47 本当に欲しいものは。
手に入れても、まだ欲しいと思う。
だから、欲には終わりがない。
Side Taisei 馬鹿に付ける薬はない。
この言葉ほど、よく出来た言葉はない…と、俺は今染々と実感している。
「っ…あ、んんっ…」
実感してはいるが、それについて深く考える程の余裕はない。
要の指が俺の中で動き回る。的確に気持ちいい所を捉え擦り、高まってくるとわざとその動きを緩める。突き詰められない快楽のせいで頭が煮えきらず、いつものように快楽だけに身を投じれずにいる。
そうという、訳ではない。
「あんなに拒んでたくせに、随分と気持ち良さそうだな」
誰のために拒んで…いやまぁ、俺の為というのも十分にあるけど。俺の為でもあんだぞ。
そんなことを頭の片隅で考えている折、ニヤけた顔が俺を見下ろした。
「んんっ…あ、ぁあ…」
感度の高い場所を再び指で擦りながら、その顔が近寄ってくる。
俺の耳元に、生暖かい息が掛かった。ゾクゾクと、快楽信号の予兆が背筋を駆け抜ける。
「なぁ、大晟?」
耳元で、それは。
ダメだ。
「ん…ふッ――ああ…っ!」
声が耳に届いた瞬間。
快楽信号が一直線に繋がり、そして突き抜ける。
「……どうやったら声だけでイくように調教なんて出来んだよ」
「……」
「あ、ごめん。何でもない」
ボソッと呟いた要を見上げると、視線のぶつかった瞬間に後ろめたさの滲んだ表情になった。
今のは多分、俺の前で不用意にあの7日間を思わせるようなことを口にしたことへの謝罪だ。馬鹿のくせに、変に気なんて遣いやがって。
つーか、勘違いしてんじゃねぇ。
「……違う」
「え?」
要が首を傾げる。
イッたばっかで腰が抜けてなきゃ、思いきりその顔面を蹴り飛ばしたい気分だ。
「…確かに散々色々仕込まれたけど、声でイッことなんてねぇよ」
誰があんな。
気持ち悪い連中の声でイくか。思い出すだけで反吐が出そうだ。
そんなこと絶対に有り得ない…というこの思い、そして実際にそうだという事実。これが今……俺が、快楽に身を投じれず理性と意識を持って色々と考えている理由でもある。
本当なら、もうとっくに諦めてその気になってるはずなのに。
「んなことねぇだろ。墜ちてる間に仕込まれたんじゃねーの?」
「墜ちてねぇから有り得ねぇ」
耐えきれない快楽に、何度も気を失った。そしてその度に新たな快楽に叩き起こされ、無限ループのように快楽を与えられていた。
しかし、一度だって理性を飛ばしてはいない。あの連中の前で一言も喋らず、7日間をすごしたがその証拠だ…まぁ、こいつはそんなこと知らねぇんだろうけど。
「……墜ちてないって…嘘だろ?」
「嘘じゃねぇよ。…もうやめるんなら手錠外せ」
「いや、やめねぇけど」
「っ…」
完全に止まっていた指が再び動き出す。
一度イッたいせいでさっきよりも感度が上がってしまった。少し動いただけで、ビリビリと電流のような刺激が体を駆け抜けた。
「……本当に俺専用になったってこと?」
何が一番の問題かって。
冗談じゃなくて本気でそうかもしれない現実が、今目の前にあることだ。
正直、あの7日間はそれで乗りきったと言っても他言じゃない。俺はこいつの専用なんだと思い込むことで快楽に溺れそうな自分を奮い立たせて、7日間を乗りきったと…そう思ってた。
帰ってきて、最初にこいつとヤるまでは。
「あ、っ…ぁっ」
早々に無理矢理ねじ込まれた時、痺れる程の快楽を感じた。墜ちるのかと聞かれ、悪態を吐きつつも多分すぐにそうなるんだろうなと他人事のように思っていた。
けど、そうじゃなかった。
今と同じように。
突き抜けそうな快楽が頭にあるのに。
意識は妙にハッキリしていて、しっかりと理性もある。
そして感じている。気持ちいい、と。
「大晟」
また、耳元で。
「ぁあっ…、――っ」
快楽値としては大したことないはずなのに、頭がおかしくなりそうだ。足先から頭の先まで、言葉にならない感覚が駆け抜けていく。
目の前でニヤリと笑う要が、俺の頬を撫でる。ひんやり冷たい手のひらが、心地いい。
要がよく言う。溶けそうだ…と――本当に、溶けてしまいそうだ。
「…その顔が堪んねぇんだよ、な」
「――ふ、あっ!」
ぐずぐずになった所に、圧迫感が押し寄せる。ゆっくりと進むその動きとは裏腹に、一瞬で激動のような感覚が突き抜ける。
今度は確かな快楽が、頭の中を揺さぶる。
