Long story


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51

 変化は雨の後の濁流のように唐突であり、かと思えば凪いだ水辺のようでもあると思う。
 突然変わったことは気付きやすいけど、時間と共に少しずつ変わっていくものには気付きにくい。
 そしてある日、思いもよらない所で気が付くことがある。

Side Kaname

 もう殆ど夢の中に入っていた。
 その時に耳元で、大晟が何かを言ったような気がした。

「  」

 その言葉が、聞き取れそうで。
 聞き取れなくて。
 でも…聞き返すよりも先に、夢の中に入ってしまった。



「……大晟さ、俺が寝る前何か言っていた?」
「いいや」

 即答だった。
 枕で顔を塞がれて、夕飯だと起こされてから10分。まだ動けないと言うと、腹が減ってるから無理にでも動けと言われ重い体を引きずるようにして食堂に向かう途中。頭がハッキリしてくると、寝る寸前のことを鮮明に思い出した。
 けど…大晟が即答で否定するってことは、あれ自体が俺の夢だったのか?でも…夢って普通は時間が経つと忘れるもんじゃねぇの?……元からよく覚えてねぇんだから、同じか。

「あ、おい」
「え?…ああっ、いたい!」

 誰に声をかけられて振り返ろうとしたら…ちょっと捻っただけで腰がめっちゃ痛かった。お陰でそのまま地面に転びそうになったが、大晟に支えられてどうにか転倒は免れた。
 ……大晟にはあんなこと言ったけど。やっぱりもう、24時間ぶっ通しはやりたくないかも。でも…気持ちよかったからな。これは何とも、苦渋の選択だ。

「どこのジジイ?」

 そして俺を呼び止めたのはゆりちゃんだった。俺たちが歩いてきた廊下の先に立って、不思議そうな顔をしている。
 後ろから来たってことは、ゆりちゃんも今から飯なのかな。いやでも、いつもは稜海か誰かと一緒にいるから…もしかしたらそれこそ、飯食い終わってそのまま稜海と遊んでた帰りなのかもしれない。

「いや…24時間ぶっ通しで……」
「黙れ」
「ぎゃあ!!」

 なぁ。ちょっとは手加減しよう?
 動くのも一苦労なんだから、そんないつも通り踏みつけたら死んじゃうよ?ねぇ、死んじゃうよ?

「……大晟、さん?」

 ん?

「あ?」
「多分こいつ一生学習しねぇよ。いっそ口縫ったら?」

 なっ、なに怖いこと言ってんの!
 それ下手しやりかねないから!まじてやりかねないから!

「知ってる。どうせどっかで喋るんだろうし、諦めてるから問題ねぇよ」
「じゃあ何で踏むんだよ!」

 確かに大晟がいないところで喋ってるけれども。
 それは否定できませんけれども。

「俺がいるときに喋るからだ」

 どうせ喋ること諦めてるなら、いてもいなくても一緒だろ。
 そういうの無駄な抵抗って言うんだぞ……なんて言ったらきっと踏みつけられて上でジャンプとかされるな。それくらいは分かるから、それは言わない。


「……とりあえず要件言っていい?」
「どうぞ」

 どうぞって…。
 足を退けたら起こしてもらえると嬉しいんだけど。俺はずっとこのままうつ伏せで転がっとくの?ご飯もなしですか?

「今夜8時からロイヤルの集まり。場所は看守棟の会議室」
「うわ、面倒臭ぇ…」 
「昨日あった責任者の集まりがかなり荒れたらしいからな。こっちも覚悟しといた方がいいぞ」
「えー、じゃあ時間かかんの?」
「昨日は夜中の2時までやってたってよ」
「げぇっ、まじかよ!」

 今夜8時からってことは……ええと。
 夜中の2時までで…9、10、11、12、1、2……6時間も!馬鹿なんじゃねーのか!

