44 人間は、脆く儚く。そして時に強靭だ。
その強さは一体どこから来るのか。
その真意は分からない。
ただ、強く有り続けられる時に。
心の奥には必ず、自分ではない誰かがいる。
Side Taisei 記憶とは。
人間の記憶とは。
実に良く出来た機能だと思う。
もう何年も前の出来事を、すっかり忘れていたはずのことも。忘れようと必死になり、どうにか頭の奥底に追いやったことさえも。
驚くほど鮮明に思い出される。
あの顔も。あの顔も。
誰に何をされているのかなんて、遥か昔に分からなくなっていたはずなのに。ただ息をする人形のように、されるがままに従っていたはずだったのに。
同じ状況に立たされると、ひしひしと記憶が甦ってくる。
「君はいくつになっても本当に美人だねぇ」
知っている。
この声も。その顔も。あの顔も。
全部知っている。
お前たちが俺に何をしていたのかも。
全部、覚えている。
「本当に美人だ」
そう言いながら、この男はいつも俺の顔に射精していた。びちゃっと、顔にかかる白い液体が気持ち悪かったのを…今の今まで、忘れていたのに。
それを満足そうな顔で撮影して、自分の指で掬い取って俺の口にねじ込むまでが一定の流れだ。
「ほら、舐めて」
「―――…っ」
汚い指が口の中に押し込まれ、いつも精液の不味い味と口の中をかき回す指の不快感に吐きそうになる。
しかしそれを吐き出すことは許されず、俺はそれを無理矢理にでも胃に流し込むしかない。
「ああ、いい表情だねぇ」
カシャカシャと写真を撮る男は、直接俺に手出ししてくることは殆どない。ただ、色々な道具を持ってきて、その道具を他の連中に使わせる。
エネマグラも尿道バイブも、その他の名前すら分からない大量の道具の殆どがこの男の持ってきたものだったことも…ずっと忘れているはずだった。
「しかし…神経連動式が使えないのが実に残念だ」
「仕方ない。無理矢理この首輪を外して死なれたら元も子もないですからね」
チリンと俺の首から鈴の音が鳴った。
頭の奥に、あのムカつくエロウサギの顔が霞んだ気がした。
独房3日目。
俺はまだどうにか、正気を失ってはいない。
……絶対に失う訳にはいかない。
「しかし、牢屋の中だというのにどこでこんなもの付けてもらったんだい?」
「………」
「…まだ何も答えてくれないんだね」
「っ――ああっ!」
「可愛い喘ぎ声は出るのに」
尿道バイブを一気に引き抜かれ思わず漏れた声に、それを見て嬉しそうに俺の頬を撫でる男の仕草に、言い知れぬ苛立ちを感じた。
変な器具で口を開かれた状態のままでは、こいつらの汚いものを噛み千切るどころか唇を噛んで声を抑えることも出来ない。
「…反抗的な目だね。あの頃にはなかった……とっても可愛いよ」
「あ、――はっ…ああっ」
再び尿道バイブを入れられ、その動きと同じ動きで後ろに入っている男の腰も動く。大した大きさでもないくせに、前からと後ろからの刺激が津波のような快楽となって脳に伝わってくる。
薬の注射器が何本も床に転がっているのが、目が霞んでいるせいであればいいと思う。しかし、押し寄せる快楽の波がそうではないことを痛感させる。
「たくさん出してあげるかね。いっぱいご飯食べようね」
「あ、あっ…ぁあ―――んんっ!」
後ろに入ってものがずっと引き抜かれ、次の瞬間には喉の奥に凄まじい圧迫感が押し寄せた。
嗚咽を漏らす間もなく、喉から胃に向かって男の欲が容赦なく流れ込んでくる。どくどくと食道を通っていく感覚が、とてつもなく気持ち悪い。
「全部飲んだね。偉いねぇ」
「…はっ…はぁ、はぁ…っ」
「でもまだまだあるからね」
「はっ……んんっ…」
この3日、これ以外の食事は与えられていない。
毎日入れ替わり立ち代わりやって来る連中が、一体どこからどういう経緯でここに入ることが出来るのかは知らないし興味もない。
ただ分かることは、その誰もがかつて俺が家の地下に監禁されていた時に来ていた連中たちばかりだということだ。
年を重ねていること以外に何の成長もしてない連中は、性癖が変わることもなければ、やることもかつてと何ら代わりはない。
自分達の手で喘ぎ狂う俺を見て楽しみ、その性欲を満たし、吐き出された欲だけで生きている哀れな家畜のような俺を蔑む。
