SHORT | ナノ


▼ たましいがおぼえている

※前世の記憶有り系なんちゃって現パロ


 脳みその奥が弾けるような激痛だった。

 ビビが転校しちゃうからみんなで思い出作りしようと、放課後の空き教室でああでもないこうでもないと考えている時だった。
 まるで後頭部を殴られたような痛みは目の奥に移動して、ぐらりと視界が歪んだと思ったらそのまま後ろにぶっ倒れる。天井の模様が見えた時、心のどこかで、向かいに座っているルフィがその腕を目いっぱい伸ばして助けてくれるんじゃないかと考えた。
 行儀悪く椅子の背もたれを前にして、肘をついて座るからいけなかったんだ。ビビのようにお姫様みたいに座っていれば、こんな風に頭を打たずに済んだのに。ナミに「足閉じなさい!」って怒られてたし。昔から、いつもナミには怒られてばっかりだったなあ。
 
 ――昔って、いつ?
 
 揺れるカーテンの隙間から、潮の香りがした、ような気がした。

  :

 誰かの話し声と独特な匂いでゆるやかに覚醒する。瞼は重たく、頭痛はまだ治まっていなかった。
 チョッパーの医療室にしては、さらさらと清潔そうなシーツだな……と考えて、バチッと目が覚めた。白い天井に、隣のベッドと区切られた薄緑のカーテン。ここは間違いなく、通っている学校の保健室だ。ぶっ倒れたわたしを誰かが運んでくれたんだろう。
 非力なナミやチョッパーには無理だろうし、ウソップが運んでくれるのもあんまり想像できない。サンジはすぐ鼻血出しちゃいそうだし。そういえば『偉大なる航路』に居た頃は、よくルフィがぐるぐる巻きでわたしを運んだり、ゾロに米俵みたいに担がれたりしてたんだよなあ。

「……『偉大なる航路』」

 声に出すと、混乱した頭の中が徐々に整理されていく感覚がした。
 潮の香り。
 チョッパーの医療室。
 教室でお姫様みたいにお淑やかに座るビビは、本当はアラバスタの王女様。
 ルフィはゴム人間で、わたし達はメリーやサニーに乗って――
 ガタ。
 指折り数えて思い付く単語を並べていると、カーテンの向こうで物音がして、すぐに目の前のカーテンが勢いよく引かれた。

「……気分はどうだ」

 ああ、なんで。なんで、みんな、こんなに近くに居たのにずっと忘れていたんだろう。

「頭、が、痛くて」
「そうか。一応頭は打っていない。すんでのところでセーフだったと麦わら屋が言っていた」
「……はあ」
「水分を摂って、しばらく安静にしていろ。立ちくらみがしなくなったら帰っていい」
「みんなは?」
「教室で待っていると言っていた。ところで――」

 おれを覚えているか。長身が真っ直ぐわたしを見下ろしてそう言った。
 保健委員のチョッパーや、よく小さな怪我をするゾロにくっ付いて、みんなでこの保健室に入り浸っていた。先生の名前は長いからトラ男先生って呼ぼうと、最初に言い出したのは確かルフィだったと思う。
 ――わたしたちは、知らず知らずのうちに、あの頃をなぞって生きてきたのだろうか。
 トラ男先生と呼んで慕っているのは、今のところこの学校でわたしたちだけだと思う。そしてトラ男先生も、保健室に来たわたしたちには変な名前を付けて呼んでいた。それが面白くて、楽しくて、いつからか少しのタメ口が混ざったり、先生を付けずに呼んだりしても怒らなくなった。

「『偉大なる航路』と呟いたな」

 押し黙ったままのわたしに、痺れを切らしたように言い放つ。そのひとの目は確かに、保健室でもなお色濃い隈が出来ていた。
 色んな思い出が一度に押し寄せてきて、どうしたらいいか分からない。海が恋しい。プールの授業でルフィやチョッパーがはしゃいでいる姿を不意に思い出して、わっと涙が溢れ出た。

「……呟き、ました」
「泣くな。頭痛が酷くなる」
「トラ男のアレでなおして」
「ここには悪魔の実は存在しない」

 悪魔の実。目の前に居るのは、もう、オペオペの実を食べた死の外科医ではないのだ。

「今日はよく喋るね、トラ男」
「当たり前だ。今話さなくていつお前と話す」

 流れる涙を拭うのは早々に諦めた。鼻をすすりながらゆっくりと体を起こすと、トラ男はデスクにあったキャスター付きの椅子をガラガラとこちらに引いてきて、そのままベッドサイドに置いて腰掛けた。

「ずっと、知ってたの?」
「この高校に赴任して、麦わら屋を見た時だ」
「……そう」

 それはつまり、一年以上前ということになる。

「……これはまだ、生徒に言ってはいけない話だが」
「?」
「お前達のクラス、担任が産休だろう」
「ああ、うん。代わりの先生が週明けから来るって」
「この前挨拶に来て、遠目でだが顔を見た。考古学を専攻していて、主に世界史の担当になるそうだ」
「――え、」
「ニコ・ロビンが赴任してくる。これで他にも思い出す奴が出てくるかもな」

