Long story


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49

 たったひとつ、何かが変わるだけで。
 それまでの全てのことが、大きく変わる。
 そんな大きなたったひとつ。
 そのひとつだけが、決して揺るがないものであればいいと思う。

Side Kaname


 見下げる先に、誰かがいた。
 その誰かの顔はよく見えなかったけど、大晟じゃないな――と、そんな風に思った。

「僕を殺すの?」

 そう聞かれて、ハッとした。
 そして、この光景が夢だと分かった。
 
「殺して海に沈めるの?」

 俺たちの場所を荒らしていたこいつを捕まえた時、俺の周りでは皆が息巻いていて、やれボコボコにしてしまえだの。身ぐるみ剥がして捨ててしまえだの。そして、殺してしまえだの。沢山の言葉が飛び交っていた。
 しかし、見下ろす先の顔はその冷静さを見せつけるように、俺を見てそう聞いた。
 それまでにも何度かこんなことはあったけど、どいつも皆すがるように命は助けてくれと懇願するばかりだった。それなのに、こいつは全くそれをしなかった。

「…そうされたいのか?」

 俺の放つ言葉はあの時と同じだった。
 特に、他に思い浮かぶ言葉はなかった。

「好きにすれば?」

 挑発的な言葉とは裏腹に、押さえつけている手は震えていた。冷静さを演じながら、必死に恐怖に耐えているのだとすぐに分かった。
 こういう奴を見ると、そんな強がりを吹き飛ばしてしまいたくなる。
 悪態を吐ける思考回路を、今にも噛みついてきそうなその瞳を、必死に耐えるその姿を。全て吹き飛ばして、他の奴等と同じように懇願させたくなる。

 その時はそんな風に思った。
 今は、何も思わない。そればかりか、ついこの間まであった憎さすら薄れているような気がする。



「……殺しやしない」

 だから俺はそう言って、その場を立ち去ることにした。あの時も、そうしていればよかった。ただ、立ち去るだけでよかった。
 けれど現実の俺は、いつもは捕まえた後は他の連中の好きにさせる所を、そのまま自分のねぐらに連れていくことにした。
 思えば、きっとこれが人生で一番の失敗だった。俺は今でもまだ子供と呼ばれる年齢だけど、これから先生きていく中でどんな失敗をしても、これ以上の失敗はないと思う。
 そんなことを考えながら歩いていると、ゆっくりと立ち去る先の視界が霞んでいった。夢から覚めるのだと直感した。


 **


 夢だということは分かっていた。だから、目が覚めてもそれ程動揺することなく、ゆっくりと起き上がって息を吐いた。
 隣では美人が静かに寝息を立てている。これは紛れもなく、現実だ。

 大晟を初めて見下ろした時、こんなことを思うのは2度目だ――と、そう思った。しかし今思えば、一見似ているようで全然違ったんだと分かる。
 そして、ずっと思い出したくもなかったことを夢に見て――自分が感じていた気持ちが確かに同じだったということもまた、分かる。

 同じだった。

 大晟のことが好きだと確信した時と同じように。
 俺は確かに、好きだった。

 あの頃は今よりももっと子供だったけど、それでもその感情に間違いはなかった。
 力では俺に太刀打ちできないくせに、ちっとも俺の言うことを聞かない。好き勝手なことばかりする。でもなぜか、俺の所に戻ってくる。
 そんな態度に、いつから惹かれていたのかは分からない。もしかしたら俺は、自分の思い通りにならない相手に弱い傾向があるのかもしれない。

「……寒い」
「あ、ごめん」

 起き上がったことで布団が半分めくれて、大晟が起きてしまった。謝って布団をかけ直すけど、どうやら目が覚めてしまったらしい。
 スマホを手に取り時間を確認して、大晟は思いきり顔をしかめた。

「まだ4時じゃねぇか。何で起きてんだよ…天変地異か?」
「……ちょっと夢見て目が覚めて、考え事してたんだよ」
「…やっぱり天変地異か」
「何でだよ!」
「普段起こしても起きねぇ奴が明け方に起きて考え事なんて、天変地異以外にあるか」
「うる…うわっ」