そうすることで、人間を飼っている気分になっている。自分達が人間よりも上の存在だと思い込み、優越感に浸っている。
「じゃあ次は前と後で…」
顎を持ち上げられたところで、どこからともなくアラーム音が響き渡った。十数時間に渡る、長い長い食事の時間が終わったことを知らせるものだ。
この音が鳴ると、どれだけ中途半端な状態であっても男たちは手を止める。そして使用された数々の道具も綺麗に片付けられ、最初に入ってきた状態になった部屋から立ち去って行く。
そして、地獄の扉が開く。
「ただいま、大晟」
耳障りな声と共に、バシャッと体に氷水が打ち付けられた。少し滑りを感じるのは、その中に液体洗剤が混ざっているからだ。
何も変わらない男たちと同様に、この男もあの頃と何ら変わってはいない。
「今日は何人にご飯を恵んでもらったんだ?」
細い指が伸びてきて、俺の体を撫で回す。
ぬるぬるとした感覚が気持ち悪い。冷たくなった肌を通っていく体温が、堪らなく気持ち悪い。
ここに来るどんな汚ならしい男たちよりも、気持ち悪くて仕方がない。
そんなことばかりが頭を過る。
かつては素直に答えていたその問いには、決して答えない。
「答えない口は必要ないな」
ひゅっと風を切るような音が聞こえ、喉から鮮血が吹き出すのが目に入った。
脳に痛みの信号が伝達される。焼けるような感覚が、喉から全身に向かう。
「―――…」
喉を引き裂かれたせいで声は出ない。
気を失ってしまえればいいのに、それは出来ない。俺にとっては、まだそこまでの痛みではないからだ。
だらだらと滴る血は、再び打ち付けられた氷水によってあっという間に流された。それでもまだ流れ続けるが、汚れた男たちの体液さえ綺麗にしてしまえば後はどうでもいいのだろう。
どうせまた、血塗れになるのだから。
「看守室に隣接しているこの部屋が、どういう用途で作られたか知っているか?」
問いかけのように聞こえるが、喉を引き裂かれた俺がそれに答えることは不可能だ。無論、答えられたとしても絶対に答えはしない。
俺はこの男とは――ここに来る誰とも、一切の会話をしないと最初から決めている。
その時になるまでは。
「独房に入れる囚人の中でも、看守が気に入らなかった……むしろ気に入ったと言った方がいいかな?…つまり選ばれた囚人だけがここに入ることが出来たそうだ」
「ッ――ー!!!」
肩に激痛が走る。
突き刺されて肩の細胞が破壊される痛みと、突き刺さったものの冷たさが皮膚やその他の細胞を壊死させることで発生する痛み。
思わず声を上げてしまうが、それが声になることはない。そうすることで動こうとしたと空気が、筋肉が喉の痛みを加速させる。
「選ばれた囚人は独房期間の間ずっと看守に監視され…そして、遊び道具とされる」
「………ぁ、ッ!!」
反対側の肩を同じように突き刺された時に少し声が出たことで、先程切り裂かれた喉がもう再生しかけていることを知った。
出来ることなら、このままずっと声が出ないままいられた方がよかったが。俺がどんなに拒んでも、体は勝手に再生されていく。
「殺さない限りはどんな拷問でも黙認されていたそうだ。古い時代とは恐ろしいものだな」
何が古い時代だ。
この現代に、同じ場所で、同じことが起きている。時代は進むだけで何も学ばず、そして何も変わっていない。
今この場所に俺がいて、この男がいることがその証拠だ。
「さて…大晟、もう一度聞こうか。今日は何人にご飯を恵んでもらった?」
お前がその問いの答えを聞くことはない。
永遠に。
「…気に入らないな」
ひゅっと風が耳元を掠め、ほぼ再生しかけた喉が再び引き裂かれた。
頭上に形成されたいくつもの氷の刃が俺に矛先を向けたのも、ほぼ同時だった。
「ツッ―――!!!」
痛い。
痛い、痛い。
痛い痛い、痛い。
それでも。
俺はもう決して屈しない。
「そんなに思い出させて欲しいのか」
突き刺さった氷が煙のようなものを立ち上らせている。突き破られた皮膚から伝わる冷気で、体の芯まで凍りついてしまいそうだ。
しかし、そんなことお構いなしに二度目の氷がもう頭上に出来上がっていた。だらだらと流れる血の通り道、まだ残っている皮膚に向かって一直線に突き刺さる。
