03.100円玉の重さ

ペコ、とまぬけな音が響いて、名前はストローから口を離した。

「もう無くなっちゃった」
「午前中体育あったものね」

4月初旬とはいえ、日中の日差しはじわりと汗を滲ませる。知らず知らずのうちに体内の水分が減っていたのか、名前はあっという間に200mLの紙パックジュースを飲み干してしまった。にっこり微笑んだりんごのキャラクターの顔は、可哀想なくらいに歪んでいる。

「今のうちに買ってきたら?昼休み、まだ時間あるでしょ」
「うん、そうする。由美ちゃんも何かいるなら買ってくるよ」
「ん−ん。アリガト」
「じゃあ行ってくるね」
「ん−」

先ほどからポケベルに夢中な由美は、箸を持ったまま生返事をした。周りの子達よりいち早くポケベルを手に入れた彼女は、年上のカレとのやりとりを楽しんでいるようだった。いつもは気だるげなか友人の乙女な姿に、名前は何となく面映ゆくなる。

「由美ちゃんも15分後にはお弁当ちゃんと食べ終わらないとダメだからね!」
「んー」

名前はそう釘を刺して席を立ったが、いまだ半分以上手つかずの由美の弁当は、きっと昼休みが終わる頃にも残ったままだろう。
そんな風に夢中になれる恋をしていることが、名前には尊くも恐ろしくも思えた。


食堂横の自販機には数人の列ができており、名前はその最後尾に並んだ。皆どうやら食堂帰りのついでに飲み物を買っているらしい。それ程長く待たされることもなく、直ぐに減っていった列はいつの間にか名前と目の前の人ひとりだけになっていた。
買う姿をまじまじと見つめるのも失礼かと、名前は俯いて自身のつま先を見つめる。3年目の付き合いになるローファーはだいぶ味が出てきていて、少し靴底が心許ない。買い替えるのも今更だし、あと1年どうにかもってくれることを名前は祈るばかりである。

「ム、」

どこか聞き覚えのある声につられるように、名前は顔を上げた。前に並ぶ男子生徒は、固まったまま自販機のボタンを押す素振りもない。名前は様子を窺うようにその人を仰ぎ見て、そうして瞠目する。

(流川くんだ)

後ろから見ても相変わらずまつ毛が長いのだなと、変なところで名前は感心した。
当の本人の流川にいまだ動く気配はなく、自販機を睨めつけている。小銭入れを握りしめているあたり、名前には流川がどうやらお金が足りずに困っているように見えた。
名前の中で、可哀想に思う気持ちと、関わりたくないと思う気持ちがせめぎ合う。しかしどうもお節介な性分が、前者に傾きをつける。逡巡して、やはり彩子の後輩を放っておくわけにはいかないと、名前は自分の財布から100円玉を取り出した。そして周りを見渡し、人がいないことを確認してからそっと流川の肩を叩く。

「…あの、」
「…」

振り向いた流川から、無言の圧力を感じる。美麗な目は鋭くこちらを見つめていた。逃げ出したくなる気持ちを抑え込んで、名前は困ったように微笑みながらも片手を差し出す。

「これ、さっき落としてましたよ。ポケットから小銭入れを出す時に」
「ム、」
「どうぞ」

本当は名前のお金だけれど、致し方ない。万が一彼がお金を返そうとした場合、余計な関わりを生んでしまうからだ。もっとも、傍若無人と称される彼がそこまでの行動を起こすのか、名前の知ったところではないけれど。

「…あざす」

数秒ほどの沈黙の後、流川は小さく頭を下げると、のっそりとした動きでお金を受け取った。そして入学式の日と同じように、窮屈そうに背を屈めて飲み物を買い、その場を去っていった。

ひと仕事終えた名前は胸を撫で下ろす。相変わらずの美貌だし、相変わらずのオーラの持ち主だ。彼と同じクラスの生徒は毎日こんな気持ちを味わっているのかと思うと、名前には羨ましいなどといった思いよりも、同情心の方が断然大きく感じられた。
今度彩子ちゃんに今日の話をしてみよう――なんて呑気なことを考えながら、名前は軽い足取りで教室への帰り道を辿るのだった。


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