「つーこって、後からそいつ持ってっていい?」
「別に今から持ってっていいぞ。おら立て」
「いたっ…大晟ざつ!雑だから!」

 立たせてくれんのはいいんたけど、思い切り引っ張ったら痛ぇから。もっと優しさを持てないのか。
 腰の曲がってるじーさんばーさんはっていっつもこんななのか。こんなもん毎日苦行じゃねぇか。すげぇな、年寄り。

「……今からはいらねーや。集まりまでにそのジジイをどうにかマシにしとけよ」
「いや無理だって…」

 数時間でどうこうなるもじゃねーから。
 まじで痛いんだからな。大変なんだからな。

「じゃあ大晟さん、また遊ぼ」
「ああ、またな」

 俺の返答を聞いてか聞かずか、ゆりちゃんは大晟の返事を聞きつつ踵を返した。
 ということは、飯を食いに来たんじゃなくて稜海か誰かのところからの帰りだな。もしかしてここで会わなければ、俺の部屋まで来ていたのかもしれない。
 にしても…なんか、何だろう。ちょっとなんか、変な感じだな。


「おら、さっさと歩け」
「いてぇって!…まじでさ、少しくらい優しさとか思いやりとかねーの?」

 よくもまぁ、こんなよろよろの年寄りまがいみたちな少年を叩けるな。それも容赦もへったくれもなく思い切り。
 どうせ大晟にそんなこと言っても無駄だけど。だってこんないたいけな正念を当たり前のように踏みつけるくらいだし。

「どこの聖人捕まえて優しさが足りないって?」
「どこが聖人!?」

 言っとくけど、聖人の意味…ってか、ニュアンスくらいは知ってるからな。そしてそれが大晟とは程遠いことも知ってるからな!
 ……龍遠が嘘教えてなければだけど。

「お前の底知れない性欲に24時間以上も付き合ってやったってのに、聖人じゃなくて何なんだよ」

 いや、大晟さん?
 まるで仕方なく付き合ってやったみたいなこと言ってますけどね。確かに最初はそうだったかもしれませんけどね。
 俺が休憩するって言った時に、させてくれなかったのはどこの誰?そればかりか、散々俺で遊んでたよな?

「自分だって大概楽しんでたくせに……」
「ああ?」
「な、なんでもございませんっ」

 何でそんな美人なのにそんな怖いんだよ。美人が台無し…じゃあねーけど怖いんだよ。
 あと今から飯なのに何でアメ食ってんの?いつの間に食ってたの?


「………さて」

 ……え、なに?
 急にそんな真剣な顔して、振り返って…。
 何もない、ゆりちゃんが立ち去って行った廊下見て。

「ど…どうしたんだよ?」
「どうせお前は気付いてねぇだろうな」

 気付いてないって何が―――――あ。
 あの、変な…感じのこと?

「ゆりちゃんが…ちょっといつもと違った?」
「何だ、気付いてたのか」
「……大晟のこと、確認するみたいに…呼んでたから」

 俺がそう言うと、大晟はポケットからスマホを取り出してどこかに電話をし始めた。俺らの間じゃ持ってるのことが普通になってるから、当たり前のように使ってるけど。あとまず俺のだけど…それはいいとして。
 見つかったら没収されんだぞ?それどころか、下手し独房もんだぞ?…まぁ、大晟のことだから看守がいないことが分かってて使ってる…よな?大丈夫だよな?

『もしもーし、大晟さん?』

 電話の向こうからゆりちゃんの声がする。
 よく聞こえるってことは、俺にも聞こえるようにスピーカーにしてくれてるらしい。
 ていうかゆりちゃん、何で俺のスマホなのに大晟から掛かってきてるって決めつけてんの?そのスマホは既に大晟のものって認識なの?

「有里、お前今どこにいる?」
『え、普通に部屋にいるけど…何かあった?』
「……いや」

 別れてからそんなに時間は経ってない…けど。部屋に戻れない時間…じゃないのかな。
 …どうだろう。こっからゆりちゃんの部屋までかかは時間はいまいち把握してない。

『?……あっ、そうだ大晟さん。今、要と一緒?』

 ………やっぱり、変だ。
 一緒なのは、さっき会ったばっかだか知ってるはずなのに。
 そして気が付いた。さっきのゆりちゃんに、俺は一度も名前を呼ばれていない。別に話の流れ的に、変なことはなかったけど。

