Long story


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43

 何が出来るか。
 何を差し出せるか。
 全てを差し出す、その覚悟があるか。

Side Kaname


 寝て起きて、寝て起きて。
 他にやることがないからそればっかりを繰り返すしかない。
 寝すぎて頭が痛くなってもう寝るもんかと思うのに、しばらく経つと頭が痛いから寝るかと思って寝る。馬鹿の極みだけど、だって他にすることないんだから仕方ないだろとしか言いようがない。
 でも、いよいよ寝すぎて寝れなくなるところまで来てしまった。

「看守――――!トイレ――――!!」

 もう本当にね、暇なの俺は。
 暇で暇で仕方がないの。
 この際、看守でもいいから相手して…と、さっきから5分置きくらいにトイレ行ってる。そんで看守相手に時間潰してる。
 ほら、お前らクズはすぐ俺にちょっかいかけてくるだろ?そしたら俺がそれをねじ伏せるだろ?これからずっと検体が待ってる俺にはもうお前らなんか怖くないだろ?透明になっておちょくり返して、ちょっと床に叩きつけてビビらせて遊ぶだけじゃん?
 な?楽しそうだろ?
 もう何回も看守入れ替わってっけど、もっと骨のある奴連れてこいってんだよ。

 ……てかあれ?来なくね?
 全然来る気配なくね?

「看守――!トイレっぶへぁ!?」

 は!?

 いやいやいや何これ?
 いつの間にか地面に頭がごっつんこしてんですけど。…あー、それが分かった瞬間からくっそ痛くなってきたんですけど!!
 ていうか、え?
 身動きとれないんですけど。これはもかして、うつ伏せで後ろに両腕拘束されてる感じ?あ、なんかそんな感じしてきた。
 手錠がっ…手錠がっ短いから腕に食い込んで痛いし…いやいやいやいや、そうじゃねーだろ。
 なにこれ?………なにこれ!?


「でけぇ声でギャーギャー叫んでんじゃねぇ」


 あ。


「おい聞いてんのか」


 聞いてる。
 ちゃんと聞こえてる!!



「たいせ――ぐふっ」
「だからでけぇ声で喋んな」
「…あい」

 なぁちょっと酷くない?
 こういうのってさぁ、もう少し感動的な感じじゃねーの?
 それが何で背中から押さえつけられてんの俺?ていうか押さえつけるのって本来俺の役目だかんね?
 そうじゃなくて。
 もっとこう…ほら、やっぱり感動的な雰囲気とかなんじゃねぇの!?

「いつまで寝てんだ。さっさと立て」
「いや大晟が押さえつけ…」
「さっさと立て」
「はい」

 いやだから何で俺が言うこと聞く側の……あ、大晟だ。
 大晟がいる。

「…何だよ」
「一発ヤッていい?」
「殺すぞ」
「……大晟だ」

 大晟がいる。

 迎えに来てくれたんだ。
 本当に。

 それが分かった途端に、笑えてきた。


「ったく何でそんないつも通りなんだよてめぇは。もっと怯えてるとか怖がってるとか絶望してるとかあるだろ。ふざけんな」

 何でそこでキレてんの?
 怯えて恐がって絶望してるってもう最悪じゃん。どんだけ俺をどん底に落としたいんだよ。俺が一体何したって……してっけど。恨まれるようなことばっかりしてっけど。
 俺だって最初は最悪な気分だったんだぞ。
 それが変わったのは、だって。


「だって、迎えに来るって言ったから」


 大晟が、そんなこと言うからだろ。
 だから文句言うなら、そんなこと雅に伝えさせた自分に言え。

「バーカ」
「うわっ…」

 ああ、久々だ。
 こうやって頭をかき回されるのも。
 大晟に会うのも、声を聞くのも、触れるのも。
 本当はたった2日か3日のはずなのに。随分と長い間があったような、もうずっと昔のことのような、そんな感じがする。
 だから、大晟に触れる。そんなにちょっとしたことが、本当に嬉しく感じるんだ。