「痛みと、苦しみと、絶望を」
痛みに。
耐えられないほどの痛み。
意識が遠退く。
しかし、意識が途切れることはない。
また新たな痛みによって、意識が奮い起こされるからだ。
痛みと、苦しみと、絶望。
確かにあの時は感じていた。
それだけしかなかった。他には何もなかった。
確かに。
気が狂いそうなほどの痛みと苦しみは、今も感じている。
だが、絶望はしていない。
だからこそ、何があっても。
決して屈することはない。
**
最初に7日と聞いた時には、正直ヤバイかもしれないと思った。
今よりもっと幼い頃に4年間耐えたのだから、それに比べればたったの7日くらいと思えるものだが。そう簡単な話じゃない。
もう何年も経ち、そのことを忘れようと必死になり、それでも忘れられない程の恐怖があった。忘れられず、それでも触れないようにずっと逃げてきたものだった。
自分で決めたことではあるが、もしかしたら今度こそ壊れてしまうかもしれないと…言い知れぬ不安があった。
要に言った言葉は嘘じゃない。
俺は大丈夫だと、そう確信したのは…あいつが突拍子もなくあんなことを言ったからだ。
最初から約束を破る気はなかった。
恐怖より怒りの方が勝っていた時点で、俺はもう屈することはないと確信していた。その気持ちに嘘はない。
けれど心のどこかで、もしかしたらダメかもしれないと不安があったんだと思う。
あいつが唐突に言ったあの言葉は。
それを完全に吹き飛ばした。
「人間は脆そうに見えて、意外とタフだからそこがいいんだ」
「それとも、正気でいられるのは君だからかな?」
人体から流れる血を美味しいと宣う男たちと、その様子を他人事のように眺めている俺と。
正気の沙汰じゃないのはどちらだろうか。
今日は機嫌が悪かったのか良かったのか。いつもは労働から帰ってくるまでは何もしないあの男が、朝から30分も時間を費やして俺を八つ裂きにし満足そうに笑みを浮かべながら労働に向かって数分。
傷が治らないうちにやってきた男たちは、俺の姿を見るなり歓喜の声を上げて一度部屋を去り、ワイングラスを手に戻って来た。
「5日間ろくに寝てもいなくてそろそろ辛いだろう?可哀想に」
「そう言うなら休ませてあげればいいじゃないか」
「いやぁ、それとこれとはまた別の問題ですよ。大晟君も楽しみたいだろうし、ねぇ?」
何も答えやしない。
他人事のように会話を聞きながら、他人事のようにその場を過ごすだけだ。
何も聞こえず、何も感じず、たた時間過ごす…という訳にはいかないが。何を聞いても、何を思っても、決して何も言わない。
「まだダメかぁ」
「まぁ、おじさんたちは君の喘ぎ声さえ聞ければいいからね。はい、あーんして」
「っ…は、ぁあっ」
無理やり口を開かされ、その状態で固定される。同時に後ろのバイブを引き抜かれると、開いた口から漏れる声は抑えられない。
今日は血塗れの状態で何本も注射されたから、薬も少しは血と一緒に流れ出てくれたかと思ったが。考えが甘かったようだ。
「気持ち良さそうだね。もう一回やろうか?」
「あっ…や、ぁ…あっ」
目を閉じても快楽が減るわけではないが、反射的に閉じてしまう。ベッドの柵に固定された手錠を無意識に引き、押し寄せる快楽の波をどうにかあしらおうともがく。
俺の意思とは関係なく、体は全て覚えている。そして、勝手に反応する。
「いいねぇ、最高だよ」
「血と一緒に流れたらいけないからね。今日は強めのを多目にしたんだ。新薬だから…きっととても気持ちいいだろうね」
年を重ねても人は変わらない。しかし、道具は進化する。
あの頃には存在しなかったものが溢れる現代では、同じ事をされているようでそうではないことも多い。
そんな中でも唯一救いだったのは、俺の首に壊れた感覚連動式の首輪が付いているせいで、神経連動式の首輪を付けられなかったということだ。まさか、このアホみたいな首輪がこんなことに役立つなんて思いもしなかった。
「じゃあ、一緒に気持ちよくなろうね」
「ふっ…は、あっ、ああ!んぅ!」
バイブを刺したまま、男のものがゆっくりと俺の中に入ってくる。圧迫され、無理矢理中を押し広げられる感覚が快楽と認識され声が上がる。