 大晟の言葉が尤もすぎて、うるせーくらいしか返せないと思って口にしようとしたら…思いきり腕を引かれた。
 反射する間もなく大晟の上に倒れ込むようになって、そしてあれよあれよと抱きすくめられる。一瞬で抱き枕状態だ。

「大丈夫か」


 ……心配、してくれてるのか。


「……夢見て、普通に自己分析してるくらいだから…多分、大丈夫なんだろうな」

 これまでも夢に見たことはあったけど、いつも忘れようと頭を振っていた。そして、どうでもいいようなことを考えるようにしていた。
 あの頃のことも、あいつのことも、自分のことも。何一つ、思い出したくもなかった。
 ひとつ思い出すと全部出てくるから。楽しかったことも、嬉しかったことも、その全てが一瞬で変わってしまったことも。全てが過るから、何も思い出したくなかった。

「自己分析なんて出来んのか?」
「…まぁ、それ程大層なことじゃないかもしんねーけど。どうやら俺は思い通りにならない奴に惹かれがち」
「はぁ?」
「大晟もだけどー、あいつの時もそうだったなーって」
「基本的に誰からも馬鹿なペットみてぇに扱われてんだろ」

 馬鹿なペットって。
 誰からそんな扱われ方…ほぼ皆からか――まぁ、ここはスルーしといてやろう。
 特別だからな。

「それは別として。なんつーかな…確実に俺の方が有利なのに、どんなに捩じ伏せても絶対に屈しないタイプ?」
「俺はお前に捩じ伏せられたことなんてねぇけどな」
「組み敷かれてんだから一緒なの」

 だからもし、大晟が最初から俺に従順だったら、きっと好きになってなかったんだろうな。そして、俺があの頃のことを思い出して、こんな自己分析出来るほどに大丈夫になることもなかった。
 きっと今も、夢にみたことを忘れようと頭を振っていたに違いない。


「だから全部……大晟のおかげだけど、言わない」

 ……あれ?
 今声に出てたくね?気のせい?

「っとに馬鹿だな」

 あ、やっぱり声に出てたやつ。

「どうせ俺はバカですよ」

 もう反論しても仕方ない。何言ったって正論で返されて終わりだ。そうなると俺はいつも武力行使に出るわけだけど…この時間からそれやると流石にめっちゃキレられそうだから、もう大人しくするしかない。
 こうしていると、さっき夢に見たことももう忘れそうだ。今はもう頑張って忘れる必要もないのに、勝手にどっかに行ってしまう。
 これも全部、大晟のおかげなんだろうな。
 そう考えると、俺が大晟に会ってから得たものは……。

「……ちょっと待てよ?」
「待たねぇよ、寝ろ」

 目が覚めている俺と違って、大晟はまだすぐにでも眠りに付ける程には眠いらしい。だから、寝れそうなうちの寝てしまいたいのだろう。
 それは分かるけど、その前に俺の話を聞いて。

「ちょっと待って。今ここで俺がこうしてるのは俺がここにいて、大晟もここにいるからだろ?」
「……何だ藪から棒に」
「つまり、俺がロイヤルにならなきゃ大晟には会えなかったんだよな?」
「それはどうだろうな。俺はどのみち投獄されてたろうし、お前が出たり入ったりしてたなら…どっかで擦れ違うくらいはあったかもな」
「でも同じ部屋になることもないし…仮になったとしても、今の俺じゃないわけだし」
「今のお前じゃない?」

 あ、そうか。
 大晟は知らないんだっけ。

「そもそも俺がロイヤルになったのは咲哉(さくや)に嵌められてマスター検体にぶちこまれたからなんだけど」
「…誰だそれは」

 ああ、そうだ。
 大晟はそれも知らないんだった。

「JOKERだよ。一番上のロイヤルで…まぁ、その辺の話は誰かに聞いて。とにかく、咲哉に嵌められて終身刑になってマスター検体に…あれ、マスター検体が先だったんだっけ?まぁどっちでもいいや」