いつものようにその海に溺れてしまいたいのに。それ以外のことを何も考えず、その快楽に身を投げ沈んでしまいたいのに。
「すっげぇ締め付け」
それが出来ない。
「あ、あっ…ああ…っ」
それなのに、歯止めが効かない。
「吸い付いてくるみてー」
「あ、あっ…ん、ぁっ、は、ぁあっ」
抉るように突かれると、その度に電流が流れたような衝撃を感じる。多分、突かれる度に軽くイッてるんだと思う。
墜ちることなく快楽を受け止めていると、そういうことまで分かってしまう。ただ快楽だけを求めるのではく、その先にある自分の趣向が見える。
「かなめ…」
例えば。
こんな時に無性に要の冷たい肌が恋しくなるのは、登り詰める快楽と同時に自分の体温が上がっていることを実感しているからだ。
でも、手錠があってその首に腕が伸ばせない。だから名前を呼ぶ。最近の要は、俺が欲しいものを察してその身を寄せてくる。
「毎日言ってっけど、変な感性」
抱き寄せられ、その冷たさを感じると激動のような快楽を感じつつも妙に落ち着く。変な奴扱いされることに不満はあるが、耳元で息遣いを感じるのが心地いい。
体の中に渦巻く快楽とは別の気持ちよさが、全身を覆っていく。そして登り詰めても登り詰めても、先が見えない。
「は、ぁっぅああっ…」
俺が先にイかないように、わざと動きを緩めゆっくりと動く。それでもギリギリを責めてくるから、頭の中をかき回されるみたいな快楽の波が止まらない。
けどそれは、まだ一番上じゃない。そしてその一番上を知っていると、この快楽の先にあるそれが欲しくなる。
「物足りなさそうだな?」
「あっ…」
「イくなよ」
「んんっ!」
ゾクゾクとした感覚が背中を駆け抜けた瞬間、俺のものを要が掴みすぐそこまで来ていた絶頂が阻止された。
出したいのに、出せない。もどかしさと快楽が停滞する。体の熱が増すばかりで、行き先がない。
「ちゃんと言わないとイかせねーぞ」
例えば。
楽しそうに俺を見下ろす紫色の目が揺れる度にグラデーションのように少しだけ色を変えて、とても綺麗に見える。俺が要の紫色を嫌いじゃない…と、思うのは、きっと、無意識にこういう所を見ているからなんだろうなと思う。
同じように、狭い窓から入り込む月明かりに照らされた金色の髪も透き通ったように見えてどこか幻想的だ。全身を揺さぶられ快楽に悶えている俺には、頬に触れる髪のくすぐったさまで快楽を助長するものになる。
そういう所を無意識に感じて、いつも俺は頭で考えずに感じているんだろう。紛れもなく、こいつに抱かれていることを。
「…欲し、い」
結局、いつもと同じだ。
墜ちていなくても同じだと痛感させられるのは、少しだけ癪だった。
「何が?」
「……ぜ、んぶ」
「全部?」
その髪も、目も、体温も。
どこまでいっても終わりの見えない快楽も。
「…要の、全部が…欲しい」
もう既に、全部俺のもんだけど。
それでも、もっと欲しい。欲しくて欲しくて堪らない。
「欲張りだな」
「ぁ、んっ…んぅ」
冷たい唇が触れる。熱い舌が絡まる。
要とのキスは、他の何よりも俺を虜にする。要の舌が俺の舌裏を撫でる。ザラザラとした感触がゾクゾクと背筋を駆け抜けるのが気持ちいい。歯列をなぞった舌が奥深くに捩じ込まれるのが、少し苦しくも気持ちいい。頭の芯まで、気持ちよさで埋め尽くされる。
多分俺は、キスがどうしようもなく好きなんだと思う。
こんなにも快楽を助長するものなのに、どうしてこれまで誰にもされなかったのか不思議なくらいだ。
「次はキスでイくのか?」
口から唾液が糸を引く。
それを舌で舐めとる要の姿に胸が高鳴ったことが、また癪だった。これまでは押し寄せる快楽を受け止めることに必死で、要の細かい表情なんて気にしてなかったからだ。
「いいから…はや、く」
「っ…」
自由にならない両腕の代わりに要の腰を挟むように両足を巻き付けると、目の前の表情が少しだけひきつった。
その顔に触れるだけのキスをする。
「は、や――ぁあっ」
ぐっと、内壁を抉られるような衝撃に体が跳ねる。ビリビリと電流のような快楽が頭を突き抜ける。
欲しかったものが、すぐそこにある。
「煽ってんじゃ、ねーよっ」
「ああッ!…ぁ、んあぁっ」
ずちゅずちゅと厭らしい音を立てて、要のものが俺の中を掻き回す。奧を突かれると、その度に絶頂を迎えたような快感が頭を全身を抜ける。
何度も、何度も何度も繰り返す。
頭がおかしくなりそうだ。それなのに、歯止めが効かない。もっと欲しくて、仕方がない。