「手錠外してやっから手出せ」
「何で手錠の鍵なんか持ってんだよ」
「看守から引ったくって来た」
「……大丈夫なのかそれ?」

 それだけ聞くと、凄く大丈夫じゃなさそうに聞こえる。
 大晟は俺みたいに馬鹿じゃないからそんな下手なことはしないと思うけど。眠たいからって機械ぶっ壊すし、ちょっと不安。

「ちゃんと許可が出てっからな。クソ看守がもたもたしてっから殴られんだよ」

 ええー。
 何でそんな俺みたいなことしてんの。
 ど直球で不安を現実にしてくるじゃねーか。

「そんなことして独房行きにされたらどーすんだ」
「そんなことしなくても独房行きだからだよ。お前みたいに馬鹿じゃねぇんだから、そうじゃなきゃ看守に喧嘩なんか売るか」
 
 やっぱ俺みたいに馬鹿じゃなかった。
 けど、それだけじゃない。

「俺のせいで…大晟も独房行きなのか?」

 俺がこんな所に入れられたせいで?
 俺をここから出すために?

「お前のせいどころか、元を辿れば俺のせいだ。だから本当は俺だけのつもりだったけど…それじゃ納得しなかったからな。…悪いな」

 違う。
 元を辿ればって、そんなの全然大晟のせいじゃないのに。
 そもそも、大晟がスペードのAと再開するきっかけを作ったのも俺なのに。喧嘩を売ったのも俺で、ここに入れられたのも俺のせいだ。
 それなのに何で謝るんだよ。ちっとも悪くないのに。
 むしろ、俺が謝るべきだろ。
 全部俺のせいだ。俺のせいで、こんなことになったんだから。
 ……でも。


「…ありがとう。助けてくれて」

 でも、謝るよりも。
 こっちを口にすべきだと思った。

 ごめんと言っても、大晟はきっと受け入れないし。俺も大晟も譲らないと、どっちが悪いかの水掛け論になるから。
 俺が悪いことに変わりはないと思うけど、それを言い争ったってどうしようもないし。そんな負い目ばかり伝えたって仕方ないから。
 だから、後ろ向きな言葉よりも前向きな言葉を伝えるとこにした。

「嬉しかった」

 そして素直に、思ったことを口にすることにした。


「どういたしまして」

 大晟は笑いながらそう言って、俺の頭を撫でた。さっきみたいに掻き回す感じじゃなくて、いつか真にしてたみたいに優しかった。
 何だよ。そんなことされると、もっと欲しくなるじゃねーか。

「……大晟」
「ヤらねぇぞ」

 あ、バレてる。
 一瞬でバレてるとかどーなの。そんなに分かりやすいのか俺は。
 けど、今はそれよりもっと欲しいものがある。

「……ぎゅーもだめ?」
「は?」
「ぎゅーとちゅーもだめ?」

 ここに来たときらずっと考えてた。
 もちろんヤりたいけど、それよりもぎゅーとかちゅーがいいなって思ってた。
 頭を撫でられたらそれを思い出して、凄く欲しくなったんだ。

「…仕方ねぇな」
「やった」

 差し出された両手の中に飛び込むと、ぎゅっと抱き締められた。俺にはない体温、心地いい大晟の体温を全身で感じる。
 唇が触れるとそこからも体温を感じて、それがすごく幸せに思える。
 離れたくない。
 これはあれだな。そのうち大晟がいないと生きてけなくなるな。もしかしたら、もうなってるようなもんかな。
 ますますどうしようもないな。
 本当にどうしようもないくらい。

「好き」
「……は?」
「…好きだなーって」

 思っただけだよ。
 何だよ。

「は?」
「いやだから、大晟が好きだなって」
「んなこたぁ前から知ってる」

 何だその顔は。
 てか前から知ってるって。それもどうなんだよ。
 それに知ってんなら尚のこと何だその顔は。自分じゃ見えてないかもしんねぇど、超美人が一般人に格下げになるくらい酷ぇ顔してっからな。