「ああ」
『じゃあ、要に今夜8時から集まりがあるから迎えに行くって言っといてくんね?』


 背筋がぞわっとした。


「……ああ、分かった」
『さんきゅー。…で、何か用事?』
「……いや、何でもない。また後で」
『?……うん、また後で』
 
 ブツリ、と電話の繋がりが途絶える音がする。
 大晟は着信画面にある「有里」という名前を少し見つめてから、その画面を閉じてスマホをポケットにしまった。

「大晟…」

 なんだよ。
 一体どーなってんだよ。

「ドッペルゲンガーだな」
「………どっぺるげんがー?」

 なにその、不味そうなキャンディみたいな名前。
 ……名前なのかすら分かんねーけど。とにかくなんか、よくないものなのは分かる。

「世の中には自分にそっくりな人間が自分を含め3人いて、後の2人のどちらかに会うと死ぬ」
「えぇ……っ」

 なにそれこわい。

「ってーのは冗談、じゃねぇけどくっつくな」
「……じゃ、ねぇの?」

 ちなみに離れねーかんな。
 怖がらせた大晟が悪いんだからな。

「都市伝説みてぇに言われてることだから、本当かは定かじゃねぇがな……とはいえ、今のは流石に違ぇだろ」
「本当に?絶対に?」
「絶対に、とは言えねぇけど。今のは明らかに俺たちを騙せるか試してるみてぇだったし…仮にそうだとしたら、とっくの昔に噂が広まってんだろ」

 確かに…ゆりちゃんはAだから、うちの地区だけじゃなくて他の地区でも知らない囚人はいないはずだ。だから、同じ顔なんていたら絶対にすぐに広まるに違いない。そして、そんなことになればすぐに俺たちの耳にも入ってくるはすだ。
 でももしも、投獄されたのがつい最近、とかなら…話は別だけど。ここ最近――つっても、もう1ヶ月くらい経つかな。とにかく、この頃は自分達のことで色々とありすぎて、周りのことにあまり関心を持つ時間もなかった。

「……最近投獄された…とかは?」
「最近投獄されたにしちゃあ喋り方とか似すぎてるし、お前と有里の関係や俺等の関係を知りすぎだろ」
「ああ…確かに」

 俺がロイヤルだってことは別にすぐに分かることだと思う。けど、俺とゆりちゃんがそこそこ仲がいいとか、俺が大晟とどんな関係かとか…まぁそれもそこそこ有名なんだろうけど。でも、自然な言葉の掛け合いとか。
 仮に何らかの形で囚人情報を見て事前にある程度の知識はあっても、本人の仕草や口調は短期間で得られるものじゃない。

「俺の呼び方を知らなかった時点で詰めが甘いのは同じだが……結局の所、どういうことなのかはサッパリ分かんねぇな」

 大晟でも分からないなんて。
 ドッペルゲンガーじゃないとしても…なんかやっぱ、こわい。

「だからくっつくなっつの」
「むり」

 怖がらせたのは大晟だろ。
 飯の間もずっとくっついとくからな。部屋に帰って、本物のゆりちゃんが迎えに来るまで絶対に離れない。


 **


 看守棟の会議室は円型の部屋になっていて、中央が大きく空いた円卓にロイヤルが地区ごとに間隔を座る。そしてその背後にある中二階のような場所に、各地区の看守長が座る。
 現在、ロイヤルの人数は12人……スペードのAがいなくなったから11人(JOKERを含む)。その人数がそれぞれに別れて座るんだけど…4地区あるはずなのに、2箇所にしか人がいない。
 俺たちの地区は前まで結構いたような気がしたけど…いつの間にか、俺とゆりちゃんと、それから先生だけになってた。もしかして、皆先生から逃げてったのかな、なんて………これは有り得る。
 そして、この間までスペードのAだけだった地区には今も誰もおらず、かすみんの地区には元々誰もいない。今日に限ってはかすみんすらいない。
 ということで、残りの7人が俺たちの向かいに勢揃いしている。見た目にインパクトがあるのは蛇人間と蜘蛛人間、そして犬人間。あの地区の検体は、動物や爬虫類の血や細胞を使うのが好きらしい。隠れてキメラ製造をしてるとかしてないとかの噂もある。亮と彪牙も元々はあの地区にいたけど……あの2人が自在に人間と猫になれるのとは違って、蛇人間たちはハーフみたいな感じでずっとそのままだ。だからインパクトが強い。残りの4人は普通の見た目だけど…どんな能力だったかは覚えてない。
 
「ゆりのドッペルゲンガー?」

 俺が何となく向かいの席に目を向けていると、隣から訝しげな声がした。
 集まりの開始時間までまだ10分ほどある現在。会話をしていても止められることはないので…俺もその話に参加しよっと。

