41 見つけようとしても見つからない答えが。
見つけるのをやめた瞬間に見つかることがある。
人はそんな場面に直面すると。
本当に馬鹿馬鹿しいと、そう思い笑えてくるらしい。
Side Kaname 構造的には、いつもいる部屋と変わらない部屋だった。
違うのは、ベッド以外には家具という家具がまるでなく殺風景だということくらいだ。本来なら俺の部屋もこれくらい広いんだろうと思うと、不思議でならないのと同時に自分がこれまで働いてきた盗みの回数がいかに多いかということを改めて実感する。
「床に寝転んでも何にも当たんねーし…うわっ」
ああ、もうひとつ違うことがあった。
いつもは手錠を付ける側の俺が、今は手錠と鎖でベッドに繋がれてて、ベッドから数歩くらいしか身動きが取れない。
トイレとかどーすんだよって思ったけど、ここから大声で叫ぶと看守が来て連れてってもらえるらしい。
只で済むと思うなとか怖いこと言われたから、ぶっちゃけ超ビビってたけど。
意外とVIP待遇だ。
「でも、くそつまんねー」
そう呟いてみても、俺の声は誰にも届かない。
多分だけど、ここに入れられてから1日くらい経ってると思う。
時計も窓もないから時間も昼なのか夜なのかも分かんねーけど、あれから寝ておきてごろごろして昼寝して…寝てばっかだな。
適当に時間を潰した感じでは、大体1日経ったくらいの感覚だ。
あと2日で始まるマスター検体のことは、あまり考えないようにしてる。
考えないようにしても時々頭の中過るけど、頭を振って無理矢理どっかにやる。
そして違うことを考えようとするんだけど、そしたら今度は大晟のことが思い浮かぶ。
今頃何してんだろーな。
俺がいないから小説読んだり漫画読んだり、優雅な時間を過ごしてっかな。
もしかしたら、普段の寝不足を一気に取り返すように寝てるかもしんねーな。
それとも。
ちょっとくらい、俺の心配してくれてるかな。
「…あー、やっぱりダメだ」
そんなこと考えたら、今すぐ会いに行って組敷きたくなるじゃん。
いや、それよりも。ぎゅーとか、ちゅーとか…そんなんがいいな。
……変なの。
今まで、ヤることよりしたいことなんてなかったのに。
「何がダメなんだ?」
「大晟のこと考えてるとー、大晟に会いたくなるからダメだなーって…………え!?何!?」
壁が喋ったのか!?
い、いや。そんなわけねーだろ。
てか今の声後ろから聞こえたし。後ろには扉しかねぇし。
えっ、じゃあ扉が喋ったのか!?
「悪かったな、大晟さんじゃなくて」
突然のホラー展開にに恐怖しながら恐る恐る振り替えると、扉の前にちゃんと人が立っていた。
「ああ、なんだ。純か……」
あー、よかった。
まじで扉が喋ったのかと思ったじゃねーか。心臓が止まるかと思ったわ。
……いや、ちょっと待って。
「何でこんなとこにいんだよ!?」
「独房にいるゆりちゃんの様子見ついでに、看守脅して来てみただけだ」
部屋に入りながら俺の問いにそう答えると、純はベッドに腰を下ろした。
つられて、床に座り込んでいた俺も純の隣に移動する。
「……ごめん。ゆりちゃんのこと」
看守を脅したという言葉はスルーするとして。
様子見に来たということは、どうしてゆりちゃんが独房に入ってるのかも知ってるはずだ。
そして、それはほぼ100%俺のせいだ。
「要が謝ることじゃないし、4日連続でマスター受けるより余程マシだよ。元々気違い一歩手前を歩いてるけど、いよいよ危ないから独房で反省しろっていう神様からのお告げかもな」
純はそう言って笑う。
前の検体帰りに会ったときもそうだが、この酷評具合を目にすると、ゆりちゃんの言っていた通り優しくなるなんて到底思えない。
それに、その4日連続のマスターも捷や俺みたいに、馬鹿やってぶちこまれた訳じゃないことを知ってるはずだ。
「でも、それも龍遠のことがあったからだろ?」
「そう言ってたのか?」
「ううん。ただ、前の雨の日って言ってたから……違うのか?」
「いや、多分そうだろうな。本人は言わないけど、かっこつけだから」
最後の一言がな。
なんかこう、悪意に満ちてるというか。
「かっこつけじゃなくて、かっこよかった」
少なくとも、そのお陰で俺はマスター検体から逃れられてる。
あの時のゆりちゃんは、本当にヒーローのようだった。大晟なら、流石ストロンガーだと興奮しているに違いない。
「知ってるよ。きっと性分なんだろうな」
「自分より他人を思いやることが?」