 どっちが先だったとしても、結果は同じだ。
 俺は一発で能力を得てロイヤルになった。責任者なんて選択肢はなく、なることを強制させられた。…まぁ、俺に棟の責任者なんて無理だけど。

「適当にも程があるだろ。大体、嵌められてマスター検体にぶちこまれるってお前、そんなに恨まれてたのか?」
「いや、むしろ逆?…咲哉自身がマスター検体を受けるためにもう1人必要だったんだよ。それで、あいつはその相手に俺を選んだ」


 ―――これで何もかも一緒だね。


 一瞬、頭の中にそんな声が響いた。
 そう言って笑うその笑顔は、純粋にそれを喜んでいるものだった。

「何でもう1人必要だったんだよ」
「あー…それは説明されたけど、よく分かってない」
「はぁ?」
「だからまぁ、誰かに聞いて」
「お前な…自分のことだろ……」

 抱きすくめれてっから顔は見えないけど、多分すっごく呆れた顔してるなこれは。
 まぁでも、それは今どうでもいいんだって。重要なのはそこじゃねーの。

「つまり…今こうして大晟と一緒にいるのは俺がロイヤルだからだろ?この髪も目も性欲も、検体の影響なわけだし……つまり、ロイヤルになってよかったってこと?」

 そう、俺が思ったのはそこだ。
 ずっと、ロイヤルになったことは俺にとって苦痛でしかなかった。それがどんなに便利な力でも、欲しくて得たものじゃなかった。手放せるのならすぐに手放して、この苦痛から解放されたいと思っていた。
 けど、ロイヤルになったから大晟に会えたっていうなら…その気持ちは大きく変わってくる。欲しくて得たものじゃないけど…でも、ロイヤルになってよかったんじゃないか……と、そんな風に思う。

「本当に馬鹿だなお前。ロイヤルじゃなきゃ、そもそも検体だって受けなくていいんだぞ?」
「……ああ…そうか。確かに」

 きっと夢を見たのは、昨日が久々の検体だったからだと思う。
 ナチュラルだったから後遺症は殆んどなかったけど…それでも、検体の間の苦痛はどれだけ回数を重ねても慣れることはない。終われば忘れたつもりでも、頭の片隅に残ってるんだろう。

「ほらみろ。いいわけねぇだろ」

 これはまた凄く呆れてらっしゃる。
 少しだけ顔を上げて、そんな呆れ顔の大晟を見た。下から見ても美人だった。
 ……いや、でも、やっぱり。

「………大晟の方がいい」
「は?」
「ロイヤルにならないよりも、大晟と一緒にいる方がいい」

 ロイヤルにならなかったら、色んな嫌なことがなくなる。それは分かってるけど。でも同時に…一番なくなって欲しくないものも、なくなる。
 大晟が会えないなんて…こんな風にいっしょにいられないなんて、そんなの考えられない。俺はどんなに沢山の嫌なことがあったとしても、大晟と一緒にいる今がいい。
 だからやっぱり、そうなんだ。

「ロイヤルになったから大晟に会えたなら、なってよかった」

 ほら、やっぱりそうじゃん。
 口に出すと余計にそう思えてくるんだから、絶対にそうだ。

「―――…ああ、くそ。ムカつく」
「は?」
「何で俺がこんなガキに…ああもう腹立たしい!」
「いっ…ちょ、大晟、いたいっ」

 急に腕に力入れたら痛ぇからっ。
 俺を絞め殺す気か?マジで痛いから!!

「うるせぇ」
「いたいいたいっ!」

 マジで死ぬよ!?
 何がそんなに気に食わなかったんだよ!