「まじでただのゆりちゃんだった」
「お前馬鹿だから、寝惚けてたか歩きながら夢でも見たんじゃねぇのか」

 俺を何だと思ってんのこの人?
 いくら馬鹿でもそこまで行ったらもう色々と問題だろ。馬鹿とかいう次元じゃねーだろ。

「俺もそう思ったけど、大晟さんにも言われたからマジだよ」
「そりゃマジだな」

 そして大晟の信用足るや。
 先生はともかく、ゆりちゃんは俺と過ごさしてる時間の方が格段に長いんだけど?もう少しその信用を俺に寄せてくれてもいいんじゃねーかな?

「で、そのドッペルゲンガーにそんなジジイにされたのか?」
「いや。これは昨日、大晟と24時間くらいぶっ通してヤったから」

 あ。やっぱり結局言っちゃったよ。
 大晟の言う通りじゃん……これは後で殴られるやつかな。

「お前は本当に人生の全てを性欲に注いでんな。そこまで突き抜けてっと、いよいよ尊敬の念さえ感じてくるじねぇの」
「むしろ俺はそれに付き合ってる大晟さんの方が尊敬に値する思うけど…」

 先生はちょっと呆れてて、ゆりちゃんは大分と引いてるなこれは。
 でもな、まるで俺が無理矢理付き合わせたみたいに言うけど、大晟も楽しんでたんだって。そんなこと言って大晟の耳に入ったらそれこそ殴られるだけじゃ済まなそうだから、流石に言わねーど。

「つーかお前らさ、もっと普通にスキンシップとんないの?いっつもヤってばっか?」
「……普通のスキンシップって?」
「おかえりダーリン、ただいまハニー。ハグアンドキス」

 ………なんっじゃそりゃ。

「椿さん、それは極端」
「俺はやってる」
「ええ、そうでしょうとも」

 ゆりちゃんの言う通り、そうでしょうともって感じ。もう本当にそりゃあそうでしょうとも、って感じ。
 だって、やってる所が簡単に想像できるもん。滅茶苦茶やってそうだもん。

「ま、俺とまこちゃん程ラブラブなカップルなんてそうそういませんしね」
「そういうこと自分で言う?」
「この前まで話もして貰えてなかったくせに…」
「だまらっしゃい」

 まこの言葉が事実なら、許してもらったのは計らずも俺のお陰ってことになんだぞ。
 それなのに同じこと大晟に言ったら、何故か俺はほぼ無反応だったけど。…いや、もしかしたらなんか言われたけど、ほぼ寝てて覚えてねーだけかもしんねんけど。

「まぁ、椿さんは極端としても。ただいまのキスとかそういう普通のスキンシップって話な」
「………キスはするけど」
「お前の言うキスは、ただいまとかナチュラルなやつじゃないだろ。そんでそのままヤるんだろ」
「………否定はしませんが」

 1回だけ大晟からキスしてきたけど、あれもガチなやつだったし。結局その後ヤったし。
 だって我慢できねーんだもん。キスしたらヤりたくなるじゃん?皆そうだろ?…俺はキスしなくてもいつもヤりたいけど、それは置いとくとして。

「口にするからダメなんだよ」
「どういうこと?」
「ほっぺちゅーとかさ、そういうのでいいんだよ」

 …ほっぺちゅーって。

「大晟がそんなことさせてくれると思う?」
「出来ねぇことはないだろ。何かしらの意図を疑われるだろうけど」

 あー、思い浮かぶぞ。
 仮にしていい?って聞いたとして、嫌だって即答されて小説か漫画を読む大晟。何も聞かずにしたとして、俺が何か企んでると思ってすっごい嫌そうな顔をする大晟。
 うん、間違いない。

「じゃあ、してくれると思う?」
「しないだろうねぇ」
「だめじゃん」

 何度か、されたことはあるけど。それは俺の反応が面白くてやってるって感じだった。
 そもそも、大晟が自分からそんなスキンシップ取ってくるなんて…俺をからかう以外にはほぼない。ほぼというか全くと言っていい程にない。よく抱き枕にされるけど、それはまた違う気がするし。

「でもまぁ、お前がいい子にしてたらしてくれるかもしんねぇよ?」
「そんなことあるかな…でも……最近大晟、なんか変だしな」
「変?…って、何が?」
「何がって言われると、そう大したことでもねーけど」