「大晟、締めすぎ」
「ぁ、あっ…かなっ…ぁ、ああっ…きす、し…」
「っ…仕方ねーな」
「んっ、んんぅ…っ」
再び唇を重ねられると同時に、ガチャンと両腕が自由になった。すぐに首に腕を回し、冷たい体温を引き寄せる。
気持ちいい。体の全てが要で満たされることが、これ以上ないほどに気持ちいい。
「そのままぶっ飛んじまえ」
「んっ、ふぁっ…ぁああッ――っ」
それなのに、まだ足りない。
こんなに与えられているのに、こんなにも満たされているのに。それでもまだ足りない。
今だかつて、こんなに気持ちになったことなんてない。
**
「喧嘩売ってんのお前?」
俺とほぼ同じ速度でPCを叩く椿が、思いきり顔をしかめた。1年以上箱の中で動かずにいたことが信じられない程に、その動きは俺が知っていた頃とまるで変わらない。
「何が?」
「何が、何が?だか。戻ってこの方、今だ口も聞いてもらえねぇ俺に惚気って…喧嘩売ってる以外にねぇでしょうが」
「それに関しては様見ろとしか言いようがねぇな」
椿はそう言うとキーボードを叩いていた手を止めて、あろうことかポケットから煙草を取り出した。そしてすぐに、火をが灯り煙が上る。
こいつ、今が労働中だって分かってんのか…と言いたいところだが、看守は何も言ってこない。これがハートのAの力…と言うよりは、冤罪で一年以上ぶちこんでたという後ろめたさが何も言えなくしている方が大きい。と椿は言っていた。
「……よりにもよって要と同じ銘柄かよ」
甘ったるい臭いが鼻につく。
いつも、部屋に漂っている臭いだ。
「そりゃそうだろ。俺が教えた銘柄だしな」
「お前な…未成年に煙草なんて与えてんじゃねぇよ。しかもこんなクソみてぇなやつをよ」
「あいつがこれの前に吸ってたやつは腐った畑みてぇな臭いがするやつだったんだぞ?むしろ感謝して欲しいくらいだね」
椿はそう言って煙を吐いた。
甘ったるい臭いが、充満する。
あいつの臭いだ。
「あー、キスしてぇ」
あの甘ったるい唇に、無性にキスがしたくなる。
……何だ俺は、末期か。或いはいよいよそれを越えて、踏み込んではならない境地に足を踏み入れたか?
「これでも舐めてろ」
手渡された棒付きキャンディには「いちごみるく」と記されていた。
また高価なものを当たり前のように出してきやがる。まぁもう別に驚かねぇけど。
「何でこんなもん持ってんだよ」
うめぇし。
これが昔は30円で売られてたってんだから、食の黄金時代だな。
「煙草が無くなった時の予備。看守室からくすねた」
「やってることが要とほぼ同じって、そりゃどうなんだお前」
「バーカ。俺が要に教えたんだよ」
「ろくな大人じゃねぇな…」
煙草にしてもそうだが、普通は止めるもんだからな。
大体、こいつが「先生」って時点で色々と終わってんだよな。見るからにこういう大人にだけはなっちゃダメですよの典型だってのに。それが先生って。
「そんなろくでもない大人に育てられたろくでもない子に、手も足も出ねぇお前は何だって言うんですかね?ん?」
「別に手も足も出ねぇわけじゃねぇよ」
あのバカはとことんまでに墓穴を掘るからな。人が敢えて詮索しなかったのに、USBとか口走るし。俺の見つけられないところに隠せって言ったのに、すぐに場所バラすし。
今から龍遠の所に行って何かと物々交換でもすれば、すぐに手に入るに違いない。まぁ、そんなことしねぇけど。
「知ってるよ。だから俺はどうしてお前が最初から何もしなかったのか、割と真面目に不思議。大体、監視カメラに気付かねぇってのも信じらんねぇし」
「…面倒事からようやく解放されて気が抜けてたんだよ。自分でも驚くことにこれはマジだ」
きっと、外にいた時の同じくらい気を張ったままだったら、すぐに気付いて捩じ伏せてたに違いない。あの怪力だって透明人間だって、やりようによってはどうとでもなっただろう。
ただ、あの時は。……またか、と思って。
俺は結局、誰かに虐げられる運命から逃れられないんだろうなと、どこか諦めのようなものを感じていたことは覚えている。
まぁ要の場合、3日も経たないうちにそうでもねぇなと思ったけど。
だから多分、逃げようと思えば機会はいくらでもあった。でも、どうせ逃げたところでまた誰かに虐げられるのなら、バカの相手をしていた方が楽だと…そう思ったのかもしれない。
「お前、相当疲れてたのね」
「どうだろうな」
