Long story


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55

 もう何も、失いたくない。
 同じ事を、繰り返したくない。

Side Kaname

 部屋を開けた瞬間の光景を目にした時、その一瞬に自分がどんなことを感じたのかはよく分からなかった。ただ、咲哉が大晟の首を絞めているのを見て…何を考えるまでもなく、その目立つ金色の服を吹き飛ばしていた。
 そして地面に押さえ付けて、紫色の瞳を見たときには…確かに感じた。それは、怒りだった。

「……何、今の?もう1回、よく見せて」
「!」

 目の前で小さな風の渦がが起こり、たちまち飲み込まれる。巻き起こる風の強さに抗うことが出来ずに、押さえ付けていた手が強制的に離れた。

「ねぇ、見せてよ」
「━━ッ」

 ゴウッと、全身に突風がぶち当たる。
 足を踏ん張る間もなくそのまま廊下の先まで吹き飛ばされるが、どこかの部屋のドアノブを掴んでどうにか突風をやり過ごした。
 そして、風が止み地面に足が着くのと同時に━━━蹴る。
 ぐっと、地面に足が食い込むような感触が一瞬だけした。そして瞬きをすればもうすぐ目の前には、咲哉がいる。
 その顔に向かって、一直線に。

「な…っ」

 殴る。

「痛ぅッ!!」

 今度は咲哉が吹き飛んだ。
 しかしその体はすぐに制止する。ほぼ同時に、ずしっと、体に重みを感じた。
 そしてその重みが消えると、咲哉の視線が俺を捉える。

「……確かに見た…気がしたけど、見えてなかったのかな」

 口から微かに滴る血を拭いながら、咲哉は首を傾げた。
 そんなこと、俺の知ったこっちゃない。そんな、どうでもいいことよりも。

「何してんだって、聞いて…」
「ちょっと待て」
「!?」

 もう一度地面を蹴ろうとした所で思い切り腕を引かれ、体がぐらりとバランスを崩す。そのまま猫掴みのようにぐいっと持ち上げられたことで、転ぶことは免れた…らしい。

「連帯責任なんて言われたらどうする気だてめぇ」
「…………は?…あれっ?」

 目の前に現れた美人にキッと睨み付けられて、何だか…唐突に、頭の中から何かが飛んで行った。まるで、夢の世界から戻ってきたような気分だった。
 ━━あれ、俺今…何してたんだったけ。

「正気に戻ったか?」
「……?」

 ……何が?

「そのアホ面は正気に戻ったってこったな。…ったく、滅茶苦茶にしやがって」
「アホ面って……あ!扉がなくなってる!」

 え?ていうか、え?
 廊下が…めっちゃ傷だらけだし。穴ぼこみたいなん出来てるところまであるし。
 何だこれ?どうなってんの?

「………どういうことかな?」
「まだ2回目だから何とも言えねぇけど、頭に血が登ると無意識に加減なく暴れるみてぇだな」
「いたっ」

 急に落とすから…。
 せっかく転ばずに済んだのに、結局同じじゃん……。

「つまり今のは…新しい能力じゃなくて、元々持ってるものが無意識下で加減がなくなって…ってこと?凄まじいスタートダッシュ的な?」
「地面が抉れてる所を見ると…多分そうだな。コンティニュー17でも理解力は人並みか」
「え?今僕のことディスった?」
「コンティニュー17はディスられて然るべきだろ」

 咲哉と大晟の会話が、多分俺の話をしてるんだろうなってのは分かった。けど、その内容は全く理解できなかった。
 ……いや。
 ていうか、そんなことより。

「それより、よくそんなに普通に喋れるね」

 あ、そう思ったのは俺だけじゃないんだな。
 まぁ……大晟だからさ。
 基本的に何に対しても動じないってのはよく知ってんだけど。だから生半可なことじゃビビらないってのは納得できるけど。
 それにしたって普通すぎね?だってさっきまで首絞められたんだぞ?それが何でそんな、労働終わりにたまたま知り合いに出くわしたみたいなテンションなんだよ。
 
「いやまぁ、その髪とか目とかに対しての不快感は半端ねぇけど」

 えぇ…。
 本人目の前にして不快感とか言っちゃうのかよ。
 仮にもJOKERだぞ?死なないって言っても、何されるか分かんねーんだぞ?
 ……そいや大晟、咲哉の力のこととか知ってんのかな。誰かに聞いて…って言ってたから、聞いたんだろうか。