「何なんだよ」
「こっちの台詞だ馬鹿。お前、ない脳みそで何か悩んでたんじゃねぇのか」
「……まぁ、そうだけど」

 ない脳みそでってのが余計だけど、指摘してもどうせ言いくるめられるからスルーだ。
 それに最近はマシになったとはいえ、あながち否定は出来ないし。
 
「それは解決したのか?」
「…うーん…どうだろ……多分?」
「多分?」

 そんな訝しげな視線向けられても。
 俺自身、そこまで深く考えてないから分かんねーよ。
 ただ、そういうこと考える以前に。

「……俺がどんなに認めなくても、大晟のことが好きなことは変えようがないって気がついたから。それなら、口にしようがしまいが同じだし…否定する意味もないかなって」

 好きだって認めたからって、全てが吹っ切れた訳じゃない。だから大晟のことを信じたいけど、信じてるけど、でも拭えない不安がある。
 でも、それでも大晟のことを好きな事実はもうどうしようもないから。
 どうすれば不安がなくなるのかなんて考えても分からないし、じゃあそんなこと考える前に好きなら好きでいいんじゃね?…って、つまりはそういうことだ。
 こんなんだから脳みそがないって言われるんだろうけど。やっぱり、さっき言い返さなくてよかった。

「何で今なんだよ」
「…何でって言われても……」

 別にいつ言おうかとかタイミングを伺ってた訳じゃねーし。
 今そう思ったから言っただけなんだけど。

「何で今なんだよ、この馬鹿。ああくそ、本当に馬鹿だな」
「ふおっ」

 何で罵倒されながら抱き締められてんた俺は。
 一体何だってんだ。
 別に今言ってもいつ言っても同じだろ。何が変わるってわけでもないのに、何がそんなに気にくわないんだよ。
 気にくわないくせに、なんでそんなに強く抱き締めんだよ。痛ぇっつの。


「離したくなくなるだろうが」


 ……何だそれ。


「なんだそれ」

 頭の中で笑って、結局声に出して笑ってしまった。
 別に俺の言葉に対して何か返事を求めた訳じゃないから、何を言われることを期待してたんでもないけど。
 そんなこと言われると、笑わずにはいられなかった。

「一生俺のペットだからな、覚悟しとけ」

 大晟はそう言って、また抱き締める力を強めた。痛いけど、でも、そのままでいい。
 抱き付くようにして、その首元に顔を埋める。その体温を、なるべく近くで感じるために。
 ペットは大晟の方だって反論したいところだけど。それはまた今度にしよう。

 一生。
 大晟の言ったその言葉が、頭の中で何度も木霊している。


 **


「ちゃんといい子にしてろよ」
「うん」
「何があっても抜け出すんじゃねぇぞ」
「…何かあんの?」
「いやまぁ、俺は大丈夫だけどな」
「けど?」
「7日もぶち込まれてりゃ、馬鹿なお前はネズミに噛まれるくらいあるだろ」

 なっ…なのか…!!

 と、俺が今からぶち込まれる独房期間を初めて耳にしたのは、ほんの数分前のことだ。ちなみにそれだけじゃなくて、3ヵ月の夜勤付きらしい。
 聞いたときにはマジかよと思ったけど、そもそも永久的なマスター検体からの変更となればこれくらい当たり前というか。3ヵ月夜勤を込みにしても少ないくらいだと思う。
 いくら大晟も独房行きだからって、スペードのAがよくこの程度で終わらせてくれたなと不思議でならない。けど、もう大晟とは別れたから一体どうやってこの程度でスペードのAを納得させたのかそれを聞き出すことは不可能だ。
 

「お、要じゃねーか」
「え?…………何してんの?」

 何でゆりちゃんがこんな所にいんの?
 え?あれ?独房に入ってんじゃなかったっけ?
 あ、ここも独房か。…正確には独房に向かう廊下だけど。そんで看守室の真ん前…つまりそこ看守室?
 え?マジで何してんのこの人。

