Long story


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52

 この腐りきった世の中で。
 一体、何を与えてやれるだろうか。

Side Taisei


 俺が散々機械を壊すせいでうちの地区に他地区の労働者がいるのはもう見慣れた光景だった。しかし、自分が他地区に労働に行く――というのは、予想していなかった。
 何でも、元スペードのA改めイカれブリザード君がいなくなった地区が少々荒れていていてろくに労働の進み具合が思わしくなく。少しでも遅れを取り戻すために回されたんじゃないか…と、龍遠が言っていた。
 椿とか真がいるだろと言ったら、かすみんが真をそんな危険な地区に渡すわけないし、椿はそもそも受け入れを拒否するくらいだから来て欲しくないだろうし――結果、俺が祭り上げられたんじゃないかとの返答が返ってきた。

「……まぁ確かに、こんな所に真はやれねぇやな」

 思わず独り言が漏れる。
 少々思わしくなく……なんてそんなレベルじゃない。もはや無法地帯だ。
 まず至るところで囚人同士が喧嘩をしている。その会話を小耳に挟んだ限りでは、イカれブリザード君がいなくなったことで何人かの責任者が調子に乗り出したようだ。その結果、地区の一部の場所で責任者たち及びその棟に属する囚人たちの派閥争いが激化しているようだった。
 で、俺が送り込まれたのはその派閥が激化してとても労働環境が整っているといえないような場所、あちこちで殴り合いが勃発してる中でデスクワークとか舐めてんのか。そしてその中で既にノルマを終わらせようとしている俺のスキルを誰か誉めろ。
 大体看守は何してんだよって話だが…コイツ等がまた揃いも揃って諦めてんのか――いちいち取り締まってたら入れる独房がなくなるからか、看守に手出しした囚人が連れていかれる所は見たが…囚人同士の殴り合いは止めようともしてない。きっと、後から夜勤でもぶちこめばいいと思ってるんだろう。


「おい」

 ああ、最悪だ。
 隅で空気のように気配を消して、さっさとノルマを終わらせようと思っていたのに。あと少しの所なのに。やっぱりこうなるのか。分かってたけど。
 だってどいつもこいつも、デスクワークなのに座ってねぇからな。今にも全面戦争が始まりそうな程にピリピリとした空気の中で、カタカタと場違いな音が聞こえてきたらそりゃ気付くだろうよ。

「俺は他地区なんでノータッチで」
「ああん?」

 そしてこういう奴ってのは、総じて話が通じねぇんだよ。
 どうしてか最初から臨戦態勢でメンチ切ってくんだよ。そんなことされても怖かねぇよ。面倒臭ぇだけだよ。
 そしてその面倒臭いってのがついつい顔に出てしまうのが俺の悪いところ。

「てめぇ何だその顔は」

 ほら、こうなるだろ?
 しかしこの点に関してはいつまで経っても学習しない俺が悪い。要に散々学習能力のなさを罵倒しているが、これじゃあ人のことを言えた義理じゃねぇ。

「………」

 いっそ殴るか?
 一瞬で気絶させて素知らぬ顔をするか?

「何だその顔はっつってんだよ」

 よし殴る。
 汚ねぇ手で触んじゃねぇぞ。


「囚人番号4455番」

 は?

「っ!!?」
「……は?」

 一瞬のことだった。
 俺の胸ぐらを掴んでいた手が消えた。それから、瞬きをする間もなく。
 気が付いたら、目の前にいた奴が地面に叩きつけられていた。

「そいつは貴様等の不始末を片付けに来た囚人だ。それがどういう意味だか分かるか?」
「……っ!」

 ぐっと、喉を踏みつけられていて声が出せていない。
 つまり、返答が出来ようもない。

「そいつがまともに仕事が出来なければ、俺がいつまでもこんなごみ溜めみたいな地区に応援に出されるということだ」


 ―――あ!!