「…この金髪と紫?」
「そうだよ。至極不愉快だ」

 それは……俺と、全く同じ色だけど。

「同じだけど」
「どこがだ。そんな不愉快な色と一緒にすんな」

 ……一緒じゃね?
 どこか違うんだよ。思わず自分の髪と咲哉の髪を見比べる。やっぱりどうみても同じだ。
 というか、違うわけない。
 だってこれは、検体の後遺症だ。
 最後までマスター検体を受けきった咲哉は一度で髪も目も変わった。途中で中止になった俺はそうならなくて、内心でほっとしていたのに。レベルの低い検体の回数を重ねることで…結局こうなった。
 目の色が変わったときも。髪の色が変わったときも。
 遠ざかりたいのに。忘れてしまいたいのに。どんどん咲哉に近付いて行くみたいで、とてつもない嫌悪感を覚えた。
 髪を見る度、目を見る度、思い出すのかと思うと吐き気がした。
 そして思い出す度に、確かに感じていた。いっそ全てが終わればいいのにという絶望のような気持ちの陰に隠れた、咲哉に対する強い感情を。

 だから、違うはずない。
 俺はずっと、この髪もこの目も大嫌いだった。同じだからこそ、心の底にどろどろと渦巻いていた感情が確かにあった……………のに、何でだろう。
 大晟がそう言うなら、もしかして違うのかも…と思えてくる。その違いは俺には全然分かんねーけど。でも、違うのかな…って、そんな風に思う。

 そうすると……またひとつ。
 ずっと嫌だったことが。忘れたくても、忘れられない程に嫌で嫌で仕方のなかったことが。大晟のおかげで、どうでもいいことのようになった。

「……何がおかしいの?」

 俺の顔を見た咲哉は、とても不機嫌そうな顔をしていた。
 何だろう…前にも、こんな━━ああ、そうだ。ついこの間、マスター検体を待ってる時に会った時にも同じ事を聞かれたんだ。
 そう問われて初めて、自分が笑ってるんだって知ったんだ。
 それから、気が付いた。
 自分が大晟のことを好きな気持ちを誤魔化そうとしても、もう無理なんだってとこに。それくらい、大晟のことが好きなんだってことに。
 そして、今も。
 咲哉に指摘されて初めて、自分が笑ってることに気が付いた。

「別に」

 ばかばかしいな、と。
 また、そんな風に思ってしまう。


「何を考えてるのか知らないけど、僕の地獄からは…絶対に、抜け出させやしないよ」

 それは、この間とは真逆の台詞だった。
 咲哉はどこか不機嫌そうにそう言ってから、くるりと踵を返した次の瞬間――その姿が視界から消えた。
 そしてしばらくもしないうちに、カツカツとヒールの音が響き出す。

「今度はもう少し腕上げてこいよ、コンティニュー17」

 一瞬だけヒールの音が止まる。しかし、大晟の言葉に対しての返答はなく、すぐにまたカツカツという音が鳴り始めた。
 その音が段々と遠ざって行き、やがて聞こえなくなる。傷だらけの廊下は嘘のようにしんと静まり…………傷だらけの廊下。
 俺の部屋を中心に、何ヵ所も切り傷のように抉れている。それだけじゃなく、地面は所々が穴ぼこ、1ヶ所にはクレーターみたいなんが出来ちゃってる。てか赤く…あっ!俺また血だらけ!今度は軽い切り傷程度だから全然痛くねぇけど…てことは、地面のこれは俺の血?
 いや……あの。大惨事なんですけど。

「龍遠に殺される……!」


 **


 ━━━俺に害がないなら他のどの棟を壊してもいいけど、うちの棟に傷ひとつでも付けたらただじゃおかないからね━━━
 爽やかな笑顔でそう言われた時のことはよく覚えている。きっと恐ろしい目に合うのだろうと思って、これまで最新の注意を払って生活してきた。まぁ、ぶっちゃけ傷は何ヵ所かつけちゃってたけど、龍遠もかすり傷程度のことにはそれ程怒りはしなかった。
 けど…流石に。
 流石にこれは殺されるレベル…いや、そこまでじゃあないかも。せめて、半殺しくらいで済むかも……なんて。

「こりゃ100パー死んだな」

 人がせっかく僅かな可能性を信じようとしてる時に、何でそう希望を打ち砕くようなこと言うかな。
 ていうか、何で先生がここに…大方大晟と遊びに来たんだろうけど、それはいいんだけど。他人事だからってケラケラ笑ってんじゃねーっつの!