「何って、辛い独房生活を送ってんだよ」
「どこが!?」

 何でバリバリスナック菓子食べながら看守室から出てくんだよ。何か奥の方で音鳴ってね?テレビじゃね?菓子食いながらテレビ見てたってこと?
 しかもいつもどこかしらが焦げてる囚人服が随分と綺麗だな。絶対新品だろそれ。見るからにペラペラな普通の囚人服とは素材が違うぞ。なんか良さそうな生地に見えるぞ。
 あ、ジュース出してきたよ。…違ぇわ酒だ。アルコールなんたらってでっかく書いてあんもん。それが酒だってことは知ってるんだからな。
 これ明らかに普段の生活よりいい生活送ってね?しつこいけど、マジで何してんのこの人!!

「疑ってんじゃねーよ」
「疑うなって方が無理だろ!」

 どこの一般人だよ!
 まるっきり一般人の休日じゃねーか!

「よく見ろ。ほれ」

 ほれって…そんな腕差し出されても。
 ……なんか付いてるけど。機械みたいのが…腕に付いてて、コードが延びてる。看守室の奥の方に繋がってんのか?

「何それ?」
「俺もよく知らねぇけど、なんかずっと電気流れてる」
「は?」
「ほらここに数字が書いてるだろ?これが今俺に流されてる電圧で…まぁ要は、俺がどれだけの電圧まで耐えられるのか実験してるらしい」
「……実験って…」

 独房行きにされたのに実験ってどういうことだよ?
 ちょっと意味が分からない。
 ゆりちゃんが見せてくれた数字はゼロばっかりだった。俺にはそれがどれくらいの電気なのか分からないけど、大丈夫なんだろうな?

「スペードのAから医療班に俺を自由にしていいって御用達があったらしくてな。大手を振ってやって来て…こうなった」
「医療班…」

 絶対大丈夫じゃねぇじゃん。
 ろくでもねぇこと間違いなしじゃん。

「まぁ検体より楽だし、独房に突っ込んで死んでちゃまずいからって看守室に…お前看守室に独房が付いてんの知ってた?」
「…知らない」

 看守室っていっても、ここは俺がいつも忍び込む看守棟じゃない。独房の見張りをする看守が寝床として使う小さい場所だから、興味なかったし。
 てか、看守室に独房ってまたちょっと理解不能なんだけど。

「普通の独房よりもでかくてな、俺らの部屋よりはふた回りくらい小せぇけど…看守室のすぐ隣にくっついてて、そこにいるんだ」
「何で独房があんのに看守室に別の独房くっつける必要があるんだ?」
「さぁな。まぁでも俺がここに入れられたのは普通の独房で実験してて知らない間に死んでても困るからって理由だから……病人を独房に入れる時とかに使ってるんじゃね?」

 異変が起きたらすぐに対処出来るようにってことか。それなら納得は出来るけど…まず病人を独房に入れんなって話だろ。
 いや、そんなことより。

「死ぬようなことされてんの?」
「さぁ?でも看守室のテレビも見れるし、耐電用の新しい囚人服ももらったし、俺はむしろこっちでラッキーとさえ思ってる」

 だろうな。
 すっげー楽しそうだもん。
 医療班って聞くだけで俺はすっげー心配だけど。本人がここまで楽観的だと心配も薄れそうだよ。

「てか…そうだとして、何で普通に顔出してんだよ」
「見張りの看守が食事出すときに俺に触って感電して気絶したから、しめしめと思って鍵取って解錠して…テレビに菓子にネットにと…まぁいろいろ満喫してた」

 もう本当にしつこいけどさ。
 何やってんのこの人!!