「苛々するから寝る」

 えぇー…。
 何なんだよ…意味分かんねぇ……。


「……まぁ、いいか」

 取り敢えず謎の締め付けは収まったし。このままなら…多分、もう夢も見ないだろう。
 だから、今あるこの現実を離さないように、さっきのお返しじゃないけど…抱きついて寝てやろっと。あと…もう1時間もないけど、いつもみたいに大晟に殴り起こされるまで。


 **


 眠い。
 4時から起きてた時間なんてほんの十数分なのに、まじで眠い。大晟はない脳みそで悩んでたせいだ…なんて言ってたけど。別にそこまで悩んではいない。
 そして、こんな日に肉体労働なんて運が悪い。検体の次の日だから休んでもよかったんだろうけど…部屋にいてもやることねーんだもんな。こりゃ近々、新しいゲームでも探すがてら盗みに入らねーといけねーな。

「要、上」
「え?…うわっ!」

 誰かの声につい反応して上を向くと、積み上げれた麻袋の1つが落ちて来るところだった。それをギリギリのところで避けると、ドサッという音と同時に地面から土煙が立ちのぼる。
 この不安定な麻袋の山に潰されて1日で数人は労働リタイアするけど、いつもそれを遠巻きにみてはトロいなと思っていたのに。危うくいつもの俺みたいな目で誰かに見られるところだった。

「トロいね」
「いや避けたからセーフだし……って、龍遠じゃん」

 なんかめっちゃ久々に見た気がする…実際にかなり久々なのか。だって、スペードのAが大暴れしたあの日以来だ。

「久しぶり。あの時はよくも俺だけ放って仲良く帰ってくれたもんだね」

 ――――あ。

 確かに、そう言えば。
 大晟が出て来て、先生がスペードのAを下敷きにしてて…色々と混乱してて龍遠のとこなんてすっかり忘れてた。
 でもよくよく考えたらあの時俺、めっちゃ龍遠に助けられてた。結果的に大ケガしたけど、もし龍遠がいなかったら死んでたかもしれない。
 ………今の今まですっかり忘れてたけど。

「えっと……ごめん?ありがとう?」

 この場合、どっちを言えばいいんだ。

「別にどっちもいらないよ。今のは冗談」
「……怒ってない?」
「まさか。面白いもの見せてもらったし、大晟さんからご褒美もらったし…むしろ得した気分」
「大晟からご褒美?」
「うちの棟の希望箇所全てに24時間体制の監視カメラつけてもらった」

 大晟…なんてことを。龍遠にそんなもん与えたら、夜中に抜け出して悪さ出来ねーじゃん。盗みに行くのとかすぐバレんじゃん。
 いやまぁ、うちの棟はヤバイ奴多いから…ってか、そういう奴が積極的に龍遠か稜海に丸投げされるから必然的にそうなるんだけど。麻薬の取引とかしょっちゅうやってるから、そういうのを取り締まりたいんだろうけど。

「…つーことは、廊下でセックスも出来ねーと」
「え、してたの?」
「大晟とはしたことない。シャワー室はあるけど」
「……聞かなかったことにしといてあげるから、そういうことほいほい言わないの」
「そう言えば前も怒られたっけ」

 怒られてはないけど…殴られたんだっけ?
 まぁ、どっちでもいいか。

「で、そっちはその後どうなの?」
「どう…って?」
「あれだけの大騒動を経て何か心境の変化があったのかってこと」

 ああ、なるほど。
 そういうことなら、タイムリーな話題がある。

「…今日、咲哉に初めて会った日の夢見た」
「…………」

 え、何その顔。
 何でそんな、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してんの。

「何だよ」
「…………まさか、要からその名前が出てくるとは思ってなかったから。ずっと避けてたでしょ」
「まぁ…言われてみれば。確かに」

 自分では気付いてなかったけど、言われてみればその通りだ。名前なんてもう長いこと口にしてないし、どうしても必要な時はJOKERって呼んでた。
 無意識に、避けてたんだな。
 今はもう、どうてもいいことだけど。