 帰ってきて早々キスされたりとか。めっちゃアメ食ってるとか。
 取り立てて言うほどじゃないような、みたいなことばっかりだけど。そんな、本当にちょっとしたこと以外は、いつも通りの大晟たげど。

「お前それ、偽物なんじゃねぇだろうな?」
「えっ。偽物って、ゆりちゃんだけじゃねーの?」
「分かんねぇけど、誰にでも変身出来る系の奴かもしんねぇよ?」
「なにそれこわい」

 ひっつく相手がいない。

「冗談だよ」
「ほ…本当だろうな?本当に誰にでも変身出来るとかだったらどーすんだよ?」
「いや、流石に気付くだろ。それだとお前、どこの馬の骨とも分かんねー奴とヤってることになんだぞ?」
「なにそれちょーこわい!」

 ていうかそんなのすげー嫌だ。
 いやそもそも、有り得ない。毎日ヤってるけど、それが大晟じゃなかったら絶対に分かる。それだけは自信がある。
 ヤっててよかった、日課のセックス。……これも言ったら殴られるやつかな。

「大丈夫だって。大晟が最近ちょっと変な原因は大方検討付いてっから」
「……え、本当に?何で?」
「大晟は最近相当お前にご執心だからだよ」
「ごしゅ…は?……なにそれ?」

 最近ちょっとお利口になってきたと思ったらこれだよ。すぐ意味不明な言葉が出てくるんだから。
 ていうか絶対にわざとだろ。
 ゆりちゃんは少しだけ意外そうな顔してるけど、どうせ俺には何も教えてくれない。

「本人に聞いてみな。ぜってー答えねぇだろうけど」
「……意地悪だな」
「その前に帰ったら忘れてる」
「違ぇねぇ」
「2人して……」

 と、ケラケラ笑う先生とゆりちゃんを睨んでみたものの。
 確かに帰ったら忘れてそうで…強く言い返せない。現に、そう言われてみたら既に何か大事なことを忘れてるような気もするし。

「しかし…もし誰にでも変身出来る系なら、いつどこで遭遇してるか分かったもんじゃないねぇ」
「いや、そもそもそんなのいたらロイヤルか責任者枠…ああでも、今のロイヤルの追加能力って可能性もあるのか……」

 ゆりちゃんがそう言ってハッとしたけど、新しいロイヤルなんて考えも付かなかった。それに、今いるロイヤルの追加能力ってことも。
 大晟がドッペルゲンガーとか言うから、幽霊的な存在と会ったような気でいたけど。可能性としては、ゆりちゃんの言ったことの方が圧倒的に有り得る。

「もしそのどちらかなら、今からお披露目があるだろうよ。……さて、始まるみたいだぜ」

 先生がそう言って指差した先の、この部屋の出入り口が開く。
 ウインと、この牢獄では珍しい自動ドアが開かれた先には…看守長の更に上、総看守長と呼ばれる男が立っていた。

 カツン…。

 一歩踏み出した瞬間、背筋にぞわっとした感覚を感じた。
 そして、その顔を見る。
 しかし、室内の光が反射してよく見えない。

 カツン、カツン…。

 ブーツの音が響く。
 光の反射を抜けて視界に映り込むのは、月に一度…目にする偉そうな顔。その顔だ。
 一歩一歩ゆっくりと、自分の権力を鼓舞するように。偉そうな立ち振舞いで、辺り全体を見回しながら室内に足を踏み入れる。
 その様は、普段と何も変わりない。しかし……違う。
 こいつは――――この、男は。

「………先生…」
「何も言うな。黙ってろ」

 俺が小声で話しかけると、先生は同じく小声でそう返してきた。
 先生も、気付いてる。


「それでは、本日の会議を開始する」


 円卓の一部が床に沈む。総看守長はその隙間を通り、部屋の中心部に立つ。すると待っていましたと言わんばかりに床下から豪勢な椅子が出てきて…そこに腰を下ろした瞬間が、開始の合図だ。
 今日の司会進行役は元スペードのAのいた地区の看守らしい。何枚かの紙を手にして立ち上がると、部屋全体に機械を通した音が響いた。