「ちなみにお前を連れて来た看守も、ほれ」
「え?…うわ!いつの間に!?」

 何でこんなところで白目向いて転がってんだよ。
 通りでゆりちゃんが出てきたことも、俺が悠長にくっちゃべってても文句言われないわけだ。

「ずっと電気流されてるお陰で足でちょっとつついただけでこの様よ。あ、俺に触るなよ」
「…そういうことはもっと早く言って」

 触ってなくてよかった。
 こんなもん歩く殺人マシンじゃねぇか。
 その機械取ったら戻るんだろうな?大丈夫なんだろうな?
 どうせ聞いても「知らねぇけどまぁ大丈夫だろ」とか呑気な返事が返ってくることは目に見えてるから、わざわざ聞いたりしねぇけど。

「まぁそれでな。看守のパソコン弄ってたら独房の地図と現在の入居者リストが出てきて。それにお前の名前が追加されてたから…来るかなと思って待ち構えたんだよ」
「何で俺を?」
「検体回避おめでとうを言うために決まってんだろ。あ、でもまだ言ってなかったな。おめでとう」
「…ゆりちゃんが雷落としてくれたから。大嫌いってのもなし、ありがとう」

 あの時は言いそびれたから。
 素直にお礼を言うと、ゆりちゃんは「どういたしまして」と笑顔を見せた。
 
「でも、俺のは所詮気休めだよ。お前を助けたのは大晟さんだからな、ちゃんと礼言えよ」
「…大晟にはもう言ったよ。迎えに来てくれたから」

 それよりもっとゆりちゃんが食いつきそうなことも言ったけど。
 それは絶対に言わない。面倒臭いのが分かりきってるから。

「ここまで見送りには来なかったのか?」
「大晟も独房だから。入り口のところで別れた」
「………別れたって、独房に繋がる道ここしかねぇぞ」
「え?」

 そう言われてみれば、これまで何回も独房に入ったけどここ以外の入り口は知らない。
 でも、入り口の所で大晟だけ看守に違う所に誘導されて行った。どこに向かったのか、そんなこと気にもしてなかった。

「つーか、独房に入んならお前と同じタイミングでリストに載るはずだろ」
「………どういうことだよ?」

 大晟は独房に入らないってことか?
 いやでも、何で俺にそんな嘘吐く必要があるんだ?それに、独房じゃないなら一体どこに連れて行かれたんだよ?
 何だろう。凄く、嫌な予感がする。

「ちょっと待て」

 ゆりちゃんはそう言うと看守室の中に入って、看守のパソコンに手を伸ばした。本体に触れた瞬間にバチッと音を立てたパソコンは、それから間もなく真っ黒な画面を青色に変えた。

「何すんの?」
「看守のパソコンだからな。大晟さんみたいにハッキングする技術がなくても、全ての囚人の情報が見れる」

 きっと、看守を気絶させてから色々いじって見つけたんだろうな。
 本当に後でバレたらどうするつもりなんだろうと思うけど、看守室に監視カメラなんて付いてないだろうからきっとバレないように上手く誤魔化すんだろう。

「ゆりちゃん、早く」
「急かすな……あった。…あれ?」

 パソコンの画面に大晟の顔写真と、それから詳細が細かく記載されていた。
 ゆりちゃんはその一番下を指差しているが…
残念ながら俺にはその感じの羅列の意味は分からない。

「何て書いてあんの?」
「現在独房期間中…って書いてある」
「じゃあ、やっぱ入ってんじゃん」

 入り口で別れたのは、独房に入る前に何か他の手続きでもあったからなのかもしれない。
 安心した。ちゃんと独房に入ってるって分かって安心するなんて、なんか変な感じだけど。

「いや待て」
「なに?」

 マウスで画面を下に動かしたゆりちゃんが、手を止めて険しい顔をこっちに向けた。
 そんな顔されると、不安になるからやめて欲しい。

「…確かに独房には入ってっけど、この地区の独房じゃない」
「………この…地区じゃない…」

 嫌な。
 とてつもなく、嫌な予感がする。


「スペードのAの地区だ」


 ぞっとした。


「………冗談だろ」

 あの地区では独房の囚人たちの管理ですら、スペードのAの管理下にあると言っても他言ではない。
 それほどまでに、あの男の権力は凄まじい。看守ですら、ある程度の横暴は見て見ぬふりをしている。
 独房で、あの男が他の囚人に何をしようと。殺さない限りは、出てきたときに労働に支障が出ない限りは、口を出すことはない。