与えれらる快楽に身悶えていると、別の男のものが口に押し込められる。そして残るもう一人は、カメラを回しながら俺のものを咥え込み、更なる快楽を助長する。
何度も果て、気が狂いそうなほどの快楽を強要される。
そこに心地よさはない。
ただ、与えられる快楽に抗えないのが苦しいだけだ。
「泣いてる顔も可愛いよ」
どう思おうと勝手だが。
それはかつて、殺してくれと泣いてせがんだ時のような。全てが絶望でしかなかった、あの頃のような。
そんな、感情的な涙じゃない。
「ふっ…は、っぁ、んん…っ」
「ほら、今日も沢山食べようね…!」
「ん…んんっ、―――っ」
苦い。苦くて不味い。
十数時間ぶりの水分と、食料。
吐き出してやりたいのに、生きようとする体はそれを求める。
「もっと沢山欲しい?じゃあもっと気持ちよくして」
「はぁ…ぁっ、あ、あっああ!」
ずぷずぷと、厭らしい音が響く。
突かれる度に軽く絶頂を迎え、意識が朦朧とする。しかし、また突かれるとその快楽に意識が覚醒し、それを延々と繰り返す。それに前からの刺激も加わると、思考も疎かになっていく。
「ほら、出すよ。お口開けて」
「あ、ぁっ…んんっ…ッ!!」
喉にまた苦味が通ると同時に、上り詰めた快楽に圧され自分自身も尽き果てる。
何も考えられなくなりそうなほどの刺激が、まるで電流のように全身を流れていく。
「はぁ…はぁ……ぁっ、あ、」
痺れるような感覚が治まらないうちに、また次の快楽が訪れる。
これほどまでに、突き詰められ快楽を与えられているのに。頭の先から爪先まで、もうそれだけしかないというのに。
意識だけははっきりしていて。
溺れてしまわない。
どうしてかは知っている。
俺がもう、この男たちの「専用」ではないからだ。
**
「もう7日か、案外早いものだな」
バシャッと、もう飽き飽きするような同じ動作が繰り返される。心なしかその動作が雑に感じるのは、この時点でも未だ口を開かない俺に苛立っているからか。
もしくは、もうまもなく俺と要が独房から解放されるということに焦っているのか。
……焦っていることはないだろう。
そこはゴールではない。
スタートだと、俺は知っている。
だからきっと、俺にそれを告げることに心が逸っているのだろう。
俺がどんな反応をし、どう屈するのか。頭を垂れ、ひれ伏す姿を想像しているのだろう。
「だが、本番はこれからだ」
「ぐっあ、あああ!!!」
斧が肩をえぐる。そしてその傷に氷が突き刺さる。刀が腹部を切り裂き、氷が追い討ちをかける。
どうしても氷で終わらせないと気が済まないこの男は。文字通り自分への恐怖で相手を凍りつかせたいのだ。
「大晟、僕はお前が僕の従順な玩具であればそれでいい」
「ッ、はっ…げほっげほっ…」
一瞬首をぐっと絞められ、咳き込む。
意識しなくても体が動くことで、抉られた肩と腹部が更に痛を増す。
「だがもしお前が僕に従わないというのなら、罰を受けるのはお前ではない。あの子どもだ」
「………」
あの子ども。
それが要だということは、きっとバカな要でも理解できるだろう。
「お前はあの子どもに異様な執着を見せていたからな。あの子どものためにどれだけのことをする覚悟があるか…見せてほしいものだ」
―――執着。
そんな見え方しか出来ないのか。そんな言葉でしか表せないないのか。
そんな奴に。
俺の覚悟なんて、一生分からない。
「……要は…渡さない」
ニヤリと、嫌悪感しか抱かない笑みが俺を見下ろした。
「終わりじゃない。スタートだ」
「―――…」
肩に食い込んでいた斧が斧が引き抜かれ、ずずっ身を引きずるような音がした。表現出来ない痛みが肩から全身に広がり、思わず息が詰まる。チカチカと眩暈のような感覚に襲われるが、俺は視線を逸らさなかった。
そして、痛みに耐えるために食い縛っていた唇を開く。氷の雨が頻繁に降っているせいか、白い息が出た。
「………この世界で、あんたは常に一番を望んだ」
4年間。
毎日のように、言い聞かせられていた言葉。
あの時は確かにそうだった。
しかし、今はもう違う。
「あんたはもう絶対に一番にはなれない」
「………」
目付きが変わる。
その凍りついてしまいそうな視線に、俺はただ従うばかりだった。
