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▼ 60日のスパイス

 繁華街を通る時、居酒屋への行きも帰りも同じところにいかにもなワゴンが止まっているのを見ると、もしかしてアレって文春砲では? なんて勘繰るようになってしまった。平々凡々なわたしとは一生馴染みのないものだと思っていたのに。

「『――ももとりんごのスパークリング、好評発売中!』」

 会社の飲み会が終わった土曜夜、家に帰って真っ先につけたテレビからそんな声が聞こえてきた。今をときめく大人気アイドル、Re:valeの百の声だ。
 あんだけ好き好き言ってると、コマーシャルのオファーまで来るんだなあ。
 書類の入った重たいカバンを下ろしながら、ぼうっとその画面を眺める。地上波では最低でも二日に一回は見る勢いだし、電車の電子広告でも時々見掛けるから、ほぼ毎日その顔を見ている、気がする。
 実物に会ったのは、どれくらい前だっけ。

「……会いたいなあ」

 お酒の入った頭で、思わず考えていたことがぽろりと口から出てしまった。
 わたししか居ない狭いワンルームの壁にそんな呟きが吸い込まれていく。窮屈なスーツを脱ぎながら壁にかけてあるカレンダーを見て、……あれ、もしかしてもう二ヶ月くらい会っていないのでは? そんな馬鹿な。
 大人気アイドル、Re:valeの百こと春原百瀬は、わたしの高校の同級生、兼、恋人である。
 高校の同窓会ではそりゃあもうめちゃくちゃ話題に上がるけれど、忙しい身なのでいまだに彼が来れた試しはない。けれど学生の頃から明るくてみんなの人気者だったことに変わりはないから、グループラインにも入っているし、なんなら普通にプライベートの携帯で登録してあるらしい。個人情報は芸能人のくせに割とガバガバだ。
 そんな彼とお付き合いを初めて、何だかんだでかれこれ数年は経つが、このことはお互い本当に信頼のおける人にしか話していない。仕事が仕事なので会えないのは勿論、連絡が取れないこともしばしば……、とそこまで考えて、改めて日数をカウントしてみた。
 うん、二ヶ月だな。
 気にしないようにしていても、改めて数字で表してしまうと一気に寂しさが込み上げてきた。ラインもするし電話もするけれど、やっぱりそれとこれとは話が別だ。

「『――さあ、今日のゲストはこの方! 今や国民的アイドルと言われている、Re:valeのお二人ですー!』」

 テレビはいつの間にかバラエティー番組がはじまっている。こんな時も国民的アイドル。傷口に塩を塗られた気分になった。
 なんかめちゃくちゃ寂しくなったから、今日は彼がうちに置いてったジャージ着てやろう。どうせ会えないんだから、ちょっとくらい彼のぬくもりを感じさせてほしい。……どうせ会えないんだから。

「……わ、びっくりし、!」

 テレビの音に混じって、突然わたしの携帯が鳴った。飲み会だったのにマナーモードにするの忘れてたのか、わたし。
 春原百瀬。
 画面に彼の名前が出ていて、慌てて応答マークをタップする。

「も、もしもし……!」
「もしもしなまえ? ごめんね、夜遅くに。起きてた?」
「うん、起きてたよ」
「そっか、……よかった〜〜」
「どしたの急に」

 電話の向こう、彼のほっとしたような声の奥でピンポン、とインターホンの音が聞こえる。
 ――ピンポン。
 うちのインターホンだった。

「あ、え? 今、どこに居るの?」
「実はスケジュールが前倒しになって、急に暇が出来てさ。慌てて来たからなまえんちの鍵、持ってきてなくって」

 開けてくんない? と、したり顔の百瀬がインターホンのモニターに映る。電話からも同じ声が聞こえる。

「あ、開ける! 開けたよ!」
「ありがと、じゃ」

 電話が切れた音を聞いて、急いで玄関に向かう。靴を履いて、鍵を開けて、ドアを開けて、ちょうどキャップを目深に被った百瀬がひらりと片手をあげて――

「……なまえ、それ」
「?」
「もしかして俺のジャージ……?」

 完全に忘れていた。

「あー、家、入ってもいい?」
「、うん」
「お邪魔しまーす」

 ドアを閉めて、百瀬がキャップを脱いで靴箱の上に置く。後ろ手に鍵を閉めた音が聞こえたと同時に、がばっと勢いよく抱き着かれた。

「〜〜なまえ! 何それ!」
「なに、な、百瀬、」
「俺に会いたくてそれ着てたワケ?!」

 久しぶり、とか、仕事お疲れ様、とか、わざわざ来てくれてありがとう、とか。何か言うことは沢山あるはずなのに、恥ずかしすぎて何にも言葉が出てこない。
 もう何年も付き合っているのに、ちょー可愛い! と言いながら百瀬がわたしの首筋にぐりぐりと顔を押し付ける。まだワックスがついたままの髪の毛が変に当たってくすぐったい。部屋のテレビからアイドルの百の声が薄ら聞こえてくるけれど、わたしの目の前には、今、本物の彼が居る。

「会いたくてっていうか……寂しくて」
「寂しくて、着てたの?」
「うん…………百瀬、ひさしぶり」

 狭い玄関から動く時間も勿体ないくらい、ぴったりと百瀬にくっつく。なまえ、すき! とドアの向こうまで聞こえているのでは、ってくらいに大きな声で百瀬が言うから、めちゃくちゃ恥ずかしくなってさらに彼に抱きついた。二ヶ月会ってなかったのがどうでもよくなるくらい、わたしの名前を呼んですきだと言ってくれる。テレビの向こうの百じゃない、わたしの彼氏の百瀬だ。誰にも言えなくても、どんなに会えなくても、彼が抱き締めてくれるだけでなんかもう全部のもやもやが吹っ飛んでいくみたいだった。

「とりあえず、あっち行く? なんか飲む?」
「ん、そうだね。飲み物かあ」

 ひとしきり再会を楽しんだあと、とりあえず荷物を置いてゆっくりしたいだろうと思ってそのまま部屋に向かう。靴を揃えて後ろをついてくる百瀬の方を振り返ると、彼は少し悩んだ顔をしたあと、大きな目をすうっと細めてわたしの頬を撫でた。

「なまえさあ、」
「うん?」
「なまえがそれ着てたら、俺が今日着るもの、なくなっちゃうと思わない?」

 みんなの人気者の百が、春原百瀬という男の人になる瞬間を見た。たぶん何回も見ていると思うけれど、いけないものを見たような、なんとも言えない気持ちになる。
 触れるだけのキスをしながら、頬にあった百瀬の手がゆっくりと腰に回って、ふたりでそのまま、狭いシングルベッドの海に沈んだ。

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