 そして。
 大晟は何をされても、死なない。


「なんとか…何とかしないと」

 大晟がこれからあの地区で。
 その中の、更に隔離された独房で。

 一体何をされるのか。

 そんなこと、想像したくもない。
 そんな目に、遭わせたくない。

「落ち着け。お前、こっから逃げ出す気か?」
「逃げ出す気なんてない。でも、大晟を助けないと…スペードのAが……」

 スペードのAが昔、大晟に何をしてたか。どれほど残酷なことをしていたのか。
 それはゆりちゃんも聞いたはずだ。
 このまま大晟をあの地区に行かせたら、同じことになるのは馬鹿でも分かる。もしかしたら、もっと酷い目に遭わされるかもしれない。

「それはそうだけど…でも、大晟さんは分かってて行ったんだろ?何か策でもあんじゃねぇの?」
「策って何が?看守も手を出せない奴なんだぞ?」

 看守は何があっても大晟を助けたりしない。
 死なないと分かったら尚のこと、スペードのAの勘に触らないように全てを見なかったことにして。何事もなかったかのように、隠蔽するに違いない。

「でも……お前、大晟さんに何か言われなかったのかよ」
「何も聞いてねぇよ!ただ独房に行くって別れて………」 

 唐突に、別れ際に大晟が言っていた言葉を思い出した。


「何があっても…抜け出すな……」


 大晟はそう、俺に言った。
 何かあるのかと聞いた俺に、冗談みたいなことを返してきたけど。もしかしてあれは、このことを知った俺に対してのメッセージだったのか。
 俺を地獄から救い出した大晟が、今から地獄に向かうのを知ったとしても。決して何もするなと、そう言いたかったのか。


「……無理に決まってんだろ、そんなの」


 大晟がスペードのAにどれ程恐怖心を抱いていたか、それはきっと俺には計り知れない恐怖だ。
 でも、知っている。
 あの男のことを思い出しただけで壊れそうになった大晟を、俺は確かに見た。

 壊されてしまうかもしれない。

 こんなことなら、俺がマスター検体に行った方がマシだった。
 大晟をこんな目に遇わせるくらいなら、俺はそれでもよかったのに。


「…俺はお前ほど大晟さんのこと知らないから一概に適当なことは言えねーし、だからお前が行くっつんなら止めないけど」

 止めないと言いながら、ゆりちゃんは部屋の出口に立ち塞がっている。
 歯切れの悪い言葉の通り、何か引っ掛かることがあると言うような面持ちだ。


「大晟さんのこと、信じなくていいのか?」


 
 ……信じる。
 


「……しん…じる…」


 たった一言が。
 とても重たく感じる。


「抜け出すなって言われたんだろ?」
「でも…っ」

 それが何か策があって言った言葉なのか。それとも、ただ俺を助けるためにそう言ったのか。
 どちからは分からない。

「それに、お前が行った所で大晟さんを助けられるかどうかは分からないだろ」
「……それは…」

 俺が行った所で、何も出来ないかもしれない。そればかりかもしも大晟に何か策があったとしたら、俺が行くことでそれを台無しにしてしまうかもしれない。
 でも、そうならないかもしれない。いつも色んな所で盗みを働くみたいに、上手く大晟を独房から盗み出せるかもしれない。

 …かもしれない。
 全てかそんな曖昧なことばかりだ。


「信じろ、とは言わない。ただ…信じなくてもいいのか?」


 大晟は、冗談のように言っていた。
「俺は大丈夫だけど」と。

 その言葉を。
 そう言った大晟のことを、俺は。


「………分かった」

 たった一言の言葉が。
 こんなにも重たく、全身にのし掛かってくるなんて。 


「信じる」


 大晟は俺との約束は絶対に破らないと言った。
 どこにも行かないと言った。俺の前からいなくならないと。
 約束した。
 
 だから俺は、信じる。


 ……そうじゃない。


 俺には。
 今の俺には。

 信じることしか、出来ない。



 ただ、それだけしか。

 出来ない。




これほどまでに
(自分の無力を、痛感したことはない)



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