今も……その事実に変わりはない。俺は決して逆らいはしない。
「あの頃の俺は、心の底からあんたに服従してた。あんたがこの世で一番だと、だから逆らうことは許されないのだと確かに思っていた」
だから絶望だった。
底知れぬ闇の中にいた。
「今俺が従うのは、あんたが一番だからじゃない」
冷たい表情が、凍りついたように固まる。苛立ちが、冷気となって表れている証拠だ。
その顔が生み出す恐怖を見たくなくて、いつも目を瞑り耐えていた。俺はその冷たい瞳を、真っ直ぐに見据えている。
「俺が服従するのは、要のためだ」
「黙れ」
「ッ……!」
喉が裂ける。
しかし、再生速度を最大限に上げて、俺は再び口を開く。
「その事実は絶対に変わらない」
「黙れ」
「また要を検体施設にぶち込むか?それとも一日中俺を拷問するか?」
「黙れと言ってるだろう」
「―――ッかは!!」
斧で腹部が突き刺され、口から大量の血が吐き出された。
そんなことをしても意味がないと、分かっているくせに。その行動が、思考よりも感情が先立っていることを物語っている。
「俺があんたに心から服従する時は、あんたから逃げ出す時だ。あの頃のように、殺してくれと懇願する時がさぞ待ち遠しいだろ」
そんな時はもう一生来ない。
何があろうとも。
「何でも好きにすればいい。俺を力で服従させても、あんたは一番にはなれない」
「黙れ!!」
「ぐっ…っ、…うぅ…」
斧が体を抉る。
再生に口を閉じている時間はない。このまま押しきる。
「俺は逃げない。例え要がお前に服従しても、俺の気持ちは変わらない。そうでないと思うなら思う存分試せばいい」
まぁ、本当に試す隙なんて与える気は更々ない。これ以上要をどうこうしようなんて、そんなことは決してさせない。
これは完全に挑発だ。
そんな俺の挑発に反応して、ピリピリと肌が凍っていく。目の前の男の感情の高ぶりが、もうすぐそこまで来ている証拠だ。
あとひと押し。
最後に、最も重要なことを教えてやろう。
「あんたは…あんな馬鹿の足元にも及ばない」
パリンッと、氷が弾けた。
「一番は僕だ」
吹雪よような風が舞う。
頭上に氷の刃が無数に現れた。
「だから消し去る」
視線が、俺を捉えて離さない。
「僕に従わない者は、僕の邪魔をするものは全て消し去る…お前はそれを、よく知っているだろう?」
激情が氷の刃を尖らせる。しかし、その刃が俺に向くことはなかった。
無数の刃がすっと消え去ったのは、その激情が収まったからではない。部屋全体が凍りつきそうな程の冷気に包まれていることが、その怒りがどんどん加速していることを示している。
「っう!!」
バキッと、氷で壁に片手を貼り付けられた。
その時初めて、拘束されていた鎖がボロボロに朽ちていたことに気がついた。鎖がガラスのように脆くなるほどの冷気の中に、この男がそれほどまで激昂しているということだ。
「僕に歯向かったことを後悔し、懺悔し、そして絶望しろ。あの子どもの首の前でな」
まるで唐突に俺に興味がなくなったかのように。くるりと向きを変え、部屋の入り口に向かう。
一体どこに向かうのかは、今の最後の一言ですぐに理解することが出来た。
「その後で、どんな手を使ってでも必ずお前を殺してやる」
そう言い残し、男は部屋から立ち去った。
凍りつきそうだった空気が、一瞬で元の空気に戻る。パリパリと固まっていた皮膚も、間もなく元に戻る。
「……さて…」
まず引き裂かれた喉と抉れた腹を再生してから、俺はすぐそこに転がっている斧を手に取った。
ここまでは全てあの男の筋書通りだ……いや、もう「筋書き通りだった」と言うべきか。
俺がここに入った時から、その筋書きはこっちのもんだった。全ては予定通りだ。
「行くか」
手にした斧を思い切り振り上げ、自分の腕に向かって勢いよく振り下ろした。
地獄に片足突っ込んでたのははたしてどっちか。きっちり教えてやろうじゃねぇか。
立ち上がる(そして、向かう)
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mokuji
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