「本日の議題は…新しいロイヤルの件、TO地区より蛇が200匹程度脱走した件、そしてTA地区の労働進行度が著しく低下している件についてだ」

 ……新しいロイヤル。
 思わず、ゆりちゃんと目を合わせた。そして先生の方を見ると…まるで睨み付けるように、総看守長の方を見ていた。

「まずはTO地区の蛇が脱走した件についてだが…」
「待てよ」

 看守の声に先生が割って入る。
 話し合いの時間になるまでは誰も口を開いてはいけない…という決まりが、確かあったような気がしたけど。
 先生は話を止めた看守ではなく、総看守長を見たままだ。

「ハートのA、説明中の乱入はご法度だ。長い独房生活でそんな基本的なルールも忘れたのか?」
「1年以上俺を冤罪でぶち込んどいて、よくもそれ程に偉そうな口聞けるもんだねぇ。だからテメェ等は無能なんだよ」

 めっちゃ喧嘩売る…。
 先生の言ってることはもっともなんだけど。でも、そんな初っぱなから喧嘩売ると面倒なことになるのは目に見えてるのに。
 でも…まぁ、先生のことだから、何か考えがあるんだろうけど。いやでも、それにしたってそんなトップスピードで喧嘩売る?

「出てきて早々独房に戻りたいのか?」
「まず蛇の件。んなこたぁ逃がしたテメェの地区で勝手にやってろ、俺等は捕獲には一切関わらない。はい終わり」

 無視。
 看守の言葉を完全に無視して、先生は議題について勝手に喋り出す。そして、誰も口を出させない勢いで1件目を勝手に終わらせてしまった。
 しかし、勢いはまだ止まらない。

「次に労働が遅れてる件。どうせ地区内で暴動でも起きてんだろうが…それをロイヤルを回して納めようなんて考えてるようなら、お前ら全員看守なんてやめちまえ」
「っ……貴様…」

 あ、これ図星だな。

「今あの地区にロイヤルを回した所で火に油。鎮火させたいなら、責任者を総入れ換えするしかないが…どうせ昨日の会議でそれは決着が付かなかったんだろう?当たり前だ。あんな地区に行きたいと思う責任者がいるわけねぇ」

 先生の口ぶりから察するに、偽物のゆりちゃんが言っていた責任者の会議が2時まであったってのはどうやら本当らしい。
 そしてそんな時間までやったにも関わらず、何も解決せずに終わったってことか。龍遠とか稜海とか…きっとめっちゃ機嫌悪かったろうな……。今日会わなくてよかった。

「だからそんなことは後回しにして、まず労働の遅れを取り戻すことに専念すべきだ。そしてそれに専念するならかすみんでも送っときゃ、あの人が自分でどうにかするだろ」

 確かにかすみんの地区にはロイヤルいないし、あの人が行けば確実に労働の効率は上がるだろうけど…そんなこと言っていいのか。かすみんがぶちギレるんじゃないのか。
 いやまぁ、今いないからさ。知られなきゃいいんだろうし…もし仮にその案を採用するとして、囚人の助言を実行しました――なんて、口が裂けても言わないだろうし。バレないかもしんないけど。

「てことでこの話も終わり。……つーことで、本題に入ろうじゃねぇか」

 先生はずっと、中央から目を離していない。
 総看守長…どこからどう見てもその顔を前にして、いつもなら何を思うこともないのに。今日はどこか緊張して、息を呑む。


「私の顔に何か付いているのかね?」


 ……声もそのままだ。

 だけど。


「汚ねぇの顔が付いてるじゃねぇか。見間違いかと思ったぜ」

 先生の言葉に、ニヤリと笑う。
 ああ…その、不愉快な顔は。いつもの、その顔の男もそうだけど。そうじゃない。
 
「ハートのA、総看守長になんて口の利き方を…」
「無能は黙ってな。つーか、それ寄越せ」
「あっ!」

 口を挟もうとした看守に向かって吐き捨て、そして看守の手からひらりと持っていた紙が舞う。先生は宙に舞った紙を残さず手に取り…そしてようやく、視線を机の中央からそらした。
 ちらりと紙を覗き込んでみたけど、何が書いてあるかはサッパリ分からない。

「…新しいロイヤルの能力は擬態」
「……擬態?」

 俺が問いかける横で、ゆりちゃんが「なるほど」と納得したような声を出す。
 ゆりちゃんには分かっても、俺には分からないから。そこはちゃんと説明してくれるよな?