「っ!…っつ!!」

 ちょっと予想外の答えを耳にして、転がっている囚人から目を離して顔をあげた瞬間。思わず目を見開く。
 俺はなぜか、感動に似た感情を抱いている。……いや、これは紛れもなく感動だ。
 

「次に俺の仕事を増やしてみろ。独房に入れる前に殺して埋めてやるからな」
「っ……ひぃい!」

 踏みつけていた足を離すと、転がっていた囚人はまるで悪魔でも目にしたような怯えた様子で逃げて行った。尻尾を巻いて逃げるとは正にこのことだ。
 しかし、俺にはそんなことはどうでもよかった。


「―――かすみん…」


 って、勝手に呼んでいいのか……あ、めちゃくちゃ顔しかめた。
 ああ―――成る程。
 これは、真が散々豪語するのも頷ける。しかめ面でそんだけ整ってたら、そりゃそうなる。看守服がこれ程似合う顔があるのか…これは何着ても同じか。看守服だろうと軍服だろうと囚人服だろうと、何纏っても男前なんだろうな。世の中にこんな人間がいていいのか。
 しかも、それだけじゃなく仕事も出来る。更に今のを見た限り、戦闘スキルも桁外れ。非の打ち所がねぇってのをここまで地で行く人間は初めて見た。
 大事なことだから二度言う。世の中にこんな人間がいていいのか。

「無駄口叩いてる暇があったら、さっさとノルマを終わらせろ」
「それなら…………はい、終わった」

 本当に残り少しの量だったから、数秒キーボードを叩いただけで今日の仕事は終了だ。これだけ終われば空気のように存在を消しておくだけでよかったのに…そのほんの数秒で声をかけられる運の悪さったらない。
 まぁ、幻のかすみんを拝めたから結果的にそう悪くねぇか。

「流石に速いな。それなら後は絡まれないように空気にでもなっていろ」

 もちろんそうしますとも。
 もうキーボードを叩くこともねぇし、完全な空気として労働終了時間までこの場にいるつもりだ……が、看守がそんなこと勧めていいのか。ノルマ増やそうとか、そういうのはねぇのか。
 そして用事が済んだらさっさと立ち去ると。看守に因縁付けられないことってあんだな、不思議な気分………あ、そうだ。ちょっと待て。

「かすみん、ストップ」

 普通に呼んだけどよかったか。
 あーあ、またすげぇ顔しかめてる。まぁで も、振り返ったってことは気に食わないながらも認めてるってことだろ。そういうことにしとこう。

「何だ」
「JOKERについて教えて欲しい」

 要が誰かに聞けと言っていたJOKER――「サクヤ」という名前の誰かのこと。
 有里か稜海にでも聞くかと思っていたが…実際、そいつとのあーだこーだはあの辺に聞いた方が詳しいんだろうが。JOKERという存在については、看守の方が詳しいはずだ。

「誰からも何も聞いてないのか?」
「要に聞いたけど、詳しくはよく分かんねぇから誰かに聞けって」
「自分で調べればいいだろう」

 そりゃそうなんだけど。
 あんた看守だろ。そういうこと言いそうな人間なのは、各方面からの微々たる情報から推測は出来てたけど。本当にそういうこと言うんだな。

「どうせ機密事項だろ?そうなると探るのも面倒臭ぇし…あ、じゃあ、もし教えてくれたらこの3倍の仕事片付ける」

 そうすれば、多少なりとこのごみ溜めから解放される時間が早まる。囚人の首を踏みつけるほど早く自分の地区に帰りたいみたいだからな。悪い話じゃないはずだ。
 ……と、思っていると。かすみんは徐にポケットからスマホを取り出した。仮にも仕事中だというのに、丸で気にすることなく。

「……ほら」

 切り替えが速ぇな。
 本当に少しでも早く帰りたいんだな。

「ありがと」

 差し出されたスマホを手に取り、写し出された画面に視線を落とす。

 JOKER

 最初に目に入った文字。
 そして次に目に入ったのは写真。
 金色の髪。紫色の目。

 そして、記されてある名前は――飯島咲哉(いいじまさくや)。要が口にしていた名前だ。
 罪状は「殺人罪」と書かれていた。というより、それ以外は何も記されていなかった。全体的な印象としても、これまで見た囚人情報とは少し違う……というよりも、情報が少なすぎる。

「ほぼ何も書いてねぇけど」

 JOKERのことなんて何も分からない。
 顔を認識したくらいだ。

「JOKERの存在はロイヤル以外はほぼ知らないと言っていい。生物兵器として各国に貸し出されていて、1年の内の半分以上はこの牢獄にいないしな」
「……生物兵器?」
「それがあの子供がJOKERである理由だ」

 全く理解は出来ない…こともない。
 つまり、こいつの持っている能力が軍事力として使える程の能力―――それなら、有里や龍遠の能力でも…と思うが。きっと、規模が違うんだろう。