「全部椿君がやったってことにしちゃえば?」
「ちょっとまこちゃん?」
「だってこれ、どっちも椿君の力だよね?酔っ払った椿君がやったってことにしちゃいなよ」
「いやいやいやまこちゃん?」

 グッと親指を立てるまこの隣で、先生は思い切り顔をしかめる。
 確かに、都合よく壁を抉っているのも地面を沈ませているのも先生の力だ。大晟と遊びに来て酔っぱらって…って言えば、信じてもらある可能性は少なからずある。

「お前、圧死させるだけじゃなくて切り殺すことも出来んのか」
「いえーす。こんな風に、いつでもどこでもセルフ竜巻よ」

 ぶわっと、大晟の隣で小さい竜巻が巻き上がった。俺にはこの風がどういう原理でコンクリート抉り、皮膚を裂くのかよく分からない。龍遠には「風の中にかまいたちっていう妖怪が住んでるんだよ」とか言われたけど、それは信じてない。だって、本当にいたら怖いから。
 なんて、呑気なことを考えてる場合じゃない。今が何時頃か分かんねぇけど、とにかく龍遠が帰ってくる前に何とか手を打たねーと。これを目にして笑顔を浮かべる龍遠なんて、想像するだけでゾッとする。


「なぁにこれ?」

 そうそう、こんな笑顔。
 人ってほら、怒りが突き抜けると笑えてきたりするじゃん?そんな感じの笑顔っつーの?
 その後に真顔に瞬間がもう。能面みたいな顔がすうって出てきた時のあの絶望感は本当にヤバい。
 そうそう、正にこんな…………。
 こんな……………。

「ぎゃあああああッ!?」

 何でいんの!?
 ねぇ何でいんのどっから沸いたの何でなの!?

「ねぇ、なぁにこれ?」

 真顔。まるで粘土で作ったような、そんな真顔。
 思わず大晟の後ろに隠れたけど、全身からぶわーって冷や汗が吹き出してくる。多分俺今、マスター検体入れられそうになった時よりもびびってる。
 まじで、こわい!!

「椿くんが酔っぱらってやったの」
「まこちゃん!?」
「……酔っぱらって?」
「って言うのは冗談だよ」

 まこぉお…。
 よくこの状況で冗談なんて言えるな!
 あの能面を前にしてよくもそんなことをいつものトーンで言えるな。お前もこわい。
 そしてそんな冗談にも全く動かない表情が怖すぎてガクブルしちゃう。

「ほらかっちゃん、ちゃんと正直に話して」
「うわっ!?」

 真に腕を引かれ、大晟の後ろにいた体を前に突き出された。
 微塵の動きもなく、言葉もなく。黒目だけがじろっとこっちを向く。

「俺のせいだ」

 何と言おうかと考える間もなく。
 俺を龍遠から遮るように、大晟が前に出てきた。

「た、大晟…?」
「俺が、JOKERを挑発して殺されかけたから…」
「JOKER?」

 無表情だった顔に、感情が宿る。
 その嫌悪感丸出しの顔はきっと、咲哉に向けてのものだ。龍遠は本当に、咲哉を毛嫌いしてる…んだと、思う。多分。

「まぁ、殺す気はなかったろうが…俺の安易な発言でこの様なのに変わりはねぇから、煮るのも焼くのも俺にしろ。どのみち俺は死なねぇし」

 あれ?これって、もしかして。
 大晟が、俺のこと庇ってくれてる?
 気のせいじゃないよな。
 ……てか、挑発って?

「あの子がここに来たの?」
「ああ。俺に…要は自分のもんだって、釘指しに来たみたいだったな」

 何なんだあいつ。
 これまで俺が手ぇ出した奴に、わざわざそんなこと言いに来たことなんてないくせに。どうしてそんなこと…。
 そんなこと、分かりきってる。あいつも分かってるからだ。
 大晟が、これまでのその他大勢と違うってことが。俺にとって、どんな存在なのかが。

 ……大晟は。
 大晟は、それに何て答えたんだろう。


「釘っていうか、爆弾でも持ち込んだんじゃないかって感じだけどね…。さて、どうしたもんか」

 龍遠は溜め息を吐きながら辺りを見回して、また深い溜め息を吐いた。そこには確かに表情があって、能面みたいなあの真顔は完全に消え去っている。
 これはもしかして、処刑回避?本当に?