「いや、かっこつけたいのが」
「そこは譲らないのかよ」
あそこまでしたのに、恋人には伝わらないなんて。
ま…本当は分かってるんだろうけど。
だから、こんなところまで会いに来たんだろ。
「自分より他人をって話なら、別にゆりちゃんだけじゃないけどな」
「え?」
「あれ、純もいてるんか」
純の言葉に首を傾げたのとほぼ同時に、また扉から声がする。
しかし、さすがの俺も今度は扉が喋ったとは思わなかった。だって、いくらなんでも扉が関西弁で喋ったりはしないだろ。
「ゆりちゃんに会うついでにな。雅も、看守脅してきたのか?」
「そのつもりやってんけど、たまたまかすみんに出くわしていれてもろてん」
この牢獄で数少ないまともな看守の名前は、ずいぶん久しぶりに聞いた。…雅を普通に通してる辺り、まともと言っていいのかビミョーだけど。
でも、真がいる地区の治安を見る限りやっぱり凄くまともな看守だと思う。あの地区では、看守の悪口とか聞いたことないし。
「何でかすみんがこの地区に?」
「夜勤なんやて」
「他の地区に夜勤の監視に来ることがあるのか」
「ちゃうちゃう、それやなくて…ほら、あれやあれ。看守長やから、あの監視の持ち回りの日や」
雅はわざとらしく話をぼかす。
もちろん俺には意味が分からなかったが、どうやら純は理解したらしく「ああ、あの」と呟いていた。
「雅は…何でここに?」
かすみんの件はどうせ聞いても教えてくらないだろうし、考えても分からないだろうからもういいとして。
雅には、独房に会いに来るような相手はいないはずだ。
「捷に抱いている凄まじい怒りを、看守を脅すことで晴らそうとしてんけど。すんなり入れてもーたらな、お前に八つ当たりしろ思とったのに」
一体何をやったんだよ、捷は。また寝ようてして独房にでも入ったのか?でもそんなの日常茶飯事だし、そんなことじゃ実力行使はしないみたいなことこの前言ってたよな?
おまけに雅もボソッと「純がおるなら証拠が残るからやめとくか」って。証拠が残らなかったら何をしようとしてたんだよ。
「酷い顔すんなや。冗談やて」
俺の顔を見た雅が苦笑いを浮かべる。
冗談なら、もっとそれっぽく聞こえるように喋れ。てか、ボソッと呟いた辺り絶対に本心だろ。
そもそも、それが本心じゃなかったらそれこそ一体何しに来たんだ?
「ここには大晟さんからの伝言を伝えに来ただけや」
俺の心の中を読んだように、雅はそう答えた
その口から大晟の名前が出た瞬間、これまでの囚人らしからぬ発言や俺を虐める予定発言はどうでもよくなってしまった。
「大晟?」
雅が頷く。
そして隣の純がどうしてか少しだけ楽しそうに「ゆりちゃんだけじゃないって言ったろ」と呟いた。
「すぐ迎えに行くから待っとれって、それだけや」
すぐに迎えに来る。
「………大晟が、」
大晟が、俺を迎えに来てくれる。
それだけ。
雅はそう言ったけど、俺にとってはそれ以上の言葉はない。
「嬉しそうな顔してまぁ」
「さすがペットやなぁ」
「う、うるせぇ!!」
2人してニヤニヤしてんじゃねーよ!
こっち見んな!
「まぁでも、お前のために働いてんのは大晟さんだけちゃうんやで」
「……どういうことだよ?」
純の言葉を思い出す。
自分より他人って話なら、ゆりちゃんだけじゃない。
雅の言葉を聞いて、大晟が俺を迎えに来るのに何かしてるって話かと思ったけど。それだけじゃないってことか?
「今、大晟さんが特別独房に行ってんねん」
特別独房。
その言葉を聞いて、思い浮かぶ人物は一人しかいない。
「……先生に、会いに?」
「要のくせに勘がええやんか。当たりや」
俺のくせには余計だろ。
最近ちょっと馬鹿もマシになってる感じなんだからな。
…ってことはどうでもよくて。
「何で先生のところに?」
「そこは詳しく知らんけど、まぁ考えがあんねやろ」
そこが一番重要なところじゃねーのかよ。
てっきとうだな。
「で、その会いに行くために皆が危険を省みず能力を行使してんねん。俺はそのお陰であのバカを独房から一時外出させなあかんくなって……ああ、腹が立ってきた。やっぱり帰りに看守脅さな気が済まへん」
やっぱり捷の奴、また独房入ってたんだな。しかし、雅をここまで苛立たせるなんて、出て来てから余計なことをしたか、もしくは言ったに違いない。
…じゃなくて。捷のことはいいから。
怒りを思い出して話を脱線させんじゃねーよ。
「みんな?」
って、一体誰のことを言ってるんだ?