「どんな能力なんだ?」
「全てだ」
「は?」

 流石に今のは理解が難しかった。

「少なくとも、お前がここに来てから見聞きしたものは―――全てだ」

 見聞きしたもの……全て。

「……つまり、何らかの形で…他人の能力を完コピ出来る…ってことか?」
「方法は至って単純だ。その能力を実際に目にすること」

 目にするって…ただ見るだけ?
 それだけで、他人の能力を使えるようになるのか。

「……たったそれだけで?他人の力を完コピすんのか?」

 頭で理解しつつも、敢えて口に出して聞いてしまう。
 そんな能力が…存在し得るのか。いや、存在してるからこそ……話題になってんだけど。

「完コピとはいかない。僅かに威力は劣る――とはいえ、塵ほどの差もないらしいが」
「……確かに、これ以上ない生物兵器だな」

 他人の能力を見ただけで使うことが出来る。敢えて実際にと言っていたことから、多分映像の類いでは駄目なのだろうが……戦場においてそんなことは大した問題ではない。
 俺たちみたいな人間が兵器として扱われている国は少なくない。色々な国に密偵として潜入している最中も、何度も目にしてきた。
 現在、長く平和主義を保っているこの国では人間を兵器としての利用することは禁止されているが――だからこそJOKERは、自国での利用でなく各国への貸し出しなのだろうが――いずれ利用される日がくるだろう。囚人を相手に検体が続けられているのは、遅かれ早かれ、未来で利用するために他ならない。
 そんな生物兵器が溢れる戦場で、他人の能力を見ただけでそれをそのまま使える兵器がいれば……はっきり言って無敵だ。

「そんな奴、逃げられるか…もし寝返りでもされたらどうする気だ?」
「一応の保険として、JOKERの脳、心臓、両腕、両足にそれぞれ小型爆弾が埋め込まれている。逆らえば爆破するようになっているが……」
「そんな便利な生物兵器、そう易々と壊しゃしねぇだろ」
「ああ。JOKERもそれを分かっているから、戦場ではほぼ好き勝手だそうだ」
「役に立たねぇ保険だな」

 爆破しないと分かってる爆弾なんて、ただのお飾りじゃねぇか。いや…体内に埋め込まれんなら飾りにもなんねぇな。俺の首輪の方がまだマシだ。
 まぁ、流石に他国に寝返れば――いや、それでも殺すことは渋るかもしれない。どうにかして取り戻そうと…そうして手をこまねいているうちに、取り返しのつかないことになる国をいくつも見てきた。

「だから一応と言ったろ。はっきり言ってあんなものは全くの無意味だが……JOKERは逃げることもなければ、寝返ることも決してない」
「……どうして?」
「この国には要がいるからだ」

 同じ目の色。同じ髪の色。
 それが一体、何を意味しているのか。

「あいつはどういう立ち位置なんだ」

 これまでの、要から少しだけ聞いた話と重ね合わせてみても。何となく想像できそうで、いまいち想像しきれない。

「立ち位置でいうなら、JOKERにとって要は世界の中心だ。というよりも、あいつの世界には要しかいらないと言うべきか」
「もっと分かりやすく」

 その説明じゃあ、想像出来そうで出来ないという領域をでない。

「狂気的な愛情」

 それは実に短くまとめられた表現だった。その言葉に妙なうすら寒さを感じたのは、声のトーンが極端に低くなったからかもしれない。
 要は夢の話をした時…自分の思い通りにならない相手に惹かれると言っていた。それがJOKER―――飯島咲哉のことを言っていたのだということは分かっている。そして要が、そいつのことを好きだったということも。
 しかし、今の言葉は。きっと、要が溢していたような「好きだった」なんて軽いニュアンスではない。

「狂気的な愛情…って、何だよ」
「その辺りは本人か…周りの人間に聞いた方がいいだろう」

 本人か…当てにならねぇな。
 今度また有里か稜海辺りに聞いてみるか。

「じゃあ…要が、検体に2人必要で…それに自分が選ばれたってのは?」

 そもそも、要がよく分からないから誰かに聞けと言ったのはこの部分だ。
 どうして要が選ばれたのかということは、他の誰かに聞くとして。なぜ、検体を受けるのに2人必要だったのか。

「ロイヤルになる一番手っ取り早い方法はマスター検体だが、そもそもマスター検体は15歳以上にしか認められていない。それは15歳以下の人間には負担が大きすぎて致死率が圧倒的に高まり――86%の確率にも及ぶからだ」
「……その確率が出るまで何人殺したんだよ」
「世界には人口が溢れ過ぎてどうにかして減らそうとする国もある」