「まぁ…いいけど。……あの子の夢は、今までもたまに見てるって言ってなかったっけ?」
「うん、検体の後とかに。…昨日が検体だっから…多分それで、見たんだと思うんだけど」
「その夢が…いつもと違ったとか?」
「いや、夢はいつもと同じような感じだった。俺があいつを捩じ伏せて、でも連れて帰るんじゃなくてその場に放置する…そうしておけば、ロイヤルにならずに済んだのに…って夢」

 いつもは目が覚めると、後悔の念にかられていた。
 それがハードとかグレートの後だと後遺症もキツくて、いっそ死んでしまいたいと何度も思った。けれど自分で死ぬことなんて出来なくて、苦しみながらまた眠るしかなくて。それが本当に辛かった。

「……それが…どんな心境の変化なの?」
「夢の中はいつもと同じだったけど、起きてからはそうでもなくて…いつもは考えないようにするんだけど、今日はなぜか考えた」
「夢について?」
「うん。それで…やっぱり俺、咲哉のこと好きだったんだなと思って」
「………そう」

 それは分かってたことだけど。
 だからこそ、もう誰のことも好きになんてなりたくなかった。誰にも、好かれたくもなかった。
 それは分かってたことだけど。
 今日改めて考えて、そして実感した。
 そして、気が付いた。

「まぁ、大晟の方がもっと好きだけど」

 同じだけど、大きさ?深さ?
 よく分かんねーけど、それが全然違うって気が付いた。

「それが心境の変化?」
「それもひとつ。もうひとつは…もしロイヤルになったことで大晟に会えたなら、ロイヤルなってよかったって思ったこと」

 どっちかというと、こっちの方が大きな心境の変化だと思う。
 俺が大晟のこと好きだってことはもう前からのことで、それを認めてなかっただけだし。いやまぁ、認めたことも変化なんだけど。でも、それはもう少し前のことだ。

「………それ、大晟さんに言ったの?」
「言ったらなんかキレられた」
「好きだってことは?」
「…そう言えばそれもキレられた」

 前は何で今なんだよってキレられたし。今日は腹立たしいとかってキレられたし。それだけじゃなくて締め付けられたし。
 なんだこれ。人が素直になってんのに、キレられてばっかじゃねーか。

「………よかったね」

 何故か、笑顔を向けられた。
 それもいつもみたいな邪悪なやつじゃなくて、ごく稀に見る本当の笑顔だ。
 それを見るのは珍しいし、悪いもんでもないからいいんだけど…。

「…何が?」
「思った以上に幸せそう」
「んなことねーよ、大袈裟だな」
「まぁ別に俺は要の幸せなんてどうでもいいけど。よかったね」

 龍遠は再度そう言って笑った。
 言葉から察する俺の扱いは雑なのに、悪い気分じゃなかった。



「…じゃあ、USBどうする?」

 USB?なんだそれ?
 …………あっ、そうだ。そうだった。

「…預けてるUSBな」

 もうすっかりあってないような俺の切り札。
 というか、マジですっかり忘れ去ってた俺の切り札。さも覚えてましたよみたいに返答したけど、怪訝そうな顔したから忘れてたのバレてんなこれ。
 そもそも、大晟も覚えてんのか怪しいけど…まぁ、俺みたいに馬鹿じゃないからきっと敢えて口にしてないんだろう。前に詮索しないって言ってたし。

「はい」
「持ち歩いてんのかよ…」

 龍遠は俺が預けたUSBを当たり前のようにポケットから出してきた。そして、俺の言葉に顔をしかめる。

「どこで何があるか分からないし、常に持っとけば最悪の場合壊せるでしょ?」
「ああ…龍遠、敵が多いしな。部屋に奇襲とかもざらにありそうだし。確かに」

 それに棟の至るところに監視カメラ付けたとなると、それも激化しそうだしな。
 最近は夜中に出歩くことも少なくなったけど、もし出かける時は夜道に気を付けよう。とばっちりなんて食らったらたまったもんじゃないし。