「皆は皆や。あ、俺は捷を独房から出しただけやから関係ないで」
「俺もゆりちゃんを独房前に大晟さんの所に連れてっただけだからな。関係ない」
関係ないと言うが、どちらも危険を省み能力ーーではないか。前に雅が言っていた言葉を借りるなら、十二分に武力を行使してるんじゃないのか。
だって、今から独房に連れてかれるって囚人がその前に寄り道出来るなんてあり得ないし。独房に入ってる囚人を一時外出させることもあり得ない。
「大晟さん曰く、全員要ファンクラブの会員なんやて」
「………ふぁんくらぶ?」
急に知らない単語を出してくるな。
調べようにも、今は手元に辞書はない。…漢字じゃなさそうだから辞書にも載ってねーか。
とにかく、意味が分からない。
「全員お前が大好きなんやと」
「いたっ、な…なんだよ、急に!」
バシッと背中を叩かれた。普通に痛ぇし。
大体、いつも皆して俺をからかってばっかのくせに。
………そりゃまぁ、そうじゃない時もあるけど。遊んでくれたり、話とか聞いてくれたり。他にも色々あるけど。
俺も、みんなのことは好きだけど。
「せやけど、大晟さんに要はやらへん言われてもーたわ」
「いてぇっ」
雅はそう言って、また俺の背中を叩いた。
今のは普通以上に痛かっただろ。手加減てものを知らねーのか。
「お前は大晟さんのものってことやで」
前にも、大晟はそう言っていた。
俺を誰にもやらないと、そう言っていた。
大晟にそう言われたことがすげぇ嬉しくて、でも同時に自分がどうしたいのか分からなくなった。
その話を龍遠にしたら、ない頭で考えなくてもそのうち分かるだろうと言われたんだ。
結果的に龍遠の言うとおりだった。
あの時。
スペードのAを前にしたとき。
考える暇なんてなく、簡単に答えは出た。
けど、俺はまだ怖くて。
その答えを口に出すことができない。
「そんな思い詰めんなや」
またしてもバシッと背中を叩かれた。
もしかしてそうやって地味にストレス発散してんじゃねぇだろうな。
つーか。
「別に思い詰めてなんかねーし」
「ふうん?」
何だよその目は。そんな目でこっち見んな。
てかやっぱり俺に八つ当たりしてんだろ。というより俺で遊んでんだろ。
さっき純がいるからやめとくって言ってただろ。口に出したことはちゃんと守れ。
「雅、八つ当たりしてる」
「…あれ?」
無意識って。それダメなやつ。
本人にその気がないってのが本当に一番ダメなんだからな。
「要で遊んだって鬱憤は晴れないだろ」
「いや別に遊ぶつもりはなかってんけど…あかんな。さっさと看守苛めてくるわ」
雅はそう言うと俺に「じゃあな」と言ってから入り口の方に向きを変えた。
どうやら本当に看守を苛めに向かうようだ。
「待て、俺も行く」
俺の隣に座っていた純が立ち上がる。
その声を耳にして、入り口の扉に手をかけていた雅が振り返った。
「ええけど…要はええん?」
「すぐ大晟さんが迎えに来るってんなら大丈夫だろ。な?」
「べ…別に大晟なんて関係なく大丈夫だよ」
本当は少し寂しいなんて、絶対に言わない。
多分バレてるだろうけど。
でも、絶対に言わない。
「そうか。じゃあまたな」
「うん」
俺が頷くのを確認して、純は雅の後を追った。
パタンと扉が閉まると、やっぱり寂しいって言っとけばよかったかな…なんて少しだけ思ったけど。でも、もうすぐ大晟が迎えにくると思うと、そんな気持ちもすぐに吹っ飛んだ。
やっぱり俺は、馬鹿で単純だ。
**
いつの間にか寝ていたことに気がついたのは、部屋の外からカツカツという音が聞こえて目が覚めたからだった。
金属がぶつかるような音が誰かの足音だと気付くのに多少時間がかかったのは、起きてから間もないせいで頭が働いていなかったからだ。
「一体今何時だよ…」
純と雅がここを去ってからどれくらい経ったのだろうか。一体どれくらい寝てたのだろうか。
朝なのか昼なのか夜なのか。時間が全く分からないとことにこれほど違和感を覚えるなんて思ってもみなかった。
「つーか、誰だよ。うるせぇな」
俺が時間について考えている間にも、カツカツという音は響き続けていた。その音が段々と大きくなってきているということは、近づいて来ているということだ。
ここに来るまでの道程がどんなだったかはあまり覚えていないが、多分地面はコンクリートだったような気がする。コンクリートの地面でこれほどカツカツ音が鳴らせる靴を履く人物なんて…想像できない。