 ロビンに会える。彼女は覚えているのだろうか。
 そこまで話して、わたしはしばらく口を閉ざした。一年以上前から思い出していたトラ男と、今思い出したばかりのわたしでは、あまりにも処理能力に差がありすぎる。
 涙が少し引いてきた頃、一人ひとり、あの頃に出会った名前をぽつりぽつりと呟いていく余裕が出来た。トラ男は黙って聞いていた。
 フランキーは何をしているだろう。ブルックは結局あの姿でしか見れなかったけれど、この世界ではどんな風に生きているんだろうか。
 そういえばサンジもナミも学校には内緒でこっそりバイトをしている。サンジはレストランの厨房だったはずだから、もしかしたらオーナーはゼフなのかもしれない。ナミの働く居酒屋には、一度だけみんなで覗きに行った。あまりにも遠目すぎてうろ覚えだけれど、あれは多分アーロンだったんじゃないだろうか。今度、嫌なことされてないか聞いてみよう。
 ビビはお父さんの仕事の都合で転校するって言ってたけれど、今は何の仕事をしてる人なんだろうか。まさか王様じゃあるまいし。アラバスタで出会った人達は、今でもビビの近くに居るのかな。
 ルフィに誘われた日から、メリーに乗って、色んな航海があって、ウォーターセブンでサニーに乗って。新世界に向かって、それから……。順番に言葉にしていくと途方もなく長くて、パンクハザードに辿り着く頃には日が暮れてしまうと思って、ふと、指が止まった。

「ト、トラ男」
「……何だ」

 指が止まる。新世界に向かって、シャボンディ諸島で一悶着あって、それから。
 それから、ルフィが。
 今はどんな生活してるって言ってたんだっけ。確かお父さんが単身赴任だからおじいちゃんの家に居て、それで、仲良しの兄ちゃんが居るって言ってて……。兄が、居る? エースが? それとも革命軍の方の?

「ルフィの」

 ルフィのお兄ちゃん、知ってる?
 それが言いたいだけなのに、声が震えて上手く出ない。また溢れそうになる涙を放ったまま、トラ男に視線を向けると、動かないわたしの指をそっと掬って握ってくれた。

「麦わら屋の、もしかして、兄貴の事か」
「……!」
「兄貴は一人、一緒に暮らしているらしい。名前はエース」
「エース……!」
「それから近所に仲良しの幼馴染が居るそうだ。兄貴のように慕っている、と」
「それは、あの……、革命軍の?」
「だろうな。去年の体育祭に来ていた」
「嘘!?」
「本当だ」

 知らなかった。知っていたとしても、特に何をした訳でもなかったけれど。でも、エースは生きていて、ルフィは毎日笑って過ごしている。それはもう、よく飽きないなってくらいに。
 もう涙を止めようとも思えなくて、握られたままの手に少しだけ力を込めた。
 あの世界と、この世界。海賊は居なくて、暮らしは平和で、わたしたちは当たり前のように学校に通って、毎日を一緒に過ごしている。
 刺激が足りないと思ったことなど無かった。部活の練習はキツいし、テスト週間は嫌だけれど、それでも毎日楽しかった。家族がいて、友達がいて、たまに喧嘩して仲直りして、遊んで遊びすぎて怒られて。嘘偽りなく、これが幸せな青春時代なのだと思う。

「いい加減泣き止んだらどうだ」

 なのにもう、数分前までの生活ではいられない。

「無理だよ」

 自分の口から出たとは到底思えない、小さくて上擦った声だった。目頭どころか、瞼すべてが熱い。そのまま視線を上げれば、蜂蜜色の瞳と目が合う。
 もう、何も知らないわたしでは居られない。モンキー・D・ルフィという船長のもと、精一杯悔いのない人生を送ったと思っていたのに、ひとたび思い出してしまえばこんなにも涙が溢れて仕方ない。
 会いたい。話したい。あの頃大好きだった仲間に。家族に、友人に、恩人や島で出会った優しい人々、共に命を懸けた戦友に。
 そして、たった一人愛した人に。本当は、今すぐにでも。

「ハートの海賊団は元気なの?」
「ああ」
「白熊は?」
「ベポはまあ、お前のところのトニー屋みたいなモンだ」
「そっかあ……」

 言葉を交わしながら、握られたままの手の拘束が緩んでわたしの手首をなぞる。そのまま肘、二の腕と滑ってきた大きな手はやがてわたしの肩を掴んで止まった。

「もう、いいか」

 その言葉で、ぽかんとひらいたままの口をきゅっと結んだ。口を閉じたら、涙の蛇口も一緒に止まるような仕組みだったら良かったのに。ずっと合わさったままの熱い視線が、いっそのことわたしの涙腺を焼き尽くしてしまえばよかったのに。
 彼の前でこんなにぐちゃぐちゃの泣き顔を晒したことなど無かった。
 彼がわたしの肩を抱く手が、こんなにも震えていたことだって一度も無かった。
 口に出したら止まらない気がしていた。船での出来事を一つひとつなぞって、落ち着く時間が欲しかった。懐かしい宴を思い出して、あと数年は飲むことが出来ないうろ覚えの酒の味を語りたかった。朧気な潜水艦の記憶をたどってみたかった。
 今、もしも彼の能力で、わたしの心臓が目の前にあったら。きっと尋常じゃないほど脈打って、取り出したキューブからはみ出そうなほど肥大していたと思う。多少握り潰されても微動だにしないほどきっとアドレナリンが出ていて、そして――

「会いたかった……!」

 そう言って痛いほどわたしを抱きしめるローの心臓も、そうであればいいと願った。

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