「俺を何だと思ってるの?てか、よくそんな風に思ってる相手にこんなもの預けたね」
「そりゃあ信用してるし」
「……まぁ、それならいいけど。はい」

 と、差し出されたUSBを受けとる。
 切り札が、久々に俺の手の内に戻ってきた。

「これがなくなったら、何か変わると思う?」

 俺と大晟の関係を始めたきっかけであり、関係の約束を繋げているもの。あってないようなものといえど、本当に無くなってしまうとどうなるかは分からない。
 いつか、大晟が約束はお互いを縛るためにするものだと言っていた。それはつまり、もしも約束を繋ぐものがなくなれば、縛るものもなくなるということだ。

「要はどう思う?」

 縛り付けていたものがなくなれば。
 もうそこに縛られる必要もない。

「……変わらないと、思う」

 けれど、大晟は俺の前からいなくならないと言った。それはこのUSBに縛り付けられた約束じゃない。
 だからきっと、大丈夫だ。

 独房に入る前―――最初に大晟に好きと言った時。まだ不安があった。だけど今は、そんな不安もなくなりつつある。
 きっと、これを大晟に渡せば不安も消えるのだろうと…そんな風にさえ思う。

「要がそう思うなら変わらないよ」
「……本当に?」
「本当に。だからさっさと終わらせて、そして始めたらいいよ」

 終わらせて、始める。
 何だかすごく、背中を押された気がした。

「……龍遠のくせにいいこと言う」
「くせには余計だよ」

 龍遠は少しだけ顔をしかめてそう言ったが、それほど気に障ったという風でもなかった。いつもなら嫌みのひとつでも返してくるのに、どうやら今日は余程機嫌がいいらしい。
 別に龍遠に感化されたわけじゃないけど、何となくいい悪い気分じゃなかった。もしかしたら、大晟曰く「ない脳みそで悩んでいたこと」が、自分の中で片付きつつあるからなのかもしれない。


 **


 部屋に戻ると、今日も大晟はいなかった。どうせまた先生の所で油でも売ってるんだろう。ここ最近、俺が先に帰ってることも多くなってきたな。
 本当は帰ってすぐにUSBを渡そうと思ってたけど、仕方がないので机の引き出しにしまった。わざわざ渡さなくても壊せばいいんだけど、壊したって言っても疑われそうだし…やっぱり渡すのが一番だろうな。


「することねんだよな……」

 結局、煙草ふかしてソファに座ってるしかない。今日はちゃんと窓も開けて、それから扉も開けっ広げた。これで文句も言われないだろ。
 とはいえ、残業もなく帰ってきたからまだ2時半にもなってねーし、朝から眠かったのに今は全然眠くねーし。大晟は先生んとこで遊んでくるなら、あと2時間は帰ってこねーよな。最近こんなんばっかだから、煙草が減りが早いったらない。
 早く帰ってこねーかな……だから、飼い主の帰りを待ってる犬か俺は。

「うわ、すぐにどの部屋か分かる」

 あれ?

「かっちゃんめーっけ」

 開けっ広げた入り口の向こうから、ひょこっと可愛らしい顔が覗いた。

「やっぱまこだ」
「やっほー。…入っていい?」
「どうぞ」
「お邪魔しまーす」

 この部屋に入室許可を申し出て入ってくる人間なんてまこくらいだ。
 まぁ、まこがここに来ることなんて年に数回あるかないかくらいに珍しいけど。…今日はどうしたんだろ。

「またこの辺の労働だったのか?」
「ううん。椿君の所に来たんだけど…たいちゃんと浮気してたので僕も浮気がてらここに来ました」
「は?」
「まぁそれは冗談だけど。ネット環境整えるの手伝ってるみたいだから、邪魔かなと思って」

 それで俺の所に暇を潰しにきたわけか。 
 ていうか、まこが先生の所に来たってことは…。

「…仲直りしたのか?」

 聞くと、俺の隣に腰を下ろしたまこはニコリと笑った。つまり、イエスということだろう。
 まこと話をしたのは1週間くらい前だけど…まだしばらく許す気がないような雰囲気だったのに、どういう心境の変化だろうか。