看守は軍事用の靴だからそれこそなるべく音がしないような仕様になってるはずだし、囚人ならそもそも靴は履いていない。ロイヤルか責任者くらいになると望めば貰えるのかもしれないが…スペードのAが靴を履いていた記憶はない。
看守と囚人以外だと医療班になるが、あの宇宙服みたいなあれがこんな音を出すだろうか。この前食堂で会ったときがどうだったかなんてもう覚えてない。
まさか大晟?いやいや、あり得ない。
「…いやまぁ、別に誰でもいいか」
眠りを妨げられたのは心外だが、別にそれだけの話だ。
それが誰であろうと…スペードのAか大晟でない限りは俺には関係ない。そしてこの音の主にとっても、きっと俺は関係のない人物なのだろう。
だからさっさと、通りすぎてくれればいい。
そう思ってもうすぐそこまで近づいていた足音を、気にしないように今一度寝ようと寝転んだ。
「みぃーつけた」
扉の外から声がした。
足音が止まった瞬間だった。
俺の息も、止まった。
「要、久しぶり!」
扉が開いた。
無意識に止めていた息が、本当に止まってしまえばいいのにと思った。
そのまま気を失いたかった。
そして、次に目を開けた時には何もなくなっていればいいのにと。関係ない誰かが通っていっただけだったと。
そう思いたいのに、体が勝手に息をする。気を失うことはない。
目の前の人物を、認識しなくてはいけない。
「……何しに来たんだ、JOKER」
この牢獄で、最も位の高いロイヤル。
労働をすることもなく、どの地区にも棟にも属することもなく、何時なんどきでもこの牢獄内を自由に歩き回ることが出来る。全てを思い通りにすることが出来る。
囚人でありながら、囚人ではない存在。
しかし、この男が牢獄内を歩き回ることはない。故に、この男の存在を知らない者は少なくない。
しかし一度目にしてしまうと、決して忘れることは出来ないだろう。そして、二度と会いたくないと思うだろう。
そう、二度と会いたくなんかなかった。
「JOKERなんて他人行儀だなぁ。名前で呼んでよ」
どうして。
なぜそんなに、馴れ馴れしい態度が取れるのか。
忘れたのか。
お前が俺にしたことを。
俺と同じ金色の髪。俺と同じ紫色の目。
その全てが、語っているというのに。
忘れてなんかいない。
ただ、何とも思っていないだけだ。
何とも思わず。
道に転がっている小石を蹴飛ばすように。
俺を地獄に落としただけだ。
「…出ていけ」
「要にそんな権限ないよ」
俺の言葉にそう答えると、カツカツと音を立てて俺の前までやってきた。
軍服のような服装だが、色は軍服らしからぬ金色。靴がカツカツと音を立てていたのも、その仕様が金だからだ。
頭から爪先まで金色で統一されている中で、ただでさえ目立つ紫色の目が異様に際立っている。
「………何しに来たんだ」
「会いに来た」
にこりと笑う。
かつては好感を持てたそれも、今は嫌悪感しかない。
「お喋りな看守から要がマスター検体漬けになるって聞いて。大丈夫かなって思って心配して来たのに」
冷たいんだね、と。
しゅんとしたような表情を浮かべた。
心配なんて、そんなこと微塵も思っていないくせに。
「……誰のせいだと」
「僕せい?それは違うよ。これを仕組んだのはスペードのAでしょ」
どこからそんな情報を仕入れてくるのか。
きっとこの男が聞けば看守はほいほい口を開くだろうから、情報なんてどこからでも仕入れられる。
そして高みの見物をすることもなく、もっと高みで嘲笑うだけだ。
「……ロイヤルじゃなければ、検体にぶち込まれることもなかった」
「ああ…確かにそれはそうか。…ちょっと離れてる間に、随分と頭が良くなったんだね。新しいルームメイトのお陰かな?」
やはり何でも知っている。
きっと俺がどんな生活をして、いつ独房に入って、誰と仲良くして、これまでどんな玩具で遊んで。
今、大晟とどんな風に過ごしているか。
それも全部、知っているのだろう。
「お前には関係ない」
「そんなことないよ。僕は要を愛してるんだから」
ゾッとする。
そんな言葉を、平気で吐けるその神経に。
「……黙れ」
そう言うのが精一杯だった。
怒りなのか、憎しみなのか、恐怖なのか、よく分からない感情が暴れ出しそうになる。
それを押さえ込むことに必死で、どうにかなりそうだ。