「ただし人間の顔のみに有効……って、こりゃまたくそほど中途半端だねぇ」

 ぜんっぜん意味が分からない。

「自分のなりたいものに顔を変えられるってことだ」
「なりたい顔…あっ」

 先生が呟くのに対して、意味不明な顔をしていた俺にゆりちゃんがその言葉の意味を教えてくれた。
 そしてそれを聞いて、夕飯の時に俺と大晟が会ったゆりちゃんのドッペルゲンガーの謎が解けた。さっき新しいロイヤル…と聞いたときに…もしかして、と思ったけど。やっぱりそうだったんだ。
 ……でも、今目の前にいるのは。

「もうその能力を吸収したのか?」

 総看守長はニヤリと笑う。
 やっぱり、間違いない。

「……やっぱり流石だね」

 声が変わる。
 かと思うと…目の前にある顔が、ぐねぐねと顔が歪み始めた。そしてまた…違う顔に形成されていく。
 よく知る――つい最近、夢でみたばかりのその顔に。


「JOKER…!」

 どこかで誰かがそう声をあげた。
 その瞬間にざわっと…辺りがざわついた。

「最初から気が付いていたの?」
「ああ。こいつですらな」
「わぁ、要も僕に気付いてくれたの?うれしーい」

 ああ……大嫌いだ。
 その視線がこっちに向いた瞬間に。それ以外の感情はなかった。
 ずっと抱いていた…憎いという感情も、恨めしいという感情も。今はもう、ない。感じる必要がない。

「本物の新人君と総看守長は?もう埋めたのか?」
「まさか。僕はスペードのAほど冷酷じゃないから…ちょっと寝てもらってるだけ。傷ひとつ付けてやいないよ」
「そりゃご立派だ」

 先生とJOKER…咲哉の会話に、誰も口を挟むことはしない。
 他のロイヤルは突然の咲哉の登場に怯えきっているし、全く気づく素振りもなかった看守たちは面目がないんだろう。

「…つーことは、さっき俺に化けて要に会いに行ったのもお前?」
「それは…」
「それは多分、本物の新人君だ」

 ゆりちゃんの咲哉に問いかけに、咲哉の言葉を遮るように先生が言葉を被せる。咲哉はそれに不快感を示すこともなく、素直に驚いた顔をしていた。
 その表情のどれを取っても、俺にはこいつが嫌いだ…という感情以外のものはなかった。だから、早くどこかに行けばいいのに……と。そんな風に思う。けれど、もう二度と会いたくない。とまで思うことすらない。
 それほど、咲哉という存在が。
 俺にとって、どうでもいい人物になっているのだと―――その時、初めて気が付いた。

「……よく分かったね」
「お前のことだから、その能力がどれ程のもんか…自分でやる前に試したかったんだろ?」
「その通りだよ」

 先生の言葉に咲哉は頷く。
 つまり、ゆりちゃんのドッペルゲンガーはまだ見ぬ新しいロイヤル。そして、それを差し向けたのが咲哉ということか。
 新しいロイヤルも、咲哉に頼まれたら、断ることも出来ないだろう。せっかくロイヤルになれるというところで、命を落としたくはないだろうからな。

「ゆりを選んだ理由は…比較的特徴が真似やすいことと…そうだな。背格好が似てたか?それに、この会議の件を伝えるために要と接触も出来るしな」
「さっすが。パーフェクト」

 パチンッと、指を鳴らす。
 周りのロイヤルと…それから看守たちが何か起こることを警戒してか、一斉に肩をすくめた。咲哉がどれだけ恐れられているのか…それが一目瞭然だ。

「そんな理由で俺のドッペルゲンガーが……」
「勝手に利用してごめんね。でも、要たち以外には接触してないから……まぁそれも、情報不足で失敗しちゃったけど」
「こいつに気付かれるくらいだから、ちょっとじゃなくて大失敗だな」
「あら、キツいね」

 咲哉はくすくすと笑う。
 その何気ない笑顔も…前は、確かに特別だった。本当に、特別だった。
 それは俺がロイヤルになった後も同じだ。いつでも純粋に笑うその笑顔は…違う意味で、特別になった。
 それなのに今は…何一つ、思うことがない。変な気分だった。