 それをただ殺してしまえば罪だが、実験の過程での死亡なら事故として罪なく処理できるとでも言うのだろうか。詭弁どころの話じゃない。そんなものは殺戮と同じだ。
 しかし、世の中にはそのようなことを当たり前のようにする国もある。それが分かっているから、そのデータが事実なのだろうということがすんなりと飲み込める。

「……それで、未だに15歳にもなってない要が…もうなったのか?」
「知らん」

 即答。
 全く興味がないというとだなこれは。

「…とにかく、その認められてねぇことをしたって話なんだろ」
「させられた…と言った方が正しい。要はJOKERに嵌められて、同時にマスター検体を受けた」

 要もそう言っていた。
 嵌められた…と。

「同じ機械で同時に2人の人間を通せば、威力はそのままに致死率を下げることが出来るのではないか――と、それをもちかけて来たのはJOKERだ。というより、最初からそれが目的で要を巻き込んで終身刑になったと言っても他言じゃない」

 つまり…要は終身刑が先か、ロイヤルが先か分からないと言っていたが。この口ぶりから察するに、終身刑の方が先だったということか。
 それも、要はその時点で既にJOKERの手の内で踊らされていたということになる。その辺りの詳しい話は…本人か、分からないと言われたら他の誰かに聞くか。

「……それで、それを了承したのか」
「試さない手はない。自ら申し出たとの署名を書かせて、検体は行われた」
「要が自分で署名したのか?」
「それはJOKERの捏造だ。こちら側もそれを分かっていて黙認したのかもしれないがな」

 何も不思議じゃない。
 腐った世の中だ。こんなことはいくらでもある。だからといって嵌められる方が悪い…と、ここに入る前の俺なら言っていただろうな。
 いや―――それが要でなければ、今でもそう吐き捨てていたのかもしれない。

「その結果が……ああなった、と」

 スマホの画面に視線を落とす。
 金色の髪と、紫色の目。それがどうしても目につく―――そして、癪に障る。

「JOKERは最初の検体で今の能力を手にした。それ以降一度も検体は受けていない」

 全ての能力を見ただけで使える力。はっきり言ってこれ以上の能力はないと言ってもいい。だから、それ以上を求める必要はない。
 むしろ、変なことをしてその能力が変化してしまうというリスクを恐れるはずだ。だから、それ以降に検体を受けていないというのも理解はできる。
 
「それなのに、あいつは今も……」

 ……理解は出来ても、納得は出来ない。

「もし同じ能力を得ていたら、同じように検体を受けることもなかったんだろうが………要の実験は途中で中止されたからな」
「中止された?どうして?」
「検体の途中で死にかけたからだ。しかしJOKERの検体は……要が補っていた負担を背負わせ、そのまま続行された」

 つまり、86%の致死率を生き残ったというわけか。それなら最初から、自分だけでやっておけばよかったものを。

「一方で、途中で中止されたにも関わらず要は力を手に入れた」
「……そして、ロイヤルになった」

 なりたくてなってるだけマシ。
 前に龍遠が言っていた言葉を、唐突に思い出した。

「当初、その能力がJOKERと違ったのは検体が途中で中止されたからだとされていた。あいつが今も、Qでありながらグレートを入れられるのはそのせい……本人の素行も多少はあるが」
「…検体をしていれば、JOKERと同じ能力が目覚めると思ってるのか?」
「2度目の検体で金髪になり、3度目の検体で目が紫になったことでそれを確信し、そして機会を伺っている。日々の検体で体を慣らさせながら、マスター検体を受けさせる日をな」
「………つまり、あいつが馬鹿やってるとそのうちマスター検体ぶちこまれんのか?」

 要も流石に、そこまで馬鹿なことはしないと思うが。

「いや、それはない。基本的にマスター検体は署名制だ。署名がない限りは受けさせることが出来ない…が、この間は元スペードのA…」
「イカれブリザード君な」
「………イカれブリザード君に買収された看守がその規則を破って入れようとしていたらしいから、必ずないとも言い切れないがな」

 意外とノリがいいな、かすみん。
 そして看守はどいつもこいつも買収され過ぎだろ。多分、俺を回してた連中も買収された看守に出入りさせてもらってたんだろうな。

「………もし。もし仮に受けさせられとして。今はもう、大丈夫なんだよな?」

 あいつは絶対に、普通のロイヤルよりも検体を受けている数は多い。
 馬鹿ばっかりやってるのは俺といる前からだろうし…それなら、体が慣れてもう死にかけることもないよな?