「これまでのルームメイトとは少し違うようだから、気になってたんだ」
「…黙れ」
その口から語られる言葉を、もう一言すら聞きたくない。
けれど、耳を塞いでもこの静まり返った空間では無意味だ。まだ声変わりをしてない男にしては高めの声が、嫌でも耳に入ってくる。
「ほら、僕たちってあまり会えないでしょ。だから浮気は仕方ないと思うよ。…でもね、本気はダメだよ」
「黙れ」
聞きたくない。
感情が、暴れて頭の中をかき乱す。
「だって僕たち、愛し合ってるもんね?」
我慢が出来ない。
「黙れッ―――ッツ!!!」
感情が爆発したと自分で感じた時には、もう既にその拳を目一杯振りかぶった後だった。
激しい痛みを感じて、その拳が無意識に定めていた標的ではなく壁にぶち当たったことを理解した。
「この部屋の中じゃ力は使えないよ。まぁ…使えたとしても、どのみち僕には通用しないけどね」
棟ひとつ破壊してもおかしくないくらいに殴ったのに、壁に全く傷が付いていないことからその言葉のひとつが本当だということが分かる。
そして、無意識ながらも確かに定めた狙いを外していることから、もうひとつの言葉も本当だと分からずにはいられなかった。
「……さっさと出ていけ」
拳に激しい痛みを感じて一瞬冷静さを取り戻しても、頭の中で煮えたぎるような感情が抑えられることはなかった。無駄だと分かっていても、また何か言われるとすぐに殴りかかってしまいそうだ。
そんなとこ大晟に見られたら、だからお前は馬鹿なんだって蹴り飛ばされっかな。…いや多分、机に思いきり頭ぶつけられるだろうな。
「……何がおかしいの?」
「………」
無意識に、笑ってたのか。
JOKERを…この男を目の前にして、笑ってたのか。
今の今まで、暴れだす感情を抑えることも出来ず…そんなつもりもなく。また口を開いたら殴りかかろうと思っていたのに。
ちょっと大晟のことを考えただけで…それを忘れて。あれだけ暴れていた感情を綺麗に忘れて。
笑ってたのか、俺は。
「なんだそれ」
本当に。
馬鹿だな。本当に、馬鹿だ。
「ああ、ばかばかしい」
口に出すまでもない。
そんなことしなくても、これじゃあ全身でその答えを表現してるようなもんだ。顔に書いてるのと何ら変わりねぇじゃねーか。
それなのにずっと…馬鹿みたいに口に出すことを躊躇ってたなんて。
本当に馬鹿だな。
「…すごく不愉快」
「……そうかよ」
そんなことはどうでもいい。
俺は今、自分の馬鹿さ加減に呆れ返ってるところなんだ。
大晟が好きだ。
自分の感情と、行動と、思考と。その全部がそう叫んでいたのに。
ずっと、口に出来なかった自分が。
馬鹿馬鹿しくて仕方がない。
「何を考えてるのかしらないけど…分かってるの?これから自分がどうなるのか」
感情を爆発させそうだった俺が唐突に冷めきってしまったの入らなかったのか。
先程まで楽しそうだったその顔は、不機嫌さが滲み出ていた。
「さぁな」
もうしつこくて聞くのも嫌になるくらい言ったが。
俺はどうしようもない馬鹿なんだ。
だから、まだ始まっていないそんな先のことでいちいちビビったりしない。…いや、相当ビビってたけど。
今はそれよりも重大なことに直面…直面とは違うか?こういうのなんて言うんだろ。
……まぁいい。
とにかく、検体だろうとJOKERだろうと、そんなことどうでもいいくらい…凄い感じなんだよ。
「そう…じゃあ、もしも地獄から抜け出したくなったら、僕を呼んでね」
ずっとこちらを向いていた紫色の瞳がくるりと向きを変え、出口に向いた。
どうやら、ようやく俺の要望通りに出て行ってくれるらしい。
「…さっさと出ていけ」
近づいてくる時はそんなことなかったのに、段々と遠ざかっていくカツカツという音がとても胸くそ悪く感じた。
けれど、その音が聞こえなくなる随分前に、俺の頭の中は迎えに来た大晟にようやく口に出せた答えを…いや、実際に出した訳じゃないけど。
とにかく、今俺の頭の中はその答えを大晟にどう説明しようかという問題で一杯だ。
何があろうと(それが、今の俺にとって一番大切なことだ)
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mokuji
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