「……煮るのも焼くのもいいのか?」

 俺の疑問を、大晟が問いかける。
 その返しがちょっと怖いから、俺はすっと大晟の後ろに身を隠した。

「まぁ、俺も稜海が殺されかけてたら間違いなく部屋とか棟とか関係なく殺しに掛かるから。むしろ、この程度で済ませたことを褒めたいくらい」

 それは間違いなく、大晟が止めてくれたからだ。
 ぶっちゃけると、俺はあの時自分が何してたかあんま覚えてない。ただひとつ確かなことは、あのままだと100%棟ごとどっかんしてた。もっと悪ければ棟だけじゃ済まなかっ可能性もある。
 だから確かに、この程度で済んでよかったと言えばそうなのかもしれない。
 だけど、それにしたって。
 どんな形であれ龍遠の言い付けを破って、あまつさえ龍遠に害があることした俺を褒めるなんて。そんなの有り得ない。

「はっ…もしかしてドッペルゲンガー?……ま、まさかお前っ、咲哉じゃねーだろうな!?」

 有り得る!大いに有り得る!!

「人の好意に随分な言い草だね?お望みなら全力で煮て焼いてあげるけど?」
「冗談ですごめんなさいありがとうございます殺さないで!」

 やっぱり絶対に龍遠だ!
 間違いなく龍遠だちょーこわいっ!

「……まぁ、それはまた今度の機会にとっておくとして。とりあえず看守が抜き打ちに来ても大丈夫なようにはしておくよ」

 よかった…。回避できた……。
 でも、この分だと次は絶対にないよな。もう次は待ったなしだよな。だって今度の機会って言ったもん。
 これはあれだ。今まで以上に細心の注意を払って生きねば。

「悪いな。面倒かけて」
「気にしないで、大した手間じゃないから。…ただ、扉はしばらくないままだけど。大丈夫?」
「ああ、別に問題ないだろ」
「え?公開せっ…ぷぎゃあ!!」

 いっ、いってぇぇえ…。
 目にも止まらぬ速さで地面に顔ごっつんこしたし。ちょー痛ぇし。そして例によって背中を踏みつけられてるし。

「あーあ、かっちゃんってば。安定しておばかだねー」

 ちょっとまこちゃん。
 わざわざしゃがんで俺の頬をつんつんしないでくれるかな?そんなことしてる暇があったら、大晟を説得して助けてくれると嬉しいんですが。

「要が馬鹿なのは同意だけどよ。ぶっちゃけ、扉なんてあってもなくても変わりゃしねぇだろ」
「うるせぇ黙れ。てめぇも踏みつけられてぇのか」
「どうぞご自由に?まぁ、お前にやられるまでもなく踏み潰し返しちゃうけどな」
「はっ、お前が?俺を?冗談は顔だけにしとけ」
「冗談かどうか試してみようか?うん?」

 いやあの。俺を踏みつけたまま一色触発するのやめてくんね?
 分かってるよな?俺が下にいること、ちゃんと分かってるよな?

「はいはい、じゃれ合わないでねー。全く、本当に仲良しこよしなんだから」
「あ、っと。ありがとう」

 頬をつんつんしていたまこが大晟の足をどかし、俺をひっぱり上げてくれた。
 これはじゃれ合ってるの部類に入るのか。仲良しこよしってか、今にも喧嘩が勃発しそうな感じたげど。

「じゃれ合ってねぇし」
「仲良くもねぇし」

 そう言う大晟と先生は、確かに仲がよさそうという感じじゃない。でもまこの言葉は間違いじゃなくて、この2人は本当に仲が良い。だから多分これは、喧嘩するほど仲がいいってやつなんだと思う。
 この間まこと話した時から、自分の中で先生に対しての劣等感みたいなのはなくなったけど。それでもやっぱり、羨ましくはある。

「そんな戯れ言をおっしゃるお2人には、仲良しエピソードを思い返していただきましょう」

 なんか始まった。
 これはもう完全に蚊帳の外だな。

「あれはそう、懐かしい僕たちの青春時代。たいちゃんと椿君の青春の1ページが…」
「まだ14歳のガキが青春を懐かしがってんじゃねぇっつの」
「たいちゃん、僕をガキ扱いするってことはもれなく椿くんをロリコン認定するってことだよ?そしてそれは自分にも返ってくるんだよ?」
「俺はいいんだよ。こいつみてぇにいたいけな少女を弄んでんじゃねぇから。弄ばれてる側だから」

