俺の傷口に触れた。またしてもピリッと刺激が走る。何を考えているのか、触れられた手はそのまま動かない。紫色の瞳が、じっと俺の傷口を見つめている。


「大晟…」


 ようやく口を開いたかと思うと俺の名前を呼ぶだけで、要はぐっと俺に顔を近づけてきた。
 紫色の瞳がいつになく輝いて見える。偽りの色、偽りの瞳の奥をじっと見つめると―――その奥にひっそりと戸惑いの色が浮かんだ。


「!!」


 要は途端に何かに驚いたように目を見開き、そして勢いよく俺から顔を離した。
 遠くなった瞳に、一瞬だけ見えた戸惑いの色はもうない。いつものように、感情のない紫色が輝いているだけだ。




「―――寝る」

 要はそう言って俺の上から退いくと、言葉通り俺に背を向けるように隣に寝転んだ。

 言葉通り。


 …言葉通り?


「は…?」

 嘘だろおい。いまこいつ、寝るって言ったか?
 まだ9時過ぎだぞ。夕食後にシャワー室で一発ヤっただけだぞ。

 それなのに、寝るだって?


「何」

「な、何でもねぇ…」


 何を戸惑っているんだ俺は。馬鹿か。
 これは好機以外のなにものでもないだろうが。
 どういう風の吹き回しか、頭がおかしくなったのかは知らないが、要が寝るって言ってるんだ。
 素直に喜べばいいだろう。ああ、今日はなんていい日だろう。
 もしかして、いいことしたから神様が俺にご褒美でもくれたのか。


「……まさかな」

 一瞬頭に思い浮かんだことをあざ笑ってから、要に背を向けるように寝返りを打った。
 神様があれくらいのことでご褒美をくれるというなら、俺は要の玩具なんかになってはいない。そもそも、こんな牢獄なんかに放り込まれていないだろう。それどころか―――…いや、もう考えるのはやめよう。
 とにかく今日はすこぶるいい日だ。それだけでいいだろ。




たまには人助けもいいかもしれない
(もう二度とこんなことしたくなんかないけれど)

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