でも…多分、その通りなんだろうな。
国を潰した辺りから、もう何もかもどうでもよくなっていたことは確かだ。或いは、もっとずっと前から、自分の人生なんてどうでもよくなっていたのかもしれない。
「まぁ、経緯はどうあれ今は抱かれたくて抱かれてんなら、俺の罪悪感も多少は薄れるってもんだ」
「は?」
「だから、薄汚れたおっさん達に抱かれてそのことに気付いたんだろ…いや、気付いてねぇからこうなってんのか。つまり、それを今から気付くわけだけどもね」
椿はそう言って煙草を持った手を俺に突きつけた。甘ったるい臭いがダイレクトに鼻にくる。口の中で甘い味が広がっているせいで、余計にいつもの甘ったるいキスを思い出した。
何だこれ、逆効果じゃねぇか。余計にキスがしたくなる。
「…きすしてぇ」
「中毒かお前は。人の話を聞け」
「だったらその煙草をどうにかしろ」
俺の言葉に椿は顔をしかめたが、まだ半分以上残ってたものを地面に投げ捨てて踏み潰した。ジャリッと音を立てて、煙が消える。手で残った煙を払うと、微かに残っていた甘ったるい臭いも消えた。
自分でどうにかしろと言っておいてどこか物足りなさを感じる辺り、俺も本当にヤバイと思わずにいられない。
「お前、これまで自分から誰かに抱かれたいと思って抱かれたことねぇだろ?」
「……まぁ」
「じゃあ、ある意味で初体験だな」
そんなおめでとうみたいな顔されても。
抱かれたくて抱かれるって、そんなこと言われても。
何か、ピンとこねぇけど。
「……だから、物足りねぇって?」
「じゃねぇの?俺はそっちの立場じゃねぇから、断言は出来ませんけどね。俺はまこちゃんをどれだけ抱いて満足しても物足りないし…こんなもんは底無し沼だ」
「底無し沼なぁ…」
その言葉は、何となくしっくりときた。
どれだけ上り詰めても先が見えない程のあの感覚は、確かに上っているのに底無しの沼に沈んでいるようだった。
「お前、自分が思ってるよりも要に入れ込んでんぞ」
「……ふぅん」
椿のその言葉に何ら否定する気にならなかったことで、俺はいよいよ実感せざるを得なくなってきた。
分かってはいたが。椿の言う通り、自分が思っているよりも大分と重症だということに。
**
部屋の扉を開けると、あの甘ったるいが漂ってきた。本当は安静にしていないといけないのに、専売特許の性欲のせいで傷口が開いて今日も労働を休んでいた要がこちらに顔を向ける。テレビゲームをしていたらしいその口には、例によって煙草が咥えられていた。
俺が馬鹿に付ける薬がないと染々思っていたのはそのせいだが…そんなこと、今更言っても仕方がない。こいつの馬鹿はどんな万能薬でも治らない。
「大晟、何咥えてんの?」
「飴。椿に貰った」
ソファに腰をおろすと、甘ったるい臭いが強くなる。
「何で先生がうちの地区にいんの?」
「ああ、お前知らねぇのか。あいつ今、龍遠の2コ隣の部屋だぞ」
「え、まじ?」
「どの地区も受け入れ渋って、ここの看守長がじゃんけんで負けた」
「何それ。超ウケる」
まぁ、気持ちは分からんでもない。
もし俺が看守長だとしても、あんなトラブルメーカーに自分の地区になんていて欲しくない。例えどんなに仕事が出来る人間だとしても、絶対にいらない。
「んで、今日は労働場所が一緒だった」
「ふぅん」
不満そうだな。
自分では分かってねぇんだろうけど。
……んなことはどうでもいい。
「お前、それ」
「あ、消す。消すから」
またいつものように殴られると思ったのか。要は少し焦った様子で、ゲームのコントローラーを置いて煙草を手に取った。
甘い臭いの煙が顔の前を掠める。
だめだ。我慢できない。
「いや、いい」
「え?」
「いいから」
「っ!」
少し驚いた表情の要に一瞬で距離を詰め、唇を押し当てる。
甘ったるい臭い。冷たい唇。
熱い舌。
ずっと欲しかったものが、そこにある。
本当に気付いてしまった。
それは椿の言うように、あの7日間でこいつ以外の誰かに抱き潰されたからなのか。もしくは、今は傷のせいで抑え気味なこいつの性欲が、自分の貧欲さよりも上だから気付かなかっただけかもしれない。
ぶっちゃけ理由なんてどうでもいいが。
気付いてしまったからには…もう、どうしようもない。
満たされる(それなのに、全然足りない)
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