 ああ、なんか楽しそう。

「いやお前、そこは威張るところじゃないからね?つーか、んなもんどっちだろうと一緒だろうが」
「ちょっと待って、否定するなら弄んでるって部分だよね?椿くん、僕のこと弄んでるつもりでいるってことっ?」
「ちっ、違う違う!」
「こいつは根っからのロリコンだからな。きっとお前が成長したらぼろ雑巾みたいにポイだぞ、ポイ」
「ぼろ雑巾みたいに!?」
「ちょっと黙っていようか大晟くん?」

 本当に、楽しそう。


「浮かない顔だね。嫉妬?」
「……ちょっと違う」

 嫉妬…。
 前に大晟にも言われたな。真に嫉妬するなって。
 あの時はそうだった。俺より可愛くて、頭も良くて、俺の知らない大晟を知っている真に嫉妬してたんだと思う。
 だけど今は、そういうんじゃないんだよな。

「じゃあ何?」

 俺の知らない大晟がいて、それを引き出せる先生がいて。それからまこも、そんな大晟を知っている。
 それは長い時間の中で積み重ねてきたものだ。3人だけのものなんだと思う。だからきっと、今もこれからも俺がそれを引き出すことはない。知ることもない。
 そしてその中で見える大晟のどこか楽しそうな顔も。俺には見えない。
 そう思うと、何となくこの場にいることが後ろめたいというか。居たたまれないというか……何だろう、変な感じ。

「俺が一生知ることのない世界が…目の前にある感じ」

 嫉妬とは少し違う。
 それをどう感じるのかっていうのが、分からない。

「……全く」

 バシャン!

「うわぁ!?」

 一瞬、龍遠が呆れたような顔をしたと思ったら。次の瞬間にはもう全身が水浸しになっていた。
 もちろん、犯人は分かりきっている。

「他人と一緒にいる時のことじゃなくて、自分と一緒にいる時のことでも考えたら?」

 ……そう言われてみれば、あの時大晟は言ってた。
 俺の知らないことは沢山あるけど、俺しか知らないこともあるって。そう言って俺にキスをした。
 それで…俺は、それならいいかなって思った。俺しか知らない大晟が、もっと沢山増えればいいなって。
 でも…。

「……でも…大晟、俺と一緒にいてあんなに楽しそうにすることなっ、ぶふっ」

 まだ喋ってる途中だったのに。
 むぎゅっと、頬を鷲掴みにされた。

「だから、かなめは、ばか、なんだ、よっ」
「い、いひゃっ、いひゃいっ」

 そんな強くむぎゅむぎゅしたら痛いから!
 めっちゃ痛いからっ!

「一緒にいて楽しいことが一番ってわけじゃないでしょ」
「ひょえっ」

 ねぇだから何でそんなむぎゅむぎゅすんの?それ必要?
 必要かどうかって話なら、最初に水浸しにしたのも必要だった?何か知んねぇけど、超寒いし!

「ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる、けど、その、手がっ」

 むぎゅむぎゅされてるから中々上手く喋れなかったけど、どうにか言葉を繋げた。いや…繋がってるとは言いがたいけど、どうにか伝わった。
 俺の必死の訴えのお陰で龍遠は俺から手を離したけど、めっちゃ顔しかめている。一体、何がそんなに気にくわないんだろう。

「要はどうして大晟さんと一緒にいたいの?」

 どうしてって聞かれても…。
 これでセックス云々って言ったら今度は燃やされるだろうな。
 それにまぁ、確かにセックスは大事だけど。そもそもそれも…元々はどうあれ、今は大晟だからしたいっていうのがあって。何で大晟だからなのかっていうと、それは。

「好きだから?」
「………」

 えっ、何。
 何その顔。こういうの何て言うんだっけ…えっと、鳩が?烏がだっけ?とにかく、何かが豆ぶつけられたなんとか…みたいな顔。
 とにかくびっくりしてる顔。

「何だよ…」
「……いや、思いもよらない返答だったから。大晟さん、今の聞いてたっ?」
「はぁっ?何が?」

 楽しそうに話していた大晟が、龍遠の声に反応してこっちを向く。
 この反応からして、聞こえていなかったんだろうな。聞こえてなくていいけど。

「それは勿体ない」
「は?」
「…ううん、何でも。邪魔してごめんね、どうぞ続けて」

 訝しげな顔をしる大晟を他所に、龍遠はなぜかまた俺の頬に手を掛ける。
 またむぎゅむぎゅされるのか?むぎゅむぎゅなのか?

「余計なこと考えないで、それだけ分かってればよろしい」

 むぎゅむぎゅに警戒していたが、ぱちんっと軽く頬を叩かれただけだった。ちょっとほっとした。
 ていうか今の感じじゃあ、俺の答えは多分龍遠的に合格ラインだったんだよな?だったら、頬を叩く必要もなくね?