「かっちゃんの胸キュン台詞を聞いて愛されたい欲求が我慢できなくなっちゃった」
「……何それ」
「ま、僕は今でもかっちゃんに抱かれたいけどね」
「まこ、欲求不満なのか?」
「たいちゃん程に満足はさせられないかもしれませんが、いかがでしょうか」

 そう両手を広げる姿がまた可愛らしい。
 俺の性欲が年中無休のせいで…仮にそうじゃなくても大晟はこんなこと絶対にしないだろうからな。これを本気でやってもらえる先生がちょっとだけ羨ましい。

「本気で言ってる?」
「まさか、冗談だよ。まぁでも一肌は恋しいかな」
「……それなら俺はダメだな。一肌って体温じゃねーから」
「あら。そんなこと言わないの」
「あ、おい…うわっ」

 顔をしかめたまこが、俺の口から煙草を奪い取って灰皿に押し付けた。普段から先生相手にやってるのか、妙に小慣れた手つきだった。
 そして、その手がそのまま俺を捕まえる。大晟とは違う体温と違う誰かの体が密着するのは…随分と久々だった。

「はい、ぎゅーして」
「……まこ、ちっちゃい」
「なんですと!」

 大晟には抱きすくめられてばかりだから、自分よりちっちゃいまこを抱き締めるのも悪くない。
 ……悪くないけど、でもだからこそ思う。きっとすぐ、大晟が恋しくなるに違いないって。


「何してんだお前ら」

 入り口から声がする。
 視線を向けると、訝しげな顔をした大晟が立っていた。

「あ、たいちゃんに浮気現場見られた」
「大晟だけじゃないぞ」
「げ」

 大晟を見つけた時の無邪気な声とは裏腹に、先生を見たまこは低い声を出して顔をしかめる。
 同じくらい顔をしかめていた先生は、無言で部屋に入ってきてすぐさま俺とまこを引き剥がす。ベリッと音が出そうな勢いだった。

「何よー。椿くんが僕と遊んでくれないからでしょー」
「だからって何でよりによってコイツなんだよ。お家で猫でも抱えてなさい」
「僕今、かっちゃんのこと大好きシーズンなのー。抱かれたいのー」
「……お前、まこちゃんに何した」

 こわっ。
 ほら、だから言ったじゃん!
 殺されるからって!

「何もしてねーよ!まこ、変なこと言うなって!」

 他人事だからって楽しそうにしてんじゃねーぞ。
 本当に殺されたらどうすんだ。

「だって本当だもーん。…そう言えば、たいちゃんは聞いた?かっちゃんの胸キュン台詞」
「は?」
「まだ言ってないの?」
「……言ってない」

 ていうか、あんま言う気もない。

「じゃあ僕のどくせーん。残念だねぇたいちゃん、妬いちゃう?」

 まこはそう言って当て付けのように俺に抱き付いてケラケラ笑った。
 楽しそうなのは何よりだけど…大晟がそんなこと気にするはずもない。先生には効果絶大なのが一目瞭然だけど。本当に殺されそうでガクブルもんだけど。

「没収!」
「わー。誘拐されるー」
「しばらく要とは接近禁止!お前、まこちゃんに近寄ったらぶっ殺すからな!」
「えぇー…」
「2人とも、ばいばーい」

 先生にひっかかえれたまこは、そのまま文字通り誘拐されて行った。バタンッと音を立てて扉が閉まる時に垣間見えた、その楽しそうな顔ときたら…正に小悪魔だった。
 ていうか、完全に俺とばっちりだよな?そりゃあ、欲求不満のまこちゃんはこれから楽しいだろうけど…俺はただ先生に殺されるリスク背負っただけじゃね?

