11.リノリウムを駆け抜けて

「そういうことだから、今日の部活が始まる前に1年生は一度正門前に集合してもらってもいい?」
「はい!」
「わかりました」
「ありがとう」

名前の言葉に頷く2人の女生徒。快い返事に名前が微笑んでみせると、彼女達は頬を紅潮させた。その初々しい様子が名前にはとても可愛らしく思える。今年、名前の部活には全部で9名の1年生が入部した。元気だったり大人しかったり、性格の違いは勿論あるけれどみないい子ばかりだ。

顧問からの連絡事項を無事伝え終えた名前は、1年生の教室から足を踏み出した。昼休みだからか、生徒達は自由に教室や廊下を行き来しているので、上級生の名前は変に目立つ事もなく下級生のフロアを歩くことができ、内心ほっとしていた。
1年10組の前を通り過ぎ階段に差し掛かろうとした時、名前は廊下の向こうから見慣れた人が歩いてきているのを見つけた。まだ彼は、名前に気づいていないようだった。声をかけようか悩んでいるうちに彼が名前に気づいたようだったので、名前は小さく手を振ってみる。

「先輩」
「流川くん、こんにちは」

流川は切れ長の目を微かに見開き、気持ち駆け足で駆け寄ってきた。他学年の場所に名前がいることは珍しい。不思議そうに流川が見つめてくるので、名前は手に持っていたプリントを掲げてみせた。

「部活の子たちに用事があったの」
「……先輩は俺の先輩」

流川は少し不服そうだ。自分への用事以外でここに来ているのが気に食わないらしい。先日の行動といい、今日の言葉といい、名前は随分と流川に懐かれてしまったようだった。決定的な出来事なんてなかったはずなのに。慕ってくれる流川は素直に可愛らしく思えて、名前は微笑んだ。

「どこ行くんすか」
「もう用事も終わったから、自分の教室に戻るところだったの。またね」

そう名前が告げたにも関わらず、流川は微動だにしない。名前は首を傾げつつも、マイペースな流川のことだからとそのままにして階段を上ろうとした。すると、なぜか流川も後ろからついてくる。

「流川くんも誰かに用事があるの?」

名前が尋ねると、流川は少し考え込みやがてこくりと頷いた。大方部活の先輩にだろうと当たりをつけ、もし3年生の誰かなら教室まで案内してあげようと名前は考える。2年生のフロアである2階を通り過ぎても流川はまだ着いてくる。やはり3年生に用事のようだ。それなら赤木か木暮だろうか――名前は、自身の教室でなくバスケ部2人が所属する6組の前へとやってきた。

「ここが赤木くんと木暮くんのクラス。流川くん、声かけられそう?」

お目当ての人がいるかどうか、教室の前の扉から名前は覗いてみようとしたがそれは叶わなかった。流川が名前の腕を引いたからだ。

「流川くん?」
「ここじゃねー」
「えっ!?」

そう言うと、流川は名前の腕を引いたままどこかに歩き出した。周りの空気が騒めくような気配を感じて、名前は咄嗟に顔を下げた。横髪が緩かに米神の辺りから滑り落ち、名前の顔を隠してくれる。

(ここじゃないって、もしかして用事があったのは3年生じゃなくて彩子ちゃんだったの?)

そんなトンチンカンなことを考えているうちに、名前は流川に連れられていつの間にか屋上に辿り着いていた。昼休みも終わりかけだからだろう、誰の姿もなかったのは名前にとって幸運なことに思えた。
名前の知らぬ間に、流川の手は腕から離れていたらしい。そのまま流川は、屋上のちょうど良い日陰の部分に座り込んだ。困惑し立ち尽くす名前に、流川は自身の隣を指差す。

「先輩、こっち」

戸惑ったものの、どうしようもなかった名前は流川の隣に腰をかけた。拳ひとつ分の距離にも関わらず、流川がすぐ隣にいるように感じられて名前は困り切ってしまう。そんな彼女の心情を知るや知らずや、流川は名前が腰を下ろしたのを見届けると、一言だけ零した。

「肩貸して」

返事を聞くまでもなく、流川はそっと名前の肩に頭を預けた。烏の濡羽のような美しい黒髪がさわりと頬を撫でる。空気を挟んで感じていた流川の熱が、直接右肩に灯った。ぐっと近づいた物理的な距離に、名前の心臓が早鐘を打つ。

「まってるかわくん、」

名前の蚊の鳴くような声に、流川は何も返さない。呼吸と共に、緩やかに流川の胸が上下しているのを、名前は固まった姿勢のまま呆然と眺めていた。遠くの方で、昼休みの終わりを告げるチャイムの音が聞こえる。今ならまだ先生に何とか言い訳をして教室に戻れば許されるかもしれない。けれど何故だか、流川の頭を勝手に退かすことはできないと名前は思った。こうして優等生の名前は、初めて授業をサボってしまったのだった。

ぺたりと床につけた腿の上で、手持ち無沙汰に手を組む。流川の規則的だった呼吸は、次第に寝息へと変わっていった。名前がちらりと横目で見ると、伏せられた瞼のおかげで幾分か幼なげに見える流川の寝顔がそこにはあった。こんなに無防備に安心し切って寝ている流川を起こすことなど、端から名前にはできなかっただろう。
穏やかな空模様と、優しいそよ風。そして定期的に聞こえてくる寝息につられて、名前の瞬きもいつしかゆっくりになっていく。何より、周囲には誰にもいないという安心感が、名前の心を解きほぐしていった。重くなった頭を、逆らわずに傾ける。こつんと、壁に寄りかかった名前はそっと瞼を下ろした。




――流川は、ふと目を覚ました。少し凝ってしまった首をほぐすように体を起こすと、隣で小さな体がかくりと落ちそうになるのが見えて流川は咄嗟に腕を伸ばした。そうして徐に、名前の頭を自分の肩へと傾ける。安心したのか、寝ているのにも関わらず口元を綻ばせた名前を見て、流川もふと表情を和らげる。くぁ、とひとつ欠伸をこぼすと、名前の頭にそっと寄り添うようにして流川は目を閉じた。


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