「……なんか楽しそうだね」

 真がそう呟くのが聞こえる。
 ずぶ濡れでむぎゅむぎゅされてることのどこが楽しそうなんだ?

「うん、楽しいよ」

 そうですかそうですか。
 人を水浸しにして頬をむぎゅるのは楽しかったですか。
 それはよかったですね…なんて思うか!

「俺は全然楽しくない」
「まぁ、もう十分楽しんだから帰る所だけど。風邪引くからちゃんと着替えなよ」

 無視か。俺の意見は無視か。
 でも風邪引く心配はすんのか…っつーか。

「そんな心配すんなら何でずぶ濡れにしたんだよ…」
「お陰でスッキリしたでしょ?」
「どこがスッキリなんか……」

 ……そういえば。何か複雑だった気分はなんだか、どっかに行った気がする。
 でもこれって、頭から水被ったおかげなのか?なんか違う気もしないでもないけど…。

「ね?」

 まぁいっか。そういうことで。

「……ありがとう」
「どういたしまして。じゃあね」

 龍遠が手を振って帰って行った。
 そして、途中で声をかけたせいで盛り上がりが冷めてしまたのか。それからしばらくもしないうちに、先生とまこも帰っていった。


 **


 この部屋の中で大晟が一番楽しそうな時は、漫画を読んでいる時だと思う。もう何回目とも言わないほど読んでる筈なのに、毎回楽しそうに読んでる。
 今も楽しそうに…あ、こっち見た。

「何だよ」
「……何でもない」
「じゃあこっち見んな」

 ほら。さっきまでの楽しそうな顔が嘘のように、この塩対応ですよ。
 …いつものことだけど。

「……さむっ」

 視線をそらし動いたことで、肩にかけていた布団がずるっと落ちた。空きっぱなしの入り口から僅かに風が吹き込んだだけでも、寒さで鳥肌が立つ。
 服も着替えて髪も乾かしたのにまだ寒いのは、龍遠の水に特殊な何かがあんのか。それとも、この塩対応のせいかな。なんて、俺は寂しがりのウサギか。
 ……ああそうか。俺は寂しがりのウサギだった。


「要」

 名前を呼ばれて今一度振り返ると、大晟が漫画を閉じてこっちを向いていた。
 差し出された手が、何を意味しているのか分からない。俺は思わず首を傾げた。

「何?」
「こっち来い」

 そう言われて、差し出された手の意味を理解する。
 近寄ると、腕を引かれた。そのまま促されて、大晟に抱きすくめられるようにして座る。
 うわ、めっちゃあったかい。…でも。

「寒くねーの?」

 俺の体温はただでさえ冷たい。
 今は、いつもよりも冷たい。それが龍遠のせいか塩対応のせいかは置いておくとしても、冷たいことに変わりはない。

「これがいいんだよ、俺は」

 大晟が俺越しに漫画を開く。
 口が避けたピエロみたいな顔した男がばーんと出て来てびびった。けど、それよりも大晟の言葉の方が気になったおかげで怖さは軽減された。

「どうして?」
「一番落ち着くから」

 ページを捲る。すると今度は、青と赤が半分ずつの髪をした女がバーンと出てきた。
 またびっくりした。けどやっぱり大晟の言葉の方が気になって怖さは半減だった。

「………ふうん」

 大晟は俺と一緒にいて、さっきみたいに…先生やまこといるときにみたいに、楽しそうにしていることはあまりない。というか、ほぼない。
 けど、俺といるときに大晟はよく言っている。
 落ち着く、って。

 どうして俺と一緒にいて落ち着くのか。それは俺の答えと一緒なのか。聞いても多分、大晟は答えてくれないだろうな。
 でも、間違いなく言えることは。
 今のこの瞬間は、前に大晟が言っていた「俺だけしか知らないこと」なんだと思う。

「……何だよ」

 ちらと見上げると、訝しげな視線と目が合った。
 大晟には、俺が絶対に知ることのない世界がある。どうやっても俺には届かない世界が、多分、沢山あると思う。
 ……だけど。
 だけど、今大晟と一緒にいるこの世界は紛れもなく。俺しか知らない世界だ。

「べっつにー」

 もたれ掛かると、背中から体温が伝わってくる。
 俺だけの体温が。


これは俺だけの世界だ
(決して、誰にも奪わせない)

 

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