「……おい」
「何?」

 扉から大晟に視線を移す。
 もう口にアメ咥えてんのも見慣れてきたけど…何でそんな不機嫌そうな顔で俺を見下ろしてらっしゃるの?
 ちゃんと窓も扉も開けていい子にしてた…って、だから俺は忠実な犬か!…いや、取り敢えず今はそれはいい。

「真に何言ったんだ」
「……大したことじゃねーよ」

 あ、凄い顔しかめてる。
 よく分かんねーけど、めっちゃ気にくわないって顔してる。

「別にいいけどよ」

 大晟は気にくわないって顔のままそう言うと、ベッドの上に腰を下ろした。
 いつものように小説を広げる仕草が雑だ。俺が漫画とか雑に扱うと怒るくせに…何がそんなに気に食わなかったんだよ。

「……今日はちゃんと窓も扉も開けてたろ」
「ああ?」

 あ、すげぇ機嫌悪い。

「何でそんな不機嫌なんだよ」
「不機嫌じゃねぇよ」

 そんなの絶対に嘘だ。

 大晟が不機嫌なことなんて初めてじゃない。むしろしょっちゅうだけど…つーか毎日だけど。
 でもなんか、今日のはいつもと違って…原因がハッキリしないからか?…なんか分かんねーけど。すごく、気になる。

 気になって…なんか。すごく。
 不安になる。

 ……何だ俺は。
 ご主人様に冷たくされて寂しい犬じゃねーんだぞ。
 ああ、そうだ。俺はウサギ……ウサギってのもどうなんだ……もういい、ウサギでいい。俺はウサギであって、決して犬なんかじゃありませんとも。
 ウサギは万年発情期で、それで。

「大晟」

 ウサギは…、

 寂しかったら、死ぬんだぞ。


「……悪かったよ」
「え?」

 名前を読んでこっちを見た大晟は、何を思ったのか小説を置いて溜め息を吐いた。
 …ていうか今、謝られた?大晟が俺に謝った?

「八つ当たり…じゃねぇけど。確かに苛々してた事実が、一番苛々する」
「……ちょっと何言ってるか分かんない」
「だろうな」

 そう言って大晟は、俺に向かって両手を広げた。
 さっき、まこが俺にしたみたいに。

「なに…」
「ほらうさちゃん、こっちおいで」

 ………ちょっと期待して損した。
 すぐそうやって人を馬鹿にするんだからな。まぁ、もう不機嫌じゃねーみたいだからいいけど。

「そして行くけど!」

 そしてそのまま押し倒しちゃうけど。

「お前は本当に万年発情期だな」

 押し倒した先の大晟はそう言って俺の頬を軽くつねった。もっと怒られるかと思ったけど…意外とそうでもない。
 もしかしたら、いつものこと過ぎていい加減もう諦めてるのかもしれない。大晟の言葉通り、俺は万年発情期だからな。

「…俺の性欲ってさ、限界あると思う?」

 そもそも俺がいつだって欲求不満なのは、もう限界ってほどヤったことがないから。ヤり続けたことがないからだよな。
 それは俺に限界がないからなのか。それとも、限界って思うまでヤったことがないだけなのか。 

「知らねぇよ」
「……試してみる?」
「ふざけんな。誰が試すか」
「……いや、今度の休みに試してみよう」

 これはもう試さずにはいられないだろ。
 今週の休みの予定決まり。

「てめぇは全く人の話を聞かねぇな。俺を殺す気か」
「殺さないけど試すの」

 何時間も道具に喘ぎっぱなしだったのが俺に変わるだけなんだから、死んだりしないっての。…って考えると、やっぱり俺って何時間も遊んでても、自分で相手にしてるのってそう長い時間じゃねーんだよな。
 ……なんだか超やる気が出てきたぞ。

「楽しそうな顔してんな。絶対試さねぇからな」
「いたっ…もー、うるさい」
「っ…」

 人の頭叩いて文句ばっかり言う口を塞いで、これ以上もう反論は聞きません。本番は今週末だけど、取り敢えず今はいつも通り一時的な欲求不満解消の相手をしてもらいます。
 ………そう言えば、なんか大事なこと忘れてる気がするけど。何だったっけ。
 まぁ、いいか。





それは、もうきっと
(忘れてしまう程に、大きなことじゃないんだろう)


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