「頭の悪い看守は皆そう思っているだろうが…俺はそうとは思ってない」
「…どうして?」
「要の体は検体に向いていない…というより、相性がすこぶる悪いからだ」
「相性が悪い?」

 検体に相性なんかあんのかよ。
 俺は未だに検体でどんなことをされてんのかすらも知らないから、その辺りのことはサッパリだ。

「検体は普通、何度も受けていれば慣れてくるもので……有里なんかがいい例だな。あいつはマスター検体ばかり受けていても平気そうだが、最初からそうだったわけじゃない。最初のうちは毎回のようにやれ今から死ぬんだとか、明日死ぬんだとか五月蝿かったからな」
「へぇ…そうなのか」

 想像出来ねぇな。
 要を迎えに行くとたまに一緒にいるけど、全然平気そな顔してるし。純が来たらたまに辛そうな演技してるけど…すぐバレてるし。

「それに引き換え、要はもう腐るほどハードもグレートも入れられてるのに…全く後遺症に変化がない。頭痛目眩、寒気吐き気……どれも普通は数回の検体で収まるものだ」
「……それで、相性が悪いと」
「そうだ。それに、その後遺症の程度も他のロイヤルより格段に酷い。だから今でもマスター検体を受ければ、前と同じ結果になる可能性は多いに有り得る」

 もし、あの時。
 俺が間に合わなかったら。マスター検体が始まっていたら。要が死んでいたかもしれないと思うと、ゾッとした。
 そして同時に。死ぬかもしれない程の恐怖を味わった場所に…入れられるかもしれないという恐怖を与えたことに、罪悪感を感じた。
 あの時のことについては、一切要に非はなくて全面的に俺のせい……だが。

「そんなにキツいのに、何で悪さばっかしてるんだあいつは」

 マスター検体は俺のせいとして、普段はどうだ。バードは仕方ないにしても、回避できるはずのグレートまで度々入れられてる。
 何であいつはいつも自ら入れられに行くスタイルなんだよ。もっと大人しくしとけば、もっと楽に過ごせるはずなのに。

「それは本人に聞くことだな」

 かすみんはそう言うと、俺の手からスマホを取ってポケットにしまった。ひとつひとつの動きに気配がなさすぎて、目の前で起きてることなのに全く反応出来なかった。
 椿が「絶対に勝てない」と断言したのも頷ける。多分俺も、足元にも及ばない。
 
「言ったからには、3倍の量を済ませろよ」

 どうやらこれで話は終わりのようだ。
 俺としても知りたいことは大方知れたし…むしろ、思っていた以上に色々と知れた。かすみんに聞いたのは正解だった。

「当たり前だ。…色々教えてくれてありがと――あ。最後に、1つだけ」

 知りたいことは大方知れたけど。
 せっかくだから、聞いておきたいことがある。

「何だ?」
「……検体って、どんなことするんだ?」

 きっとこれこそ、看守が一番よく知っているはずだ。……その他大勢の無能共はどうか知らないが。
 聞いておかない手はない。

「細胞を引き裂き、そして結合する…その仮定で様々な試薬を注射し、能力に変化を促す――その動作を、数時間かけて何度も行う。種類の差はそのスパンの差だ」
「細胞を引き裂いて、結合するって…」
「お前は皮膚を貫かれても再生出来るだろう?それと似ているが…新しく作り出すわけじゃないから痛みはお前が感じている程じゃない。それに、検体前にあった怪我を治せるわけでもな」

 ふと…自分の細胞を、再生する時のことを思い出す。その時の激痛は、俺が4年間拷問に耐えてきたから我慢できるものだ。そう、医者に言われた。
 それ程じゃない、とはいえ。

「……でも、痛ぇよな?」
「ナチュラルはそこまでじゃないが…ハード以上は、最初の頃はのたうち回る程度には痛むそうだ」
「それも、段々と痛みを感じなくなっていくもんなのか?」
「ああ。………普通はな」