「今度は誰にもバレずに出来るよ。ねぇ、要?」

 咲哉の視線が俺を捉える。
 バサッと、服が脱げた。どうやら大量の布を詰め込んで体格を誤魔化していたらしい。布も床に散らばる。いつもの姿…金色の軍服のお出ましだ。ギラギラとしていて、とても目障りだ。
 咲哉は円卓の中央からこちらに寄ってきて、机越しにぐいっと顔を近付けてきた。紫色の瞳が光る。その奥には何もない。

「どうかな。化ける相手次第じゃねーの?」

 この間までは、顔を見るのも嫌だった。こんな風に馴れ馴れしく話しかけて欲しくもなかったし、以前のように会話をする気もなかった。
 けれど今…こんな、どうでもいいような言葉が出てくるのは。以前のように普通の会話をするように言葉を投げ掛けているのは。
 俺にとって咲哉という存在が、興味のないものになったからだ。


「どうして、そんなに普通の反応なの」


 俺の反応を見た咲哉は思いきり顔をしかめた。酷い顔だった。
 そして…まるで何かを確かめるように、俺の顔に手が伸びてきた。そっと頬に触れる指は、俺でも冷たいと感じる体温…俺と同じ、体温なんだろうと思う。
 前はそういう所も全てが嫌で、嫌で嫌で仕方がなかったけど。今はそれですら、何とも思わなかった。


 **


 部屋に戻ると、大晟はいつものようにベッドの上で小説だか漫画だかを読んでいた。最近はその口にアメを咥えているのも見慣れてきたもんだ。
 目線が小説から俺に向けられると同時に、ブロンズの髪が少しだけ揺れる。月明かりに反射して綺麗だった。

「…何だよ」
「いや、美人だなーって」

 近寄ると、それがとてもよく分かる。
 いつも見てる顔だけど、いつ見ても美人だし。それから今みたいに、顔をしかめてる割合が高い。
 それは見なかったことにしてベッドに上がると、大晟は俺の場所を空けてくれた。いつもならここからすぐセックスの話になるけど、流石に今日はもう無理。ここに帰ってくるのも一苦労だったから。
 でも、セックスしなくても隣にはいたい。いつも怒られて殴られてばっかりだけど、それでも隣にいたい。
 そんなことを思いながらくっつくと、大晟は小説を置いて俺を見た。また顔をしかめていた。

「……何だお前。まだドッペルゲンガーが怖いのか?」
「あ、それは新しいロイヤルだった。人間の顔だけ同じになれるって」
「顔だけってのはまた…中途半端な」
「先生と同じこと言ってる」

 あ、今日一番のしかめ面だ。

「…それで、そいつがどうして有里に化けて俺等の前に出てきたんだ?」
「それは咲哉の差し金。詳細は先生まで」
「お前は本当に人任せだな」

 だって俺、基本的に何も理解出来てねーんだもん。頭に入って来ねーんだもん。
 いやまぁ今回のことは理解できる内容だったから、その時は分かってたけど。でも、どうでもよくって忘れた…って言ったら、殴れるかな。

「……大晟はさ、もしも俺のドッペルゲンガーが現れても見抜ける?」
「こんな憎たらしい顔間違えてたまるか」
「ふぎゃ」

 大晟の両手で思いきり顔を挟まれて、思わず変な声が出た。
 さっき触れられた指とは全然違う。
 手から伝わる体温が暖かい。俺の好きな、大晟の体温だ。
 ずっと、触れていたい。

「お前は気付かないだろうけどな」

 そう言って、大晟の体温が離れていくのが凄く名残惜しくて。
 もっと体をくっつけた。服越しでもあったかいのが伝わってくるのが、とても安心する。

「間違えるわけないじゃん」

 昨日は24時間以上ずっと一緒で。
 そればっかりか、ずっと繋がってて、ずっと大晟の体温を感じていたのに。

 全然足りない。
 今も一緒にいるのに。くっついてるのに。
 それでも、まだ足りない。

「絶対に間違えない」

 毎日、毎日。
 ずっと見ていても飽きないその顔も。ずっとくっついていたいこの体温も。その他の、俺の好きなもの全部。
 他のものじゃ埋められない。大晟じゃないと意味がない。
 だから、絶対に間違えない。




根拠はないけど
(自信はある)


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