 普通は。
 かすみんが立ち去り際にそう溢したその言葉が、頭に重石のようにのしかってきた。


 **

 
 かすみんが最初に威嚇してくれたお陰で、あれ以降は誰からも邪魔されることはなかった。そして、かなり色々と話をしてもらった礼…ではないが。時間も余ってたので、結果的に7倍のノルマをこなして帰路についた。
 最近は俺よりも先に帰っていることも多い要は、今日も俺より先に部屋にいた。まぁ今日は他地区だったから移動に時間がかかったし…それも不思議じゃない。しかし、いつもは煙草をふかして部屋を火事場のようにしているのに…どうしてか今日はベッドで寝ていた。

「……あ、たいせい?…おかえり」

 俺が部屋に入ると、気配を感じてかたまたまか…要は目を覚まし、そして目元を擦りながら起き上がる。
 それが小動物のように見えて…無償に甘やかしたくなるのは、今日、あんな話を聞いたばかりからかもしれない。

「ただいま」

 だから、何となく要の側に寄り、頭を撫でて頬にキスをした。
 相変わらず冷たい。俺の好きなこいつの体温は…どこに触れても変わらない。けれどこれは、こいつが望んで手にしたものじゃない。


「……い…いまのは、ただいまのちゅーですか」

 はぁ?何だいきなり。
 別に何かを意図してした訳じゃねぇけど…まぁ。

「そうかもな。…つーか、何で敬語なんだよ」

 そもそも、何で鳩が豆鉄砲食らったみてぇな顔してんだ。
 寝起きでボケてんのか。

「……やっぱ大晟、最近なんかおかしい」
「は?」
「なんか優し…くはねーけど。なんか変、絶対に変。はっ…まさか偽物?」

 優しくはねぇとはどういうことだコラ。真剣な顔して偽物と疑ってんじゃねぇぞ。
 …と言いたいところだが、まぁいい。

「偽物じゃねぇし、何が変だって?」
「だって、ずっとアメ食ってるし。煙草吸ってても怒んねぇし。キスしてくるし。かと思ったら謎にキレるし。今もまた…おかえりのちゅーなんかしたことないじゃん」

 あー…。
 馬鹿のくせに、気付かなくてもいいことに気付きやがって。
 お前をキスしたいの我慢してるからアメ食ってるとか。煙草吸ってると匂い釣られてキスしたくなるとか。真にからかわれて苛立ったとか。好きだとか。
 ……言いたくねぇな。

「心境の変化だよ」

 結構無理矢理だったか、これは。

「どういう心境の変化?」
「……それよりお前、何で寝てたんだ」
「すげぇはぐらかすじゃん」
「うるせぇ」

 んなこと自分でも分かってるよ。
 適当に言い訳考えるまで、取り敢えずその話をしろ。

「今日、ハードって言われたから…今のうちに寝とこうかと思って」

 ……あー。
 ここへきてそう来るか。そう来るのか。

「……じゃあ、まだ寝るのか」
「うーん…大晟は?何かすんの?」
「お前を甘やかす」

 が、その前にまずは抱き締めさせろ。

「…え、なに。やっぱ変」
「ここ最近、ペットを可愛がりたい気分なんだよ」
「……それが心境変化?」
「そう。だから、お前のしたいことに付き合ってやる」

 まぁ…ちょっと無理矢理感が否めねぇが。
 そういうことにしとけ。

「つまり、頑張ったご褒美的な?」
「そうだよ」
「……じゃあ、今から一緒に寝て。そんで検体から帰ってきたら、いっぱいセックスしたい」

 っとに、寝ても覚めても性欲だなこいつは。
 でも、もう引き返せない。

「お前が大丈夫ならな」
「大晟がいたらすぐ治るから平気」

 いっぱい…というのが、どの程度なのかは多少怖いところがあるが。大口を叩いた手前、付き合わないわけにもいかない。それに…明日が労働だから気になるというだけで、それほど嫌でもない。
 そんなことを思っている辺り、やっぱり俺の中の心境は要に気付かれでもおかしくない程に、凄まじい変化を遂げていてるのだと実感する。

「……ほら、寝るぞ」

 要を抱き締めたまま、ベッドに横になる。
 こいつがこれまでどれだけの痛みを味わい、どれだけ苦しんできたのか…俺には分からない。
 だが、俺はこれから先ずっと。要が苦しむ姿を目の当たりにすることになる。そして
俺は、それを目にしても大したことはしてやれない。
 だからせめて……そうでない時に、ほんの少しでも。



苦しみを、忘れる時間を
(与えられれば、いいと…思う)


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